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27日目 8月8日(日)

「おはよう、瑠美」

「おは、よう」


 朝。少し遅めに起きてきた瑠美に、朝食を作っていた俺は何事もなかったかのように挨拶をする。


「お兄ちゃん?」

「何だ? 改まって」

「昨日、私と一緒に寝た?」

「はぁ? そんなことしたら怒るのは瑠美だろ」

「一緒には、寝てないの?」

「そりゃな。この歳にもなって一緒に寝る兄妹はいないだろ」


 口元が引き攣らないように必死である。


「じゃあ、私の部屋には入った?」

「入った。やっぱり起きてたのか」

「じゃあこれも?」

「ああ、気づいたか。驚かしてやろうと思ってこっそり置きに行ったんだが、まさか起きるとは思わなかった」

「そう」


 難しい顔をする瑠美。どうにか押し切れそうである。夢で見た指輪とプレゼントの指輪が同じというのは不自然かもしれないが。


「なんで指輪にしたの?」

「え? あー、前に部屋に入ったとき、持ってなさそうだったから」

「どこまで念入りに見たのよ変態」

「そんなに漁ったりはしてない」

「どの口が言うのよ。引き出し開けてたくせに」

「う。とにかく、瑠美ってあんまりアクセサリーとかつけるタイプじゃないし、どうかなと思って」

「それで指輪を選ぶセンスはわからないけど、それはどうもありがとう」


 言葉の割に釈然としない様子で会釈をする瑠美。


「じゃあ、本当に一緒には寝てない?」

「ああ。夢でも見てたんじゃないか? もしかして、俺と寝たくて?」

「そんなわけ、ないでしょ」

「お、図星か?」

「違うわよ!」


 ムキになって叫ぶ瑠美。こうしてからかって笑ってやれば、さすがに夢だったと思ってくれるだろう。


「そんな変な夢を見るくらい疲れてるんだろ。今日はちゃんと休めよ」

「わかってるわよ」


 とにかく、これで仕切り直しは完了である。


 あとはどうやってもう一度話をするかだが、あまり出しゃばったことを言って夢落ちにしたことがバレても都合が悪い。あくまで慎重に、なるべく傷つけないように、まずは寿命関連のことからカミングアウトしていくしかない。


 その計画にもまた頭を悩ませることになるわけだが、そこで家の電話が鳴る。


「また母さんか?」

「電話番号は違うわね。お母さん、あれ以来連絡もくれないし」

「それって珍しいのか?」

「別に。たまに連絡をくれるって言っても、週に一回とかだし」

「そういうものか」

「それより早く出なさいよ」

「やっぱり瑠美は出ないんだな」


 母さんだろうがそうでなかろうが、俺に出させるのは変わらないらしい。


「もしもし」

『もしもし。一ノ瀬さんのお宅ですか?』

「はい。そうですけど」

『こちら中川というものなんですが、一ノ瀬翔さんで大丈夫ですか?』

「そうです。どういったご用件でしょうか」

『そちらのおばあさんが畑仕事中に倒れまして、できればお見舞いに来ていただけると助かるんですけれども』

「え? それ、本当ですか?」


 田舎に暮らしているばあちゃんは、一人暮らしではあるものの、すこぶる元気なはずだ。とはいえ、年齢が年齢であるため、嘘と断言できそうにもない。


「えっと、中川さん。失礼ですが、うちの祖母とはどういったご関係で?」

『近所、といっても車で十分はかかりますけど、そこに住んでいる者です。今朝駅まで息子を送っていったところ、畑で倒れているおばあさんを見つけまして』

「そうですか。わかりました。ありがとうございます」


 聞いた感じ、詐欺というわけでもなさそうだ。要求もお見舞いに来てくれというだけのようだし、俺を騙してどうこうしようという気があるわけでもなさそうである。


 倒れたばあちゃんの世話を中川さんに任せっきりにしておくわけにもいかない。可能なら今日これからすぐにでも行った方がよさそうである。


「おばあちゃんがどうしたの?」

「ああ、倒れたって」

「はぁ?! 一大事じゃない! さっさと行くわよ!」

「え、おい、朝ご飯は」

「そんなもの道すがら食べればいいじゃない。おばあちゃんの一大事にもたもたなんてしていられないわ!」


 パジャマ姿だった瑠美は大急ぎで部屋に戻り、ドタバタと準備をしているようだった。そこまで言われると、俺も不安になる。ばあちゃんの容体が軽くても、距離的に日帰りは無理そうなので、泊まる準備もして、朝食のパンを口につっこみながら瑠美と家を出る。


