八剣家の夕食前
「うーん……今のところ、そのような症例は報告されてませんね。もしかすると先祖返りとは関係無く、不整脈の可能性がありますので、内科の受診をお勧めします」
初めて先輩と会った日、私は自分の部屋に上がると、スマホで先祖返りホットラインに電話し、今日あった事を相談してみた。
先祖返りホットラインの電話に出るお姉さんは親身になって相談にのってくれる。
って、先祖返りホットラインとはなんぞや?って思うかと思うけど、早く言ったら先祖返りや先祖返りを家族に持つ人、先祖返りを採用する予定の企業の人などのお悩み相談窓口みたいなところ。
今でこそ認められた存在である吸血鬼、その中でも特に特殊な存在である先祖返りは、『血を吸われると自分も吸血鬼になってしまう』とか、『1回の食事で血液が数リットル必要だ』とか、昔はそんな謂われのない噂が囁かれていたらしく、とても生きにくかったらしい。
実際に私がいつも食事の時に口に入れる飴玉だって、最初は顆粒薬で、しかも承認されたのが平成初期だったって話しだし、吸血鬼が認知され、人間社会に出たは良いものの、人間の血を確保出来ずにいきなり灰になって死んじゃう先祖返りさん達がいて、一時期社会問題になったんだとか。
で、うちのお祖父ちゃんの尽力もあり、そんな社会的弱者な先祖返り救済の一環として、先祖返りホットラインが開設されたみたい。
あ、ちなみに私のお祖父ちゃんなんだけど、『八剣 血潮』って言って、今は引退してるけど元吸血鬼初の政治家。
何でもそれまで吸血鬼一族は山奥に何箇所か隠れ里を作って、一応人間の協力者が多少はいたみたいなんだけど、人目を避けて生活してたらしい。
昔はヴァンパイアハンターとかも多くて、見つかっちゃったら否応無しに狩られちゃってたって話だし、そりゃ隠れたくもなるよね。
でも近代になって、あまり儲からなくなってきたのか、ヴァンパイアハンター業界は衰退し、そして吸血鬼も世代が進み、少しずつ人間の血も混じってきた事で、現在の吸血鬼と変わらない人達ばかりになってしまった。
そこでお爺ちゃんはこう言ったらしい。
「もう、俺達、隠れ住まなくて良いんじゃね?」
って事で、隠れ里を飛び出したお爺ちゃんは世間に吸血鬼の存在を認めるような運動を起こし、長らく敵対関係にあった『日本ヴァンパイアハンター協同組合』の組合長と友達になったり、伝統ばっかり重んじて動こうとしない同族のご老人達を説得し、ついに吸血鬼の存在を国に認めさせたって事だ。
今でも外国では色んな火種がくすぶってるらしいけど、世界でもいち早く吸血鬼の存在を認め、市民権を与えてくれた日本は概ね平和だったりする。
それにしても……今日の出会いは衝撃的だったな……。
えっと、読書クラブか……。楽しいのかどうかはわかんないけど、あんな優しい先輩がいるんなら多分この先の中学生活も悪くはないだろう。
あ、そうだ。入部届、もう書いておこう!
私は鞄の中、クリアファイルに入った入部届のプリントを取り出し、そこに学年、クラス、名前、そしてクラブ名の記入欄に『読書クラブ』と書き込む。
そしてその書いた字がどこか気に入らなくて、消しゴムで消して、もう一度、さっきより丁寧に名前を書く。
うん、今度はきれいに書けた。
これが今私の書ける、精一杯のきれいな文字だ。
先輩、部員は自分1人だって言ってたけど、これを受け取って喜んでくれるかな?
そう言えば先輩の名前、聞いてなかったし、私も名乗らなかったっけ。
先輩の名前、なんて言うんだろう……?
そして先輩の事を考えながら自分が書いたこの入部届をぼーっと眺めていると、急にこの裸の入部届が恥ずかしくなって、私は机の引き出しに入っているレターセットから、封筒を取り出し、そこに入部届を入れる。
いや、そんな必要ないだろうに、私って何してるんだか。
「みゃ~」
あれ?いきなり猫の声がしたと思ったら、我が家で飼ってる猫のコロンが器用にドアを開けて入ってきてた。
私はコロンを抱き上げてお互いの鼻先を合わせる。
「もうっ、今度勝手に入ってきたら、血を吸ってやるんだからね?」
多分コロンには私の言ってる意味が分からないんだろうなぁ。
って、そんな事してたら急に空腹感が襲ってきた。
机に置いてある鏡を覗くとやっぱり瞳が赤くなってる。
時計を見るともう18時を回っていた。
うん、これはいつも通りの時間だ。
だいたいいつも空腹になる時間って決まっている。
今日のはいったい何だったんだか……?
ま、考えてもわからないものはわからない。
そんな私はコロンを抱えたまま部屋を出て、キッチンでまだお仕事から帰ってきていないパパの夕食を作っているであろうママに声を掛けるのだった。
「ママー、お腹空いたぁ!」
「ちなみ、あんた飴玉舐めるだけでしょ?」
「もうっ、家族の団欒を楽しもうって娘の気遣いを無駄にしないでぇ!」
ちなみちゃんちの家族構成は3人+1匹。