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12〜15


12、



 

8月11日(土)



 「おきろー!」


 佐月の怒鳴り声に秋平と田城は飛び起きた。昨夜はモヤモヤして寝るのが遅くなってしまったせいで、2人とも起きるのが遅かった。


 「お兄!田城!起きろ!」


 「わかった、わかった!」秋平が言い返す。


 「もうすぐばあちゃんが帰ってくるけ。早よ起き!」佐月は腰に手を当てて2人を見下ろす。


 「え?ばあちゃん帰ってくんの?」秋平は顔を擦りながら聞いた。


 「そうや。さっさと起きてご飯食べ」


 佐月が部屋を出て行くと田城が伸びをした。


 「素晴らしいモーニングコールやな。毎朝あれが聞けるなんて羨ましいわ」いつもの田城に戻っていた。


 「そうかぁ?」秋平は首を傾げながらも、自分も普通に振る舞おうと思った。


 顔を洗って朝食をかき込む。母から部屋を片付けろと注意されたので、田城も手伝って布団をたたみ、脱ぎっぱなしの服なども片付けた。



 お昼頃、本当に祖母が帰ってきたので秋平は田城と共に居間に行った。


 「お邪魔してますぅ」田城が祖母に挨拶した。


 「あぁ、田城くん。いらっしゃい」祖母は座布団に座って答えた。


 「ばあちゃん、どうやったん?」秋平は聞いた。


 「おかえりくらい言えんのか秋平」祖母が睨む。


 「おかえり」


 「どないしたん?」田城が小声で聞いたので、秋平は事情を説明した。


 「なんとか退院できよったわ。また向こう行かなあかんやろけど」祖母は言った。


 「そうけ。よかったなぁ」母がそう言いながら祖母にお茶を出した。


 「あんたら家の中ばっかりおらんと外へ遊びに行きや」祖母は高校生たちに声をかけた。


 「はーい」2人揃って返事をして一度秋平の部屋に戻った。


 2人で何をするか話し合う間、秋平はこっそり携帯電話を見た。冴織からの返事はまだない。再び秋平は凹んだ。


 「久しぶりに釣り行こや」と田城が提案した。


 田城も昨夜のことを気にしていたが、秋平と仲が悪くなりたいわけじゃない。彼にも楽しくいてほしかった。


 秋平は同意して、母に釣りへ行ってくると声を掛けた。すると母が幾つかおにぎりを作ってくれたので、それを持って家の近くの川で釣りを楽しんだ。



 田城が秋平の家にいる間、昔よくやっていた遊びをやってこの土日を過ごした。秋平は離れに明かりが付いているのを見たが、冴織と顔を合わせることはなかった。


 気まずくなった田城との関係も、日曜の夜に田城が帰るときにはすっかり元通りになっていた。


 秋平は玄関で田城を見送ったあと携帯電話を見てみると、冴織から返事が来ているのに気付いた。


 <ありがとう。嬉しい>


 なんだか素気なく短いメールだったが秋平は嬉しかった。直接感想を言いに行こうと、そのまま離れへと向かう。


 「冴織さん」


 入り口から呼びかけたが返事はなかった。明かりはついているのに変だと思い、秋平は縁側の方へ回った。すると冴織は縁側に座ってどこか遠くを見ていた。


 「冴織さん?」


 「なに?」冴織は秋平を見ずに返事をした。


 「あ、えっと...」メールの返事が嬉しかったと言うのは変だろうかと迷っていると、冴織が口を開いた。


 「ブルーモーメントって知ってる?」


 「え?」突然のことに何を聞かれたのかわからなかった。


 「ブルーアワーって言い方もあるけど。黄昏と夜の間、夜と暁の間、ほんの数分だけ、空が濃い青藍(あお)色に染まる時間のことだよ」


 「へぇ...」


 冴織が見ているのはすっかり黒くなった空だった。


 「その時間が好きなの。色んな表情があってどの空の色も好きだけど、ブルーモーメントが1番好きなの」冴織の言い方は感傷的だった。


 秋平はドキリとした。冴織がどこか遠くを見たり、空の写真を撮っていたりしたのは、空が好きだからなのか。


 日々なんとなく生きている秋平とは違って、冴織の頭の中は些細なことでも見逃さずに心に留めている。そしてそれを言葉にして表現している。


 秋平はまた冴織の凄さを思い知った。なぜか切なくなって、思わず冴織の隣に座る。


 「なんでその時間は好きなん?」秋平は静かに尋ねた。


