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22日目 8月3日(火)

「あと30日切ったのか」


 カレンダーを眺めながら、そんなことを呟く。


 不思議と焦りはない。しかし、焦りがないということにこそ焦りを抱く自分がいる。自らの生の空虚さをありありと意識してしまうからである。


 今の一番の欲求と言えば、瑠美と仲を深めることに尽きる。やはり最後を共にするのは家族だ。この間美川から彼女がどうのと言われたような気がするが、そんなことは気にしない。家族との絆を確かめ合い、よりよい最後を迎えるというのがこの夏の目標となる。


 しかし、今日も瑠美は部活。昨日の雑談会ですっかり機嫌を悪くした瑠美は、早々に家を出てしまった。詫び菓子は一応クッキーを用意してある。デリバリーは二度と頼まれないだろうが、一回あったことこそが奇跡なのだと思うことにした。


 誰もいない我が家というのはやはり寂しいものだが、瑠美がいない状況というものを好意的に捉えてみよう。家に俺一人ということは、証拠が残らない限り、瑠美には叱られないということである。


「何しようかな」


 瑠美がいるとできないことというのもあまりないのが現実である。プライベートな空間がないわけでもないし、青少年特有の欲望を処理するのにも困ったことはない。


 試しに大声で歌ってみた。それはもうカラオケにいるテンションで、出来る限りのビブラートをきかせながら。いつもなら、うるさい下手くそと言って瑠美が乱入してくるのだが、今となってはその乱入がないことこそが寂しく感じてしまう。歌うことでストレス発散になるというが、勉学に囚われることもなく、幸いにもストレスフリーな生活を送っているため、その目的も果たせそうにない。


「ん?」


 テーブルに置いていたスマホが震える。メッセージが届いていた。奏からである。


『うるさい下手くそ』


 とのこと。すっかり萎えてしまい、すまんと送信して歌うことはやめにした。というか、隣の家まで聞こえるって、俺はいったいどんな声量で歌っていたんだ。エアコンはつけているし、窓は開いていないはずなのだが。


 ともかく、次に試してみることを考える。瑠美がいるとできないこと。馬鹿な思考ではあるが、裸族生活とかだろうか。お風呂上がりに下着姿でリビングに出てくることにすら嫌な顔をする瑠美のことだ。瑠美がいれば一生このリビングで裸になる機会はない。


「いや待て。そもそも俺は裸になりたいのか? 俺はそんな変態じゃあないはずだ」


 そこそこの開放感を味わうことはできるだろうが、果たしてそれは俺のやりたいことなのか。俺がなすべきはやりたいことであり、ただできることをがむしゃらにやればいいというものではない。


 瑠美に知られて困ることでかつ、俺がやりたいこと。一つ思い当たることがあった。


 瑠美の部屋の探索である。ここ数年入れてもらっていないので、模様替えの次第も知らないし、何か新しいものがあるかもわからない。


「瑠美からの連絡は、なし。よし、決行だ」


 こんなチャンスは、まあありふれているが、そうと決まれば少しでも急いで探索を開始する。まさか昼ご飯も食べないうちに帰ってくることはないだろうが。


「お邪魔しまぁす」


 誰に見つかるというわけでもないのに、足音を殺して侵入する。俺が入ったことで警報が鳴り響くなんてことにはならず、一安心。


 内装は、瑠美のゆるふわ系な趣味とは似ても似つかないほど機能性重視。配色で言えば俺の部屋とそう変わらない。ちなみに、俺の部屋はカーペットの落ち着いた色以外は、モノクロか机の茶色しかない。


 というのも、瑠美の部屋は瑠美が生まれるまで父親の書斎的な部屋だったらしく、家具がそのまま使われているのである。俺の部屋の家具も親が選んだため、似たり寄ったりというわけなのだ。


