8
8月に入ってから秋平はさらに日に焼けていったのに、冴織は真っ白なままだった。秋平とは真逆で日に日に小さくなっていくようにも見えた。
秋平が宿題を見てもらうために離れを訪れた時、彼女はこのうだるような暑さで食欲が落ちるのだと言っていた。秋平は心配になって一緒に食事をしようと誘ったが、冴織は頑なに「おばさんに迷惑になるから」と断った。
夏祭りまでの間、秋平は楽しみと同時になんだか不安だった。その不安を紛らわすために田城とは別の友人と遊んだり、プールへ行ったりして過ごした。
そしてついに8月5日の日曜日、夏祭りの日を迎えた。佐月は昨日の夕方に合宿から帰ってきていたし、冴織を誘えたことを喜んでいた。
秋平はいつもより早起きをしてしまった。祭りは夕方からなのでなんの意味もなかったが、楽しみすぎて寝ていられなかった。
気分を落ち着かせるために家の外へ出る。空は明るくなり始め、東の山の向こうからもうすぐ太陽が顔を出そうかというところ。すでに蒸し暑く、蝉も鳴き始めていた。
秋平は外にある水道で顔を洗った。冷たい水で頭をスッキリさせる。
そのあと秋平は冴織のことが気になって離れの方を覗いた。すると縁側に冴織が立っているのが見えた。彼女はいつもこんなに早起きなのだろうかと思いながら、おはようと声をかけようとしたが思いとどまった。
冴織が裸足のまま縁側から外へ出たからだ。彼女の髪は乱れて顔はよく見えない。タンクトップのような服に、かなり短いパンツを履いている。まるで幽霊のようにぼうっと立っていて、秋平には気付かずどこか遠くを見ているようだった。
冴織がこんなに薄着なのを秋平は初めてみた。白くて細い手足は朝日に照らされると消えそうに見えて、秋平は体の奥がキュッとなるのを感じた。
冴織は大きくため息をついてうつむく。
その姿に、秋平は小さな恐怖を覚えた。自分にはわからないものを冴織は持っている。自分とは別の世界を見ている。冴織の存在さえ怪しく見える。
冴織が泣いているようにも見えたので、秋平はそっと母屋の玄関に戻った。あれは見てはいけないものだった。しかし胸騒ぎがして気になる。
冴織と初めて会った時よりも、秋平は彼女にのめり込んでいることに気付いた。
お昼を過ぎた頃、夏希が来た。手には大きな袋を持っている。
「なにそれ?」秋平は袋を指した。
「浴衣よ。佐月ちゃんにあたしのやつ貸したろ思て。佐月ちゃんのやつはもう小さい言うてたから。あたしもおばさんに着せてもろた方がえぇし」
「ふーん」
秋平、夏希、佐月が集まって居間でアイスを食べていると母が来た。
「秋ちゃん。冴織さんが呼んどるけ」
「え!?」
秋平がバッと立ち上がるのを見て、夏希はムッとなった。
秋平が急いで玄関へ行くと冴織が立っていた。Tシャツに膝丈のスカートを履いている。
「あ、秋平くん。もうみんな来てる?」冴織は玄関に置いてある靴を見ながら聞いた。
「いや、俺の友達はまだやけど」
「そっか」
顔を上げた冴織をみて、秋平はどこか変だと思った。何かが違う。
「じゃあ夏希ちゃんと佐月ちゃんはいるのね?」
「うん。居間におるよ。行こ」秋平は冴織と共に居間に戻った。
「あれ?冴織さん」佐月が立ち上がった。「髪切ったの?短くなっとる!」
「え。うん。よくわかったね」冴織は頭を触った。
そうか。髪を切ったのか。でも朝見た時はそう思わなかったのに。髪を切ったことに気づかなかった秋平は自分を叱った。
「さっき自分で切ったの。邪魔になる長さだったから」冴織は髪を1束つまんだ。
