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8日目ー1 7月20日(火)

 またいつもの時間。最早夢だと思うこともなく、むくりと起き上がる。そして、ベッドの傍には見慣れた無表情。


「あと43日で、あなたは死ぬ」

「ああ、おはよう」


 聞き慣れた余命宣告はもう挨拶の一種なのだと認識してしまうことにした。


 これからまたベッドに潜り込んでも眠れないことは理解しているので、素直に起き上がる。すると、死神は意を決したように再度口を開いた。


「お、おはよう」


 死神がその言葉を発したことに驚いて、一瞬行動が止まる。一拍の後に、死神の方へ向き直った。死神は居心地が悪そうに視線を逸らした。


「人間はおはようと声を掛けられれば、おはようと返すものだと解釈した」

「死神は気にしないでいいんじゃないのか」


 顔を逸らしたまま、死神は頷いた。幼児か何かと同じで、ただ真似がしてみたかったのだろう。俺の驚いたような顔に気恥しさを覚えたのか、なかなか目を合わせない。


「俺の周囲を観察して得たことを実践してみた、と」

「あなたが望まないというなら、二度としない」


 わざわざ解説したことが気に食わなかったのか、若干眉根を寄せて、不機嫌そうに素っ気ない返しをする死神。


「拗ねるなよ。そうは言ってない。むしろ毎朝やってくれ。死神として起こされるより、人として起こされた方が良い」

「そう」


 死神としてのアイデンティティを少しばかり傷つける言い方だったかと思ったが、死神は機嫌を損ねることなく、いつものニュートラルな表情に戻った。


「人としての行動を心がける」

「ああ。何かの拍子で誰かにバレかねないからな。そうしてくれ」


 とは言うものの、初めて会ったときに比べて、死神のイメージは随分変わった。今も顔にはほとんど出ないし、声音もほぼ変わらないのだが、何となく機嫌というか、気分のようなものが雰囲気を通して伝わってくる。そのお陰で俺の発言が彼女にとって良いか悪いか判断できて、話しやすい。


「そのための練習台にはなってやる。他の人にバレない程度なら話しかけていいぞ」

「馬鹿にい、今すぐ地獄送りにしてあげようか」

「何でだよ。死神が言うと冗談にならんわ。過激すぎる瑠美の真似はやめろ」

「わかったわ、変態」

「シンプルな罵倒をする美川の真似もするな」


 俺の周りに参考になりそうな人は果たしているのだろうか。奏以外、俺への当たりが強すぎると思うのだ。


「ん?」


 死神とのコミュニケーションに四苦八苦していると、俺のスマホが鳴った。画面に映ったメールの差出人は、美川渚である。こんな朝早くに何の用だろうか。


『今日の放課後、お時間ありますでしょうか?』


 普段の態度と文章とで変わり過ぎだろうと思うのも束の間。うわあ、と思った。こいつ、昨日の修羅場を見てよくそんなことが言えるな、と。


『良ければ、美容院まで同伴させていただけませんか?』


 丁寧というか控えめな文体になっているが、要は、美容院に行く勇気が無いみたいだから、ついて行ってあげてもいいわよこの意気地無し、と言っているのだろう。確かに勇気が無いのは確かだが、余計に事態をややこしくはしたくない。


 さて、どうしたものか。


==============================

選択肢

1、ついてきてもらう

2、一人で行く

==============================


「わかった。来てくれると助かる」


 そう返信を送った。


 申し出はありがたく受け取っておこう。それが俺を一層陥れる罠だったとしても、そんなものは今更だ。ちょっと証拠が増えたところで、騒ぎの大きさなんて変わらないだろう。




 その後はいつも通り、死神は姿を消して、瑠美と朝食を食べ、奏と登校した。教室に入ると、今日もまた視線は俺に向く。慣れない感覚だ。


 昨日は女子が集って根掘り葉掘り聞いてきた分、今日は男子の番ということだろう。女子たちは遠目からチラチラと視線を送ってくるだけだ。昨日女子たちに阻止されていた分、今日の男子たちは何だか視線がギラついて感じられる。


 生憎と男に視線を向けられて喜ぶ趣味はないので、全く視線を合わせることなく着席し、授業の用意もせず即座に突っ伏す。


「起きろ一ノ瀬! 話を聞かせてもらおうか!」


 バンバンと机が叩かれる。寝ているフリでもしていれば声もかけないだろうと思ってのことだったが、それほど甘くはないらしい。


 昨日さんざん話を聞かれて、ようやくそれほど特別な関係ではないと理解してもらえたのだが、それは相手が女子だったからという話だ。二人きりで出かけるとかそういったことについて重く捉えがちな男子を納得させるのに一体どれだけ時間がかかるだろうか。