 とはいえ、どこもかしこも同じというわけではない。瑠美が昔張ったであろう女児向けアニメのシールやら、ピンクが基調の小物が所々を彩っている。


「うわ、懐かしいこれ。よく持ってるな」


 小学生の頃、誕生日のときに買ってもらっていた、やたら大きい魔法少女の変身ステッキ。それが部屋の隅に立てかけてあった。ボタンを押しても音が鳴らないので、電池を替えたりなんかはしていないようだ。


「捨てるの下手そうだしなぁ。勝手に整理したら絶対怒られるし、それとなく言ってみるか」


 真面目な瑠美のことだ。特にプレゼントなんて、あげた本人が別に構わないと思っていても頑なに捨てたり売ったりなどすまい。


 何せ、このステッキもそうだし、昔あげた何でも言う事きく券を、俺がこっそり捨てるまで大切に持ち続けていたようなやつなのだ。無くしたと思って謝りに来たときに本当のことを打ち明けたが。


「見た目的にはあんまり変わり映えしないな」


 スノードームやら学校で作った手回しラジオやら、小物が少し増えたような気はするが、それだけ。配置を変えるようなこともなく、ぶっちゃけつまらない。


 ここで問題となるのが、引き出しを開けるか否かである。この下らない収穫だけで引き下がって良いものか。いや、折角入り込んだからには、やれるだけやってやらなければ。


 というわけで、机の中をチェック。女の子らしい文房具がメインだが、整理が面倒になったのであろうこまごまとした物品も隅に寄せられていた。使い道のないキーホルダーやら、誰に送るでもない封筒など。その中に一つ、どう見てもただの紙切れが入っていた。


「なんだこれ」


 いくら物を大切にすると言っても、プリント一つ捨てられないというわけではない。どうしてこんなところに丁寧に畳まれた書類があるのか。もしかしたら、どこかの封筒に入っていた手紙かもしれないので、さすがにプライバシー的によろしくないかとも思ったが、どうせ一か月も経てば、死人に口なし状態になるのだ。さほど気にする必要はないだろう。


 折り畳まれた紙を広げる。字の形を見るに、随分前に瑠美が書いたものだ。というのも、この書面には見覚えがある。これを見ない限りは思い出さないような記憶だが、芋づる式に思い出してきた。


 これは、お手製の婚姻届。署名しているのは俺と瑠美である。幼少期の遊びなら、どちらかというと幼馴染が名を連ねているべきだろうと思うのだが、それは当時甘えん坊だった瑠美のことである。結婚ごっこを言い出したのは瑠美だし、相手に俺を指名したのも瑠美。


 あの頃の瑠美は可愛かった。甘え上手で、俺も奏もことあるごとに世話を焼きたくなるし、親だってそうだ。俺たち兄妹の名前の横に押されたハンコは母親が貸してくれた覚えがある。


 しかし不思議なのは、どうして瑠美がこれをとっておいたかである。今の瑠美からすれば、こんな記憶は抹消したいもののはず。いくら思い出といえど、所詮は遊びの紙切れ。黒歴史を消し去る代償としては軽いものだろう。


「まあ、いいか」


 存在を忘れているのかもしれない。これをだしにして、そのうち揶揄うような機会が訪れるかもしれないし、そのままにしておこう。


 次に、クローゼットを開けてみる。別に珍しいものはない。洗濯をするときに見るものしか入っていないのだ。


 とはいえ、こう一堂に会した様を見るのは初めてである。概観してみると、思ったより瑠美らしい、可愛らしげな服がない。無論可愛くないとか、そういうわけではなく、キレイ目な印象を受ける服が多いというのである。