首まであった毛先が耳の下あたりで切りそろえられている。顔立ちがハッキリしている冴織には、どの髪型でも似合うなと秋平は思った。
「えぇ!冴織さんは器用なんやねぇ」佐月は驚いた。
「すご」秋平は同意した。
「そんなことないよ」冴織はまた困ったように微笑んだ。
秋平が冴織をジロジロ見ているのが気に食わなかった夏希は咳払いをした。
「冴織さんもお祭り行くねやろ?」と不満そうに夏希が言う。「お仕事は大丈夫なん?」
トゲのある夏希の言い方にさすがの秋平も気付いた。
「あー。それがね」冴織の声は良くない声色だった。
「ごめんね。ちょっとやることができちゃって。みんなで先に行っておいて。私はあとで行くから」申し訳なさそうに冴織は言った。
秋平は思わず落胆の声が出てしまいそうだった。けれどあとで行くと言っているのだから我慢した。
「えぇ〜」代わりに佐月が不満そうにした。
「仕方ないよ」夏希は一変して晴れやかになった。
「うん。本当にごめんね。お友達にも言っておいて」冴織は秋平を見た。
「あぁ、うん」秋平は落ち込んだ声で答える。
冴織には仕事がある。彼女と自分は違う。最初からわかっていることなのに、秋平はやっぱり落ち込んだ。
冴織はじゃあまたあとでと言って居間から出て行った。交代で母が入ってくる。
「さ、夏希ちゃんとさっちゃんは着替えるで」
「はーい」夏希は立ち上がった。冴織が行かないとわかると嬉しかったのに、元気のなくなった秋平を見るのは嫌で、胸の内は複雑だった。
2人が着替えている間に田城が来た。
「やーい。なぁ小説家さんはどこにおんの?」開口一番に田城は聞いた。
「あとで行くんじゃと」秋平は沈んだまま答えた。
「えぇ〜」
秋平も一緒になってえぇ〜と言いたかった。
田城を居間に通す。
「山本さんと佐月ちゃんは?」
「今着替えよる」
「ほーん」
しばらく田城と宿題の話をしていると女子2人が戻ってきた。
「あ、田城くんや」佐月が言った。
「ほんまや」と夏希。
佐月はピンク地に紫陽花≪あじさい≫柄の浴衣で、それは夏希が昔よく着ていたものだった。夏希は水色に白の菊柄の浴衣を着ていた。
「2人ともよぉ似合っとるねぇ」田城が鼻の下を伸ばしながらおじさんのように言ったので、夏希と佐月は笑った。
「秋ちゃんは着んでえぇの?父ちゃんの甚平≪じんべえ≫あるけ」母が顔を出した。
「着いひんよ」気分の乗らない秋平は断った。
「ほんなら行っておいで。母ちゃんはあとで友達がやってるヨーヨー釣りのお店を手伝いに行くけ、みんな来てや」
「はーい」夏希と田城が揃って返事をした。
全員準備を整えて、祭りをやっている神社へ向かった。
「秋平、なんや元気ねぇの」途中の田んぼ道で秋平の隣を歩く田城が聞いた。
「別にぃ」秋平は少し前を歩く女子2人の下駄の音を聞きながら答えた。
「なんじゃい。山本さんに見惚≪みと≫れよんか?なんで似合うとる言うたらんのや」
「別にぃ」秋平は夏希のお団子にした髪に挿してある簪≪かんざし≫の飾りが、夕日に跳ね返ってキラキラと輝いているのを見ていた。
すると佐月とおしゃべりをしていた夏希が急に振り返って秋平と目があった。夏希はサッと目を逸らして前を向く。
「はぁ?イチャつきやがってこのヤロー」田城が秋平を小突いた。
「ちゃうし」秋平は田城を押し返した。
じゃれあう男子2人を夏希はチラチラと盗み見ていた。
「あ。山本さんの誕生日どないしよるん?10日やろ?」田城は小声で尋ねた。
「あ」秋平は冴織のことを考え過ぎて、夏希の誕生日をすっかり忘れていた。そして冴織の誕生日を聞くのも忘れていた。
「あ、って。なんも考えよらんのかい」
