21日目 8月2日(月)
一昨日約束していた、デリバリーのお菓子。部活中ということは、他の部員もいるだろうし、カップケーキのような配布しづらいものは向かないだろう。誰でも摘めるような軽いものがいいか。
運動部の定番で言えばはちみつレモンだが、持っていく時間帯に運動をしているとも限らない。
それに、手作りお菓子との所望でただレモンを漬けただけのものを持ってこられても、カップラーメンを料理と言い張られるようなものだ。それに、漬けるだけと言っても漬けるだけの時間が必要になる。
そうは言っても、そこそこの人数に配ることを考えると、いちいち手間をかけてもいられない。手抜きと言われることは甘んじて受け入れるしかないだろう。それに、簡単なレシピの方が失敗しにくいだろうし。
そういうわけで、フルーツを買い込み、あるいは家に置いてあったフルーツ缶の中身を食べやすいように切ってもっていく。一方的に約束された時間よりいくらか早いが、少し早めに着いて練習を覗いてやろうという魂胆である。仕返しのようなものだ。
「そういえば、演劇部の部室ってどこだ」
いつでも体育館で練習しているわけではあるまい。言い方は悪いが、もっとメジャーな部活の活動があるのだから、そこは譲らなければならない。極端なことを言えば、演劇の練習などどこでもできるのだし、そのメジャーな運動部より使えないと考えていい。
ここで指定時間より早く来てしまったことがあだとなった。時間通りなら瑠美に連絡して迎えに来てもらえばいいが、時間より早いと練習中に邪魔してしまう可能性がある。
「探すかぁ」
やむを得ない。到底受験生がやることではないが、学内で演劇部が使っていそうな場所を探す。先ほどの通り、ぶっちゃけどこでもできるので、どこでも可能性がある。まったく厄介だ。
しかしこうしてみると、二年半程度通ったこの学校にも知らない部分がたくさんあることに気づく。物置状態になっている教室の存在も、使ったことのない階段も、普段通っているはず廊下の末端にある隙間も、何も知らない。知ろうともしていなかった。
通いなれて、うんざりしていた学校が、まるで未探索のダンジョンのよう。夏休みとあって人影も少なく、小さな冒険に出ている気分だ。
そして俺は、目的の教室に辿りつくことができた。そこは、一年の教室が並んでいる一階の隅にある空き教室だった。
「やってるやってる」
まるで文化祭の準備のように、というか実際文化祭に向けた準備なのだろうが、大道具と思しき段ボールに色を付けて何事か雑談している様子。残念ながら、演劇自体の練習はしていないようだった。
こうして教室後部の窓から覗いていてもあからさまに不審者であり、別に面白いこともないので扉を開けて中に入った。
「あ、来たよ瑠美ちゃん」
「はい。そうみたいですね」
教室を覗き見たときも思ったが、今日は俺も見知っているこの二人しかいない。もっとワイワイやっているものだと思ったが、案外寂しいものである。
「今日は二人だけか?」
「そうですよセンパイ。それよりお菓子持ってきてくれました?」
「はしたないですよ。もっと雑談に応じて差し上げないと、この兄は拗ねてしまいますから」
「拗ねねえよ。拗ねないけども、なんで二人だけなんだ?」
「みんな用事があるんですよ。一応毎日教室は抑えてあるんですけど、好きなときに来て好きなだけ作業するっていうスタイルなんで」
随分と自由な部活らしい。それで準備が進むのかと心配になるくらいだ。
「でも、瑠美は毎日来てるみたいだぞ?」
「それは瑠美ちゃんが特別真面目なんです」
「私だけじゃありません。部長もほとんど毎日顔を出します」
「それでちゃんと間に合うのか?」
「部長が超人なんで大丈夫です。本人は器用貧乏って言ってますけど、脚本、大道具、小道具、照明、裏方仕事なら何でもこなすんで」
「私たちが準備をしている劇の台本も、部長が書き上げたものなんです」
