29日目 8月10日(火)
「瑠美、準備いいか?」
「大丈夫。本当に何もいらないのかしら」
「昨日電話で言われたし、大丈夫だろ。何か必要なら迎えに来てくれたときに何か言ってくれるって」
汗を拭く用のタオルと連絡用のスマホだけを持って、俺と瑠美はばあちゃん家の前で中川さんを待つ。
「それにしても、このくそ暑いのに長袖ってなかなか馬鹿よね」
「しょうがないだろ。害虫だってわんさかいるし、葉っぱで切るかもしれないからな」
「それはわかってるけど、暑いものは暑いわ」
「まあな。ばあちゃんが倒れるのもわかるってもんだ」
ある限りの保冷剤を使ってどうにか体温を下げる手立てとしているが、この暑さではどれだけもつかわかったものではない。
「おまたせ。今日も暑いね」
「おはようございます」
「おはよう。悪いけど、後ろ乗ってくれる?」
「わかりました」
軽トラでやってきた中川さん。後ろというと、荷台のことだろう。
「よっと。ほら瑠美」
「ありがと」
先に乗り込み、瑠美に手を差し出す。案外素直に手を取った瑠美をぐいっと引っ張り上げた。
「あら仲良しさん。ところで、なんでそんな暑そうな格好なのかしら。日焼け対策?」
「え、畑仕事ですよね?」
「作業着くらい貸すわよ。だから何もいらないって言ったでしょう?」
それを聞いた瑠美はすぐさま俺を睨んだ。何を隠そう、長袖長ズボンを提案したのは俺である。
「殺す気だったわけ?」
「んなわけないだろ。これじゃ共倒れだ」
「はあ。袖引きちぎろうかしら」
「ばあちゃんの服でそれはやめてやれ」
しかし、本当に申し訳ない。どちらにせよ暑いことには変わりないのだろうが。
「着替えてくる? 待っててもいいわよ」
「大丈夫です」
「いいのか?」
「仕方ないわよ。その代わり、馬鹿にいの保冷剤一個貰うけど」
「なっ、俺の生命線が」
冬場のカイロのように身に着けていた保冷剤を奪おうと、瑠美は手を伸ばす。しかし、それでは俺が死ぬので守らねばならない。
「いちゃついてるところ悪いけど、準備はいいのね? 行くわよー」
「はーい」
からかわれているが、昨日知り合ったばかりとあって瑠美は何か言い返すこともなく俺から保冷剤を奪い、黙って車に揺られている。
軽快に進んでいく軽トラだが、どこを見ても田畑で、景色は一向に変わらない。やたらと揺れること以外、これといった刺激は存在せず、ただただ日差しが暑い。
「灼熱地獄ね」
「サウナに入ってると思えばいいんじゃないか」
「なら脱いだら?」
「嫌だよ。そうはならんだろ」
「サウナって、水風呂あってこそだと思うのよね。じゃないといつまでも体が火照って仕方ないわ」
「それはそうだな」
「だから脱いだら?」
「なんでそう脱がそうとする? というか、文脈が吹き飛んでるぞ」
早くも頭が暑さにやられはじめているらしい。
「田舎はもう少し涼しいかと思ってたわ」
「今のご時世、どこにいても日中は暑いな。文明の利器が愛おしく感じる」
「さすが変態。機械に対して愛情を抱くのね」
「そういうわけじゃない」
そうして安否確認を兼ねた脳死した会話を繰り広げていると、軽トラが止まる。
「はい、おつかれさま。とりあえず向こうで着替えてきてね。着替えたら、そこで集合だから」
「はーい」
言われるがまま、作業着に着替える。その胸の辺りには、大きな名札がつけられていた。名前だけ、翔と。
更衣室には、俺の次にも大学生くらいの男性が入ってくる。あとから入って来た四人は知り合いのようで談笑しているが、俺は気まずさに耐えかねて更衣室を出た。
俺が一番乗りだったようで、そこには中川さんしかいない。
「あー翔君。ちょうどよかった」
「どうしました?」
「今日一日、瑠美ちゃんとは他人の振りで過ごしてね。あくまで合コンの体だから、兄妹で参加っていうのも変だし」
「わかりました。瑠美にも言っておきます」
「瑠美じゃなくて、瑠美さんね」