 「なんでだろうね...。落ち着くからかな。あぁ、夜が来たな。とか、やっと朝が見えてきたって思えるから」


 冴織の横顔を見ながら秋平は胸が締め付けられた。気持ちが昂り、ゆっくりと手を伸ばして冴織の手に触れようとすると、冴織は言った。


 「星が綺麗だね」


 「あ、そ、そうやね」手をグッと握りしめて膝に上に置いた。


 秋平も冴織と同じように空を見上げる。そこにはいつもの星空と三日月があるだけだった。









 13、



 母の実家に行っても楽しめないだろうという秋平の予想は的中した。


 8月15日の水曜日、朝、祖母と冴織に見送られて秋平たちは家を出た。冴織は午後から家を出て横浜に戻るらしい。


 数時間のドライブののち、母方の祖父母に迎えられ、そこの夏祭りやプールなどに行ったが、秋平は体にポッカリと穴が空いたように感じていた。


 そして冴織にメールしようか何度も迷った。しかし彼女も横浜にいて忙しいだろうし、なんの話をしようか決められなかったので送らなかった。


 秋平にとって冴織のいないこの3泊4日はとても長くつまらないものになった。


 18日の夜に秋平たちは家に帰った。家に戻れば少しは安心するかと思ったが、体にポッカリと空いた穴は少しも埋まることはなかった。


 荷解きを済ませると、田城から遊ぼうとメールがきたので、それに返信してから冴織の本を読んだ。


 『木の上の猫』を捲る。本屋で買ったばかりの真新しい本の匂い。冴織からもらった本とは全く違う匂いだった。彼女は明日帰ってくる。早く会って本の感想を言いたい。彼女は嫌がるだろうか。でもどうしても伝えたい。


 秋平が悶々と感想をまとめているうちに翌日はすぐにきた。しかし冴織が何時に帰ってくるのか聞いていなかったので、秋平は何度も外の様子を伺いながらソワソワしていた。


 お昼を過ぎて、冴織にメールを送ろうとすると家の外から車の音がしたので、秋平は自分の部屋の窓から顔を出した。タクシーが玄関の前に停まっている。


 秋平は窓枠に頭をぶつけながら顔を引っ込めて玄関へ走った。つっかけを履いて外に出ると、冴織の姿をすぐに捉えた。


 冴織は秋平に背を向けてタクシーを見送っている。その手には荷物を抱えていた。初日に着ていたようなよそ行きの服装。いかにも都会っぽい綺麗な格好で、途端に秋平は打ちのめされた。


 秋平に気付いた冴織は振り向いて、微笑みながら手に持っていた紙袋を掲げた。


 「おみやげ」


 冴織の顔を見た瞬間、秋平のポッカリと空いていた穴がホッとした安心感で埋まり、打ちのめされた気分もすぐにふっ飛んでいった。


 「おかえり、冴織さん!」秋平も満面の笑みで彼女を迎えた。


 その笑顔を見て冴織は秋平の純粋さを眩しく思い、同時に罪悪感も感じていた。


 秋平はお土産を受け取り、冴織は荷物を離れに置きにいった。


 秋平が居間に行くと祖母がいたので、冴織が帰ってきたことを伝えた。


 「そうかい。それはそうとあんた、冴織に迷惑かけてないやろな?」


 「え、別に」秋平には思い当たる節がいくつかあったが誤魔化した。しかし祖母にはバレている気がした。


 「冴織を呼んできんしゃい。みんなでお夕飯にするけ」祖母は少し呆れた表情だった。


 「うん」


 冴織を誘うと遠慮したが、祖母が言ったことだからと秋平は頼み込んで一緒に夕飯を食べることができた。


 冴織は母の手伝いをして忙しなく動いていた。一方で秋平は冴織と一緒にいられることが嬉しかった。初日とは違って積極的に会話に加わり、楽しく過ごせた。


 夕食後、冴織に本の感想を言いに行こうと離れに行ったが、離れには明かりもついておらず誰もいなかった。母の手伝いをしているのかと台所を見にいったがいない。


 部屋をひとつひとつ探していると、祖母の部屋から話し声が聞こえた。盗み聞きは良くないと分かっていたが、秋平は耳を襖に近づけた。


 「で、なんかわかったんかいな」祖母の声。


 「......いいえ。なにも」冴織の声が今にも消えそうで秋平は不安になった。一体なんの話をしているのだろう。


 「そうけ...。警察にお願いしたらどうや?」


 「いえ。そこまでではないので...。いいんです。何も分からないことが分かりましたから」


 「あんた...」


 沈黙。


 秋平は混乱した。冴織は何か事件に巻き込まれているのだろうか?