「奏ちゃんにも一応連絡入れておいて。電車は私が調べるから」

「わかった」


 俺と瑠美が帰省したことを奏にメッセージで告げ、早足で駅へ。そこから長い間電車に乗る必要がある。電車は時刻通りにしか来ないが、瑠美はずっとソワソワしていた。


「トイレか?」

「違うわよ! ちょっと、不安なだけ」

「だからって、ここで不安がってても仕方ないだろ。落ち着けよ」

「そう、ね」

「どっかり構えてりゃいいんだ。あのばあちゃんが俺より先に死ぬはずないだろ」

「それは無理があるわよ」


 これがあながち冗談でもないのである。事情を知るものからすればとんでもないブラックジョークなのだが、瑠美はただのジョークと受け取ったようで、小さく微笑んだ。


「ま、仕方ないわよね。おばあちゃんだって年齢には勝てないわよ」

「どうだろうな。案外ピンピンしてたりして」

「それなら杞憂ってことで、寧ろいいんだけどね」


 元気づけてはみるものの、瑠美はどうにか覚悟を決めようとしているようだった。


 俺は楽観が過ぎるのかもしれない。というより、割り切り過ぎている面があるのかもしれない。なぜなら、仮に死ぬとしても、俺も一緒だからである。どうせ遠からず別れを迎えるのだ。瑠美ほど悲壮感に打ちひしがれたりはしない。


