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24日目 8月5日(木)

「馬鹿にい、電話」

「どう考えてもそっちの方が近いだろ」

「奴隷が口答えしない。私が出ろと言えば出るのよ。変なセールスと契約するかもしれないわよ」

「めんどくさいだけのくせに」


 だいたい、変なセールスの可能性を認知している時点で引っかからないのは目に見えている。瑠美だってそこそこまともな審美眼は持っているはずだ。


 俺は夕飯を作っていた手を止め、俺が生まれる前からあるであろう固定電話に出る。番号を見るに携帯からだが、知り合いならメッセージなりメールなりを使ってくるだろうし、十中八九不要な案件である。もはやわざわざ出る必要を感じない。


「何してるの。さっさと出なさい」

「はいはい」


 しかし、瑠美は出ろと言ってきかない。いっそ固定電話を廃止にしてやりたいが、とにもかくにも、目の前の一本には出なければなるまい。


「もしもし、一ノ瀬です」


 ぶっきらぼうに定型文をなぞる。


『もしもし。私私』


 向こうも名乗るかと思いきや詐欺っぽい語り口で返ってきた。


「どちら様でしょうか」

『翔? 酷いなあ、お母さんの声を忘れてるなんて』


 ますます怪しい。俺の名前は一応知っているみたいだが、ひと昔前に聞いたオレオレ詐欺に手口が酷似している。


「失礼ですが、お名前は?」

『翔、お母さんでも傷つくときはあるんだぜ?』

「そうですか。で、お名前は?」

美里(みさと)一ノ瀬! 年齢不詳! 住所不定!』


 名前が正しいこと以外とても怪しい。年齢不詳はどうせ自称で、実際は四十前半のはずだが、そういうところのある母親だから本物かわからない。住所不定については本当のことなのだから。


