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19・【レオノール視点】不意打ち


 疲れた。地味に疲れた。

 救護室のテーブルにうっつぶして、深い溜息を吐く。

 その頭上にコトッと茶が入ったカップが置かれる。


「聞いたわよ? 逃げ回ってるんですって?」


 カレンが茶を置きながら言ってくる。

 逃げ回ってる……のか。そうか。俺は逃げ回っているのか。

 何となく自覚がないまま、()()を避けてしまっていた。

 けれど、どんな顔をして会えって言うんだ。あんな話を聞いて。

 まともな顔で話せるほど、俺は人間が出来ていない。


 黙っている俺にカレンは続ける。


「可哀相だったわよ~彼女。ここに来て、シュンッと肩を落として『わたくしは……嫌われてしまったのでしょうか』ですって」


 その言葉を聞いて、反射的にガバッと上体を起こす。


「……っは!? ちがっ……」


 カレンの緑色の瞳と目が合い、またぐぅっと唸って俯く。

 カレンは、はははっと軽快に笑う。


「あたしに言ったって仕方ないじゃない。ちゃんと本人に言ってあげなさいよ」

「……それは、わかっているんだが、」


 与えられた気持ちが、身に余る。

 元妻とも、好きだのなんだのという掛け合いはしたことがない。

 ずっと気が付いていなかった薄皮に、針を立てられたような心地だ。

 唸っていると、目の前の席にカレンが座り、茶を飲み始める。


「まあ、わからなくもないけどね。年の差もあるし。良いじゃない、ゆっくり考えれば。彼女だって、あなたを焦らせる意図はないでしょうよ」

「……」


 はぁ、ともう一度息を吐いて体を起こす。

 まあ、ここでぐるぐると考えていても仕方ないよな。

 俺はひとまず、淹れて貰った茶に手を伸ばす。


「それよりもあたし、彼女に関して一つ気になる事があるのよね……」

「気になる事?」


 なんだ? と首を傾げるが、カレンは何かを考えているようで、視線は合わない。


「ん~……本当にただ、何となく気になる程度っていう感じで聞いて欲しいんだけど……、手を洗う回数が微妙に多い気がするのよね」

「手?」

「そう」


 先日の、倒れる彼女を支えた時の小さな手を思い出す。真っ白で、傷一つない手だった。

 その考えを読み取るかのように、カレンが続ける。


「手を洗うたびに、光魔法の含まれた最高級のハンドクリームを使っていて気が付いたの。凄く有名なブランドで、あたしも欲しいなぁって思っていたものだったから。たぶん、あれがなかったら擦り切れているくらいには洗っている気がするの」

「……潔癖とかか?」

「ん~……どうかしら。それに、合わせて少し気になったのが髪形ね」

「髪形?」

「ええ。普通あのくらいの子ってお洒落したい年頃でしょう? あれだけ長ければ幾らでもアレンジも出来るのに、いつも三つ編みだなぁ~って……まるで華やかさを隠そうとしているみたいって、最近思ったの」


 そうなのか? 三つ編みも、清楚な雰囲気で彼女に良く似合って……って、違う!

 いや、違くないのか? 容姿を褒めるくらい普通か!?

 顔を思い出すだけで妙に心乱されてしまう。おかしいのは、俺の方かもしれない。


「気の所為なら良いんだけどね。彼女、王都には親御さん居ないんでしょう? 常に人の目に晒されているし、中々気が抜けないんじゃないかと思って」


 俺の事情はともかくとして、心を落ち着かせて少し思案する。

 髪形の件はわからないが、昔、若手の騎士で人を手に掛けた後、やたら手を洗い続けるようになった者がいた。結局、騎士を続けることなく親元に帰ったが……。俺は、カレンの言葉にひとまず頷いて置くことにした。


「……頭の片隅にいれて置こう」

 

 俺に話せて少しほっとしたのか、カレンは話題を変えてくる。


「それより、週末の約束忘れてないでしょうね? 闘技賭博(ゲビンヌムリコル)

「ん? ああ。ちゃんと席を取ったよ。二人分。でも本当に良いのか? 一応賭け事だぞ?」


 闘技賭博(ゲビンヌムリコル)は、傭兵落ちや元騎士などがその腕を競って行う競技会の事で、観客はどの者が勝つかで賭けを行う。ルールは簡単で、魔法の使用は禁止。死亡する手前でやめる。筋骨隆々な猛者達が出る為、コアなファンは意外と多い。この国では賭博自体は咎められていないが、内容も血生臭く心象が悪いので、貴族や聖職者などは立ち寄らないのが普通だ。なのにカレンは以前から行きたいと騒いでいて、このシーズンの試合に連れて行く約束をしていた。


「いいのよ。(たぎ)るわぁ、男たちの戦い。あ、遅れるといけないからチケット貰っといていい? もしもの時は直接行くわ」


 俺は持っていたチケットを取り出し、一枚をカレンに渡す。

 その後は、選手たちの情報などを教えたりしてその場は終わった。



 ◇◇◇


 そして、週末がやってきた。

 闘技場は、もちろん貴族達がよく買い物をするような王都の中心ではなく外れにある。

 少し距離はあるが、馬や馬車で向かえば然程でもない。

 闘技場の周辺は酒場や宿屋が多く、試合の前後には人が溢れる。


 俺は自分の馬を馬留に預け、待ち合わせの食堂に一足先に到着し、一人食事を取っていた。

 念のため変装用の眼鏡を掛けているが、まあ俺のように灰茶色の髪の奴は多い。

 早々気が付かれないだろう。

 