 ばあちゃんがただ倒れたというだけでこれなのだ。もし俺が、本当に死ぬんだと知ったら、瑠美はどういう反応をするのだろうか。あまり考えたくない事柄である。


「そうだ瑠美。演劇部の方には連絡したか?」

「ああ、そうね。どう頑張っても明日は無理でしょうし」

「いっそお盆の終わりまで休みにしろよ。色々ごたごたするかもしれないし。瑠美がいないと回らない部活じゃないだろ?」

「そう、かもね。わかった。そうする」


 瑠美は演劇部のグループでその旨のメッセージを送った。これで、ばあちゃんに万が一があったときでも、最低限の弔いはできるだろう。


「じゃあ瑠美。あとは寝てろ。乗り換えのときと、着いたときは起こしてやるから」

「そう簡単に寝られないわよ。心配だし」

「今からそんなに動揺してたらもたないぞ。部活で疲れてるんだし、ゆっくり休め。目を閉じてるだけでもいいから」

「ん、わかったわ。そうする」


 姿勢よく座ったまま、瑠美は目を閉じた。それでは寝られないだろうと思いつつも、休憩にはなるかと放っておく。


「わ」

「おっと」


 時々揺れで俺の方に倒れてくるが、その度小さく声を上げて姿勢をもとに戻すので、眠ることはできていないようだ。


「瑠美。俺にもたれかかっていいんだぞ」

「嫌よ。汗臭いし」

「まじ? 気づいてないだけ? 俺って臭う?」

「冗談よ。そんなには臭わない。柔軟剤の方が強いくらい」

「よかった」


 汗の臭いを消すタイプの柔軟剤でも消えない臭いというレッテルはさすがに傷つく。


「そうピシッとしてたんじゃあ寝れないだろ。いいから体重預けろって」

「おに、馬鹿にいに体重かけるくらいなら窓枠に頭乗っけるわよ」

「それじゃ首痛めるだろ」

「馬鹿にいの身体でも一緒よ」


 強情なやつである。無理は言わないけれども、出来るだけ身体を休めてほしい。


 そんな俺の意思は届かず、ついには最後の乗り換えである。一時間に一本か二本の一両編成。人っ子一人乗っていない。


「わかった。俺に体重を預けろとは言わない。ただ、どうせ誰もいないんだし、少し横になったらどうだ」

「それは、迷惑でしょ」

「迷惑がるような人もいないし、大丈夫だろ」


 どうせ一両である。この会話も車掌さんには聞こえているだろうが、何も言ってこないということは黙認されているということである。


「着いたら起こすから。ちょっとだけでも休んだ方がいい」

「む。わかったわよ。じゃあ、枕になりなさい」

「え? まあいいけど」


 瑠美の頭が俺の太ももに乗る。


「高くないか?」

「ちょうどいい。ちょっと固いけど」

「それは我慢してくれ」


 硬質な鞄よりはましだと思いたい。まさか俺の膝枕バージンが妹に奪われるとは思っていなかったが、死ぬまでに消費できたならそれが一番である。


 空調の利いた、規則的かつ穏やかに揺れる電車内で、ふかふかのシートに寝転がる瑠美。聞こえてくるのは、窓の外で大きくなったり小さくなったりするセミの声、それと電車が線路を進む音。そして、横たわった瑠美の身体には時折日差しが落ち、エアコンで冷えすぎないようにもなっている。


 そんな至れり尽くせりな環境には、泣きじゃくった赤ん坊でもすぐに寝入ってしまうことだろう。まして、普段の部活で疲れているような少女はなおさらである。


 電車とセミの音のほかに、瑠美の寝息が追加される。


 俺まで眠ってしまわないように気を付けながら、窓の外を眺めていた。だんだん傾いていく太陽に照らされ、青々と輝く田畑。案山子と同じ頻度でぽつぽつと立っている電信柱。どうにも懐かしさを抱く光景である。


 ぼんやりと、ばあちゃんのことさえも忘れながら車窓を眺めていると、車内アナウンスがまもなくの到着を告げる。


「瑠美。起きろ。着くぞ」

「ん、んん」


 足を揺らして、瑠美の頭を軽くサッカーボールのように跳ねさせて起こす。やっておいてなんだが、舌を噛まなくてよかった。


「おはよう。着くから、切符用意」

「はぁい」


 生憎とICカードのようなハイテク機器は存在しない。何せ駅員さんが一つ一つ確認するのだから。無人でないだけましである。


「休めたか?」

「まあね。お節介ありがと」

「どういたしまして。そこはお気遣いって言ってくれないか」


 伸びをしながら、茜色の道を歩く。駅前だからといって、売店があるわけでもない。何に惹かれることもなく、俺と瑠美はばあちゃんの家を目指す。それほど遠いわけでもなく、十数分も歩けば到着した。


