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1〜2

短めのお話です。方言は特にどこのとは決めていません。



1,


 7月14日(土)


 秋平(しゅうへい)は畳の上にゴロンと横になった。あと1週間もすれば夏休みだ。7月中旬でもこの田舎ならまだうだるほどの暑さではない。開けてある窓から涼しい風が舞い込んできた。


 今日は先週、時間をかけて街まで買いに行ったゲームをやるつもりだ。夏休みはこのゲーム三昧の予定を立てている。


 秋平の家は農業をやっていて、秋頃から本格的な繁忙期に入る。それまでは秋平も手伝うこともない。16歳の今だからこそ遊んでやろうと意気込んでいたのに、そうもいかなかった。



 ゲーム機の電源をつけた瞬間、さっと音を立てて秋平の部屋の(ふすま)が開いた。


 「秋平!あんた土曜の昼からゴロゴロしよって!起きぃ!」


 秋平は勢いよく起き上がった。「母ちゃん。びっくりした。部屋に入る前は声かけぇ言うてるやろが」


 エプロン姿の母はいつもの甲高い声で、秋平を無視して話し出した。


 「またゲームしよる。ヒマなやつやの」


 「ヒマちゃうし。なんの用や?」


 「離れの掃除するよって。あんたも手伝い。どうせヒマなんじゃろ」


 だからヒマじゃないって、と秋平は言いかけたが、母にとってゲームというものはヒマな人間がやる物だと言う思い込みがあるようで、言い返しても無駄だと諦めた。こっちは真剣にやっているというのに。


 「はぁ?なんで離れの掃除なんかせなあかんのや?」秋平は頭をポリポリと掻いた。


 「えぇから。はよおいで」母は廊下の奥へ消えていった。


 秋平は無視しようかとも思ったが、渋々ゲーム機の電源を落として立ち上がった。ここで行かなければあとでグチグチ文句を言われるのが目に見えているし、なんだかんだと言っても結局は母に従ってしまうのだ。


 この家には父方の祖母、両親、秋平、妹の5人で暮らしている。家は田舎によくある古い平家の日本家屋で、最近トイレと風呂場を新しくしたばかりだ。


 部屋はどこも畳で、5人では余りが出るほど部屋数はある。言ってしまえば広い家だ。


 そんな中、離れは家の東側にあって誰も使っていない物置と化している。この家の農業を手伝っていた人が住み込みで使っていたこともあったらしいが、秋平が生まれる前から無人になっている。


 「美佐子(みさこ)おばさん、おるやろ?」


 秋平が部屋を出て後をついていくと、母は歩きながら言った。美佐子おばさんとは秋平の祖父の妹だ。


 「あぁ。正月にも会うた」秋平は答えた。


 正月にはたくさんの親戚がこの山本家に集まる。お盆に集まったりはしないので、それが毎年この家の最大行事だった。


 「その美佐子おばさんの子供たち、あんた覚えとるか?父ちゃんのイトコ」


 「うん」


 母は秋平を台所に連れていくと、軍手とマスクを渡した。


 「あんたは家具を移動させて、窓を開けて回って。母ちゃんは掃除機かけるから」


 

 秋平は話の続きを待ちながら、日に焼けた肌に真っ白な軍手とマスクをつけた。母は台所の裏口からサンダルを履いて外へ出ていく。秋平もついて行って、家の裏をぐるりと回って離れへ向かった。


 「佐月(さつき)は?」話の続きが出てこないので、秋平は妹の佐月が手伝いに参加していないことを不満げに聞いた。


 「今日はみっちゃんの所へ遊びに行きよる」


 「なんであいつはせんのよ」秋平は佐月が上手く手伝いを逃れたのではと勘ぐった。


 「あんたはゲームしよるやろ。ヒマなんじゃから」母は少し怒ったように言った。


 秋平はまたも不平等を感じながらも何も言い返さなかった。


 「で?」秋平は促した。


 「何がよ?」母は離れの玄関の前に立ち、引き戸の鍵を開けた。


 この離れには何も貴重なものは置いていないし、こんな田舎で泥棒など聞いたことがないので、鍵なんて必要あるのかと秋平は思った。


 「なにて、さっきの話の続きや。美佐子おばさんの子供がどうした?」秋平は軍手の中がすでに蒸れてきているのを感じていた。


 「あぁ。えーっと...」母はあまり器用ではないのでふたつのことが同時にできない。鍵を開けている間は待つことにした。


 母はガタガタと音を立てながら引き戸を開けた。日光の入らない暗い玄関は一段と涼しそうだったが、埃ほこりっぽくてなんだが恐ろしい気もした。


 「春臣(はるおみ)百合子(ゆりこ)よ」母は父のイトコの名前を言った。


 「それがなんや?」


 「今年の正月は百合子しかこっちに来んかったやろ?」

 

