6日目 7月18日(日)
「あと45日であなたは死ぬ」
「おはよう。今日もおつかれ」
昨日デートなんてものに行ったせいか、神妙な気持ちを抱くはずの死神相手にもフランクに挨拶をしてしまった。
そしてそのついでというくらいに軽い思考で、ある考えを思いつく。
「なあ死神、今日一緒に出かけないか」
死神は意味が分からないといった様子で首を傾げる。
「俺以外の誰かに見られてはいけない、みたいな規則があるのか?」
「存在しない。同行は可能」
「ならいいだろう」
「承知した」
死神は拒むことなく頷いた。
それから昼間までずっと行き先を決めていたのだが、幸いにして良い場所は見つかった。勿論死神に意見を求めるようなことはなく、俺の興味がある場所を選んだ。
しかし、そうして落ち着いて考えるにつれて、死神を連れて出かけるというのはあまり他人、特に知人に見られるのはまずいのではないかと思うようになったのだ。
ただ、せっかく調べたのだから、行ってみたいという気持ちがある。しかし男子高校生が一人で出かけるような場所ではおよそない。しかしそれは同年代の人が来ないという証左でもある。
それを全て考慮に入れた上で、やはり決行することにした。どうせ短い命なのだから、楽観的に生きていたい。
「死神、行くぞ」
昨日美川と購入し、教えて貰った組み合わせの服に着替えて準備を完了する。瑠美は先に部活へ行っており、夕方まで帰ってこないので、家で死神が姿を現しても問題はない。
リビングに死神が姿を現す。その姿はいつも通り制服だ。
「他の服はないのか」
「用意していない」
「今から用意してどれくらいかかる」
「一日を要する」
万能かと思っていれば、予想外に手間がかかる存在だった。白い髪に加えて制服ではいくら何でも目立つし、だからといって瑠美の服でも借りようものなら殺される未来が見える。
「そうだな。これに着替えろ」
部屋のタンスを漁り、ある程度女性物に見える白いパーカーを引っ張り出した。フードを被ることで、白銀の髪を極力隠すこともできるだろう。俺と同年代の女子と比べて平均的な背丈の死神だが、俺でさえ少しオーバーサイズ気味だったこともあり、少し短めのパーカーワンピースに見えるはずだ。
「おいっ。俺の目の前で着替えるな」
「承知した」
服を渡した瞬間着ている制服を脱ぎ捨てようとする死神を止め、俺だけ部屋の外に出る。どうしてこんな面倒なことをしているのかという気持ちになったが、その思考は放棄することにした。
「靴下は履いてこい」
「承知した」
着替え終えて出てきた死神を即座に押し戻す。そういえば、靴のことを忘れていた。俺のスニーカーでも履かせればそれっぽくはなるだろうか。
色々と準備に苦戦しながら家を出て、通学経路にもなっておらず人気の無いバスに乗って目的地を目指す。その間に会話はない。死神の淡泊すぎる反応では道行く人に違和感を与える可能性もあるからだ。考えすぎかもしれないが、死神はどうにも視線を集める。注意しておくに越したことはない。それに、別段話すようなこともない。
そうして目的地に到着した。その目的地というのは、花畑である。高くはないが入園料もかかるため、学生が訪れるようなことはない。事前情報によれば、客層は壮年期ないし老年期の男女が多いとのこと。入ってしまえばそれほど警戒する必要はないだろう。
死神の分の入園券も購入し、いざ煉瓦造りのゲートを潜ると、やはりというか、事前調査通りの美しい景観が広がっていた。
僅かに雲が揺蕩う快晴の下。まるで虹が地に落ちてきたかのように、色とりどりの花が視界を埋め尽くさんばかりに咲き誇っている。この光景にはどんな人間であれ、心を奪われるだろう。
「すごいだろ」
暫く呆然と眺めた後、正気に戻り、俺が作ったわけでもないのに、自慢げに、隣の人外である死神へ言葉を送った。
「わからない」
万人に共通と言っても過言ではない美さえ、死神の前ではその一言に尽きてしまう。
しかし、言葉とは裏腹に、死神の視線は俺を向くことなく、ただ花畑を見つめている。その目はいつものように無感情、とは言いきれなかった。
「ちょっとはわかってるだろ」
何となく、その目は輝いているように見えた。
「そうだろうか」
