28日目 8月9日(月)
「ん、おはよう。瑠美?」
朝。日が昇ってすぐに目が覚めると、片腕が動かない。瑠美が寝ている間に俺の腕を抱え込んでいたせいで、すっかり痺れてしまったらしい。
「んぅ」
「意外と寝相悪いな、お前」
「はっ?」
パチッと目を開けた瑠美は、自分の体勢を認識し、ゴロゴロと転がって遠ざかった。
「何してんのよ変態」
「俺は悪くねえ。寧ろ腕の痺れの分労わってほしいくらいだ」
「何よ。それじゃ私が寝ぼけてお兄ちゃんの布団に入りこんだみたいじゃない」
「そう言ってるつもりだぞ」
今もなお寝ぼけているようで、俺の呼び名がお兄ちゃんになっている。
「眠いなら寝てろよ」
「なんでお兄ちゃん、そんな早起きなのよ?」
「何か知らんが、早起きかつ二度寝できない体質になってな」
「不憫ねぇ」
「ただ、今日起きたのはお前が俺の腕を痺れさせたからだからな」
「そーりーそーりー」
朝日の薄明りしか光源が無い中、目をこすって再び脱力する瑠美。俺はどうしようかと伸びをしながら考えていると、瑠美がまた口を開く。
「お兄ちゃん、腕枕ぁ」
「ん、まあいいけど」
寝ぼけているせいか、また夢だとでも思っているのか、甘えモードである。こうして素直に甘えてくれると可愛いのだが、少し戸惑ってしまう。
肯定した手前、コロコロとまた転がってきた瑠美に腕を差し出した。すると、瑠美は勢い余って俺の身体にぶつかる。
「痛い」
「悪かったな、柔らかい体じゃなくて」
苦笑しながら、俺の腕の中で眠りにつく瑠美を眺める。改めて近くで見ると可愛い顔だ。目をつぶって黙っていれば俺にも害はないのに。むしろこの寝顔を見ていられるのは得でしかない。
これで起きたときはきっと難癖つけられるのだろうが、それもまあ憎めないところである。
それからたまに瑠美の髪をなでたりしながら、時間が過ぎるのをただ待っていると、再び瑠美の目が覚める。その頃には俺の腕はびりびりに痺れていた。
そして目を開けた瑠美は、自分の体勢を認識すると、じっと俺と目を合わせた後、ゴロゴロと自分の布団に戻る。
「何してんのよ変態」
「俺は悪くねえ。ってかこのくだりさっきもやっただろ」
「何よ。それじゃ私が寝ぼけて馬鹿にいの布団に入り込んだみたいじゃない」
「だからそうだって言ってるんだよ。絶対覚えてるじゃねえか」
今度は夢でなかったということを俺から突き付けられて、照れ隠しのつもりなのかもしれない。
「それより、起きて朝ご飯作るわよ」
「この時間だと、ばあちゃんが作ってそうだな」
「どうしてもっと早く起こさないのよ」
「起こしたら起こしたでキレるだろ」
「当たり前じゃない」
「その理不尽を許容するなよ」
とりあえず着替える。どうせ一泊しかしないだろうと思って一着しか着替えを持ってきていないので、また洗っておく必要がある。
「ちょっと。女子高生の前で服を脱ぐ変態がいるんだけど」
「妹はノーカンだろ。というか嫌なら見るなよ」
「勝手に脱ぎだすんだもの」
「それは勘弁してくれ。瑠美の着替えは見ないようにするから」
「当たり前よばーか」
なんだかんだで俺の着替えを見ていた瑠美だったが、着替えた後は早々に俺を追い出した。好きなんだか嫌いなんだかわからない反応である。
「おはようばあちゃん、朝ご飯できてる?」
「おはようかーくん。できとるよ。瑠美ちゃま起こしてき」
「もう起きてるよ。すぐ来ると思う」
瑠美ちゃまという呼び方は独特で、瑠美が聞いたら怒りそうなものだが、母さんだけでなくばあちゃんのことも溺愛している上にもう呼ばれ慣れているので、特に反応はしない。おそらく俺が言ったら殴られるのだろうが。
「で、ばあちゃん、この人は?」
見知らぬ人がしれっと食卓に座っていることに対して驚きの声を上げなかった俺はかなり自制心があると思うのだ。田舎ならそういうこともあるのかな、という謎の精神である。
「中川です。電話した、翔君だったわよね?」
「ああ。はい。そうです。この度はどうもありがとうございました。お手間をかけさせてしまったみたいで」
「いいのよ。困ったときはお互い様だし、うちもおばあさんにはよくしていただいてるから」