「ばあちゃーん。ただいまー」

「おばあちゃーん!」


 鍵のかかっていない玄関で叫ぶ。すると、ばあちゃんが居間からひょっこりと顔を出した。


「おお、よく来たの。こっちへおあがり」

「あれ? ばあちゃん、倒れたんじゃ」


 倒れたにしてはいやに元気である。これではいつもと何も変わらない。


「倒れた? まあ倒れたと言えば倒れたかの。畑でちょっとフラッとしただけじゃ」

「もしかして、熱中症じゃない?」

「そうかもしれんの。最近は朝でも暑いから、不用意に出たら死ぬかもわからんね。ほほほ」

「笑いごとじゃないだろ」


 心配していたようなことではなく、ほっとしたというか、気をもんでいただけに肩透かしを食らった気分である。


「はぁぁぁ。心配して損したわ」

「だから言ったろ。ばあちゃんが俺より先に死ぬなんてありえないって」

「いやだからそれはおかしいわよ」

「ほっほ。せっかく来てもらったで、晩御飯はお任せしようかの。ちょうど今朝収穫したトマトがあっての」

「わかったから、おばあちゃんは部屋で休んでて。冷蔵庫の中、勝手に使うわよ」


 肩をすくめて、瑠美と俺は台所に立った。


「何がある?」

「鶏肉と、トマトと、キュウリとかナスもあるわね。他にも野菜はいっぱいあるし、調味料は一通りあるわ」

「チーズとかは?」

「ある。洋食にする?」

「んー、でもあっさりしてた方がいいよな」

「そうね。じゃあ野菜であんかけでも作りましょうか。レシピこれね」

「おっけい。分担は臨機応変に」

「はいはい。日が暮れる前に始めるわよ」


 最近では、料理当番という形の分担が増えたが、昔は一緒に作ることも多かった。適当に分担と言っても差し支えることはない。


「おばあちゃーん、できたわよ」

「はいはい。今行くでの」


 居間にいるにしては随分遠くから声が聞こえる。見てみると、そこは既にエアコンが止まっていた。


「ふぅ。やっと今日の収穫が終わった」

「ばあちゃん?! 安静にしてろよ!」

「何を言っとるの。今日中に収穫せねば枯れてしまうで」

「言ってくれればやったのに」

「せっかく育てたものの収穫だけさせるわけにはいかんでの。ほほほ」


 その信念は構わないが、心配させるのは勘弁してほしい。確認に来たのが俺だったからよかったものを、瑠美ならもっと怒鳴っていただろう。


「早いとこ手を洗って、瑠美に見つからないようにな。口うるさいから」

「ほほほ。そうするかの」


 どうにか瑠美の怒りに触れることなく、ばあちゃんは今日を穏やかに過ごした。安静にと瑠美からしつこく言われて普段より早めに床に就いたくらいだろうか。


「もう。ほんと心配して損したわ」

「まあまあ。なんともなくてよかっただろ」

「そりゃそうだけど、人騒がせなのよ」

「はは。電気消すぞ」


 同じ和室に、二つ布団を並べて横たわった。瑠美は文句を垂れているが、心底安心したようで、すぐに全身脱力している。


「ねえ馬鹿にい、そういえば昨日、部長が変なこと言ってたんだけど」

「ん? 何だ?」

「馬鹿にいが柔道部だったって話をしたら、部長の友達も柔道部だったみたいで、でもそんな先輩の話は聞いたことがないって」


 それはちょっとまずい。せっかくここまで隠し通してきたというのに。しかし、これもカミングアウトする機会か。


「サボってたからかな」

「そうかもな。一回も行ってないし」

「え?」


 俺の返答が予想とずれていて、瑠美が首だけこっちを向く。


「実は俺、一回も部活行ったことないんだ。その代わり、高一、高二とバイトしてたんだよ。その頃だけちょっとお小遣い増えてただろ?」

「確かに、そうだけど。え? でもうちの学校ってバイト禁止じゃないの?」

「家庭の事情で押し通せるんだよ。実は」

「なんで今まで秘密にしてたのよ。それを知ってれば、演劇部に入ることもなかったのに」

「それが嫌だからだよ。俺は別にやりたいこともなかったからいいけど、瑠美は演劇やりたいんだろ。俺のバイトがプレッシャーになるのは嫌だから」

「はぁ。お節介ね」


 肩をすくめるような動作をして、瑠美は俺に背を向けるように願える。


「瑠美にはやりたいことをやらせてやりたいだけだ」

「馬鹿にいだってやりたいことあったでしょ」

「それがないからバイトしてたんだ。遊びに行くような友達もいなかったし」

「悲しいわね」


 わかっているので、わざわざ口に出さないでほしい。


「それじゃあ、部活に入ってたのは嘘ってこと?」

「いや。一応カモフラージュで入ってはいた。行ったことはないけど」

「一回くらい行きなさいよ。それでやりたくなるかもしれないじゃない」

「行きづらかったんだよ。何かと」


 奏の盗撮犯に色々と融通を利かせてもらったのだ。荷物を蹴ったところを拡散された手前、同じコミュニティには属しにくいのである。


「瑠美はもう演劇部に入ってるって知ってるし、夢も聞いたから、打ち明けてもいいかと思って言ったんだが、それでやめたりしないよな?」

「まあ、そうね。わざわざ馬鹿にいの嫌がるようなことはしないわよ」


 普段はこき使うくせに。嫌がっているわけではないので、矛盾はないか。


「そうか。なんか、話してすっきりしたよ」

「勝手にすっきりするんじゃないわよ」

「んな横暴な」

「はぁ。話はそれだけね? おやすみ」

「ああ。おやすみ」


 今日は何かと疲れていたので、すっきりした俺はすぐに眠りについた。

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