 そんな面倒なことをわざわざ正面から受けるのは御免だ。という訳で、寝たフリは続行とさせてもらう。


「くっ、強情なやつめ。おい!」


 俺の机を台パンしていたやつが、他の誰かに声をかけた。そうするとすぐさま俺は組んでいた腕を捕まれ、持ち上げられる。椅子に座ったままながら、磔にされているような状態である。そうすると、顔を上げなければ仕方がない。このまま目をつぶって寝ているフリをすると瞼まで持ち上げられそうなので、渋々目を開けた。


「ネタは上がってんだ。さっさと白状しろ」


 尋問が始まる。俺の目の前にいるのはクラスを牛耳っているタイプの金髪で、俺を取り押さえているのは野球部の坊主頭たち。


「どうやって美川様とデートまでいったんだ。弱みでも握ってんのか?」

「そんなわけがない。あいつがそう簡単に弱みなんて握らせるかよ」

「美川様をあいつ呼ばわりとは、いったいどこまでいきやがった!」

「どこにもいってねえよ。強いて言うならアウトレットモールだが」


 ひたすらに面倒な連中である。早くもゲンナリしてきた。


 金髪は訝しげな視線を俺に向けたまま、本題に戻る。


「美川様をデートに誘う秘訣さえ教えてくれれば解放してやる。さあ話せ。それさえしてくれたら友達になってやる」


 きっと彼にとって俺は友達のいない寂しいやつなのだろう。それが交換条件になると思っている。だが生憎と、この二年ちょっとで友達のいない生活にも慣れきった。それに、そんな秘訣は存在しない。


「俺が誘われたんだ。誘う秘訣なんて知らない」

「なん、だと? そんな馬鹿な」


 これがアニメか何かなら、背景に雷のエフェクトが見えそうなほど、衝撃を受けていた。そんなに俺が誘われるのはあり得ないと思っているのか。俺の周りの人間はどいつもこいつも俺に失礼過ぎないか。


 いよいよもってイライラしてくるのと同時に、教室の後ろのドアから話題の美川が入って来た。俺を押さえつけていた坊主頭が若干たじろいだすぐ後に、金髪が美川に話しかけようとするが、ちょうど担任も入ってくる。まるで見計らったようなタイミング、というか実際見計らっていたのだろう。


 さすがに俺を尋問して答えを聞き出す前に先生に見つかるのはまずいと考えたのか、金髪は舌打ちをしながら彼の席に戻った。


「随分とお疲れのようね」

「誰のせいだと思ってやがる」


 悠々と自席についた美川は、今にも机に突っ伏しそうな俺を見て、憐れむような眼を向けてくる。これくらいどうにかしなさいという叱咤でなかっただけよかったというべきか。


「同情はしてあげるわ。正直ここまで男子が脳筋馬鹿だとは思っていなかった」

「嫌がらせなら加減は学んでくれ」

「あら、嫌がらせなんて人聞きの悪い」

「これが嫌がらせでなくて何だって言うんだ」

「でも、疑似デートは楽しかったでしょう?」

「む」

「禍福は糾える縄の如しってね」


 それにしてはいささか押しつけがましい福であった気がするのだが。


「まあ、きっとこれを乗り越えたら良い未来が待っているわよ。あなたがそれを掴もうと努力するなら、だけどね」

「知ったような口をきくな」


 俺が抱えている運命も知らないで、何が良い未来だ。




 それから一日、休み時間を全てトイレの個室で過ごし、ようやく最後の授業が終わった。先生の号令と同時に、あらかじめ帰宅準備を整えていた俺は走り出す。呑気に居眠りをしていた金髪は呆気に取られていて、追いかけてくる気配はない。これでこのまま家に帰れば俺の勝ちだ。


 ダッシュでまだ誰も教室を出ていない廊下を抜けていく。最短ルートで靴箱までたどり着き、靴を履き替えていると携帯に通知が入った。そこで思い出した。今日は確か、美川に美容院に連れて行ってもらうのだったか。正直色んな要因から行きたくないのだが、そう言って聞くような奴じゃない。


 陰鬱な気分になりながらスマホの画面を見ると、その差出人はなんと奏だった。


『今日帰りのホームルームあるよ』

「うっそだろぉ」


 そういえば朝担任が言っていた気がする。疲れ切っていてまともに聞いていなかったのがあだとなった。今から教室に戻るのは死ぬほど恥ずかしいし、金髪やら坊主頭やらにマークされる未来が見える。