電話口では丁寧な対応だったが、面と向かってみると人当たりの良いおばさんである。
「お礼になるかはわかりませんが、何かお手伝いできることがあれば何でも言ってください」
「こうして朝ご飯もご一緒させていただくことになったんだもの。気にしないで。でも、そうねぇ。もしかしたら何か頼むかもしれないわ」
そう言ったところで、着替えた瑠美が欠伸を噛み殺しながら入ってきた。テーブルに置かれた四人分の朝食に目を向けた後、その視線は中川さんに移る。
久々に人見知りを発揮した瑠美は、すすすっと俺の後ろに隠れた。
「こら瑠美。失礼だろ」
「ごめんなさい」
「いいのよ。知らない人がいたら怖いわよねぇ」
「この人が、電話をくれた中川さんだ」
「中川です。どうぞよろしくね。えぇっと、翔君の彼女さんとか?」
「あぁいえ、妹です」
「妹?」
中川さんは、俺の顔と瑠美の顔を交互に見比べる。
「よく見たら顔立ちは似ているけれど、あんまり似ていないわね」
「よく言われます」
あまりに身長差があるので、初見で兄妹とはなかなか思われない。ただ、彼氏彼女というにも瑠美の身長が低く、恋人云々には幼すぎるように見えるので、迷った末にもしかして兄妹、という流れになる。
「あの。おばあちゃんを助けてくれて、ありがとうございます」
「ま。兄妹そろって律儀な子たちねぇ。私もこういう孫が欲しいわ」
「ほっほっほ。そうじゃろ? うちの孫は可愛くての」
味噌汁を持ってきたばあちゃんの祖母馬鹿トークと共に、家族三人と他の家の人一人という謎のメンツで朝食が進んだ。
「おばあちゃん、明日からは朝ご飯も私たちが作るから」
「そうかい?」
「瑠美が起きれたらだけどな」
「ちゃんと起きるわよ」
「偉いですね。自分から率先してお手伝いなんて。うちの息子にも真似してほしいくらい」
「中川さんとこの子は何歳じゃったかの?」
「今もう二十八です。仕事仕事で、全然浮いた話もなくって」
俺も瑠美も置いてけぼりで世間話が弾むご両人。邪魔をしないように俺たちは皿洗いをしておくことにした。
「瑠美、今日はどうする?」
「どうするって?」
「ずっと家事してるわけでもないだろ。やることあるのかって」
「私は別に。馬鹿にいは勉強しなさいよ」
「それがな。勉強道具を一切持ってきていない」
「それでも受験生?」
「しょうがないだろ。瑠美が急かすんだから」
「私のせいじゃないわよ」
とはいえ、今すぐ帰るというわけにもいかない。どうやらばあちゃんが倒れた理由は熱中症で、今やピンピンしているが、それでもまた一人にしておくのは心配である。昨日見た通り、また畑仕事に行きかねない。
「少なくともばあちゃんの収穫が終わるまではいたいし、つまりこれから俺はとても暇だ」
「とても受験生のセリフとは思えないわね。何なら、私だけ残ってもいいのよ?」
「それじゃ瑠美が寂しがるだろ」
「そんなことないわよ。おばあちゃんだっているし」
「でも、ばあちゃん以外何もないぞ」
田舎の娯楽の無さをなめてはいけない。本当にテレビしかないのだ。あとはスマホゲームの類もできるにはできるが、回線関係がとても悪環境なので、ロードがすさまじく長くなる。そこまでのストレスを抱えてまでゲームをする気にはならない。
「むぅ。それは確かに」
「悪いことは言わないから、俺も置いておけよ」
「そんなおもちゃみたいな」
「実際そうなるだろ」
その場合は俺も楽しむことになるが。
「はぁ、まあいいわ。帰ってからちゃんと勉強するのよ」
「母さんより母さんみたいなセリフだな」
「否定はできないわね」
諦めたようで、瑠美は肩をすくめて最後のお皿を拭いて食器棚に戻した。そこでばあちゃんが台所に入ってくる。
「かーくん、瑠美ちゃま、ちょっと」
「どうした?」
「中川さんが頼み事があるんじゃて」
「わかったわ。できるかどうかはわからないけど」
何せ恩人である。頼み事があるのならば可能な限り叶えて差し上げたい。
「中川さん、連れてきたで、あとは説明よろしくの」
「はい。お気をつけて」