「はーい」
俺の次に出てきた瑠美にも同様の説明をし、開始を待つ。他人行儀で会話する練習をしていると、続々と参加者が集まってきた。続々と言っても、俺たちを含めて高々十人である。
「それじゃあこれから、男女ペアになって野菜を収穫してもらいます。ペアはこちらで抽選したので、それぞれ別の畝に向かってくださーい」
そう言った後で、中川さんはこちらに一瞬ウインクをする。
「まずは、翔さんと瑠美さん。向こうでナスの収穫をお願いします」
なるほど。抽選と言いつつ、仕込みだったわけだ。ぶっちゃけ助かる。見知らぬ人と仲良く野菜収穫というのは随分とハードルが高い。それも、瑠美の方だって困っていただろう。
「はぁ。ちょっと怖いわね」
「そうだな。農業体験込みってことで、そこに興味があるような人しか来てないから、ただの合コンよりはいくらかましだろうけど、見知らぬ人と交流するってのは勇気がいるわな」
「さっさとペアが固まって、絡んでくる人が減ったらいいけど」
「それはどうだろうな。瑠美は可愛いし、放ってはおかないんじゃないか?」
「あんまりからかうんじゃないわよ」
「可愛いってとこは本気だぞ。愛想はないけど」
「むぅ」
暑さで勘が鈍っているのか、普段は照れるようなこともすらすら口から出る。まあ実際瑠美は可愛いと常日頃から思っているし、正直になるのも悪いことじゃないだろう。
「愛想なんて振りまく必要ないもの」
「それでもさ、たまには俺にも可愛い笑顔を見せてくれよ。後生だから」
「いちいち言い方が大袈裟なのよ。そんなに笑ってほしければ、何か面白いことしなさいよ」
「無茶言うなよ。俺にそんなギャグセンスはわっしょい!」
「んふっ」
収穫しようとしたナスによくわからないとにかく気持ち悪い虫が引っ付いていて驚きのあまりお祭り男が出てしまった。
「あはは。そういうのよ。リアクション芸人の才能あるわよ」
「まあ、笑ってくれたならいいけど」
やっぱり笑顔の瑠美は可愛いし、癒される。謎のきもい虫で削られた正気度は回復された。
「それより、今日をどう乗りきるか考えましょ。なるべく関わりを断つように」
「ならさ、俺と瑠美がくっつけばいいんじゃないか?」
「は?」
「そんな怖い顔するなよ。知らない人よりいいだろ」
「それは、まあね」
「あくまで他人ではあるけど、そこそこいい感じっていうのを演出しよう」
「難しい注文ね」
「演劇の練習だと思って」
「全編アドリブなんてとんだ茶番よ」
そう言いつつも、作戦は決行することになった。収穫を終わらせた俺たちは、再び中川さんの元へ集められる。
「収穫のお手伝いありがとうございました。これから休憩をはさんだ後、収穫していただいた新鮮な野菜をさらに調理していただきたいと思います。料理上手な人はアピールポイントですよ」
そう言って女の子たちに目配せをする中川さん。本当に料理上手ならそれでいいが、料理が苦手という人にとっては地獄のフリであり、実際数人は目を逸らしている。
「それじゃあ、三十分ほど休憩です。お手洗いと着替えを済ませたら、何もないですけどこの辺りを散策してみるのもいいかもしれません。川とかありますから」
そう言った後、中川さんは野菜を持って調理器具があるであろう家に入っていった。色々と準備をすることがあるのだろう。
俺たちも更衣室で、着替えを始める。すると、仲間らしい四人組が賑やかに話を始めた。
「いやぁ、レベル高いっすよね、今日の合コン」
「だな。あっついのは妥協するとしても、こんな田舎にまで来たのは正解だった」
「しかも、全員結構うぶっぽいっすよ。あの瑠美って子はわかりませんけど」
「センパイ、誰が目当てなんすか?」
盗み聞いたところ、どうやら一人が年上で、他は取り巻きといった感じらしい。中川さんが企画した村コンは好評らしい。
「その瑠美って子が一番タイプだな。ちょっと体つきは貧相だけど、将来はいい女になる」