 「おばあ様には感謝しております。お陰でいい作品が出来そうです。それに心身ともに安らぎました」冴織は声を晴れやかにして言った。


 「それは良かった。ここはあんたの場所でもあるけ。いつでも来てえぇ。来て帰るんも善し。住むんも善し。あんたはもう家族なんやから」


「......ありがとうございます」小さな沈黙の後、冴織は小声で言った。


 秋平は胸がざわめいた。詳しく事情を知りたかったし、冴織を慰めてやりたかった。


 「ところで、秋平があんたにちょっかいかけてないやろな?」


 突然、自分の名前が出たので秋平は驚いて息を飲みそうになった。手で口を押さえると心臓の音が喧しく体に響く。


 「秋平くんですか?」


 「あぁ。仲良ぉすんのはえぇけど、失礼なこと言っとらんかと思てね。もし迷惑やったら私からキツく言うけ」


 「いいえ。彼も皆さんも良くしてくださっています」


 秋平はホッとして冴織に感謝した。祖母に冴織と二度と口を聞くなと言われるところだった。


 「あの、」冴織の声がさらに小さくなった。


 「このことは誰にも言わないでください。私の祖母《美佐子》も百合子おばさんも心配してくださっています。これ以上はご迷惑ご心配をおかけしたくないので」


 「わかっとる。言うてどうにかなるもんでもないやろ」


 「ありがとうございます」


 「ほな、疲れたやろ。おやすみ」


 「おやすみなさい」


 冴織が立ち上がる音がしたので、秋平は慌ててその場から離れた。


 冴織は何を秘密にしたがっているのだろう?横浜に帰って何かあったのだろうか。喧しい心臓の音を押さえながら、秋平はそそくさと自分の部屋に戻った。








 14、


 8月20日(月)


 秋平は冴織のところへ行こうと腹を括った。昨夜の祖母との会話がどういうものなのか、いくら考えても答えは出てこない。本の感想も言えずじまいだったので、冴織の様子を見に行くついでに言おうと思った。


 お昼前、離れへ行ったが冴織はいなかった。母屋の中を探しても見つからない。祖母に聞くと叱られそうだったので、母に聞いてみた。


 「なぁ、冴織さん知らん?」


 「冴織さん?今朝、自転車を貸して欲しい言うてたから、どっか行きよったで」


 「そうけ」どこに行ったのだろう?図書館?メールしてみようか?


 「あんたヒマなんやったら夏希ちゃんのとこにお土産持って行き。冴織さんのとおばあちゃん家行った時のとあるから」


 「...わかった」家にいてもヒマだろうと秋平はお昼ご飯を食べてから夏希の家に行った。


 「宿題は進んどる?秋平」


 「おぅ」


 夏希の家に着くとリビングに通された。夏希はてっきり怒っているのかと思っていたが普通だった。お土産も喜んで受け取っていた。


 「ホンマかぁ?わからんとこあったら手伝うで」ソファに座る夏希はニヤリと笑った。


 「大丈夫や。順調に進んどる」冴織に助けてもらったので苦手な国語も終わりそうだった。


 「ふーん。あ、そうや秋平。夏休み終わったら進路希望調査あるやろ?秋平は家継ぐけ、就職コースを選ぶん?」


 秋平の頭からすっかり進路のことは忘れていた。秋平の通う高校は3年生になると就職と進学のクラスが分かれる。


 大学へ行くことも考えたが、秋平は高校1年の終わり頃から就職コースと決めていた。しかしいま考えるとこのまま家を継いでいいものか悩む。


 冴織に出会って自分の学のなさを思い知った。冴織が教えてくれたおかげで勉強も楽しく感じるようになった。大学に行っておいて損はないし、冴織とも釣り合う人間になれるのではないかと秋平の心は傾いた。


 「あたしも就職にしよかなぁ」夏希はボヤいた。


 「大学いかんの?」勉強のできる夏希はてっきり大学に行くものだと思っていた。


 「うーん。大学行ってもなぁ...。秋平おらんのやったらつまらんやろ?」


 「え」


 田城の言葉が秋平の頭をよぎる。いやいや。ないない。仲のいい友達、兄弟のように育ってきたイトコがいた方が大学も通いやすいに決まってる。夏希はそういう意味で言っているのだろうと秋平は考えた。