 こう一緒に暮らしていると、よく着る服はよくわかる。それが体型に合わせてかは知らないが、ちょっと子供っぽいのは知っている。


 しかし、まさかクローゼットの中にこういう服がたくさん入っているとは思わなかった。しかも、最近買ったというわけでもなさそうで、所々色あせたりもしている。


「なんでだ」


 俺に輪をかけて貧乏性な瑠美が、着ない服をわざわざ買うとも思えない。その疑問は強く残ったまま、俺は他の引き出しやらを開けていく。


 偶然にも、下着が詰め込まれた段を次に引いてしまった。妹のものであり、そこそこ見慣れていたとしても、女性用下着が並んでいるとドキッとしてしまう。


 まさか漁ることなんてできやしないが、これまたぼんやり眺めてみると、今度は瑠美らしい色合いのパンツが多いとわかる。ピンクとか、水色とか、黄緑とか、淡いカラーが多い。単に色落ちしているだけという可能性もあるが。


「あれ?」


 うちの瑠美は成長が遅い。特に顕著なのが身長で、多分クラス内ダントツで低い。しかし、発展途上なのは背丈だけではなく、お胸もである。


 それもあって、俺が洗濯物として取り扱うのはスポーツブラのみ。ときどきそれさえもない時があるので、一日中家でゴロゴロするようなときは着けてすらいないのだろう。


 そんな瑠美の引き出しである。どうせ下着といっても可愛げのないブラばかりなのだろうと思えば、なんと一つだけ、フリフリの可愛いやつが出てきた。長らく洗濯をしているが、これは見たことがない。多分、瑠美も使ったことがないのだろう。


 真新しいというのもあるが、あの貧相なサイズと比べて、若干大きい。成長を見越して購入したのか、これを目標に何らか努力をしているのか。恐らくパッドを入れればそれらしくはなるのだろうが、このサイズに入れなければならないというのは屈辱的だろう。


「何してんのよ」

「ぅぇっ?」


 恵まれない体を憐れんでいると、後ろから声が聞こえた。ここに来る人間といえば、一人しかいない。ぎこちなく振り返ると、そこには殺意むき出しの瑠美が立っていた。


「い、いやあ、奇遇っすね」

「奇遇も何もないわよ。私の部屋なんだから」

「どどどどうしてここに?」

「働きすぎって帰らされたのよ。というか、それはこっちのセリフなんだけど」

「えっとですね。あの、はい。洗濯が終わったので、しまっておいてあげようかなー、と」


 リスクヘッジとして考えていた言い訳。実際に洗濯物を持ってこの部屋に入ったので、嘘ではない。


「私、部屋の前に置いておいてって言ったわよね。これまでずっと従ってきたくせに、今更どういう風の吹きまわしかしら」

「いやーそれは、えーっと」

「しかもその引き出しって!」


 冷静にキレていた瑠美が、俺が開けている箇所に気づくと、途端に真っ赤になった。そして、突然笑いだす。


「あはは。はは。ほんとはね? 今日友達に謝られたのよ。昨日ははしゃぎすぎたって。早めに帰って馬鹿にいと仲直りしてほしいって。だから、今日はちょっと優しくしてあげようと思ってたけど」