 秋平は正月のことを回想した。確かに百合子おばさんとその子供たちはこの家に来た。子供たちは秋平とも歳が近いので皆んなでギャーギャーと騒ぎながら遊んだ。


 しかし春臣おじさんの方はここ2,3年この家にはきていないはずだ。


 「春臣おじさんはしばらく来とらんやろ?」秋平は訂正した。


 「そうやったか?」


 秋平は離れの戸をくぐった。ここには6畳ほどの部屋がみっつ、流しとトイレと風呂場がある。


 「この話は後にするわ。先にやってしまおや。あんたは早よ窓開け。母ちゃんは掃除機持ってくる」


 すっきりしないまま、秋平は母に従って立て付けの悪い窓を開けて回った。北に面する縁側の窓と雨戸も開けると、夏の明るい日差しと爽やかな風が一気に入り込んできた。積もった埃が舞い上がって白い雪のようにチラチラと踊っている。


 秋平は目を細めながら手でそれを払っていると母が戻ってきた。


 「こっちの部屋にある荷物をここの部屋にまとめて」母は指をさして秋平に指示した。


 さっさと終わらせたかった秋平は文句を言わずにテキパキと作業をした。そこまでたくさん荷物があるわけではないので、小1時間ほどでふたつの部屋を空にし、ひとつの部屋を荷物でいっぱいにした。


 母は空いた部屋から掃除機をかけて回った。そして一緒に持ってきていた雑巾で手早く棚や窓を拭いて行く。


 秋平はそれを見ながら縁側に座った。軍手とマスクを外し、蒸れた肌を風に晒した。Tシャツの胸元をつまんでパタパタ扇あおぎながら額の汗を拭う。腕や足の関節にも汗が溜まってきていて不快だった。


 「もう終わりか?」秋平は聞いた。


 「まだや。トイレと風呂、使えるか見てきて」母は押し入れから布団を取り出した。


 詳しいことを聞かずとも秋平は誰かがこの離れを使うのだろうと予想した。でも今は畑の時期ではないし、人手はいらないはずだ。仕事以外に誰がここを使うのだろうか?親戚の誰かが泊まりに来るのか?


 秋平はよっこらせと呟きながら立ち上がり、トイレと風呂を見に行った。


 トイレの窓を開けて水を流すと普通に使用できた。次に風呂場へ行き、ここも窓を開けて水を流してみた。シャワーのお湯は出る。しかしバスタブにお湯を溜めるための蛇口をひねってみると、水が1滴垂れただけで、あとはうんともすんとも言わない。


 「母ちゃん。風呂の水出んよ?」秋平は大声で言った。


 「えぇ?」外から布団を叩く音が聞こえた。


 秋平は母のいる所まで行ってからもう一度伝えた。「シャワーは出るけど風呂の方がん」


 「えぇー。困ったなぁ」母は布団のシーツをまとめてひとつの団子にして抱えた。物干し竿には布団が干してある。


 「これ洗濯するわ。洗濯機もちゃんと使えたらええんやけど」母はTシャツの肩の部分で目の下を拭った。


 「秋ちゃんはもうえぇわ。冷蔵庫にアイスあるから食べてえぇよ」


 「はいはい」


 秋平は首と肩をぐるぐる回しながら離れを出て母屋の裏口から台所に入り、カップに入ったアイスとスプーンを持って自分の部屋に戻った。


 また畳に寝転がり、アイスを食べながら秋平は考えた。誰かが泊まりにくるなら母屋の空き部屋で十分なはずだ。離れを使うということは、長期滞在になる人だろう。


 一体誰が?春臣おじさん?百合子おばさんたち?もしかして百合子おばさん夫婦が別居することになったとか?それとも全く知らない人?


