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26日目 8月7日(土)

「むすっ」

「何も言葉にしなくても」

「あっかんべーっ」

「十年ぶりに聞いたぞその言葉」


 瑠美の機嫌は相変わらず悪かった。このところ瑠美の機嫌を損ねてばかりな気がするが、それもまた親交である。


「今日は部活は?」

「行くけど、馬鹿にいは来ないで。お菓子もいらないから」


 目を合わせることなく、瑠美は食器を流しに置いて自室へ戻った。いよいよお菓子でご機嫌を取ることもできなくなってしまったか。


 はてさて、どうしたものか。何か瑠美を喜ばせる方法が思いつくとよいのだが、そううまくもいかない。


 瑠美が好きなものといえば可愛いものとお菓子である。この可愛いものというのが厄介で、俺のセンスで選んだものを好きだということもあれば、舐めてんのかと喧嘩腰になったりもする。それは瑠美の機嫌にもよるが、俺には違いがわからない。


「なあ瑠美、どうしたら機嫌直してくれる?」

「は? 別に機嫌悪くないけど」

「死語を引っ張り出してまで不機嫌さをアピールしてただろうが」

「馬鹿にいが反省して、もう二度としないって言うなら許してあげないこともないかな」

「そもそもあんな状況二度と来るか?」

「口答えしない。あーあ、そんなこと言ったらもう許さないかも」

「ごめんって。どうしたら許してくれる?」

「そうね。やっぱり貢物かな。食べ物以外で」

「どういうのがいいとか、あるか?」

「いってきます」

「おい」


 黙秘するとばかりに瑠美は家を出て行った。


「はぁ。いってらっしゃい」


 閉じた扉に言うと、俺は再びため息をついた。ノーヒントで瑠美が気に入るものを用意しろというのはどう考えても難しい。


「とりあえず奏にでも聞いてみるか」


 困ったときのカナデもんである。過ごした時間はともかく、食事以外に買い物に行った時間なら俺より奏の方が多いはずだ。


『痴話喧嘩に私を巻き込まないでください』

「どっかで聞いた返事だな」


 ここで仕方ないなぁとならないのが奏である。とはいえ、粘れば何かしら教えてくれるだろう。


『翔君が選んだものなら何でも喜んでくれるよ』

「そんなありきたりな返答は求めてないんだよ。そう言ってふんどしが送られてきたらお前だってキレるだろ」

『ドン引きするだけで嫌がりはしないよ』

「どっちでも変わらんわ」

『じゃあ瑠美ちゃんが持ってないものとかにしたら? この前瑠美ちゃんの部屋に侵入したんだし、何かわかるでしょ』


 そう言われても、全てを見たわけじゃない。それに、記憶に残っているのなんて可愛いブラジャーと婚姻届くらいである。やたらと物持ちがいいという印象しか残らなかった。それで足りないものと言われても、何も思いつかない。


「わかんねえな」

『んー、あんまり高すぎても気を遣うだろうし、ちょっとしたアクセサリとかでいいんじゃない? それかリップクリーム、っていうのは時期じゃないか。消耗品でもいいと思うけど、そういうのは持ってるだろうし』


 化粧品なんかの消耗品を買って、普段使っているものより使いにくいとなると具合が悪い。アクセサリなら、気に入らなくてもインテリアになるし、最悪俺が使えばいい。


「わかった。何か探してみる。ありがとう」

『どういたしまして。それと、勉強で疲れるのはわかるけど、気晴らしとはいえあんまり瑠美ちゃんの邪魔しちゃだめだよ』

「邪魔はしてないつもりだ」

『瑠美ちゃんから文句が来てるわけでもないから、その言葉は信じておくけど。何にせよ、ちょっかいかけすぎると嫌われるよ』


 勉強に疲れてもいないが、そこは言わぬが華というやつである。ちょっかいをかけすぎると言うが、日がな一日暇な俺としてはこれでも足りないくらいなのだが。


「よし。じゃあ何か適当に見繕ってくるか」




 プレゼントと夕飯の食材を一緒に買ってくるという、情趣もへったくれもないことをして帰ってきた。


 今はいつも通り晩御飯を調理している。


「ただいま」

「おかえりー」


 奏からついでとばかりにメッセージで教えられたアドバイスとして、プレゼントはできるだけ焦らした方がいいとのこと。


 サプライズであれば気にする必要はないが、既にバレている、というより向こうから吹っかけられたとなると、タイミングにも気を使う必要があるのだ。


 幸いにも瑠美は、奏ほど露骨に催促をしたりなんていうこともないので、ハードルが無駄に上がる心配もそれほどないだろう。


 それよりも、忘れられてしまったかと不安にさせることで、貰ったときの喜びを増大させることができるという。末恐ろしい策略であった。


「お風呂上がったわよ」

「ああ。報告どうも」


 だから、俺の部屋がノックされ、瑠美が姿を現したときでさえも、素知らぬふりで俺は自分の風呂支度をする。瑠美がジッとこちらを見ていることに気がつきつつも、さも当然のようにお風呂に入った。