「あの、瑠美さん?」

「ふふふふ。こんな馬鹿なら、優しくする必要なんてないわよね?」

「ちょっ、それはあかん! 水筒はマジで死ぬから!」

「安心して。ほとんど中身残ってるから」

「それのどこに安心する要素がある?!」

「頭と右腕だけは勘弁してあげる。受験生だもんね」

「謎の気遣い! ドメスティックなバイオレンスだぞこれ!」

「プライバシー侵害野郎に言われたくないわ」


 やばい。目が据わってる。殺しさえしなければ大丈夫だと本気で思ってる顔だ。


 どうする。自業自得なのはそうだが、これを甘んじて受け入れれば全身青あざだらけで二度と人前に出られなくなる。


「覚悟の準備はいい?」

「ストップストップ! その振りは殺す気だろうが!」


 大上段からの振り下ろしの構え。明らかに頭部を狙う気である。残り寿命一か月で死にたくはないし、瑠美にも兄殺しの業を背負ってほしくはない。


 急いで瑠美の腕を掴み、体側まで下ろさせる。途端に暴れようとするじゃじゃ馬を抱きしめるような形で拘束した。


「離しなさい。ぶっ殺すわよ」

「お前の場合離したらぶっ殺すんだろうが!」

「そんなことないわよ。ふふふふ」

「その笑い方やめろ! 悪かったから! 可愛いブラ持ってるの見てごめん!」

「コロス」


 完全に地雷を踏みぬいた。いっそう暴れる力が強くなり、自由が利かない中でも手に持った水筒を振り回す。そして、俺の太ももに打ち付けられた。


「いっ!」


 鈍痛に身体が揺らぐ。しかし、ここで瑠美を離すと俺は死ぬ。そのため、どうにか方向を調整し、瑠美のベッドに倒れこんだ。布団にしみついた瑠美の匂いがして、無事着地したことに安堵しそうになるが、依然として危険な状態であることは変わりない。


「うぅー」

「頭ぐりぐりすんのやめろ。吐く」


 だんだん落ち着いてきたのか、羞恥で耳まで赤くしながら、俺の腹の上に乗っかっている瑠美はごすごすと俺の鳩尾に頭突きを繰り出す。


「馬鹿にいの馬鹿。馬鹿オブ馬鹿。外道」

「ごめんって。なんでも言うこと聞くから」

「腹を切りなさい」

「ハラキリ?!」

「馬鹿にいの黒歴史全部友達に話すから」

「やめな? 俺が社会的に死ぬし、向こうも気まずくなるから」

「馬鹿にいのパンツ全部奏ちゃんに渡す」

「それは奏に対しての嫌がらせだろ」

「とにかく馬鹿にいには屈辱を与えないと気が済まない」


 そんな悪役みたいなことを面と向かって言われても。


「それより、まず水筒を手放してくれないか。お前を解放できない」

「嫌。馬鹿にいを社会的に始末する方法が思いつくまで無理」

「この状況が既に事案って感じだけどな」


 妹の部屋に入りこんでいた兄が、ベッドの上でその妹を拘束している。状況証拠で十分お縄になるだろう。


「じゃあ奏ちゃんに全部報告する。証拠画像付きで」


 慣れた手つきで、水筒を持たない方の手を使い、俺が瑠美を捕まえている様を自撮りする瑠美。そのまま送信したらしい。


「これで馬鹿にいは、外に出るだけで後ろ指を指される」

「さすがにそんな影響力はないだろ。ない、よな?」

「学校では永久にボッチだから。この社会不適合者」

「それはもともとだ」


 言ってて悲しくなるが。


「さっさと離して。水筒離したから」

「ああ」

「隙あり!」

「させるか!」


 離した瞬間水筒を拾おうとする瑠美に先んじて、足で水筒を押さえておいた。


「ちっ」

「殺意高すぎだろ。何がそんなに気に障ったんだよ」

「これで怒らないほうがどうかしてるわよ」

「何も殺そうとしなくても」

「はぁ。そうね。ちょっと頭に血が上ってた。奴隷に落とすくらいに留めておくべきだったわ」

「それでも十分狂ってるだろ」


 このご時世に奴隷というのもおかしいし、罪の重さもおかしい。


「そういうわけだから、これから十年くらい強制労働ね」

「執行猶予をくださいお願いします」

「じゃあ私がいいって言うまで、家事全部やって。それと、この部屋は出禁」

「うっす」


 そのくらいなら無理ない範囲だ。瑠美のことはなるべく丁重に扱おう。


「あ、瑠美。奏から返信きてるぞ」

「なんて?」


 瑠美が開いた画面を覗き見る。


『痴話喧嘩に巻き込まないでください』


 見てみると、瑠美が送った写真は、何も知らなければただいちゃついているようにも見える。


 文面を見た瑠美に殴られたのは、その数秒後のことであった。

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