「さっすがセンパイ。未来のことまで考えてるっすね」
「せっかくここまで来たんだ。関係は長く、な」
「じゃあ瑠美ちゃんとペアになったそこの人に、どういうタイプか聞いてみましょうよ」
そして、矛先は俺に向く。別に敵対しているわけでもなく、緊張する理由などないはずなのだが、男四人が向かってくると威圧感がある。
「翔、さん? でいいっすか?」
「翔でいいですよ。瑠美、さんのことですか?」
「そうっす」
「さっき一緒だったんだろ? どんな子だった?」
あまり良いイメージを与えすぎると、瑠美に面倒ごとが降りかかるかもしれない。ここはなるべく悪い方向に。
「ちょっと愛想が悪かったですね。何言ってもむすっとしてる感じで」
「まあ若そうっすからねえ。緊張してるんじゃないっすか?」
「いきなり二人にされたら、俺でも緊張したっすからね」
「センパイくらい女性慣れしてると別なんでしょうけど」
「まあな。そこそこ話せた自信はあるぜ」
情報操作はあまりうまくいかなかった。この合コンに参加している時点で、積極的でないことは考えにくいし、初対面ということもあって、何を言ってもリカバリーが利くのである。
どうあれ、これが俺からの牽制であると深読みしてもらえたとしても俺としては万々歳だ。
「そうだ。この後、全員で川に行かないっすか?」
「お、そうだな。それなら好きな人に声をかけられるだろう」
彼らの行動はセンパイとやらにかかっているらしく、俺に意見を求められる間もなく決まってしまった。例え何か問われたとしても、多数決では勝てるはずもないので意味などなかっただろうが、形だけでも相談してほしかった。
「それじゃ、さっそく誘ってくるっす」
「おう」
流れに流されるまま、全員で川に涼みに行く。川だけに。
「おーい、瑠美ちゃん」
さっそくセンパイが瑠美に声をかけた。瑠美ならうまくやるだろうと信じてはいるが、心配で、木陰で休んでいるふりをして近くに佇んでいた。
「何でしょうか」
「ちょっと話しないか? ほら、さっき喋れなかったろ」
「はぁ。構いませんが」
少し淡泊すぎる反応である。普段から不愛想なところはあるが、今日は最低限の返事と言う感じで、見事にキャラを作っていた。
「今何歳?」
「十八です」
「へぇ。それって、高校生?」
「そうです」
「受験期なんじゃないの?」
「卒業後は実家を継ぐつもりです」
「実家は農家? そうなら何農家?」
「農家です。種類は単一ではありません」
瑠美の返事は最小限。しかし、センパイのトークもなかなかのもので、瑠美の言葉で足りない情報を引き出し、瑠美の興味がありそうな話に持っていこうとする。それはフェイクで、実際に瑠美が農業に興味があるというわけではないのだが。
「じゃあ高校って農業高校? 敷地とか広いの?」
「まあ、そうですね」
「やっぱりそうなんだ。俺にも農業高校に進学した知り合いがいてさ」
瑠美が話を広げないとわかると、彼は自分の話題を始める。いよいよ瑠美が迷惑そうにし始めた。
「あの、私はいいですから、他の人とも話してきたらどうですか」
「いやぁでも、向こうは向こうで楽しそうだし、今更俺が混ざってもね? せっかくだから、もう少し話そうよ」
確かに、彼の取り巻きは他の女性陣を連れて川で水遊びをしている。それも作戦のうちなのだろう。できることなら助け船を出してやりたいが、その方法がない。
「そろそろ時間です。すいませんけど、あの人たちにも知らせてあげてくれませんか?」
「お、そうだね。じゃあ先に行っててよ。あ、その前にさ、料理って得意?」
「苦手ではありません」
「そっか。楽しみだな、瑠美ちゃんが作った料理食べるの」
これまで大人の余裕で会話をしていた彼は、そう言って少年のように笑う。そのギャップが、もしかすると世の女性には受けるのかもしれないが、生憎と瑠美は冷え切った目を向けていた。
「お疲れさま、瑠美ちゃん?」