死神は否定することなく、何かを飲み下すようにゆっくりと喉を動かしながら、地上の虹に心を奪われていた。
その死神の横顔をこれまた呆然と見つめていた俺は、思い出したようにスマホのカメラを構えた。地の虹と青い空が映るように、シャッターを切る。
カシャ、という機械じみた音にようやく我に返った死神は、俺を見て首を傾げる。
「何をしている?」
「写真に撮ってるんだ」
何を当たり前のことを。そう思って返した言葉だったが、死神は更に大きく首を傾げた。
「何のために?」
「何って、写真を撮る目的なんて」
言われてハッと気づいた。普通、写真を撮る目的というのは、コンクールに出すのでもなければ、基本的には思い出の記録である。
しかし、俺の寿命は残り僅か。きっと今咲いているこの花たちよりも短い。俺一人の思い出を残したところで、誰もわからないし、もしかすると誰も目を向けないかもしれない。
その行動に何の意味があるのか。答えは見つからなかった。
「そうだな。認めよう。この写真に意味はない」
「そう」
「ならこうは思わないか?」
「何?」
「意味のある写真を撮りたいって」
芝居がかった俺の言葉に、死神は再び小さく首を傾げた。要は、死にゆく俺ではなく、残された人に意味のある写真を撮ろうというのである。
俺を思い出して積極的に悲しんで欲しいとは思わないが、死後ふとした時に思い出してもらいたいというのは矛盾を孕んだ欲望であると分かっている。しかしそれでも自分の生きた証が誰かの心に残っているのなら、それは素晴らしいことだと思ってしまうのだ。
そんなエゴを満たすために、俺は自撮りを始めようと思う。少し高尚なことを考えた結果実行に移すのは俗っぽいことというのが滑稽なところだ。
「何をしている?」
「自撮りだ。思ったより難しいな」
腕の長さは言うまでもなく有限である。その腕を使い、いかに俺の顔と背後の美しい光景を画角に収めるかというのは難しいものだ。
「私が撮ろう」
「そうか? 助かる」
死神にスマホを渡し、撮影方法を教えた上で、花畑を背に立ち、軽く笑顔を作る。
「撮れたか?」
死神が頷く。撮れた写真を確認するため、死神からスマホを受け取った。
そこに映るのは、絶景と、その前に佇む冴えない男子高校生である。写真の中の俺は、別にモデルでもなんでもないわけで、正直なところ、なんら心が惹かれない。寧ろ、写真としては背景を貶していると言ってもいい。それこそ価値のない写真のような気がしてならないのだ。
「意味がある?」
「いや、どうだろうな」
渋い顔をするしかなかった。
そんな俺たちの元へ、ゆっくりとした足音が近づいてくる。
「こんにちは」
「えっと、こんにちは」
穏やかな微笑みと共に話しかけてきたのは、死神と似た、されど艶のない短髪で白髪の女性だった。
その女性の言葉は挨拶だけでは終わらなかった。
「お邪魔してごめんなさい。ここに若い子が来るのは珍しいから、つい」
「いえ。邪魔なんてことは」
「そう? じゃあ、もう少し付き合ってもらっても良いかしら」
「はぁ」
俺の生返事を肯定と解釈したようで、その女性はありがとう、と笑った。
「もしよかったら、私にあなたたちの写真を撮らせてもらえる? 勿論あなたのケータイで」
「え? まあ、構いませんが」
いまいち意図が分からないが、迷惑というほどのことではないので承諾する。丁度俺一人では絵面が悪いと思っていたところだ。人間でないとはいえ、見た目は美しい少女の死神がいれば画面も華やぐというものだろう。
「もう少し近づいて」
言われたように、死神との距離を詰める。
「もっと寄り添って」
既に肩が触れ合うほどの距離なのだが、まだ近寄れと言う。おそらく彼氏彼女と誤解しており、肩に手でも回せということなのだろう。無論死神は気にしないだろうが、人形を彼女にしているみたいでどこか虚しい。
けれども女性はにこやかに佇むばかりで、一向にシャッターを切ろうとしない。望むポーズでなければならないのだろう。
諦めて、死神の肩に手を回し、軽く引き寄せる。死神のくせに、女の子らしく華奢な体だ。この写真が世に出回ったら、奏や瑠美なんかはさぞかし驚くのだろうと思いつつ、シャッター音を聞いた。
「ありがとうございます」
「いいえこちらこそ。本当ごめんなさいね、変なお願いをして。なんだかあなたのムスッとした顔が若い頃の旦那にそっくりで」