『トイレ行ってるって言っといてあげるから、今日はさっさと帰ったほうがいいよ』

「お前天使か」

『今度何かおごってね』

「駄菓子ならなんとか」

『んー、まあそれで許してあげよう』


 安い女だ。いや、感謝はしているのだが。奏に感謝のメッセージを送ると同時に、美川からもメールが届いた。


『校門前に集合でよろしいでしょうか』

「いいわけあるか」


 丁寧な言葉遣いで何を言っているのか。あまりの内容に、声を出してつっこんでしまった。しかし、流石にまずいと美川もわかっているようで、メールには続きがあった。


『冗談です。校門を出て右、三つ目の角を右に曲がったら、隠れやすそうな路地があるので、そこで待っていてください』


 俺はその言葉に従い、スマホをいじりながら待機した。


 そして十分後、俺の肩に手が置かれた。一瞬、振り返ったら金髪が下卑た笑いを浮かべているような予感がしたが、それは俺の妄想で済んだ。そこにいたのは美川渚である。


「ちゃんと居たわね。さすがに待てくらいはできるか」

「俺はペットじゃない」

「それじゃあ行きましょうか」

「聞けよ」


 人の話も聞かずに、俺の存在を確認した途端美川は歩き出した。俺に何かと口出しする癖に、俺に興味があるといった素振りは見せない。いったい何がしたいのか。


「ここよ。予約は取ってあるから、さっさと行ってきなさい」

「え」

「中までは入らないわよ。というか、ここまで来て怖気づいたなんて情けないことは言わないわよね。蹴ってでも入店させてあげるけど」


 そう言って美川は軽く足を前後に開く。


「わかったわかった。ちゃんと入るから、構えを解いてくれ」

「いい? 格好良くしてくださいって言えばいいだけなの。似合ってなければ蹴り戻すわ」

「終わるまで待っててくれるのかよ」

「ええ。勧めた責任というものがあるもの」


 変なところで律儀なやつだ。そういうところは好感が持てるが。




 俺が店に入ると、予約を問われ、あれよあれよという間に全てが終わっていた。俺の慣れない雰囲気を察してか、接客は丁寧だったし、困ることなんて一切なかった。強いて言えば、値段が普段の五倍くらいだったことか。普段が格安のチェーン店ということもあるが、さすがに驚いた。


「おかえり。見られるようになったわね」

「今までそんなに酷かったのかよ」

「ええ。気を使っていないのが丸わかりだったわ」


 実際その通りなのだから何とも言えない。


「それなりの顔に生まれて良かったわね。これで少しはモテるかもしれないわよ」

「え?」


 美川の言葉に一瞬耳を疑った。今、褒められたのか。ただ肯定されるだけで、こんなに珍しさを覚えるとは、幼少期の俺は思っていなかったろう。


「何よ。そんなバカ面じゃあモテないわよ」

「上げてから一瞬で落とすな、お前」

「顔を引き締めて、姿勢を正しなさい。良いものを呼び込むためには自分を磨く必要があるのよ」

「そんな宗教みたいな」

「確かにそう聞こえるかもしれないけれど、ある種の真理よ」


 見るからに成功していそうな美川が言うのだから、そうなのだろう。周りの見る目が変われば、自分の待遇も変わると考えれば、なるほど正しいように思える。人望という点で見ると俺はもう手遅れな気がするが、今後の安寧のために美川には逆らわないでおこう。


「精進しなさい。あなた自身の幸福のために」


 さらに宗教性のあるセリフだったが、それに反応するよりも先に、春一番と呼ぶには随分時期の遅い突風が吹いた。決め台詞を言って俺を見つめている美川は俺から風上に立っている。美川はオシャレな女子高校生らしくスカートは短い。つまり、容易に翻る。


「あ」

「ひゃ」


 いつものクールな感じからは想像がつかない可愛い悲鳴を上げ、美川はスカートを押さえた。その顔は羞恥で真っ赤に染まっている。冷静に俺に説いていた姿は見る影もない。風が過ぎ去ってスカートの挙動が収まった後も、美川は固まったままだった。


「えっと、これが幸福ってやつか?」

「そんなわけないですぅ!」


 言葉遣いまで変になった。高圧的な態度は成りをひそめ、メールの時と同じく敬語になってしまっている。どうやら動揺したときにはこのしおらしい態度が出てしまうらしい。まるで別人のようである。あの美川が顔を赤らめて恥ずかしがっているのだ。今日の金髪なんかが見たら卒倒するだろう。


「み、見ましたか?」

「い、いや」


 美川はスカートを抑えたまま、俺に問う。それを誤魔化すわけではなく、正直に答えた。


「下着は見えなかった。多分」

「黒パンは見えてたんじゃないですか!」


 否定はしない。それが真実である。見られても恥ずかしくないための下着が黒パンなのだから、そう恥ずかしがる必要はないと思うのだが、その反応は珍しいので、下着が見られなかったとしても俺にとっては幸運だった。


「その、ありがとうございます」

「死になさい変態!」


 バチンといい音を立てて、元に戻った美川の平手が俺の頬を打ち据えた。悪いのは俺ではなく、悪戯な風だと思うのだ。


「それじゃあ、明日からその髪型で来るのよ」

「お、おう」


 ぶたれた頬をさすりながら頷く。


「私の協力、無駄にしないでよ」


 無理な話だ。俺の寿命はもう残り一ヶ月と少し。協力が何の協力を想定しているか知らないが、今更モテるように見てくれを変えたところで、中身が変わったとは見なされないのだから、美川が期待するようなことにはなるまい。加えて、万が一彼女ができたとしてもその先が無い。


「そう言われても」


 言い訳のような俺の言葉は美川に届かず、虚空に消えた。

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