 「いや...。俺、少しだけ考えとんのや。大学行こかなて」


 「え!?」ソファに身を預けていた夏希は飛び起きた。「大学いくん?」


 「まぁ、まだわからんけど。大学行ってから家継いだってえぇかなぁ思て...」


 「んなら一緒にがんばろや!」夏希の目が輝いた。


 「え?お前いかんて、」


 「言うてない、言うてない。なによ。ちょっと弱気になっとっただけじゃ」夏希は笑いながら誤魔化した。秋平も行くなら頑張れる。


 「そうけ?でもまだわからんで。親にも聞いてみな」秋平は首を傾げた。


 「おじさんとおばさんならえぇ言うに決まっとるが」


 「まぁなぁ...。じゃ、そろそろ帰るけ」秋平はソファから立ち上がった。


 「え?まだえぇやん」


 「いや、帰るわ」冴織がもう帰って来ているかもしれない。


 「そ、そや!」気分が舞い上がっていた夏希は秋平を引き止めた。「あたし、この前冴織さんを見てん。図書館で」冴織の話をするのは気に食わないが、話を伸ばすために仕方なく言った。


 「ヘぇ」秋平は夏希を見た。


 「すごい集中してはったから声はかけへんかったけど、新聞読んでたわ。地元新聞。何見てはったんかな?」


 「そりゃ、小説書くのに必要なことやろ」冴織なら新聞くらい読むだろう。大した話ではないと思った秋平はリビングから出て行った。


 「でもさ、もう何十年も前の新聞やで?」夏希も立ち上がって秋平の後を追った。


 「んなことなんでわかるんや?」秋平は玄関で靴を履いた。


 「そりゃ...。なんとなく...」夏希はボソボソと答えた。冴織のあとをつけて何を見ていたか調べた、なんて言えない。


 「なんやそれ。じゃあな、夏希」変なやつ、と思いながら秋平は帰っていった。


 冴織の話なんかするんじゃなかったと夏希は後悔した。でも他になんと言って秋平を引き止めればいい?ここで冴織の話をしても、本人は秋平の家にいるのに。



 秋平が家に帰ると、玄関横に冴織の使った自転車が置いてあった。


 「秋ちゃん。おかえり。あんたも汗だくやが。シャワーしといで」玄関で母と鉢合わせた。


 「え?」


 「冴織さんも汗だくで帰ってきよったんよ。今から飲み物持って行くけ」母は手にスポーツドリンクを持っていた。


 「あんたの分も入れたるけ。早よ行き」


 「わかった」


 冴織が汗だくになっているとは貴重なところを見逃したと思った反面、どこで何をしていたのかと疑問も浮かんだ。


 秋平がシャワーを浴びて居間に行くと母がスポーツドリンクを用意してくれた。頭が痛くなりそうなほど冷えたドリンクを一気に飲み干してから秋平は母に尋ねた。


 「冴織さん、どこ行ってたって?」


 「知らんよ。自分で聞いといで」


 「え、うん」


 母に後押しをもらえたようで、秋平は勢い付いた。離れに向かい、入り口からではなく縁側から中を覗いた。


「冴織さん」


  パソコンに向かっていた冴織に声をかけると、彼女は驚いて振り向いた。


  「秋平くん。どうしたの?」冴織は後ろ手にパソコンを閉じた。首にあの青いタオルをかけていて、シャワーを浴びたのか髪がまだ濡れたままでいる。


  「さっき出掛けとったって聞いて。どこまで行きよったん?」


 「ん?うーん。ちょっと遠くまで行ってみたくなったの」冴織は青いタオルで髪をわしゃわしゃと拭いた。


 「へぇ。なんかえぇもん見つかった?」秋平はなんとなく聞いた。


 「色々」秋平の聞き方に疑問を感じて冴織ははぐらかした。


 「へぇ。あ、そうそう」秋平は縁側に座った。「冴織さんからもらった本、全部読んだけ」


 「そう。ありがとう」


 「うん。めっちゃ良かった」


 「感想はいいって言ったのに」冴織は困ったように笑った。


 「褒めとるんよ。こんなアホでも読めたけ。やっぱ冴織さんはすごい人やね」


 「すごくないよ。それに秋平くんはアホじゃない」


 冴織にまっすぐ見つめられ、秋平の心臓は飛び上がった。


 「純粋でいい子だと思うよ」


 冴織を褒めていたのにいつのまにか秋平が褒められていた。しかしその言い方が年下を相手にしているそれだったので、秋平は少しイラついた。


 「宿題だってのみ込みが早かったし、もう楽勝でできるんじゃない?」


 もう私のところには来ないで、と遠回しに言われている気がしたので秋平は思い切って聞いてみた。


 「冴織さん、俺のこと鬱陶しいと思っとる?」


 「え?」冴織は驚いた。


 「馴れ馴れしいかな思て。色々聞いたりして失礼じゃなかったかなと」秋平は俯いた。視界には畳と冴織の足しか入らず、彼女の顔は見れなかった。


 冴織は落ち込んでいる秋平を見て胸が痛んだ。おばあ様の言葉を思い出す。


 『あんたは家族』


 秋平とは家族のように仲良くしたい気持ちはあったが、それ以上の関係になることは恐れていた。


 彼のような人と一緒にいられれば幸せだろうな。そう思うと夏希の顔が浮かぶ。夏希は今の秋平をどう思っているのだろう。好きな人が自分を見てくれない気持ちというのは、痛いほど理解できる。なので冴織はまたしても夏希に対して罪悪感に蝕まれた。


 秋平は純粋だ。純粋の唯一悪い点は、傷を知らないことだ。はじめての傷を自分がつけてもいいものか。秋平を傷つけてしまう。けれどちゃんと線は引いておかなくては。いや、もしかして自分の思い込みで、秋平にはそんな気はないのかもしれない....。


 冴織は悩んだ末に言った。


 「ううん。秋平くんと仲良くできて嬉しいよ」


 「ほんまに!?」


 喜びに満ちた秋平の顔を見て、冴織は自分を呪った。もっとハッキリ言ってやればよかった。今までの経験上、こういう男性がどういう気持ちでいるのか知っているのに。


 「うん。家族みたいなものでしょ」と冴織は素早く付け加える。


 「家族...」


 秋平も昨夜の祖母の言葉を思い出した。冴織に嫌われているわけではないと安心したものの、まだ自分は微妙な立ち位置にいるのだと感じ取った。








 15、



 8月21日(火)