「ご用件は?」

『そっけな! 超絶久しぶりのお母さん登場よ?!』

「電話してるだけで登場とか烏滸がましいです」

『はぁ。翔、難しい言葉使うようになったね。前見たときはやたら長いカタカナ語ばっか喋ってたけど』

「昔の話はいいだろ。というか、本当に母さんなのか?」


 確かに、前会ったときはいわゆる厨二病的な時期だったが、それが証拠になるのかもわからない。


 肝心の声も、どこで話しているのか雑音が大きくてわかったものではない。第一、そう何年も聞いていない声を一発で当てる自信はない。


『もちのろんよ。最初っからそう言ってるじゃない』

「語り口が全部詐欺っぽいんだよ。紛らわしい」

『いやあ、ごめんごめん』

「それで。急に電話してきて何の用だよ」

『実はさ、お金を振り込んで欲しくて』


 ガチャッと受話器を置いた。普通に詐欺だった。


「馬鹿にい、何だって?」

「新手の詐欺」


 リビングのソファでゴロゴロしつつ俺の方を見る瑠美に答えた。すると、瑠美は途端に訝し気な顔をする。


「は? さっきの番号ってお母さんのだったでしょ」

「番号見てたのかよ! てか母さんだってわかったならお前が出ろよ! 普通に詐欺かと思ったわ!」

「てっきりわかるものかと思ってたわ」

「逆になんで瑠美は母さんの電話番号なんて暗記してるんだ」


 ここだけの話、瑠美はマザコンの気質があるので、長らくかかってこない番号であっても覚えている可能性がある。


「だって、たまにかかってくるし」

「は? いつだよ」

「変な時間に。携帯にかかってくる。一言二言だけどね。馬鹿にいには来ないの?」

「来ねえよ! なんだその差別!」


 そりゃ息子より娘の方が可愛いだろうよ。それも溺愛してくれる娘なら尚更だ。


 しかしそのせいで、いつだったか母親は音信不通みたいな話をしたのが嘘になったじゃないか。


「やっぱりね。そりゃ、毛嫌いされてるのにかけないわよね」

「む」

「差別っていうより、人として普通だと思うわよ」

「親としてはどうなんだよ」

「さあ。だから今日は家に電話したんじゃない?」


 俺に電話したいなら、俺の携帯にかければいいものを。それなら連絡帳にも登録してあるし、詐欺だと思うこともなかった。


「かけなおしてあげたら? 今頃傷ついて泣いてるかもよ」

「そんなタマかよ」

「それは私も同意だけど。構ってくれないって文句言うなら自分からかけなさいって話」


 それを言われたらぐうの音も出ない。


「早くしなさい。じゃないと、またお母さん忙しくなるわよ」


 瑠美の見ている前で、かけなおすことになった。


「もしもし。母さん? 俺だけど」

『オレオレ詐欺?』

「仕返しか。悪かったよ。詐欺かと思って。それで、本当はどういう用なんだ?」

『うーん、用っていうかね。もう着いちゃった』

「は?」


 それと同時に、インターホンが鳴った。まさかと思って家を出てみると、家の前に母さんが、いなかった。


「あれ?」

「はーい。あれ、翔君とこのお母さん?」

「あ、奏ちゃん。久しぶりねぇ。元気だった?」

「いやまあ、元気ですけど、こんな時間にどうしたんですか?」

「いやあ。私んち、ここじゃなかったっけ?」

「こっちだ馬鹿! 自分の家忘れんな!」


 やけにインターホンの音が小さいと思えば、奏の家の方を鳴らしていたのだ。


「あははは。こりゃ一本取られたね」

「取ってねえよ!」

「相変わらずですね。頑張れ翔君」

「奏、悪かったな。うちの馬鹿親が」

「ううん。気にしないで。お土産期待してますね」


 母さんに向けてそう言って、奏は家に戻った。気にしないでいいと言いつつ、きっちりねだるのか。


「逞しくなったわねぇ、奏ちゃんも」

「あんまり付け込まれるなよ」

「はいはーい。それで翔、元気だった?」

「まあな。母さんがもう少しまともだったら、今頃もっと元気だったろうよ」

「冷たいわねぇ」


 嫌がった様子も全くなく、へらへら笑っている母さんを家に入れる。


「たっだいまー! 瑠美ちゅあん!」

「あ、お母さん。やっぱり帰ってくるんだ。おかえりー」

「いやー、瑠美ちゃんは今日もちっこくて可愛いねぇ」

「ちっこくない!」

「んー? じゃあどれくらい成長したのか、あとでお風呂でじっくり確認させてもらおうかぐへへ」

「二人も入れるほど風呂は広くない」

「なになに? 翔一人じゃ寂しいのかなぁ?」

「言ってねえよ」


 俺ははっきり言って、母さんが苦手だ。ひたすらに相手をするのが面倒だし、軽薄すぎて気に食わない。


「はぁ。来るなら来るでもっと早く連絡くれよ。晩飯が足りなくなる」

「そんなこともあろうかと! 事前にコロッケを買ってきておいたのです!」

「じゃあ母さんはコロッケで。俺と瑠美はキーマカレー作ったから」

「馬鹿にい。意地悪しちゃだめよ」

「そうだそうだー。差別反対!」


 それでいて、瑠美がやたらと母さんの肩を持つのだ。完全アウェーで、ますます俺の立場がなくなる。


「はぁ。じゃあいいよ。俺コロッケ食べるから。二人で仲良くカレー食べな」

「もう、拗ねない。みんなでわけ合いましょ? お母さんも、それでいいよね」

「勿論。瑠美はいい子に育ったわねぇ」

「えへへ」


 普段は真面目なくせに、不真面目の権化みたいな母さんにやたらと瑠美がなついているのは何故なのだろう。


「母さん、今回はいつまでいるんだ?」

「うーん、明日の朝にはまた出ていくかな」

「お母さん、今までの話してよ。どこ行ってたのかとか」


 母さんのペンネームである「(はじめ)センチ」といえば、著名な小説家である。名前の由来は、一ノ瀬の一が始、美里を別の読み方をしてミリ、そこから派生してセンチとなったらしいが、そんなことはどうでもいい。


 彼女が普段何をしているかと言えば、旅である。ただ放浪しているというわけではなく、どこか旅行先でもないとストーリーが浮かばないのだとか。


 それで息子も娘も放っておいて出歩いているのだから、とんだ不心得者だと俺は思っている。しかし、食い扶持を稼ぐためには仕方ないのだと、私の書くものを求めている人がいるのだと言ってきかない。


 たしかに、それによって驚異的なペースで新作を書き上げては一定以上の評価を得るのだから、文句を言うのは筋違いというか、公共の福祉として考えても、俺の我儘だということはわかっている。だが、もう少し家族の時間を作ることはできなかったのかと思わないではいられない。