この演劇部は部長の気合で成り立っているようだ。気が弱そうなふりして有能だということに驚いた。しかし、あの脚本なら相当鬱屈した何かが溜まっていそうな気がするのだが。
「ちゃんと労ってやらないとだめだぞ。瑠美もそうだけど、過労死しそうなタイプだからな」
「わかってます。部長、やたらと気を使って演技に集中させてくれようとするんですけど、それを振り切ってみんな手伝ってますから。瑠美ちゃんは特に手伝ってるんで、そっちも注意しないといけなくなるのは大変ですけど」
「失礼ですね。私がお節介みたいに。できる範囲で頑張っているだけです」
「お兄さんからも言ってあげてくださいよ」
「そう言われても、昔からこういう性格だからな。努力の鬼というか」
その鬼才で俺はことごとく抜き去られたわけだが。しかも闇雲に頑張るのではなく、適切なところで精一杯を尽くす人間なのだ。別に卑屈になっているわけではなく、寧ろ尊敬している。もし下手に注意して、頑張ることに悪いイメージを持たれたら大損害である。
「窘める代わりに、偉い偉いって褒めてやればいいんじゃないか」
「おーよしよし。瑠美ちゃん偉いでちゅねぇ」
「ちょっ、やめてください。子供じゃないんですから」
瑠美は同年代の中でも身長が低い。簡単に友達に抱き寄せられ、その顔を胸に埋めさせられた。まるで犬にするように、その友達は瑠美の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「瑠美ちゃんは偉い。偉いぞぉ。あと可愛い。超可愛い」
「や、やめてください」
「ほらお兄さんも」
彼女は俺に向かって瑠美を投げた。いや実際は押し出したという方が正しい。すっかり骨抜きにされていた瑠美は脱力したまま俺の胸に飛び込んでくる。
「え、偉いぞ瑠美」
「汗臭いです。離れてください」
「はい。すいません」
頭に手を乗せるよりも先に瑠美が俺を突き飛ばした。夏真っ盛りの気温の中を歩いてきた俺が汗臭いと言われるのは致し方ないことである。
「世間話より、お菓子にしましょう。せっかく来てくれたんですから」
「あー瑠美ちゃん、情勢が悪くなった途端に手のひら返した」
「気のせいです」
仲が良くて何よりだ。しかし、二人しかいないと初めから聞いていれば、もう少し手の込んだものを作ったのに。
「何を作ってきてくれたんですか?」
「いやその、作ったっていうより、持ってきたっていうか」
「手抜きですか?」
「ぶっちゃけ、そうだな」
「へぇ」
「まあまあ瑠美ちゃん、そんな不機嫌そうな顔しないで。せっかく持ってきてくれたんだし」
瑠美は露骨にジト目を俺に向けたが、友達の方は優しかった。最近関わった中で一番俺に優しい人かもしれない。
「で、何を持ってきてくださったんです?」
「敬語って無駄に圧力を感じるよな」
「ですよね」
「いいから答えてください」
よそよそしく喋り方を変えた瑠美とさえ仲良く接している彼女からすれば誰とでもそうなのだろうが、仲良くなれそうな気がする。
「俺が持ってきたのは、これだ」
そこにあった机に、クーラーボックスの中身をぶちまけた。それぞれ袋につめたフルーツと、サイダーである。
「果物切っただけですか? もしかしてなめてますか?」
「瑠美、ステイ。実際そうだけどステイ。そのサイダーを掲げるのをやめてくれ」
「答え次第ではこれを振ってお兄さんにぶちまけるって気ですねこれ」
そうすると部室の床までベタベタになるわけだが、そこまでして俺を苦しめたいのだろう。
「もっと人がいると思って。分けやすいようにしようとしたらこうなったんだ」
「もう瑠美ちゃん、なんで二人だけって言ってないの」
「それは、すいません」
「じゃあ瑠美はそのサイダーをいったん下ろして、これをコップに入れていってくれ」
「あ、私も手伝います」
「ありがとう」
「いえいえー。いただくのはこっちですから」
プラスチックの透明なコップに適当にフルーツを投入。そしてさらにサイダーを上からなみなみ注ぐと、フルーツポンチの完成である。