 「秋平、俺は決めたや」


 「何を?」


 秋平は田城の家に遊びにきていた。


 「佐月ちゃんをデートに誘うんや」


 「はぁ?」秋平は手に持っていたゲーム機を落としそうになった。


 「本気で言っとるんけ?」秋平は驚きながら聞いた。


 「当たり前や。今月中に誘っちゃるけ」


 田城の真剣な表情を見て、秋平は本気だと悟った。


 「まぁ...。頑張りや」


 「ありがとうございます。お兄様」田城は秋平を拝んだ。


 「やめろ、気色悪い。それにしてもあんだけ夏希夏希言うてたのに、どんな心変わりや」


 「前から言っとるやろ。山本さんとは仲良ぉしたいだけやって」へらっと笑って田城はゲームに向き直った。


 「やけど、佐月ちゃんは困らんかな?自分の兄の友達やけ」田城は言った。


 「佐月はそんな遠慮深いやつじゃないけ」秋平もゲームを続ける。


 「そうか...。で、お前はどうすんのや?」


 「は?」秋平は田城を見た。


 「作家さんのこと。当たって砕けろや。お互い」


 「おい、砕ける前提かよ」


 「砕けちまえぇ〜」田城はケラケラと笑った。それは本音でもあり、嘘でもあった。


 秋平は冴織に対して繊細になっていたが、どうせ彼女はいなくなる。やってみたって構わないはずだと自棄になった。


 「んならお互い砕けよや。共死にじゃ、共死に」秋平はふざけた。


 「おい!俺を巻き込むなや!」田城は怒った。


 「お前がさっきそう言ったや!」


 いつものように秋平と田城が小競り合いをしながらゲームを進めていると、外は暗くなっていった。


 秋平は自転車を飛ばして家に帰った。田城のおかげで自信がついてスッキリとした気分になっていた。


 夕食の前に宿題を終わらせてしまおうと思い机に向かうと、面倒な宿題が残っていることに気付いた。


 社会科で、ニュースを調べて新聞を作るというものだ。秋平の携帯電話でも検索をかければ簡単に調べられるが、どうせなら冴織のパソコンを借りてみようと思い立った。


 当たって砕けろ。田城の言葉もあり秋平は冴織のもとへ行こうとしたが、母に呼ばれて先に夕食を食べてから離れへ向かった。



 「冴織さん」秋平は宿題を手に離れの入り口から声をかけた。


 「どうしたの?」冴織は出てきた。


 冴織はいつも、どうしたの?と聞いてくる。用がなくても遊びに来てはいけないのだろうかと秋平は訝った。


 「あの、よかったらパソコン貸してくれん?宿題があってや」秋平は宿題を見せた。


 「いいよ。どうぞ」冴織は宿題を見ると頷いた。


 「あ、ありがと」


 パソコンのある部屋に入り、秋平は冴織と隣同士に座った。冴織がパソコンを立ち上げてパスワードを打ち込む。


 「ここに調べたいことを入力すればいいよ」冴織はパソコンを秋平に向けた。「学校でパソコンとか使ってるよね?」


 「うん。授業でやっとるよ」秋平は冴織と一緒に何かできることが嬉しかった。


 「へぇ」冴織は秋平の宿題を覗き込んだ。


 ドキドキしながら秋平が入力していると、パソコンの側にあった冴織の携帯電話が鳴り出した。


 「ごめん。好きに使ってて」冴織は携帯電話を持って出て行ってしまった。


 仕事の電話だろうかと口を尖らせながら秋平がタッチパッドを操作すると、どこかをクリックしてしまったようで、画面が切り替わった。