 秋平は色々と考えたがどうせすぐにわかるだろうと思い、中断していたゲームを続けることにした。





 「秋平!夕飯じゃい!」


 突然父が秋平の部屋に現れ、ドスの効いた声が部屋の中を飛んだ。


 秋平はまたしても驚いて、持っていたゲーム機を落と畳にした。この家にはプライバシーってものまるでない。


 「すぐ行く」秋平はうざったそうに返事をするとゲーム機に傷がないか調べ、セーブをしてから食卓へ向かった。


 「父ちゃん、離れに誰か泊まりに来るんけ?」秋平は座布団につきながら父に尋ねた。食卓にはすでに妹の佐月がいて、秋平の隣に座っている。


 「なんじゃ、昼間に母ちゃんから聞かんかったんか?」父のヨイショとあぐらをかいて座る。


 「うん」


 「佐月もおるし、ちょうどええわ。来週の金曜に春臣の知り合いだか誰だかがウチに来るんやて」


 「なんでよ?」麦茶を飲んでいた佐月が言った。


 「知らん。ばあちゃんが決めたことや。なんでも作家じゃなんじゃ言う人で。この夏は田舎で仕事したいんやと」


 「なにそれ。意味わからん」佐月は不満そうに言って箸を手に持った。


 母がお盆に乗せた食事を持ってきて、それをそれぞれの前に並べていく。


 「作家て誰なん?」佐月が聞いた。


 秋平も佐月と同じ意見だった。ほとんど本を読まない秋平には、その作家の名前を聞いたところでわかるはずもないだろうと思った。でも夏希(なつき)なら知っているかもしれない。イトコの夏希はそこそこ本を読むタイプだからだ。


 「知らん。ばあちゃんに聞きや」父は首を振った。


 祖母は今、祖父の妹の美佐子おばさんの所に行っている。確か帰ってくるのは来週末だ。


 祖父が亡くなってから3年以上経つが、祖母は人間関係を大切にする人で、義理の妹であってもしょっちゅう連絡を取りあっていた。


 秋平はため息をついて、いただきますと言ってから夕食を食べ始めた。母の作った料理を口にしながら佐月の今日あった出来事を何気なく聞いているうちに、秋平は来週くる客人のことを頭の隅に追いやった。








 2、



 7月20日(金)



 「秋平!成績どうやったん?」ほどよく日焼けした顔で、イトコの夏希が話しかけてきた。長い黒髪をポニーテールにしている。


 「そう言うお前はどうやったんや?」秋平は成績表をサッと机の中に隠した。


 「あたしはいつでも良い感じですけど?」夏希は秋平の隣の席に座った。


 「おい、先生に見つかったらどやされるぞ。さっさと自分のクラスに戻れや」


 今学期の最終日、秋平は学校で沢山の宿題と配布物と成績のつけられた厚紙に頭を悩ませた。赤点は免≪まぬが≫れていたものの、この成績ではまた母に文句を言われてしまう。


 一度は大学進学を考えていた秋平だが、自分の学のなさに諦めて家業を継ごうと思っていたので、あまり気合の入った勉強はしていなかった。


 「大丈夫やって、もう少しくらい。で、どうやったん?」夏希は椅子にもたれた。


 「俺はいつでも良い感じですけど?」さっきの夏希の言い方を真似た。


 夏希は学年でも頭のいい方で、成績だって本当は聞かずとも良いことはわかっている。生まれてこのかた、ずっと一緒に育ってきた夏希は秋平にとって兄弟のようだった。共に走り回っていたはずなのに、どうして夏希は勉強ができるのだろうといつも疑問だった。


 「ふふっ。今日は部活ないやろ?」夏希は嬉しそうにはにかんだ。


 「あぁ」


 秋平のいる野球部はもともと人数が少ない上に、3年生はこのまえ引退してしまったため、今は5人しかいない。これでは甲子園になど行けるはずもなく夏休み中の練習は最初と最後の週、しかも午前中だけだった。


 秋平は小さな頃から野球をするのが好きだった。小学生の時はそれこそプロの野球選手になると夢を見たものだが、歳を重ねるにつれ現実が見えてくると、そこまで本気で練習に打ち込むこともなくなった。それに週の通う高校が力を入れているのは夏希のいる吹奏楽部だ。