「懐かしいですね。これ小学校のとき、夏祭りとかでよく買ってました。高校生になると手に取る機会もなかったですし、嬉しいです」
「喜んでもらえて何より。瑠美も、昔作ったとき好きだって言ってたと思うんだが」
「そういうときもありました。今は、別にですけど」
そう言いつつも、一番フルーツをたくさん入れていたり、サイダーの泡がこぼれそうになって慌てて口を啜ったりと、まったく説得力がない。
「ただでさえおいしいものを組み合わせて、おいしくならないわけがないって話ですよ」
「それは料理ができないやつの発想じゃないか? これに関してはそうだと思うけど」
趣味でもない限り、高校生で料理をしているのは珍しいのかもしれない。特に、日常的にとなると。
「美味いか、瑠美」
「甘くて美味しい」
「そうかそうか。口調戻ってるぞ」
「んっ! えほえほ」
しかも、表情も普段より緩んだものになっている。これが甘いものの力か。
「やっぱり瑠美ちゃんって家ではラフな感じですか?」
「ラフっていうか、まあ堅苦しい感じじゃないな」
「ちょっと。言わない約束です」
「いいじゃないか。友達一人にくらい素顔を見せても。そんなに壁作ってもいいことないぞ」
俺だってもう長くないのだ。瑠美の素顔を知る人間というか、瑠美が心置きなく喋ることのできる人がいるに越したことはない。
「別に、壁を作ってるわけじゃないです」
「じゃあ瑠美ちゃんはなんでそうお高くお留まりんぐなの?」
わけのわからない造語である。彼女なりのオブラートなのだろうが。
「お高く留まっているつもりはありません。ただ、距離感がわからないというか」
「そうなんですか、お兄さん」
「いや。昔はわざわざキャラ作るようなタイプでもなかったけどな。人見知りなところはあったけど、ある程度仲良くなったらフランクになってたし」
「余計なことばかり言わなくていいんです」
「もっと瑠美ちゃんのこと教えてくださいお兄さん」
「任せてくれ。伊達に十数年お兄ちゃんやってない」
「自分のことお兄ちゃんって言うのは気持ち悪いです」
「最近はこういう毒舌が増えてきてな。昔はいつでも俺の後ろについてきてたのに」
「やっぱりお兄さんには口悪いですよね。昔の瑠美ちゃん見たいなぁ」
敬語でどれだけ苦言を呈しても俺は止まらないと見るや、瑠美はサイダーをちびちび飲みながら、俺に恨みがましい目を向けている。後で何を言われるかはわからないが、最後かもしれないお節介だ。好きなだけ嫌な顔をするがいい。
「でもまあ、結構無理してキャラ作ってるみたいだし、ちょっと驚かせたりしたらすぐ化けの皮はがれるんじゃないのか」
「それが、結構頑丈な面の皮してるんですよ」
「面の皮って言うと意味が違います。撤回してください」
「ごめんごめん。撤回する代わりに、そのスーパーよそよそしい口調の所以を教えてくれない?」
「え、あ、うーん」
ジト目を向ける対象が増えた。恨みがこもったというより、困ったような顔である。
「言っちゃいなよユー」
「どうせしょうもない理由なんだろ? さっさと吐いて楽になれよ」
「その、取り返しが、つかなくなったから」
「とおっしゃいますと?」
「つい出来心で、お嬢様ムーブをしたら、取り返しがつかなくなって。それで、演劇の練習にもなってちょうどいいかと思ったのよ」
いっそ開き直って、普段の口調で冷静を装って言う愛羅。しかし顔は赤い。
「思ったよりしょうもない理由だね」
「やっぱりな。変なところで調子に乗るから」
俺の妹という感じがする。絶対後になって後悔するようなことを何も考えずにするのだ。
「しかし、何か月もやってると定着するもんな」
「勝手に憐れみの目を向けないで」
「じゃあ、この三人の間だけは取り繕わないってことでどう?」
「まあ、仕方ないわよね」
瑠美の深いため息とともに、談笑パーティは閉幕となった。
帰宅後、再び舌打ち地獄になったことはもはや言うまでもない。