 さて、作戦は風呂から上がってからである。あのビミョーそうな表情を見るに、焦らしの結果としては上々だろう。


 風呂から上がってリビングを通ると、瑠美は自室に戻らずソファに座ってスマホをいじっており、チラチラと俺に視線を向けてくる。


「エアコン消してから部屋戻れよ」


 しかし、タイミングは今ではない。限界まで溜めておくのだ。ここまですれば、瑠美も諦めて、俺が忘れてしまったと思い込むだろう。あるいは、プレゼントの用意なんて付き合っていられないと思ったかのように振る舞うことが出来ただろう。


 俺が自室に戻ってから程なくして、控えめな足音が俺の部屋の前を通り過ぎる。瑠美が部屋に戻った音だ。


 時計を確認してみると、恐らく瑠美が眠る時間にはまだ少し猶予がある。


 ここで意を決して、瑠美の部屋の扉をノックした。


「何?」


 若干食い気味に扉を開けた瑠美。希望と不安が入り交じったような眼差しを俺に向けている。


 その瑠美の前で、俺は片膝をついた。


「ちょっと?」

「瑠美、左手出して」

「こう?」


 差し出された左手の薬指に、今日買ってきた、婚約指輪には程遠い価値の指輪を嵌める。


「昔、結婚するって約束したの、思い出してな」


 俺は、あの婚姻届を見たぞという意味を言外に含めて、半笑いで言った。結局揶揄うことになるわけだが、そういうものしか思いつきはしないのだ。


 一応、シンプルなものにしているので、瑠美の趣味である可愛い系とは少し違うかもしれないが、普段使いできるようにもなっている。


「瑠美?」


 悪ふざけ半分、ご機嫌取り半分の気持ちで、わざわざ恭しく嵌めてやったのだが、それが癪に障ったか、瑠美は、驚いた顔をした後、俯いてしまった。


「嫌だったか?」


 ふざけ過ぎたかと思い、嵌め込んだ指輪を外そうとすると、瑠美が俺の手を止めた。


「違うのよ。嬉しくて」

「そっか。それならよかった」

「ずっと、忘れられてるって、思ってたから」

「忘れるわけないだろ。今朝の話だぞ」

「違くて。結婚しようねって、約束したの」


 瑠美は俯いていた顔を上げ、笑顔で俺を見た。その頬には、涙が伝っている。


「よかった。私だけ、本気だったのかなって、思って。ずっと、不安で。本当に、よかった」


 だんだん雲行きが怪しくなってきたぞ。


「お兄ちゃんも、私のこと好きでいてくれたのよね。ごめんなさい、今まで辛く当たっちゃって」

「え、あ、いや。気にしないでくれ」

「これからは、ちゃんと素直になるから」


 そんな馬鹿な。これまでの瑠美の態度は演技だったのか。それとも、何か怒らせるようなことがずっと続いていたが、今この瞬間で解消されたのか。


 いずれにせよ、冗談だとは言えない空気である。


「えーっと、高いものじゃないけど、仲直りの印ってことで」

「うんっ。お兄ちゃん、ありがとう」


 膝をついたままの俺を抱きしめる瑠美。ちょうど俺の頭が瑠美のお腹に当たる。


 これは、どうしたらいい。ドッキリ大成功、とかやったら今度こそ殺される。このことはいっそ墓場まで持っていくか。


「お兄ちゃん、今日は一緒に寝るわよね?」

「えっ? それは、ちょっと」

「えー。だって夫婦よ?」

「夫婦はちょっと、飛躍しすぎじゃないかなー、なんて」

「そうね。じゃあ恋人にしましょう。法的にも私は結婚できないわけだし」

「それもなー。だって兄妹だし」


 そう言って瑠美の様子を窺うと、あからさまにムスッとして俺を睨む。


「そういうのは気にしないでいいって、お母さんも言ってたじゃない」

「いつ?」

「婚姻届書いたときに」


 余計なことを。これで瑠美が母さんを信頼しているからさらにたちが悪い。そういえば、あの婚姻届にも母さんが捺印していたっけか。


「もしかして覚えてない? なら証拠がここにあるわよ」


 見つけた途端真っ赤になって恥ずかしがるだろうと思っていた紙切れ。それを瑠美は堂々と俺の前に差し出した。


「思い出した?」

「あ、あー。そういえば、こんなのあったな」


 証拠品まで出揃った。これをどう切り抜けろと言うのか。


「じゃあお兄ちゃんの部屋で一緒に寝ましょ」

「いや。ちょっと待て。恋人だからって一緒に寝るのは違うんじゃないか。そういうことはちゃんと将来を約束した人と」

「だから今約束したんじゃない。あの頃はまだ子供だったから」

「いやでも兄妹だし」

「くどい。それに、兄妹だからこそ一緒に寝ても大丈夫だと思わない? 昔は同じベッドで寝てたんだから」

「いやぁ、それは」