「からかわないで。ああいうのに絡まれないようにって言ったのに、こそこそ隠れててどうするのよ」
「そう言わないでくれ。あの人意外と行動が早くて。次からは気をつけるから」
「今日だけはウザいくらいでいいから。ちゃんと私のことだけ見るのよ」
「ん? ああ」
やけに私のことだけと強調したが、まさか俺が他の参加者に惹かれると思っているのだろうか。
別に参加している女性が悪いとは言わないが、これから終活を始めようという人間に面白い冗談である。それを瑠美は知る由もないというのが、悲しいところではあるが。
瑠美の言った通り時間であり、二組に分かれて調理実習のように夕飯を作っていく。献立はあらかじめ決まっており、レシピが各班に共有されている。
「翔君料理できるんだー。すごーい」
「いや、褒められるほどじゃないですよ」
「謙遜しちゃってー。私包丁使うのとか上手くないから、ちょっと教えてほしいなー」
普段台所に立つのと同じように料理をしていると、それだけでやたらとちやほやされる。恋愛感情は抜きにしても、ちょっと気分がいい。だからといって、他の女性に特別肩入れするようなことはないが。今の俺は瑠美のことを狙っているという設定である。ここで浮気のようなことをする気はない。
「瑠美さんすごいっす。料理上手っすね」
「これくらい普通です」
瑠美の方はといえば、取り巻き後輩のうちの一人からやたらと喋りかけられていて、見るからに鬱陶しがっていた。そのせいか、包丁さばきが少し雑になっている。
「危ないぞ瑠美、さん。ちゃんと集中しないと。女の子の肌に傷でもついたら大変だから」
「そうね。気を付けるわ」
それをちらと見た俺は、当然のように注意をする。そして瑠美も、当然のように受け入れた。しかも、普通は敬語なのに二人の間だけため口で。
それほど仲のよくない相手に対して褒めるということはそれほど難しいことではないが、良好な人間関係を構築する上で、注意をするということは難しい。
それをわざわざ、それほど危険でもないところで言い、かたや受け入れたとなれば、匂わせにはなるだろう。現に先ほど俺を褒めたたえていた女性は驚いたような顔で俺と瑠美を交互に見ている。鈍そうな後輩の方は何も感じなかったようだが。
そうして、特に何か問題が起こるわけでもなく、夕食を作り終えた。宴会では、それぞれの班の完成品を半分ずつわけて、実食となる。
「席順はこの通り。移動してもいいけど、お行儀よくお願いしますね」
これで瑠美がまたセンパイに絡まれたらと心配だったが、そこは中川さんが気を利かせてくれたおかげで免れた。
「瑠美さん、今日はどうだった?」
「そうね。あんまりいい気分ではないかも」
言った後瑠美は、生のキュウリに味噌をつけたシンプルな品を、音を立てて齧る。言葉の内容からも態度からも、苛ついているのが手に取るようにわかる。それほど下心のある男に絡まれるのがうっとうしいのだろうか。
「ちょっと、翔さんが他の人に囲まれてるのを見ると、ね」
瑠美は小声でそう言った。この声量はもはや匂わせという話ではなく、明らかに俺にしか聞こえない。純粋な意味で、瑠美が嫉妬を言葉にしたのだ。
「それじゃあ、どうしたら機嫌がよくなる?」
「そこの天ぷらを食べさせてくれたら、かしら」
いたずらっぽく笑う瑠美。今のクールキャラ的にからかったつもりなのだろうが、本気にしたという体で進めてみる。
「はい、あーん」
「え? ちょっと」
「塩の方がよかったか?」
「そういうわけじゃないけど、その」
「誘ったのは瑠美さんの方だろ?」
微笑んで差し出すと、瑠美は少し顔を赤くして、俺から目を逸らしながら受け入れた。
「美味しいか?」
そう問うと、赤い顔を見られたくないのか、うつむいて頷く瑠美。
「可愛いなあ」
俺も、瑠美に聞こえるくらいの声量でそう言う。
顔を逸らしたままの瑠美は、お返しとばかりに俺の脇腹を小突いたのだった。