ばあちゃんはまた畑仕事に出てしまった。昨日保冷剤やらタオルやら帽子やら、いろいろと世話を焼いたので、昨日のようなことにはならないだろうと思う。
とはいえ心配ではあるので、こまめに確認には行こうと思うが。
「それで、僕たちは何をしたらいいんです?」
「それなんだけどね。村コンに出てくれない?」
「村コンですか?」
「そう。村の合コン。ただ、場所が村っていうだけで、来る人は都会の人なんだけどね」
「その合コンっていうのは、合唱コンクールの略ではなく?」
「違うわよ。普通の合コン。農業体験も兼ねてるけどね」
聞く限り、中川さんはその村コンの主催をしている立場にあるらしい。ただ、想定していたより参加人数が少ないらしい。どうも新興事業なようで、口コミなんかもまだないという。
「それで、参加してほしいってことですか?」
「そうなのよ。本気で誰か良い人を見つけてもいいけど、数合わせのつもりでいいから」
合コンだとか、そういった浮ついたものはあまり得意ではない。俺としては経験がなくて得意ではないわけだが、瑠美なんかはそれこそ雰囲気を嫌いそうである。無論、経験がないので憶測だが。
「わかりました。参加してみます」
「瑠美? いいのか?」
「どうせ暇だもの。構わないわよ」
「本当? 助かるわぁ」
瑠美が行くというのだから俺も行くのはセットである。とりあえず承諾したものの、とにかく詳細を聞かないことには実際に受けられるかどうかはわからない。
「ただ案内に従って農家のお手伝いしてくれたらいいだけだから。それじゃあ、明日の朝に迎えにくるわね」
「え、ちょっと」
「色々と手続することがあるのよ。それじゃあ、本当にありがとうね」
言質はとったとばかりに軽トラに乗って帰っていく中川さん。
「これ、やばいかもな」
「大丈夫よ。なんとかなるわ」
「はぁ。ま、なるようになるか」
どうせ数合わせだ。高校生が参加していいのかという気持ちはあるが、見た目年齢中学生のままの瑠美でさえ誘われたのだから気にするだけ無駄だ。
「じゃあ今日はどうする? たまにばあちゃんの様子を見るのは義務として」
「私は演劇部の練習するから」
「え、台本とか持ってきたのか?」
「スマホに台本が入ってるのよ」
「へぇ。便利な世の中だな」
「まあね」
手慣れた様子でスマホを操作する瑠美。では俺はどうするか。
「よし。じゃあ俺も付き合おう」
「いらない」
「俺がやらないなら、瑠美が一人で練習してるのを凝視していることになるぞ」
「えぇ。どっかいきなさいよ」
「行き場なんてないだろ」
今にも舌打ちをしそうな顔で、瑠美はスマホをいじる。それと同時に、俺のスマホに通知が入る。瑠美から台本の一部が送られてきた。
「じゃあ馬鹿にいは、遺憾ながら王子様役ね」
「一言余計なんだよ。それより、瑠美はヒロインだったな」
「そうよ。それじゃあ、やるからには本気でやるのよ」
瑠美の前で羞恥心なんて発動しない。瑠美の方が明らかに恥ずかしがっているし、これまで何度でも恥をかいてきたのだから。
気恥ずかしそうにもじもじしながら、瑠美は椅子に腰かけた。それと同時に、演技は始まる。俺は部屋に入りなおした。
「王子様? どうしてこんなところに」
「あなたに会いに来たのです」
上手に驚いた表情を作る瑠美に対して、至極真面目な顔を向ける。
「私はあなたに一目惚れをしてしまいました。どうか、ここから抜け出して、私の妃になってください」
言われたとおり、本気の本気で言う俺に向かって、瑠美は恥ずかしそうに顔を背ける。
「いけません。私には役目がありますから」
「そんなことは関係ありません。あなたの全てを私にくださいませんか」
「だ、だめ」
「おい瑠美、セリフ違うぞ」
「う、うるさいわね。馬鹿にいの演技が無駄に上手だから戸惑っただけよ」
顔が赤い。それは戸惑っているのではなく照れているのではないかと思うのだが、言わぬが華というものである。
「もっと棒読みにしなさい」
「それじゃ臨場感がないだろ」
「いいから! もっと雑でいいのよ!」
意外と直球に弱いのかもしれない。使わないであろう知識を蓄え、俺は瑠美との演劇練習に付き合った。