 「夏希はあるんやろ?」秋平は尋ねた。


 「うん。合宿もあるし」


 夏希はフルートを担当している。夏休みは毎年、佐月のいる中学部の吹奏楽と合同で、1週間ほど学校に泊まり込んで練習をする。


 「まぁ頑張れや」秋平は応援した。


 「うん。ありがと」夏希はニッと頬を上げて笑った。「秋平もゲームばっかしよらんと、遊びに来てもええんねんで?」


「はぁ?学校に?嫌や。夏休みくらい学校に来んでもえぇやろが」


「えぇ?どうせヒマやろ?」


「ヒマちゃうし」


 夏希はどことなく秋平の母に似ている。秋平の父の弟の子供なので、夏希と母に血のつながりはないはずなのに。恐らくうちに遊びに来すぎているせいだと秋平は思った。


 そのとき、チャイムが鳴って担任の先生が入ってきた。夏希は小声でじゃあねと言い、隣にあるクラスへ慌てて戻っていった。


 担任の先生は十数人の生徒を席につかせると、夏休み中の注意事項について話し始めた。すると後ろの席から背中を突かれたので秋平は頭だけ動かして後ろを見た。


 綺麗な坊主頭の田城(たしろ)がニヤニヤしながら秋平を見ていた。


 「また山本さんとイチャついとったやろ」と田城は小声で言う。


 「は?」


 「夏祭りデートの約束でもしよったんやろ?」


 「ちゃうわアホ。夏希はただのイトコや言うとるやろ。兄弟みたいなもんや」秋平もボソボソと言い返す。秋平の苗字も山本なので、田城が山本さんと言うたびに違和感を感じていた。


 「はいはい。惚気(のろけ)はえぇから。しかし前世で何をしたら山本さんと親戚になれるんや?」


 「知らんわ」


 秋平は夏希のことをなんとも思っていない。しかし他の男子生徒から夏希の人気は高い方だと知っていた。夏希自身はそんなことを気にも留めていなかった。


 田城は秋平と夏希が一緒にいるといつも冷やかしをかけてくる。田城は夏希のことを好きらしいが、自分からアピールを仕掛けたりはしない。


 田城は「山本さんは秋平のことが好きやからな。俺は眺めてるだけでえぇんや」と少々変なことを言った。田城にとっては好きなアイドルを応援しているような気持ちなのだろうが、秋平にはそれが全く理解できなかった。


