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5日目 7月17日(土)

「残り46日で、あなたは」

「おはよう」


 もうすっかり目覚まし代わりとなった死神の声を遮って、挨拶をぶつけてやる。俺の人生、最初で最後かもしれないデートの朝に余命宣告なんて受けていられない。


「悪いが、今日は準備がいるんだ。お前に構っている暇はない」

「承知した」


 死神としての要件も済んだからなのか、あっさりと姿を消した。そういえば、昨日も一昨日も意識していなかったが、こいつ、ちゃっかり俺の生活を覗いているのだったか。今日の俺の用事を知って遠慮しているのかもしれない。感情のなさそうなこいつに限って、そんなことはないと思うが。


 死神に意識を向けるのもほどほどに、俺はクローゼットと対峙する。人生初デートに着ていくような、一張羅のようなものがないのが悔やまれる。しかし、ないものねだりをしても仕方がない。今あるものをどうにか組み合わせて、少しでもお洒落に着飾っておくのだ。


 つい最近瑠美から指摘された通り、俺はいわゆる出不精で、友達と遊びに出かけたり、休みの日に集まったりということをほとんど経験したことがない。そういった経験の不足は、周りの男子たちの私服にお目にかかる機会が少ないということに帰結する。つまり、センスの形成が不十分なのだ。しかし、幸いにも今はネット社会。コーディネートのコツや、今の流行りなんかの情報は簡単に手に入る。そういうわけで、今日の朝は情報を仕入れることに専念していた。


 情報収集なんかで貴重な時間を使ってしまって良かったのかという気持ちもないわけではないが、今日という一日をより良いものにするために必要な準備だったのだと割り切ることにする。過ぎ去った日を顧みたところで仕方がない。


「よし」


 そうして行動を客観的に振り返りつつ、なんとか考え付いた服装に着替え終わった。流行りなんかも調べたと言ったが、しかし、今このクローゼットにある服がそんな流行に乗っているわけがない。いつぞやに買った、組み合わせも何も考えていない服ばかり。


 そんな中で、どうにか生み出したコーディネート。黒のジーンズに、白のシャツ。その上から黒のジャケットという、モノクロの服装である。正直暑いが、そこは気合いで耐えることとして。自己評価としては、スマートな感じにまとまったと思っている。結局自分の感覚に頼った部分も多くなってしまったが、出がけに会った瑠美の反応を見るに、そう悪くはないだろう。




 待ち合わせ場所。アウトレットモールの広場にて、集合時間として連絡されたより三十分前に到着した。場所が場所なので、道に迷ったりすることも考慮して早く家を出たのだが、幸か不幸か、一切迷うことなくたどり着いてしまった。美川が来るまでどうやって暇を潰そうかということに思考を巡らせようとしたところで、このお洒落さんの多いこの広場において一際目を引く人を見つけた。


 不機嫌そうという程ではないにせよ、仏頂面でスマホをいじっている少女。そんな表情でいてさえ、他とは一線を画す美貌。見間違うはずもない。本日のデート相手、美川渚である。少しでも彼女に視線を向けた人間は、彼女持ちであれ、あるいは性別の区別なく、美川を二度見する。


 理想的な顔立ちもさることながら、そのスタイルも一級品。出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいる。その誰もが羨むスタイルを引き立てるコーディネートもまた、魅力的である。


 美川の服装は、カーキ色のワイドパンツに、無地の白いシャツ。それもパンツに合わせてオーバーサイズ。淡い色合いで、一見して地味、というか目立たないような装いなのだが、彼女が着るとなると、シャツを押し上げる膨らみが白いシャツに影を生み出して、異様に目を引く。それにベージュのバッグを合わせて、本人は目立たない格好のつもりかもしれないが、十分男どもを魅了できる。


 それを証明するかのように、数人組の男が彼女に近づいていく。ここで俺が行かなくとも、いつも通りの毒舌で追い払ってしまうのだろうが、今日ばかりは彼女は俺の連れである。要らぬ事件は未然に防いだほうが良いのは確実だ。