「しゃーないやろ。もう何回あいつの誕生日祝うとる思てる」
「だからイチャつくな言うとるやろ」田城は秋平の肩を掴んだ。
「ちゃうし!」秋平はまとわりついてきた田城を引き剥がした。
「ほなら俺が聞いてくるよって。待っとれよ」田城は前を歩く女子2人の方へ走って行った。
田城が夏希に話しかけるのを確認すると、秋平は今のうちだと冴織にメールを打った。
<いつ頃来れそう?>
誤字がないか3回確認して送ると、返事はすぐ返ってきた。
<まだわからない。ごめんね>
手をついて謝っている絵文字付きだった。
<冴織さんは誕生日いつなん?>
唐突な質問だったが、メールで聞いた方が文字に残って覚えていられると思った。
<ヒミツ>
舌を出した絵文字付き。秋平はなんだか嬉しくなった。
<なんで?>
冴織に返信すると田城が戻ってきた。
「山本さんに何か欲しいものあるか聞いたけ」
「なんやって?」秋平は携帯電話をポケットに突っ込んだ。
「イヤホンやて。今1個持っとるけど、学校に置いときたいからもう1本あったらなぁやて」
「ふーん」
「どや。役に立ったじゃろ」
「やな」
秋平のポケットの中で携帯電話が震えた。いま返事を見ると田城にちょっかいを出されるに決まっているので、見るのは我慢した。
冴織なら何が欲しいんだろう。といっても彼女はなんでも持っているような気がする。秋平が手に入れられるものにも限界がある。その差に秋平はまた一段と気分が落ち込んだ。
神社に着くとまばらに人が集まっていた。生温い空気の中、あちこちに出店が並び、ガヤガヤと客を呼んでいる。電灯に設置されたスピーカーから笛や太鼓の音が流れていた。
「なにする?」佐月が聞いた。
「あ、先トイレ行くけ」秋平は出店の間にトイレを見つけた。
「はぁ?家で済ましとけぇな」夏希が文句を言った。
ごめんと謝ってからトイレに入ると秋平はメールを見た。
<祝われるの好きじゃないんだよね。秋平くんに教えるのが嫌ってわけじゃなくて。私の誕生日を知ってる人はほとんどいないの〉
冴織の返信に秋平は首を傾げた。女の人は年齢を気にする人が多いけど、冴織はまだ若い。それでも気にするのだろうか?
秋平は遠回しに誕生日を教えるほど仲良しじゃないんだと言われているように感じた。もしかして自分は冴織から嫌われているのでは?いやいや。でも...。
モヤモヤしながら秋平はトイレを出た。
「秋平〜。クジ引こうや」夏希が呼んだ。
「おぅ」
「なんかあったん?」くじ引きの屋台に着くといつまでも暗い表情の秋平を見て夏希は尋ねた。
「なんも。先に引いたら?」
「うん...」
夏希と佐月が先にクジを引いた。
「どないした秋平?機嫌悪そうじゃな」順番を待つあいだに田城がそっと聞いた。
「俺は嫌われとんのかな...」
「何を言いよんや。誰がどう見てもラブラブやないか」田城は秋平と夏希を交互に見た。
「夏希のことやない」
「ん?佐月ちゃんか?そりゃ年頃の妹は兄に対して冷たいもんや」
「違うわ」
「誰ね?」
秋平が答えあぐねていると、田城は驚いた顔をした。
「俺は秋平のこと好きやで!嫌いなところなんかあらへん!でもちょっと面倒なところも...」
「なに言うとんのよ」クジを引いた夏希が振り向いた。
「秋平がな、嫌われとるかも言うとったけ。俺は好きじゃて言うたんや」田城が説明する。
「なんやそれ」夏希があきれながら笑った。
夏希の笑い声を聞きながら、秋平はここに冴織がいたら彼女も笑ってくれるだろうかと想像した。
クジの結果は秋平と佐月がハズレ。田城と夏希はアタリで駄菓子をもらっていた。
