【天然危険物】信者とアンチは表裏一体?
黒 「今回は信者とアンチについて語るんば」
チ 「いえっさ」
黒 「とりあえず分かりやすい例として〝なろう〟の信者とアンチについて語るけど、どの界隈でも事情は同じようなものだろう」
チ 「りょ。ちなみに御主人? ここで言う〝信者〟は〝熱烈なファン〟って解釈でいいのです?」
黒 「ちょっと違う。信者は〝批判的な意見を許さない狂信的な愛好家さん〟。アンチはその逆で〝肯定的な意見を認めない独善的な批評屋さん〟。なお、どちらも僕様定義であって、一般論だとは言わないでおく」
チ 「なんか……信者もアンチも同じような人っぽいのです」
黒 「うん。志向のベクトルが真逆なだけで、人間性はほぼ同じなんだよね。実際、なろう信者とアンチのレスバを観てると、どっちもどっち感満載だし」
チ 「なろう作家が、そんなこと言って大丈夫なのです? ただでさえ談合嫌いのせいで孤立無援なのに、敵を増やしたら目も当てられないのです」
黒 「まぁ、大丈夫だろ。つーか、この程度の放談を敵視する人は、そもそも僕様の作品なんか読んでないだろうし、今後も読んでくれそうにない。もとより縁が無いなら、繋がる努力をするだけ無駄さね」
チ 「そうやって自分で間口を狭くするのは悪い癖だと思うのです。もっと広い心で誰でもウエ~ルカ~ムな物書きさんにならないと、いつまで経ってもド底辺を徘徊するゾナビと化すこと必定なのです」
黒 「……ゾナビ?」
チ 「ウェブ小説界の深淵で朽ち果ててもなお人知れず書き続けるゾンビ化したワナビ、なのです」
黒 「やたらと胸に刺さる言葉を作るのやめれ」
黒 「お前が言った通り、信者とアンチは基本的に同じ類型の人間とみていい。ただ、一つだけ決定的に違うところがある」
チ 「違うところ?」
黒 「端的に言うと、それは〝自己肯定感〟。自分が好きなものを盲信する信者は当然、自己肯定感が強い。じゃなきゃ盲信できないからね。
一方、アンチは自己肯定感がすこぶる弱い。だから逆張りに走るのさ。人気の事物を叩いて自分の存在を誇示し、それを他者に是認されることによって間接的に自己肯定しようとしてる」
チ 「ふーん。あ、でも、アンチはアンチで自分の価値観を盲信してると思うのです。それは自己肯定からくるものではないのですか?」
黒 「一見、そう見えるけど、根本がまるで違う。アンチの自己肯定感は他者に依存していて、まったく自発的なものではないから」
チ 「きゅ~……思考回路がショート寸前なのです。熱暴走する前に懇切丁寧な解説をしてくれなきゃイヤ~ンなのです」
黒 「信者はアンチがいなくても存在しうる──いわば自生しているが、アンチは信者無くして存在しえない。ここまでは分かる?」
チ 「なんとなく」
黒 「前述の通り、アンチは〝人気の事物〟を叩くことで間接的に自己肯定感を得てる。人気の無い──信者が存在しない事物を叩いたって誰にも注目されないからね。つまり、アンチは信者に依存した存在なんだ」
チ 「なるほど。なんか分かった気がしてきたのです」
黒 「それはなにより。じゃ、もうちょい掘り下げてみようか」
黒 「やや話がズレるけど──実はアンチの中には〝なんちゃんてアンチ〟がいる、と僕様はみていたりする」
チ 「アンチのふりをしてる人?」
黒 「より正確に言うと、本当はファンなのにアンチ的なスタンスの人」
チ 「んー……謎なこじれっぷりなのです」
黒 「いや、ごく単純な心理だよ。ファンであることが気恥ずかしいからアンチのふりして界隈に関わってるだけ。好きな子に悪さして気を引く男児にも似てるね。〝お前、本当はあいつが好きなんだろ〟ってバレバレなあたりが」
チ 「あー、そう言われると、いるのです。アンチなのに、あんた暇さえあれば読み漁ってね? ってぐらい、やたらと〈なろう〉に詳しい人とか」
黒 「そうそう。あれって、もはやファンなんだよ。よく言うだろ? 愛情の対義語は憎悪ではなく無関心だって。本当に嫌いなら無視するわな」
チ 「まさに、嫌い嫌いも好きのうちってやつなのです」
黒 「ついでに言うと、メンタル的にアンチに近いファンもいるね。しかも少なからず」
チ 「アンチに近いファン? ほんとは嫌いなのに好きなふりをしてるのです?」
黒 「いや……そんなミステリアスな人は見たことないな、さすがに。メンタルがアンチに近いファンってのは〝布教したがる信者〟のこと。ひたすら〝なろう系〟を礼讃し、その価値を世間一般に認めさせようとする人さ」
チ 「うわ、うぜー」
黒 「お前、しばしば口悪くなるよな」
チ 「ボク様の言葉は誰かさんの心の声だから仕方がないのです」
黒 「それを言うのは野暮っでもんさ」
チ 「で、布教したがり信者さんがアンチに近いって、どーゆー意味なのです?」
黒 「なろうファンの多くは、他人からどう思われようと自分は〝なろう〟が好きなんだと思ってるだろう。が、布教したがる信者──いうなれば〝なろう宣教師〟は他人様の評価を異常に気にしていて、そのメンタリティーはむしろアンチに近い。
宗教の場合、とくに敬虔な信者が宣教師になるわけだが、なろう宣教師は自己肯定感が弱くて信者になりきれない人と推察される」
チ 「きゅきゅ? 信者になりきれないから宣教師になるって、おかしくないですか?」
黒 「人並みの自己肯定感があれば、他人からの評価なんか気にせずに〝なろう〟を楽しむことができる。が、自己肯定感が稀薄な人は〝なろう〟を愛する自分を他者に認めてもらいたがり、そのために〝なろう〟は凄いと喧伝する。こんな素晴らしいものを愛める私は素晴らしい、と言わんばかりに。
メンタルがアンチに近いと言ったのは、他人から認められないと自分の嗜好の価値を認識できないという点が共通してるからなんだ。
アンチは信者に依存し、宣教師は万人に依存してる。いや、むしろアンチに依存してると言ってもいいかも。アンチとのバトルすら〝なろう〟を宣伝する手段なのさ。よしんば論破できれば自己肯定の養分になるし」
チ 「……御主人?」
黒 「ん?」
チ 「台詞、長すぎなのです。読みにくいわゴルァ、という読者さんの声無き声を代弁して、締めの御挨拶に代えさせていただくのです」
黒 「……嫌な終わり方」
──終劇──
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