 美川はスマホに夢中で俺にも男たちにも気づいていない。ここは先手を取って、さっさとこの場を離脱してしまおう。


「おまたせ。行こうか」

「え? ああ、はいはい」


 ようやく気付いたみたいで、スマホをカバンにしまう。俺は一刻も早くこの場を立ち去りたかったので、あくまでそういう理由で、彼女の手を取って歩き出した。二人きりで出かけると言っているのだから、これくらいのことは美川だって覚悟しているだろう。予想外のタイミングではあったろうが。


 しばらく歩いたところで、彼女の手を離した。これ以上はあまりに手汗をかいてしまいそうで、それは彼女に不快感を与えかねない。そもそも、こう強引なのは望んでいないだろう。


「悪かったな、急に」

「ええ。全くよ」


 つないでいた手をぷらぷらと振って、気持ち悪いとでも思っていそうな表情を作り出す美川。しかし、言葉の内容や表情ほど、声音に嫌悪感はなかったように思うのは、都合の良い解釈だろうか。


「あんまり怒ったりしないんだな」

「全部が全部下心ってわけでもなさそうだったし、変な人たちが近づいていたのは気づいてたから。絡まれるのは嫌だもの。一応、ありがとう」


 一部は下心だと認識されているのか。それは意外でもなんでもなかったが、男たちに気づいていたとは思わなかった。意外と視野が広い。それに、素直に礼を述べてくれるとも思わなかった。てっきり憤慨、あるいは罵倒されるものと思っていた。


「まあ、いきなり手を握ってきたのは気持ち悪かったけれど」

「あ、そう」


 期待、というか予想を裏切らない。そのくらいの方が、美川らしいとは思うが。


「それで、俺を呼び出した要件は?」

「あら。女が男を呼ぶ要件なんて限られているんじゃないかしら」


 そのセリフに、一瞬本当に期待しかけたのだが、その表情を見ると、からかうような笑みを浮かべているので、俺は今日の趣旨をある程度理解した。俺が望んでいたような甘いデートでは断じてないということだ。


「荷物持ちとか?」


 しかし、そんなことは予想していたし、それでもいいと思っていた。彼女にデートという意識があろうとなかろうと、この絶世の美少女とのデートを俺が楽しめばそれでいい。実際、この少女を横から眺めているだけでも眼福であるのだが、それさえも許されないらしい。


「いいえ。まあ、結局荷物は持ってもらうでしょうけど、全部あなたの荷物よ」

「というと?」

「これから買うのは全部あなたの服だもの。あなたの好みもあるでしょうから、常に自分に似合うかどうか考えながらついてきなさい」


 うむ、よくわからない。どうして美川は俺を呼び出して、わざわざ俺の服を選ぶことにしたのか。その理由は全くわからないが、それを考える暇もないくらいの速さで美川は人混みをずんずん進んでいく。




 そのまま俺は思考を放棄し、彼女に言われるがままに試着をし、意見を言わされ、昼を過ぎる頃には精根尽き果てていた。俺よりよっぽど頭を使っていたはずの美川はパンフレットを開いて、次に行く店を考えている。これがお洒落が絡んだ女子の力というものか。


「一度昼食にしないか」

「あら、もうそんな時間なのね。そうしましょうか」


 俺が声をかけたことでようやく気付いたという風に、美川は必死でおいていかれまいとする俺を振り返って、賛成したかと思うと、再びパンフレットに目を落とす。今度はランチを提供している店を探しているのだろう。だが、それには及ばない。


「この辺りにハンバーガー屋さんがあったと思うんだが、そこにしないか」

「へぇ、いいわよ。事前に調べておいたのかしら。あなたにしては上出来ね」


 お前は一体俺の何を知っているのかと言いたくなるような口ぶりだが、女子と二人で出かけることに慣れていないなんて、とっくに見透かされているのだろう。それくらい、午前中の俺はソワソワしていた自覚がある。淀みなく出した俺の言葉から事前調査の有無を言い当てるのだから、その程度の洞察力は当然あるのだろう。