 慌てて戻そうと思ったが、映し出された画面を見て気が変わった。


 『編集』や『資料』といったファイル項目が並んでいる中に『フォト』の文字が目についたのだ。冴織はどんな写真を撮っているのだろうと秋平は興味が湧いた。


 見てはいけないとわかっていながらも、好奇心には勝てない。秋平はそっとカーソルを動かして『フォト』を開いた。


 まず目に入ったのは青やオレンジ色をした空の写真だった。そういえば冴織は空の写真を撮っていたな。日付は8月20日。冴織が自転車でどこかへ行っていた日だ。空ばかりで場所はわからない。


 日付順に並んでいたので、画面を下にスクロールして日付を戻すと、華やかな服装をした人々が映し出された。日付は8月17日。冴織が横浜に戻っている時だ。真っ白なドレスを着た人と真っ白なスーツを着た人を中心に見知らぬ人がたくさん写っている。誰かの結婚式に出席していたのだろう。


 豪華な式場や人々の中で1枚だけ花嫁と冴織が一緒に写ってる写真を見つけた。花嫁は満面の笑みで、冴織は微笑んでいる。


 いつもとは違う冴織の姿に秋平は目が離せなかった。淡い色のワンピースに濃い目のメイクが真っ白な肌に映えている。


 秋平は自分の心臓のうるささを耳にしながら、次の写真を見た。また空の写真。どこかの看板。鳥。花。殆どが風景だったが、画面の1番下まで来ると秋平は驚いた。


 春臣おじさんだ。その写真の日付は今から3年前で、次の写真がここへ来た7月23日になっているので、この春臣おじさんの写真だけ古い。


 写真はまるで盗撮したかのように、春臣おじさんの目線がカメラに向いておらず、撮られていることに気付いていない様子だった。その顔は秋平が最後に彼を見た時となんら変わりはなかった。


 もっとよく見ようとすると、パソコン画面の端にメールの通知が現れたので、秋平は驚きすぎて心臓が止まるかと思った。しかしメールの文面を見て本当に死にかけた。


 送り主は登録していないアドレスのようで、アルファベットが並べられている。その下の件名には『会いたい』とあったのだ。さらに最初の文章がほんの数文字表示されている。


 <ごめん、冬舞。ちゃんと話し....>


 冬舞?誰のことだ?誰からのメールだ?秋平の頭の中でたくさんの疑問が湧いたが、冴織が戻ってくる気配がして、慌ててメールの通知と写真の画面を消した。


 「ごめんね。どう?できそう?」冴織は秋平の隣に座った。


 「う、うん」鼓動が激しく、冴織にも聞かれそうだった。


 「ありがとう。ちょっと調べたかっただけやけ。あとはなんとかできそうや」秋平は努めて平静に言った。


 「そう。よかった」


 「ほなら、また明日。おやすみ」と急いで宿題を手にすると秋平は離れを逃げるように出て行った。


 秋平の慌てた様子を見て冴織は不思議に思った。パソコンを見ると、なんてことはないホーム画面。検索の履歴を見てもおかしなところはない。


 しかし画面の下端にメールがきていることを告げるマークが付いていた。クリックして見ると、知らないアドレスだったが、件名とメールがきた時間を見てピンときた。


 冴織はそのメールを開くことなくゴミ箱へ捨てた。





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