9・【レオノール視点】まあ、良いか
まあ、ただ、思い出したところでどうこうするつもりは全くない。彼女が俺にどんな思いを抱えているにせよ、そんなものは幼い熱だ。あんな一瞬の出来事で、俺の何がわかるっていうんだ。
何にせよ俺がするのは、授業と“フェアリーコンプレックス”に関する捜査だ。先日、学院での被害者ケイティ・ハンゼン子爵令嬢の話を聞いた。聞いたと言っても、救護室でカレンが定期的に診察していると言うので、便乗して物陰から話を聞いていただけだが。
ハンゼン子爵令嬢は、このような言い回しをするとあれだが、“普通の”子爵令嬢だった。特筆すべき特徴はなく、背中まで伸びたベージュ色の髪は綺麗に整えられ、グレーの瞳は垂れ目がちで穏やかな印象を与えた。ただ一つ、薬の影響か少し陰鬱とした眼差しではあった。原料がわからない以上、薬が抜けていくのを待つしかないようで、夢遊病の症状が治まったとしても夜になると眠れないなどの障害が残っているようだ。
カレンの質問に対しては滞りなく答えるものの、好きな男に関しては、そんなものはいないの一点張り。薬の入手経路などに関しては記憶がないと答えを濁した。本当に記憶をなくしているとは、考えにくい。誰かをかばっているのか、余程知られたくない場所に出入りしていたか……。ただ、薬の違法性がはっきりとしない事には、これ以上強く出ることもできない。
被害者本人が口を閉ざしているとなると、出来ることは交友関係を洗う事だ。しかし、ケイティは本来二学年。友人達は皆学年が上がってしまい、一人一学年に残った彼女は、特定の友人作らずクラスで一人静かに過ごしているらしい。噂になってしまう行動は避けなければいけないので、二学年生徒に対しての聞き込みも出来ない。正直、手詰まりだ。やはり、イシドールを味方に引き入れるべきだろうか?
そんな事を考えていると、一学年の生徒がいる教室が近づく。救護室がこの棟にあるので、研究棟から向かうにはここを通らなければいけない。外から迂回する方法もあるが、かなりの遠回りになる。
だから致し方なく足を踏み入れたものの、棟に入った瞬間からあからさまに視線を感じる。まるで針の筵だ。やはり昨日の騒動が噂になってしまったようで、通りすがる奴ら全員、人の顔を見てはひそひそと声を漏らす。恐らく、教師や騎士だって噂は知っているだろうが、ここまで明け透けではなかった。くそっ。段々イライラしてきた。だからガキは嫌いなんだ。
ふと見上げると、前方に彼女のクラスの教室が見えてくる。……正直、気まずいな。迂回するか? いやいや。なんでそんな逃げるような事をしなきゃいけねぇんだ。
意を決して足を進める。今は時間的に、休憩時間の筈だ。彼女のクラスを通り過ぎる為、そっと教室を覗き、思わず動きを止めてしまう。数名の生徒の中心に、彼女の姿が見えた。髪色の所為か、その肌の透けるような白さの所為か、その場だけが妙に明るく華やいで見える。側には、かろうじて笑顔を保っているが、かなり機嫌が悪そうなイシドールの顔も見えた。
彼女は、困った顔をしながらも、背筋を伸ばし一人一人と丁寧に話している。その言葉を聞こうと、周囲の人間も聞き耳を立てている様子が伺える。どうしたものか、扉の影に潜み様子を探ると、昨日間近で聞いた彼女の声が聞こえてきてドキッと鼓動が跳ねた。
「お騒がせしてしまって、本当にごめんなさい。わたくしが一方的にお慕いしているだけなんです。昨日は、誤って手すりから落ちてしまったわたくしを、通りすがった閣下が助けてくださったのです」
いや、ドキッとしてどうするんだよ俺。何となく脱力しながら、彼女に意識を向ける。あんなにも小さかった子供がこんなにも大人になるのか。まるで別人……いや、そうでもないか。思い出して見てみると、ほんの少し面影もあるような気もする。あの時は、逆だった。彼女が物影に潜み、それを俺が見つけたんだ。