 今日は土曜日ということもあって、人はそこそこ多い。それは待ち時間が発生することを意味するのだが、今の俺にはその時間は好都合だった。


「なぁ、今日は一体何が目的なんだ」


 ずっとそれが気にかかっていた。最初は俺さえ楽しければ彼女の目的などどうでもよかった。しかし、俺を着せ替え人形にしながら、俺のための服を真剣に選ぶ美川の姿を見ているうちに、何が彼女をそうさせるのかが気になって仕方がなくなった。


 俺に気があるのかと思って、試しに手を握ってみようとすると、自然な動きで避けられ、ゴミを見るような視線を頂戴することになったし、友達になりたいのかと思っていつもよりフランクに話しかけてみるも、冷ややかな視線を頂戴することになった。俺と彼女の間に流れる空気は険悪とまでいかないものの、他人と言ってもいいくらい事務的なもので、決して距離を詰めることを許さない。


 加えて、今日はまだ、俺はおろか美川さえ何も購入していない。このひたすらな試着と思考の末に一体何を望むのか。


「最初から言っているじゃない。あなたの服を買いに来たのよ」

「その理由がわからないんだ」

「あら。お友達の服を選んであげるのに理由が必要?」

「授業中憎まれ口のサンドバッグにしておいて友達ねぇ」

「気心知れたって感じでいいじゃない」

「あれはただの暴言だぞ」

「そうなの?」


 美川はきょとんとした顔で尋ねてくる。もしや、本気であれを友達とのやり取りだと思っていたのか。いやいやまさか、そんなことはあるまい。きっとこれも演技だ。


「とにかく、一緒に遊びもしないただのクラスメイトを捕まえて着せ替え人形にしてどうするつもりだ」

「今日一緒に遊んでいるじゃない。これなら友達でしょう」

「む。わかった。俺は友達ということでいい。だが、わざわざ俺の服だけを選ぶのなんて変じゃないのか。女物の店には近づきもしない。頼みもしないのにこんなことを計画するのは友達の度を越していると思うんだが」

「確かに、そうかもしれないわ。あなたのためと思ってのことだけれど、半ば善意の押し売りだと自覚してる。でも私があなたの服を選んであげている理由は、本当にあなたのためよ。それ以上でも、それ以下でもない。強いて言うなら、私の自己満足かしら。飼い犬に服を着せて楽しむみたいな感じよ」

「俺はペット扱いか」


 どうにも釈然としないが、これ以上話す気はないようで、美川はまたパンフレットを見る。だがすぐに、俺の目を見て言う。


「そうやって人の行動に合理的な理由を求めようとするところ、直したほうがいいわよ」


 その忠告一つ残すだけで、それ以上彼女が口を開くことはなかった。


 そのままハンバーガーを食べ終えるまで沈黙が続いた。そう聞くと長いように思えるが、そこはファストフード。実際は十分ほど。美川はそもそも食べている間に喋るという習慣がないようで、黙々と食べていた。美川が一切ニコリともしないので、俺も何も喋れなかった。


 しかし、食べ終わって改めて美川の綺麗なご尊顔を拝見したとき、そのまま黙っていられない要件ができた。


「美川。ここ、ソースついてるぞ」

「そう?」


 俺は自分の右頬を指してそう言った。彼女は右頬を拭った。


「いや、逆」

「えぇ」


 美川は鏡を見る要領で彼女の左頬を拭ってくれるものと普通に考えていた。しかしこういったやり取りには慣れていないようで、俺の指摘に憮然とした態度で逆側を拭う。


「もうちょっと右」


 今度は彼女に合わせて、彼女から見て右のことを右と称したのだが、彼女はそれを逆に受け取ってしまった。


「悪い、逆だ」

「もう。面倒ね。あなたが取って」

「え」

「ん」


 動揺の声を漏らす俺を無視して、美川は顔を突き出してきた。彼女にその気が全くないのはわかっているが、まるでキスをねだる恋人のよう、と思ってみたくなるほど、やはり彼女の顔は精緻に整っている。彼女の肌は、近くで見てもきめ細やかでシミ一つない。その柔肌に、ティッシュ越しであれ、恋人同士のようなシチュエーションで触れられるのは幸運と言える。