 まだ、試合まで少しある。

 人影も(まば)らな店内で、炒めた麺をかき込むように食べていると、俄かに店が騒がしくなる。

 ……が、俺には関係ないだろうと気にも留めなかった。


 ふいに、カタンと目の前のイスが引かれ誰かが座る。

 街娘風の格好にフードを被ったその人間が、フードを少しずらして花も綻ぶような笑顔で俺を見てきた。


「こんにちは……バレナ、先生」

「…………っ!」


 俺は目を剥いて、吹き出しそうになる麺を、喉でぐるっっと変な音を立てながら必死に飲み込んだ。同時に、目の前の人間のフードを引っ張りより目深に被らせる。


「きゃっ……!」


 きゃっ、じゃねぇ! すぐに水魔法で周辺に薄いベールを作り、周囲から認識されにくいように措置を取り、小声で話しかける。


「……なんでっ、君がここにいるんだ!」


 フードの隙間から、輝くような藤色の瞳がこちらを覗く。


「ご、ごめんなさい! カレン先生が協力してくださったのです。今日、ここにくればレオ様……バレナ先生とお話しできると」

「あいつ……」


 思わず歯噛みする。

 一応、彼女も状況はわかっているようで、俺の事を公爵とは呼ばない。

 ただ、認識疎外の処置を取っても、最初に気が付いたものには効かない。

 先程の店のざわめきは、隠そうとしても隠しきれていない場違いな程に美しく上品な気配を纏う彼女に向けられたものだろう。それを証拠に、幾人かの視線がこちらに集まっている。

 俺は舌打ちし、テーブルに金を置き彼女の手を引き立たせ、その細い肩を抱いて店を出た。少し歩いたところの路地裏で足を止め、改めて声を掛ける。


「ここがどんなところかわかってるのか? 侯爵家のご令嬢がこんな所に来るな!」

「まあ……でも、バレナ先生の方こそ、やんごとなきご身分ではありませんか」

「俺は良いんだよ、俺は! まさか一人で来たんじゃないだろうな!?」

「それは、もちろんです! あそこに……」


 彼女がちらっと後ろを振り返ると、陰から銀髪の体の大きな男が顔を出し頭を下げる。

 気配の消し方から見ても、かなりの手練れなのはわかる。侯爵家の騎士の者か。


「彼はヨルダンと申します。わたくしが行きたいとお願いすれば、概ね何も言わずに一緒に来てくれるんです」

「……ああ、そうかよ。とにかく、もう帰れ」


 気持ちげっそりとしながらそういう。けれど彼女は、肩から下げた小さな鞄から何かを取り出し目の前に突き付けてくる。


「いけません。わたくしは、カレン先生の代わりに()()に参加し、感想をお伝えする約束をしているのです」


 それは見覚えのある、闘技賭博(ゲビンヌムリコル)のチケットだった。

 俺は手を伸ばしそれを奪おうとするが、すんでの所で彼女はそれを胸に引き寄せ、大切そうに鞄にしまった。


「……っ、それがどういう所なのかわかっているのか!?」

「概要は伺いました! バレナ先生が行かなくても、わたくしは参ります!」


 両者一歩引かぬ睨み合いになる……が、こんな小動物のような少女を本気で睨むことも出来ず、結局俺が折れるしかなかった。


「あぁ……もう、わかったよ! その代わり、絶対そばを離れるなよ」

「……はい! ありがとうございます!」


 彼女がぱぁっと喜びの笑顔を見せる。何がそんなに嬉しいのかニコニコと。

 美人ってすごいな。笑うだけで急にこの場が明るくなったような気がする。

 そう言えば、制服姿しか見たことがなかったが、深緑色の異国風のフードも、フードの隙間から見える胸元に刺繍の入ったゆったりとした街娘の服装も可愛……。

 

 ゴンっ!


「レ……じゃなかった、先生! ど、どうなさったのですか!?」

「いや……」


 そこまで考え、俺は俺らしからぬ思考を俺の中から追い払うために、側の建物の壁に頭を打ち付けた。調子が狂う。

 すると、彼女はガサゴソと鞄から何かを取り出し、打ち付けた俺の額にそっと柔らかいそれを押し当てる。視界の端に、真白いハンカチと同様に透ける様に白い彼女の手が写り、花の香りを感じる。


「大丈夫ですか?」


 思わぬ距離の近さに息を呑み、身体が固まる。

 彼女の手にあった、汚してしまったかもしれないハンカチだけ奪い取るように掴み、俺は「行くぞ」と言って踵を返し歩き始める。

 「はい!」という声と、彼女の気配を後ろに感じながら、俺は一先ず路地裏を後にした。


貴重なお時間をいただき、ありがとうございます。

読んでくださった皆様に、素敵な事が沢山ありますように(。>ㅅ<)✩⡱


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