そのあとは4人で色々な出店を回った。辺りが薄暗くなってきた頃、吊ってある提灯≪ちょうちん≫に火が灯った。ほの赤い光に包まれ、神社が別世界のように妖≪あや≫しくなる。
「秋平、射的しよや」田城が言った。
「じゃ、あたし達はあっちの店見てるけ」夏希は射的の店とは別方向を指さした。
「ほんならあとでここの木の前に集合な」そばにある大きな木を田城が触って、若者たちは二手に別れた。
「射的は久しぶりじゃのぉ」射的の屋台に着くと田城は言った。
「俺もや」秋平は同意した。
先に田城が撃つのを秋平は見守った。弾は全部で5発。田城は弾を銃に込めて構えた。
「ほっ」台から少し身を乗り出して撃つと弾は景品の横を掠≪かす≫めた。
「なに狙いなん?」秋平は聞いた。
「もちろんあのゲームソフトや。お、秋平。イヤホンがあっこにあるけ」
田城が銃で指した方を見ると箱に入った有名メーカーのイヤホンがあった。
「ほんまや」
田城が2発目を撃つ。今度は当たったが倒れなかった。
「おっしー!」と田城は悔しがる。
「もうちょいや」秋平は応援した。
3発目を込めて撃つと、見事に景品に当たって倒れた。
「よっしゃー!」
「台の後ろに落とさんといかんぞ」店のおじさんが言った。
「ちぇっ」と文句を言いながらも、田城はまたしても見事に4発目を当てて、景品を台の後ろに落とした。
「よっし!これで文句ないけ」田城は胸を張った。
「すげぇ」秋平は感嘆した。
「あと1発どうしよかなー」田城は当てたゲームソフトをもらったあと悩んだ。
「イヤホン狙ったらえぇやん」
秋平がイヤホンを指すと、田城は首を振って5発目を込めた。
「あれはお前が落としや」
「なんでや。夏希にプレゼントしたったらえぇやん」
「アホやなぁ、秋平は」
「はぁ?」
田城は狙いをつけて5発目を撃った。弾はまったく的外れなところへ飛んでいった。
「お前がやらな意味ないやろ」田城は秋平に銃を渡した。
「夏希にえぇとこ見せんでえぇんか?」銃を受け取って秋平はお金と交換に弾を貰った。
「俺はえぇ。それに前から言うとったやろ?」
「なにが?」秋平は1発目を銃に込めた。
「山本さんは秋平が好きなんやって」
「は?んなわけ」秋平は銃を構えてイヤホンに狙いをつけた。「夏希はイトコなだけや」
弾を放つと箱の横を掠めた。
「んな言うてイヤホン狙っとるやん」
「えぇやろ」秋平は2発目を込めた。
「秋平は山本さんのことなんとも思っとらんのけ?」
「なんともって何?」狙いをつける。
「好きやなぁとか。イトコとしてやないで。女の子として」
パスン。箱に当たって倒れる。
「女の子としてぇ?ないない」笑いながら3発目を込める。
「秋平が羨≪うらや≫ましいわ」
「なんで?」
「アホやから」
「はぁ?」3発目は全く別のところへ飛んで行った。「なんやと?」
秋平が田城を見ると彼は景品をじっと見ていた。
「集中せぇや。もうちょいやけ」
腑に落ちないまま秋平は4発目を込める。
「俺はもうなんとも思ってない。山本さんとは仲良ぉ出来ればええ」
田城の声を聞きながら秋平は構えて狙いをつけた。
「告っても山本さんの答えは最初からわかってたしな」
「え?」
パチン。弾は箱に当たって後ろに落ちた。
「おっ!取れたで!」田城が嬉しそうに言った。
「なんやって?夏希に告ったん?」
「そう言うとるやろ」田城は急に真面目な顔になった。
アホな秋平はもったいないことをしている。夏希のことを思うと田城は悲しくなった。
「いつ?」秋平の元にイヤホンの箱が来た。
「ずっと前の話や。最近ちゃうで。ずぅっと前」