「ねえ、馬鹿にい、聞いてる?」

「え、あ、俺に言ってたのか?」

「絶対聞いてなかったでしょ。もう。せっかくお母さんが帰ってきたんだから、話くらい聞いたらいいのに」

「悪い悪い。何の話だっけ?」

「お母さんの新作の話」

「ああ、やっぱりそれで帰ってきたのか」


 母さんは自信の一冊ができたときには帰ってくる。中途半端というか、信念がこもらなかったという一冊では帰ってこない。このところ帰ってこなかったのはそれが理由だ。


「というわけで、じゃーん。これを瑠美に進呈します」

「やったぁ! ありがとうお母さん」


 発売したばかりで、どこの店頭にも山積みされているであろう一冊が瑠美の手に渡る。


「翔にもあるけど、いる?」

「いらん。母親の書いた小説とか恥ずかしすぎて読めん」

「馬鹿にい、いつもそう言うじゃない。一回くらい読んでみたら?」

「女性向けだろ? 嫌だよ」

「別に性別関係ないわよ。ねえお母さん」

「そーね。そのつもりで書いてるけど、ぶっちゃけ読者層は主婦なんだよねぇ」

「ほらみろ」

「私が主婦って? 喧嘩する?」


 言いつつ、瑠美は机の下で俺の足を蹴った。俺はその足を軽く踏みつけて動きを止めさせる。既に開戦していた。


「仲良しねー。ほほえまー」

「別に仲良くはないわよ。隷属させてるだけ」

「親の前で堂々と言うことじゃないぞ」

「まあいいんじゃない? お母さんもひたすら担当さんをこき使ってるし」

「宿の予約とか全部任せてるんだろ? 休ませてやれよ」

「今日は休みって言ってあるわよ」


 悪びれもせず言う。この母さんからどうやって瑠美が生まれたのか本当に気になる。


「それじゃ、私はお母さんとお風呂入るから、片付けよろしくね」

「よろしゅうね」

「瑠美も、俺にだけは厚かましいよな」

「奴隷に遠慮する必要ないじゃない」


 はてさていったいいつまで隷属し続ければよいのだろうか。瑠美の機嫌次第なのだろうが、死後もこき使われるのは困る。


 そういえば、俺が死ぬことについて母さんに告げておいた方がいいだろうか。どうせ次に帰ってくるのはいつになるのかわからないのだ。こういうことは面と向かって言っておきたい。


「母さん、後で話があるから」

「ん、はーい」


 俺の話題など気にもしない様子で、瑠美が待つバスルームにスキップしていく母さん。年を考えて行動することをぜひ身につけてほしい。




「翔、それで、話って?」


 風呂の後。母さんを俺の部屋に呼んだ。瑠美は自分の部屋に戻っている。本当はもっと話していたかったようだが、こればかりは譲れない。恨みがましげに睨まれたが、瑠美は引き下がってくれた。


「なあ母さん、俺、八月の終わりに死ぬんだ」

「こぉら翔。ママの気を惹きたいのなら、もっとマシな嘘をつきなさい」


 今まで見たことのないような、真面目な顔で母さんは俺の目を見る。台詞はいつまでもふざけたままだが、こんな顔もできるのだと思った。


「冗談でこんなこと言わない。来たんだよ。俺の前に、死神が」

「死神?」

「そう」

「髪の色は?」

「白だったかな」

「そっか。そっかぁ」


 死神という単語を出してから、母さんは天井を見上げた。


「うちの家系は呪われてるのかねぇ」

「母さん?」

「パパもね、そう言ってたわ」

「え?」

「死神が、あと100日で死ぬって予言したんだって」


 俺と瑠美の父親。瑠美が中学に上がる少し前に、職場の事故で亡くなったのだ。


 寡黙な人で、厳しくはなかったが、ひたすらに真面目だった。今の瑠美が受け継いでいるのは明らかに父さんの血だ。家では親馬鹿、外では仕事熱心。そういう話を聞いていた。


「なんで、父さんに」

「さあ。過労かな。働きすぎだったもん。明らかに」

「じゃあどうして止めなかったんだよ。死ぬかもってことくらいわかるだろ!」

「止めて止まるような人じゃなかったのよ。お金が必要だったっていうのもあって。年の近い兄妹だったから、何かと物入りでね」

「それでも止めろよ! 家族、だろ」


 言い訳をする母さんに、俺は声を荒げた。しかし、瑠美に聞こえるかもしれないと気づいて口をつぐんだ。


「そうね。泣いて、すがりついてでも止めればよかったのかもしれない。でもねぇ、本当にそれで運命が変わったなら、パパも生きてたのかもね」

「どういうことだよ」

「翔。もし希望があると思うなら、瑠美とおばあちゃん家に行きなさい」

「はぁ? なんで」

「うーん、人生の先輩からのアドバイスかな」

「意味わかんねえよ」


 また声が大きくなりだした俺を、母さんは突然抱きしめた。


「翔。最期には、また会いに来るわ。それまで、瑠美と元気でね」

「おい。またどっか行くのかよ」

「そうなるかな」

「息子が死ぬってわかってて、それでも小説の方が、読者の方が優先かよ」


 俺は、悔しかった。俺は母さんにとって、その程度の優先度なのかと。


 別に、死ぬことがアピールであるつもりはない。死ぬなんてことは、冷静になればただ迷惑なだけだ。自分で金を稼ぐこともなかった若者が、周りの人間にばかり支出を強いる。金勘定だけで見ればそれはただただ迷惑な行為だ。


 それでも、最後ならばと、もっと俺を見て欲しいと思った。こんな感情は俺の我儘で、生産性のないことだというのはわかっている。だが、一度くらい、俺を優先してくれてもいいじゃないか。


「ごめんね。ママ、やることがあるから」


 しかし、母さんの答えは無慈悲なものだった。


「そうかよ。なら、どこにでも行っちまえ」


 俺は母さんを振りほどき、部屋から追い出した。

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