旦那、と言いつつも、彼女が見ているのは死神の方だった。少し複雑な気分である。
「写真を見返したとき、それを撮ってくれた人の顔も思い出すでしょう? 私はもうこんな歳だから、誰かに少しでも私を覚えていて欲しくって。旦那も友達も皆私より先に死んじゃったから」
彼女の独白は、俺が今しがた考えていたことに類似していた。この年齢差で同じことを考える奇妙さに驚きながら、俺よりも実感を持って死が迫っている人と同じ感覚であることに安心した。
「こんなのは老いぼれの世迷言だから、若い子たちは聞いていてもつまらないかもしれないけれど」
「いえ。わかりますよ、その気持ち」
「そう? じゃあ、最後にもう一つだけ我儘を聞いてもらえる?」
「はい」
「私とも一緒に写真を撮ってもらえる?」
存在だけでなく、やはり姿も覚えていてもらいたいのだろう。彼女はそう提案し、遠くの女性に対して手を振った。その女性は早足でやってくる。
「おばあちゃん、勝手にいなくならないでよ。心配するじゃない」
「ごめんなさいねえ」
「そっちの子たちもごめんね。おばあちゃんの独り言に付き合わせちゃったみたいで」
「いえいえ」
「おばあちゃん、あんまり他所の人に迷惑かけちゃだめだよ」
「迷惑なんかじゃ」
「それより、写真を撮ってもらえる? 私と、この子たちで」
「お願いします」
「わかった。ほんとにごめんね?」
謝りながらも、孫らしきその女性は俺のスマホで三人を画角に収めた。迷わず俺のスマホを借りたことから、きっとこういう事がよくあるのだろう。
「はい、チーズ」
「ありがとうね、老いぼれの我儘に付き合ってもらって」
「お礼を言われることじゃないです。共感できる話でしたから」
「私からもありがとう。これ、おばあちゃんが食べたいって言うから買ったんだけど、よかったら食べて」
そう言って孫らしき女性は片手に持っていた紫色のソフトクリームを差し出した。よく落とさなかったものだと感心しながら、貰い受ける。
「ありがとうございます」
「それじゃあ、楽しんでね」
「さようなら」
そうして二人の女性は手を振って去っていった。左手に持ったソフトクリームを見る。
「死神、食べるか?」
「食事は可能。しかし不必要」
「そうか」
ある種予想通りの答えに短く返事を返して、既に溶けかけている紫のソフトクリームを口に含む。予想通りの甘さ冷たさと共に、ほんのり落ち着く花の香りが鼻に抜ける。
売店の看板を確認してみると、ラベンダーソフトだという。通りで薄い紫色をしているわけだ。
今は七月。強い日差しのこともあって、放置していればあっという間に溶けてしまう。溶けだしたアイスが垂れないよう急いで食べていると、死神の視線がこちらを向いていることに気がつく。
「食べたいのか?」
死神はふるふると首を横に振った。なら俺の顔なんて見ていないで、折角なのだから花たちを見ていれば良いものを。
ようやく垂れそうにないところまで食べ進めると、ついぞ死神の視線に耐えられなくなって、言葉を零す。
「俺の顔に何かをついてるのか?」
テンプレートとして尋ねたはずの問いに、死神は首肯した。そして死神はゆっくりと俺に接近し、ポケットからハンカチを抜き取った。ちなみに、これまでハンカチを持ち歩く習慣さえもなかったが、昨日美川に強く注意されため今日は持ってきていた。
死神は左手でそっと俺の顔を抑える。これが恋人同士ならキスの一つでもしてしまいそうな距離だったが、死神はそんなことを欠片も考えていない様子で、右手に持ったハンカチを使い俺の頬をそっと拭った。ハンカチには薄紫のシミができている。
「焦りすぎたか。ありがとな」
死神はこくりと頷き、ハンカチを差し出してくる。そこまで一歩も離れることなく続けてくるので、触れ合うことまではなくとも、顔が近い。改めて、死神の顔の良さが意識される。
「し、死神に味覚はあるのか?」
「存在する」
「じゃあこれ食べろよ」
ハンカチの代わりに残りのソフトクリームを押し付け、一歩離れる。いつまでもあの瞳を見つめていては、心を奪われるだけでなく、いつか命まで持っていかれそうだ。
「死神に食事は不要」
「腹を満たすためじゃなく、美味いから食べるんだ。いいから食べてみろよ。溶けるぞ」