「じゃあ命令。今日はお兄ちゃんの部屋で一緒に寝る。奴隷なら、言うこと聞くわよね?」


 こういうときに権力を振りかざす。悪い大人になってしまったものだ。


「ほらほら。早く」


 俺の手を引く瑠美。もうなるようにしかならない。不埒なことをするわけでもなし、たまには妹に甘えさせてやるのも兄の務めだと思うことにしよう。


「お兄ちゃん、先に寝転んで」

「はいはい」


 あまりにも子供っぽい瑠美の姿に苦笑しながら、俺は自分のベッドに仰向けになる。すると瑠美は同じく仰向けに寝転んだ。俺の上で。


「お兄ちゃん、手を回して」

「こうか?」


 瑠美の手に誘導されるがまま、ジェットコースターの安全バーのように瑠美の身体を包み込む。


「暑くないか?」

「平気よ。そんなことより、もっと強くして」

「仰せのままに」


 きつく瑠美の身体を抱きしめると、瑠美は嬉しそうに微笑む。大変幸せそうなところ申し訳ないが、この状況をどうにかして打破しなければならない。


「瑠美、指輪外さないのか?」

「つけたままがいい」

「いやでも、それじゃ寝るとき危ないだろ。それで殴られたくないぞ」

「そうならないように押さえつけてて」

「それじゃ寝にくいだろ。俺も瑠美も。悪いことは言わないから」

「む。仕方ないわね」


 一度俺の腕の中から抜け出した瑠美は、指輪を俺の机の上に置いて、ついでに部屋の灯りも消して再び戻ってきた。


「それじゃ、おやすみ、お兄ちゃん」

「ああ。おやすみ」

「おやすみのチューは?」

「この体勢でどうしろと」

「頑張って」

「無茶言うな」


 どうにか首を曲げて、俺の胸元にあった瑠美のつむじへキスをする。それで満足してくれたようで、穏やかな呼吸をし始めた。唇に、なんて言われなくて助かった。


 はてさて、どうしたものか。このまま瑠美を掛布団替わりにして眠ってしまうようなことはできない。なんとか何もなかったように仕向けなければ。


 しかし、本当に無に帰すべきだろうか。こんなにも瑠美が幸せそうにしているのだから、瑠美が望む俺であり続ければよいのではないか。だが、それではあまりに不誠実である。それに、俺の寿命はと言えば、あと三週間と少し。それで俺が死んだときのショックは、俺と仲違いしていたほうが小さいのではないか。


 いやいや、それでは思いを告げなかったことで逆に気を落とすかもしれない。瑠美が俺を好いていてくれるということがわかった今、より行動は慎重にならなければならない。


 となれば、まずはゴールの設定である。どの結果が最善かというと、瑠美が思いを告げた上で、俺がどうにか本当の返事をする。俺の気持ちがどちらに傾くにせよ、そのときには俺の寿命の話もしなくてはならない。


 この際、何親等かで婚姻を結んではならないというのは無視だ。近親相姦まではさすがにいかないだろうし、同棲というなら今更過ぎる話だ。これは俺たちの気持ちの問題である。


 さて、ゴールに向かうには、このなし崩し的に俺が受け入れてしまったのをなかったことにしたほうがいい。そのうえで再度話し合いを設けなければならないが、それは後の俺が考える。


 手っ取り早いのは、夢落ちにすることである。指輪を外させることには成功したので、あとは眠った瑠美を運び込めばそれで解決する。瑠美を抱えることは容易いが、問題は瑠美が起きないかということである。


 バレたら一貫の終わり。もうその場で腹を割って話すしかない。いっそその方がいいのかもしれないが、もう少し落ち着いて話せる時間にした方がいいだろう。


 そのリスクを承知の上で、瑠美の寝息が一定のペースを刻み始めたことを確認すると作戦を開始した。まずは瑠美を俺の上から下ろし、瑠美の部屋のエアコンをつける。帰ってきていまだ眠っていることを確認すると、今度こそ瑠美を搬送する。意外と起きないもので、何事もなく瑠美を運びこむことに成功した。


 そこで、指輪を忘れていたことに気づく。


 部屋に戻って、指輪の所在を確認。むき出しのままではまずいので、もう一度袋に入れた。そしてそれを改めて瑠美の部屋に持っていく。


「お兄ちゃん?」


 すると、瑠美が目を開けていた。起き上がってはいないが、確実に俺の姿を認識された。しかし、それはもう問題にならない。


 瑠美に小さく笑いかけて、瑠美の机に指輪を置いて静かに立ち去る。これにて作戦完了だ。


 あとは、俺が明日うまく演技をするだけである。

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