「そうけ...」何を言えばいいのか秋平は悩んだ。
「ほら、あと1発撃てや」田城は秋平の肩を叩いた。
「おぅ...」
田城の夏希好きは本物かどうかよくわからなかった。しかしそんなことがあったなんて知らなかった。秋平は田城のことについて何もわかっていない自分に腹が立った。心の中で何度も自分をアホ呼ばわりする。
最後の弾をよく考えずに撃つと何かに当たって落ちた。
「なんや?」景品が手元に来ると田城が覗き込んできた。
お菓子などについてくるオモチャの指環だった。プラスチックでできていて、子供用なので環の部分がかなり小さい。星のパーツがてっぺんについていた。
「どないするんやこれ?」田城は聞いた。
「佐月にでもあげるわ」
「えぇ?いらんやろ」田城はヘッと笑った。
「そうけ?」
2人で言い合いながら集合場所に行くと、先に夏希と佐月がいた。
「やっと来おった」夏希が言った。
「なぁ佐月ちゃん。ジュース買いに行こ」田城が誘う。
「えぇよ。田城くんの奢りね」
「えぇよ」田城は秋平を肘で小突いた。秋平が訝しげな顔をすると、田城は笑った。
「山本さんは何がえぇ?」田城が尋ねる。
「あたしはえぇけ」
「秋平は?」
「俺もえぇわ」
「ほなら佐月ちゃん。行こうか」田城はもう一度秋平を小突いて佐月と行ってしまった。
「田城くんどないしたん?」夏希が不思議そうに聞く。
「さぁ?」首を傾げながら秋平は夏希と近くにあった石段に座った。
「なんか取れたん?」と夏希。
「うん。オモチャやけど」秋平はさっきの指環を見せた。「田城はゲームソフト取りよったけ」
「ふーん。それどうするん?」
「うーん。佐月にでもあげよかな」秋平が言うと夏希は笑い出した。
「んなもん要らんやろ。もう子供じゃないけ」
「やんなぁ...」
「かなり小さい指環やけ。小さい子にあげぇよ」
「うん」秋平は指環をポケットに入れて田城たちが去った方を見た。
「田城くんと佐月ちゃんが戻ってきたらどうする?」夏希が聞いた。
秋平は聞いていなかった。秋平の視線の先には冴織が立っていたからだ。
遠くの方に1人ポツンと立って、どこかの店を見つめている。前髪を結って、髪飾りで耳元に留めていた。白地に黒の和柄が入った浴衣を着ている。その浴衣を秋平はどこかで見たような気がしたが、思い出せない。
赤い提灯の幻想的で妖しい光が白地にはね返り、冴織をより一層、美しく際立たせていた。
「秋平!聞いとん!?」
「え?」夢気分から覚めて秋平は夏希を見た。「なんや?」
「だから、このあとどうするて」
「あぁ...」秋平はまた冴織の方を見た。しかし人混みに紛れて彼女の姿を見失ってしまった。
「2人が戻ってきてから決めよや」秋平が小さな声で答えると、ちょうど田城と佐月が戻ってきた。
「お待たせー」2人は同じジュースを手にしていた。
「あ。ねぇ、このあとどうする?」
夏希が田城と佐月と話している間、秋平の体はみんなの輪の中にいたが、顔は冴織を探していた。
「秋平はなんかやりたいのあるけ?」田城が聞くと、秋平はハッとなって顔を戻した。
「や。俺は特にねぇかな」
「あ、あれ冴織さんや!」
佐月が冴織の名前を呼んだ時、秋平はドキッとした。冴織が本当にここにいることが夢ではなかったことにも安心した。
「ばあちゃんの浴衣を着よるや。ほらあっこ」佐月が指をさす。
秋平はそれを辿って冴織を見つけた。どこかで見たことがあった浴衣は、祖母が昔着ていたものだと思い出す。
「ほんまや...」秋平はつぶやいた。