死神は暫く俺とソフトクリームの間で視線をさまよわせていたが、意を決したようにソフトクリームをコーンと一緒に口に含んだ。
「美味いだろ?」
咀嚼して飲み込んだ死神は、やはり無表情だった。
「わからない」
しかし、先程と同じように、ソフトクリームに向ける目はどこか輝いているように思えた。その証拠に、死神はソフトクリームを突き返してくることなく、ずっとその手に持っている。
「全部食べていいぞ。というか食べろ」
俺がそう言うと死神は食い気味に頷いて、物凄いペースで食べ始める。ソフトクリームを両手で大事に持って食す様はハムスターか何かのようで、微笑ましいものだった。
死神と外出なんてリスクの高い行為に及んだが、特段何もなくてよかったと安堵して、帰路につく。安堵の結果として、警戒心もなく自分のペースで歩くが、死神は言うまでもなく無表情で、俺と全く同じ歩調でついてくる。
この速さで歩くと、俺に比べて体の小さい死神はどうしても大股になる。そうすると、丈の短いパーカー、それも胸部の丸みによってさらに短くなったそれが捲れるのだ。いくら羞恥を見せない死神とはいえ、そんな危ない格好の少女を隣に歩かせるのは体面が悪いので、歩く速度を緩める。それを感じ取ってか、死神が声を出した。
「何かあった?」
「いや。えっと、もう少し色々と気を付けろ」
「何をそれほど気にしている?」
無表情で人間らしからぬことを尋ねる死神。思春期の男子にそんなことを尋ねないでほしいものだが、それを死神に求めるのは酷だろう。
「その、パーカーが捲れそうでだな」
「何がいけない?」
「あれだ。下着は普通他人に見せるものじゃない。というか、見られることに羞恥心を覚えるものだ。下着で守られているところはもっと大切にしないといけない。合意なく触ったり撮ったりすると犯罪になる」
「そう」
大分恥ずかしいことを言わされたが、死神はといえば、何の感情も見せず頷いた。そして、形式的にパーカーの裾を抑える。
「早く帰るぞ。というか、誰も見ていなければ姿を消せ」
「理解した」
その余りに淡泊な反応に、一抹の不安が脳裏をよぎる。しかし、それはさすがに考えすぎだろうと一度頭の隅に追いやって人影の疎らな道を歩く。
「お前、どうしてそう常識がないんだ? 俺の行動を完璧に模倣することはできるくせに」
「それは」
言おうとして、少し躊躇う死神。ただ、言ってはいけないという程ではないらしく、すぐに口を開いた。
「私が生まれて間もない存在だから」
「へえ。死神に生死の概念があるとはな」
「万物は輪廻する。それだけ」
「諸行無常ってやつか」
人間が見出した道理が、まさか仮にも神の名を冠する存在にも当てはまるとは、いやはや先人には恐れ入る。
「羞恥心とか色々欠けてるのも生まれたてだからか?」
「勉強のために、私はあなたの周りを観察している」
微妙に返答になっていないが、言語機能も生まれたてということだろうか。
「そう常識が無いのに、初めて会った時は鎌やら制服やら持っていたが、あれはどうしたんだ?」
「私には仲間がいる。彼女が必要だと言った」
「仲間ねえ。そりゃ、一人で何人もの魂は回収できないか」
「然り」
「ちなみに、その仲間が何も言わなかった場合、どんな格好で来たんだ?」
「この体のみ」
「つまり、裸ってことか?」
「肯定」
それはなんというか、その仲間によくやったと賞賛したい気持ちと、少し見てみたかった気持ちが同時に生まれる。
それと同時にもう一つ。嫌な予感が再発しだした。我ながら少したどたどしく、懸念事項を尋ねる。
「お前、下着穿いてないとか、言わないよな?」
「穿いていない」
案の定だった。
「どうしてだよ」
「あなたはこれに着替えろと言った。私は指示に従っただけ」
要は、下着をつけたままでと言われなかったから着なかったと。確かに、靴下まで脱ぎ捨てる始末だったのだから、そう考えることはできたはずだ。俺は死神のことを甘く見ていたらしい。
「常識ぐらい身に着けろ。なるべく早く姿を消せよ」
「理解した」
丁度周りから人がいなくなった一瞬に、死神は姿を消した。パーカーと靴だけが俺の横に落ちる。これを持って帰宅するのも変だが、やむを得ないだろう。
最後の最後で無駄に心労を重ねた俺は小さくため息をついた。