「その事が嬉しくて、思わず想いの丈を告げてしまいました。品位に欠いた、幼稚で、考えなしな行動でした。どうか、閣下の事を誤解なさらぬようお願いいたします」
そこまで丁寧に対応しなくとも……誰が誰を想おうと、誰が誰に想いを告げようと、悪い事をしているわけでもない。むしろ、やたら気にして関係もないのに詰め寄る奴らや、大して知りもしないのにさも詳しいかのように語る奴らがおかしいんだ。放って置けば良い。
すると、ひそひそと話し合う生徒の声が聞こえてくる。
「……でも、バレナ公爵閣下ってあれだろ? 戦闘狂だろ?」
「戦友を餌にして、魔獣を仕留めたって噂もあるよな」
「……戦場では女子供問わず手に掛けていたらしいぞ」
「血も怪しいって噂を知ってるか? 平民の血が流れてるんじゃって」
「授業を受け持つって聞いた時、親から受講するなって言われたよ」
ああ。なんだか忘れていたな、この感じ。騎士達は実力主義で、こういった話をあまりしないからな。未だに貴族達の間での俺の評価はそんな感じなのか。半分はかつての皇后派の者達が流した誇張された噂の残りだろうが、まあ今更別にどうでもいい。俺は、ただ“国を守れ”という与えられた役割をこなしただけだ。それに、子供の言う事を気にするのもな。ふぅと力を抜き、背中の壁に凭れる。すると、丁寧に品よく話していた柔らかい声が、低く凛とした響きに変わって聞こえてくる。
「おやめください」
声につられて振り返る。藤色の瞳が、平素よりもいっそ強い光を湛え、周囲を見回す。声を漏らした奴らは、鳴りを潜めた。彼女は、その者を特定しているのかいないのか……前方を見据えて、全員に言い聞かせるように怒りを含む声を発した。
「彼は、この国の英雄です。この国に住まう者はみな等しく、彼に守られて生きてきたと言っても良いでしょう。どのような戦いがあったのか、どのように傷を負ったのか、その痛みを想像さえせず、彼を語るのはおやめください!」
「ロゼ……」
教室が静まり、怒る彼女を側でイシドールが宥める声が聞こえてくる。彼女は、ぐっと唇を噛んで俯てしまった。ふと、彼女の様子をじっと見ていたら、その顔色の悪さに気が付く。目元にはうっすらと隈も出来ているし……周りの奴らは気が付いてないのか?
その事が気になって眺めていたら、彼女の足が、ふらっと通常とは違う動きを見せた。まずいっ……と思ったら、また体が勝手に動いていた。俺が人を掻き分け彼女に近づいたのと、彼女が崩れて膝をつきかけたのがほぼ同時。倒れる寸前でその細い体をキャッチする。突然現れた俺に、俄かにざわざわと教室が騒がしくなる。俺の腕の中で、彼女は驚いて目を見開き言葉を漏らす。
「レオっ……こ、公爵閣下!」
「大丈夫か?」
聞くと、彼女の頬がかぁっと赤くなる。その一方で、支えて触れた手が驚く程冷たい。大丈夫ではなさそうだ。
仕方ないと、俺はそのまま彼女を横抱きに持ち上げる。脇でイシドールが驚きで固まっているのが見えたので、にっと口の端をあげ「後は頼む」と一言だけ呟いて、周りを囲う生徒達を無視して教室を出た。さて、どうなるか。教室を出ると、背後からは大きな声で「きゃあああああ!」という女生徒達の声が聞こえてきたが、まあどうでも良い。腕の中の彼女は、状況が理解できないようで身を縮めたままハクハクと口を動かしている。かと思ったら、声を潜めながら言ってくる。
「レ、レ、レ、レ、レオ様……いけません! また、あらぬ誤解が……わたくし、1人で歩けます」
「気にするな。体調悪いんだろ?」
「~~~……!」
彼女は顔だけでなく耳や首や指先まで真っ赤になってくる。その様子に、思わず笑みが零れてしまう。
「はは、茹蛸みてぇだな」
彼女は、両手で小さな顔を覆って隠してしまった。でもお陰で、彼女の体に温もりが戻ってきた。俺はそれを見ているだけで何となく愉快な気分になりながら、足早に救護室に移動した。
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