「早くしなさい、それでも私の奴隷なの」

「奴隷になった覚えはない。ペットより悪くなってるじゃないか」


 抗議の言葉を絞り出しつつも、ドキドキしながら恐る恐る手を伸ばす。綺麗な頬についたソースを優しく拭ってやるのだが、少し力を入れただけでぷにぷにとした頬はすぐに形を変える。しかも驚くほど触り心地がいい。


 美川は目を瞑ってされるがままになっている。不意打ちにキスくらいならできてしまいそうだ。これが45日後だったら俺は間違いなくその選択を選んでいただろう。


「もう取れた?」

「あ、ああ」


 名残惜しさを感じながらも、美川の頬から手を放す。少しばかり触りすぎた自覚はあるので、きっと睨まれるのだろうと予想していたのだが、その推測は外れ、美川はあろうことか、今まで見たことのない表情、笑顔を浮かべていた。


「ありがと」


 いつもの不愛想を思うと、感情を失う前に戻ったかのような、幼い少女が父親に向けるような笑顔である。普段刃物のように鋭い雰囲気を纏っているのと物凄いギャップを感じ、特別可愛く見えた。


 誰もが見とれてしまうような笑顔を浮かべていた美川自身も、それに気づいたか、ハッとした様子で仏頂面に戻った。その頬はソースとは違う色に染まっている。


「そろそろ行きましょうか。午後には買うものを買っていくわよ」


 よほど照れ臭かったのか、俺の返事も聞かずにスタスタと歩いて行く。俺だけが知る意外な一面。これもデートの醍醐味というものなのかもしれない。




 午前中はあくまで品定めだったということなのだろう。宣言通り、午後からは時間がたつにつれて俺の荷物が増え、それに反比例するように財布の中身は軽くなっていった。これまでお小遣いという意味でお金に困ってこなかったのは、あまり遊びに出かけなかったというのも確かにあるのだろうが、さほど衣服に興味を示さなかったおかげなのだなと実感した。今まで通りなら使うのに一か月以上かかるだろう額が飛んでいく。


 美川は俺の財布事情を気にした様子もなく、これを買いなさい、あれを買いなさいとポンポン俺に押し付けてくる。洋服を買うなどこれで人生最後だからと、これまで貯めてきたお小遣いの半分ほどを持ってきたが、あっという間になくなりそうだ。


 そんな俺の心配さえ気に掛けることなく、美川は俺にお洒落講義をしてくれる。この着合わせがいいだとか、この柄は細く見えるだとか、今の季節はこの色が合っているだとか。あまりに美川が真剣に話すので、右から左へ聞き流すこともためらわれて、ちゃっかり頭に入れていたりする。


「このお店はこのくらいかしら。私はこの辺りを見ているから、会計行ってらっしゃい」

「ああ」


 気になるものがあったのだろう。さっきまでは一緒に並んでまでお洒落講義を続けてくれていたが、美川は一人でレディースの方に向かってしまった。ただそれだけなのだが、一人になった途端に空虚に感じてしまう。俺は一体何をしているのだろう、と。こんな場所に服飾のことについ昨日まで無頓着だった俺がいていいのだろうか。今着ている服はダサくないだろうか。だんだん周りの目が気になってくる。周りの見知らぬ人間が俺を見ているなんて、とんだ自意識過剰だ。


 と、思っていたのだが、確かに人の視線は俺に集まっていた。試しに視線を返してみると、彼らはさっと目を逸らす。そこで理解した。この男たちは美川と一緒にいた俺に対して興味、あるいは嫉妬の視線を送っているのである。どちらにせよ居心地は悪い。