 「ま、夏祭りの時は楽しんでや。あ、佐月ちゃんはくるよな?」


 「佐月?行くと思うけど?」


 「一緒に回られへんかなぁ」


 夏希のことが好きだと言うのに田城は最近、佐月のことも話に出してくるようになった。15歳になった佐月も洒落っ気づくようになってきたので、田城も目を付けたのだろう。


 「あんな猿と回ったってうるさいだけや」秋平が佐月のことを悪く言うと、担任の声が届いた。


 「山本秋平!ちゃんと聞いとんのか?」


 「聞いてます」秋平はサッと頭を前に向けた。


 話しかけてきた田城に注意が行かなかったのには少し腹が立ったが、担任の話が終わるまで秋平は机に肘をついて上の空でいることにした。



 「じゃ、くれぐれも気をつけて。変なことに巻き込まれるなや」担任が話を終えて解散となった。クラスの様々なところから声が漏れ始める。


 「秋平。今日は遊びに来るやろ?」後ろの田城が立ち上がりながら聞いた。


 「いや。今日は家におらなあかん」


 「なんでや」


 「客が来るんやと。よお知らんけど」秋平も立ち上がった。


 「客?なんじゃそれ?」


 「俺もようわからんのやけど、作家の人らしいんよ。俺のおじさんの知り合いらしくて、しばらく住み込むらしい」


 「ふーん。作家ねぇ」田城はつまらなさそうに言った。田城も本を読むタイプではない。


 「秋平のとこは家、広いもんなぁ。あ、また泊まりにいってもえぇ?」


 「そりゃ、母ちゃんに聞かなわからんけど、えぇんちゃう?」


 「よっしゃ」田城はさっき見せたニヤニヤ顔で秋平を見た。


 「お前また変なこと考えよんな?」秋平はジロリと田城を見た。


 「ん?んなことねえよ。じゃ、また月曜の部活でな」


 「おぅ」


 田城が小走りで教室を出て行くのを見送ったあと、秋平はクラスにいた他の生徒にも軽く挨拶をしてから学校を出た。


 なんとなく気分が落ち込んでいたので、ゆっくり自転車を漕いだ。ジリジリと太陽の照る道をいつもなら20分もかからずに帰るのに、倍の40分近くかけて家に帰った。


 家に着くと玄関脇に自転車を停めた。秋平はなんだか胸騒ぎがして、他人の家に入るようにぎこちなく玄関をくぐった。


 「ただいま」


 「あ、秋ちゃん。おかえり」母がちょうど玄関を横切るところだった。手には氷の入った麦茶のグラスがひとつと、湯飲みがひとつ乗ったお盆を持っている。


 「丁度えぇ。お客さん来よるで。挨拶しておきなさい」


 「もう来よるん?」秋平はてっきり夜になってからくるのだと勝手に考えていた。玄関にはつっかけの他に、祖母が履いている草履と女性もののサンダルが置いてある。


 「そうや。ばあちゃんも一緒に帰ってきたんよ」母のお盆に乗っている湯飲みは祖母のものだ。祖母は真夏でも暖かいお茶を飲む。


 秋平はスニーカーを脱いで(かまち)を上った。少し緊張し始めていたせいで玄関マットに足を引っ掛けて転びそうになった。


 一体どんな人が来たのだろう。そう思いながら母について客間に入った。


 まず目に入ったのは父の姿だった。こちらも緊張気味にあぐらをかいて座っている。この時間に家にいるとは思ってなかったので秋平は驚いた。その父の向かいには祖母の姿。よそ行きの夏用着物を着て、正座していた。会うのは10日ぶりくらいだ。


 そして祖母の隣にその人は座っていた。秋平は作家だと聞いていたからてっきり、和服でメガネのおじさんが来るものと想像していたが、その人は全くもって正反対だった。


 小柄で凛とした女性。第一印象はそうだった。その人は背筋をピンと伸ばして正座していた。黒いトップスを着ていて二の腕のあたりが緩やかなウェーブになっている。そして白くてふわふわしたスカートが座布団の上に広がっていた。まるで何枚もスカートを履いているみたいに、中が透けて見える素材や艶のある素材がかさなっている。


 こんなにお洒落な格好はテレビか街に出かけた時くらいしか見たことない。秋平がそう思っているとその人と目が合った。


 外国の血が混ざっているのかと思うほどハッキリとした顔立ちの女性だった。彼女が秋平に向かって会釈する。やや色素の薄い黒髪は首の辺りまでの長さで、頭の動きと連動してサラサラと揺れた。秋平はそれを見て一瞬、自分がどこにいるのかを忘れた。母に肘で小突かれてハッとなり、慌てて秋平も頭を下げた。


 「こ、こんにちは」我ながらか細い声だなと思いながら、秋平はなるべく彼女の方を見ずに客間の入り口あたりに座った。頭の中では今までに感じたことのない気持ちが渦巻いていたが、それを上手く言葉にすることはできなかった。

 

 母は父の隣に座って祖母と客人にお茶を出した。


 見ないようにしていたのに、なぜか自然と彼女の方へ頭が向いてしまう。秋平は好奇心に勝てず、客人の顔は除いて観察した。


 彼女は母が渡したお茶にまた軽く頭を下げた。彼女の手は膝の上で結ばれている。細くて綺麗な手だった。そして雪のように肌が白い。


 首には金色のネックレスをしていた。鎖骨あたりに小さなチャームがついているが、秋平にはそれがなんなのかよく見えなかった。


 「息子の秋平です。娘の佐月はまだ学校におるんですけどねぇ」


 うわずった父の声に秋平は恥ずかしくなった。この女性にその声と方言はとてつもなく失礼なのではないかと思った。


 祖母がひとつため息をついた。


 「お茶を飲んだらお部屋に案内するけ。秋平はもう自分の部屋に行きんさい。また佐月が帰ってきてから話するよって」


 「え、あ、うん」


 急に放り出された気分になった秋平は、立ち上がって自分の部屋に行った。カバンをその辺に放り、畳の上にゴロリと寝転がる。


 「ヤバいて」秋平は小さくつぶやいた。


 彼女の顔をもう一度、今度はじっくり見てみたかった。ガッと立ち上がって制服を脱ぎ、Tシャツとハーフパンツに着替えると、窓辺に居座って佐月の帰りを今か今かと待った。








 

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