秋平の安心したような横顔を見て、夏希は強く体を押しつぶされたように感じた。秋平がさっきボーッとしていたのは、彼女のせいだったのだ。
「冴織さーん!」佐月が冴織の元へ走った。
冴織は驚いた顔をして佐月と2、3言話すと一緒に秋平たちの元へ来た。
「誰?」田城が秋平に尋ねたが、秋平は答えられなかった。
「秋平ん家に来とる作家さんよ」代わりに夏希が低い声で言う。
「へ!?マジで!?」田城の声が大きくなった。
「初めまして。秋平くんのお友達だよね?」冴織は礼儀正しく田城に挨拶した。
「は、はじめましてぇ。秋平とは仲よぉ〜しとります。田城ですぅ」媚びるように田城は言った。
秋平は田城を睨んで彼の足を踏んだ。
「冴織さん。こればあちゃんの浴衣やんね?」佐月が聞いた。
「うん、そう。おばさんがね、着ていきなさいって。一緒にここまで来たんだけど、あっちで店番してるよ」冴織は指さした。
「じゃ母ちゃんのところ行こうや」佐月が言った。
「さんせー!」田城が合意する。
秋平は冴織と目が合ったが、なんだか恥ずかしくてひと言も話すことが出来なかった。まるで初めて会った日のように緊張していた。祖母の浴衣なのに冴織が着ると別物に見えて、よく似合っていた。
そして秋平はこんな綺麗な人と祭りに来れたと胸の中で喜びを噛み締めた。
冴織を挟むようにして佐月と田城が横につき、夏希と秋平はその後ろを歩いた。
夏希は秋平が黙っているのに気付いていたが、秋平は夏希がイラついていることなど少しも気づいていなかった。
「冴織さん言うんですか?いくつですか?」田城がペラペラと冴織に質問している。
冴織の顔が見えないので秋平はヤキモキした。
「へぇ。そうなんですか。じゃあその横浜に彼氏とかいるんですか?」
田城の大声が聞こえて、秋平は頭を殴られたような衝撃が走った。
彼氏。そうだ。今までそんなことを気にしたこともなかった。冴織ほどになれば彼氏くらいいるだろうに。秋平は聞き逃さないように耳を欹≪そばだ≫てた。
「えぇ!?もう1年もフリーなんて!こんな綺麗な人に彼氏おらんとかありえんや」田城は驚いた。
秋平は舞い上がって心の中でガッツポーズをした。
「おっ。来たなぁ」母の店に来ると前を歩いていた3人は母と話しはじめた。
「秋平さぁ」夏希が低い声で言った。
「ん?」
「冴織さんのこと好きなん?」
秋平は胸がギュッと締まる音を聞いた。
「何を言いよんや」秋平は笑って誤魔化したが、心臓の音がスピーカーから流れてくる太鼓の音より大きく耳に響いた。先程の田城の言葉が頭に浮かぶ。
『好きやなぁとか。イトコとしてちゃうで。女の子として』
好き。女の子として。そう意識すると秋平はその言葉が日焼けのように肌に焦げ付くようだった。
「会ってまだ2週間くらいしか経ってないやろ。好きとかそんなんないけ」図星だったくせに、秋平は自覚していなかったことを夏希に指摘されて焦った。
「やんねぇ」夏希は秋平が焦っているのを感じていた。冴織と出会ってまだ2週間しか経っていないのに。夏希はもう17年近く隣にいる。
目頭が熱くなった。でも自分にもまだチャンスはある。冴織はずっとここにいるわけではない。秋平も大人の女性に戸惑っているだけだと、夏希は自分に言い聞かせた。
母の店でしばらく遊んだあと母は言った。
「もう終わりやけ。そろそろ帰り。暗いから気ぃつけよ。母ちゃんは片付けてから帰るけ」
「冴織さん、何もやっとらんのちゃうけ?」秋平が尋ねると、冴織は首を振った。
「いいの。私は全然。来られただけでよかったし」
「そうけ...」
結局、秋平はほとんど冴織と祭りを回ることはできなかった。