 できるだけ周りと顔を合わせないようにしつつ、会計を済ませて足早に美川の元へ向かった。


 しかしどうやら、きまり悪い思いをしていたのは俺だけではなかったらしい。美川も美川で、珍しく困り顔を浮かべていた。


「お客さん絶対これ似合うと思うんですよ。ぜひ試着してみてください。あとこれ、最近入ったやつで」

「あ、あ、えと」


 世に言う、グイグイ来るタイプの店員さんだ。彼女と相対した美川にいつもの凛とした気配は全くなく、いっそかわいそうなくらい、小動物のようにタジタジしていた。先ほど俺に教鞭を執っていた様とは物凄いギャップである。もう少し観察していたい気持ちもあったが、俺を見つけた美川がこちらを睨んで助けを求めるので、今日の初めよろしく、強奪していくことにした。


「こんなとこにいたのかほら行くぞ」

「え、あ」


 棒読みでありがちなセリフを吐いて、美川の手を握って戦線離脱する。店員さんには悪いが、どうか世の中にはそういう接客が苦手な客もいるのだと知ってほしい。


「これでいいか」

「ええ、どうも。また手を握ってきたのは気持ち悪かったけど、助かったわ」

「一言多いんだよ。俺に助けられるのが嫌なら自分でなんとかしろよ」

「無理よ」

「なんでだよ。俺相手みたいに毒吐けば勝手に逃げていくだろ」

「そんな可哀想なことできないわ」

「俺は可哀想じゃないのかよ」

「ええ。全く」

「少しは言い淀めよ」

「だって、彼女たちは善意で接客してくれているのに、冷たく接するのは可哀想でしょう。下心が透けて見えるあなたと違って」


 そんな明け透けな態度はとっていないはずなのだが。ただ彼女は高圧的に振舞えない相手にはうまくコミュニケーションが取れないというだけか。そういえば、先生とも話しているところを見たことがない。実生活ならこのモードの美川の方が多いのだろうか。学校のように、ただの毒舌を、カリスマだとかいいように解釈してくれる場所はそうないだろう。


「そんなことより、これで全部網羅したわね。ちゃんと言ったように合わせるのよ」

「はいはい」


 何度も何度も話をし続ける姿がだんだんお節介な母のように思えてきた。ただ教室で彼女の前に座っているだけでは決して気づけなかった一面だろう。惜しむらくは、彼女とこれ以上親睦を深められるほどの機会がもう残されていないことだ。


「それから、このリストにあるものを買いなさい。あと美容室で髪を切ること」

「わかったわかった。それよりまだ買わせるのか」

「服だけがお洒落じゃないの。スキンケアだって大切だし、髪型で印象は変わるものよ」

「この化粧品? どこで売ってるんだ」

「通販でもしたらいいじゃない」

「げ。これ妹に見られるのか」

「どうせ見られるわよ。恥ずかしかろうが諦めなさい」

「まあそうだな。しかし、男物の化粧品のことなんてよく知ってたな」

「人づてに、ちょっとね」


 言いづらいのか、そう言って濁した。クラスでさえ誰とも喋らず、他の人の前では縮こまっている美川にそんな伝手があるとは思えないが。


「そろそろお開きにしましょうか」

「え、美川は何か見ていかなくてもいいのか? これだけ世話になったから、よければ付き合うけど。店員の相手は俺がするから」


 俺からの提案が意外だったか、少し俺の目を見つめた美川だったが、すぐに残念そうに眉をひそめて、顔を逸らした。


「結構よ。門限があるから、早く帰らないと。あなたみたいな人と日が暮れるまで出かけていたなんて知られたくもないもの」

「そうかよ」


 やっぱり言葉はとげとげしかったが、一瞬見せたしょんぼりした表情は、時間さえ許せば俺の誘いに乗ってくれたということだろう。それは彼女にメリットがあるからに違いないのだろうが、それでも少しうれしかった。


「それじゃあね」

「ああ。じゃあな」


 美川は車が迎えに来るということで、俺とはモールの入り口で別れた。


 帰りの電車の中。俺は今日見た美川の表情を一つ一つ思いだしては、窓に向かって微笑んでいた。

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