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20日目 8月1日(日)

「馬鹿にい、勉強忙しい?」

「いや別に。どうかしたのか?」


 日曜日。別に何かしたいことがあるというわけでもなく、ただ何となく机に向かっていると、ノックと共に瑠美が部屋に入ってきた。


「仮にも受験生が、いや別にはないでしょ」

「忙しいって言われたら困るのは瑠美じゃないか。何か用があるんだろ」

「別に困りはしないわよ。一応誘ってみようと思っただけだから。それで、来る?」

「用件によるけど、どちらかと言えば行く」

「暇人の答えよ、それ」


 実際暇人なのだから仕方ない。寧ろ、限られた時間を家族との外出に使えるというのなら万々歳である。


「なら行くわよ」

「どこに?」

「衣装作りのための布を買いに」

「休みでも部活のことか。熱心だな」

「まあね」


 この間は熱中症になるくらい、ただ体力作りでさえ真面目に取り組んでいた瑠美である。休日返上くらいどうってことないのだろう。


 そんなことを言っていると、いつか過労で倒れたりしないだろうかと心配になる。将来、瑠美が就職する頃まで生きているということはないだろうが、何としてもブラック企業には引っかからないでほしいものだ。


「えい」

「ふぁいあっ?!」


 そんなことを漠然と考えながらショッピングモールに向かって歩いていると、首筋に寒気が走った。比喩ではなく、物理的に。お陰で砲弾を発射するときの掛け声のような叫びが出てしまった。


「ぷ。くく。何その変な掛け声。どこの軍曹よ」

「何故に軍曹。いやどこのでもないわ。いったい何をしたんだ」

「これよこれ。あー面白い」


 瑠美が手に持っていたのは、ハンカチに包まれた保冷剤。それをわざわざ直に俺の首筋に当てたというわけだ。


「お前なあ」

「ぼーっと歩いてるから、熱中症にでもなったのかと思って。優しい気遣いに咽び泣きなさい」

「もっと穏便なやり方があったろ」

「そんなのつまらないわよ」

「そうかい」


 よくあるじゃれあい。昔は俺の方が悪戯する側だったが、長い年月で瑠美も変わったものだ。


「しかし、確かに暑いな。昼前に出るべきだったか」

「いいわよ。外食なんて高いもん。それに、午前中しっかり休んだからこそ午後で動きたくなったの」

「そういや、平日ずっと部活してるんだから、休日くらい一日中休めばいいのに」

「別にずっと動いてるわけじゃないわ。暑さで倒れても困るし、こまめに休憩はとってるからそこまでの運動量じゃないわよ」

「ストイックだな」

「そうでもないわよ」


 その考え方がストイックなのである。


「とにかく、また倒れるとかは勘弁してくれよ」

「心配?」

「そりゃな。倒れたって連絡が来た時はさすがに肝が冷えた」

「倒れたなんて大袈裟なこと言ってないわよ。ただ立てなくなっただけ」

「どっちでも一緒だ。無理だけはするなよ」

「わかってるわよ。限界くらいは弁えるようにするから」


 瑠美が大丈夫と言うなら、もう滅多なことでは再発しないだろうが、それでも心配というのが親心というものである。別に親ではないが。


「そんなに心配なら、明日確認するといいわ。うちの部長も心配性で、あれ以来体力作りのメニュー減らされたんだから」

「あー、あの人な。確かにそんな気がする」


 見るからにひ弱そうというか、臆病かつ慎重な印象を受ける。


「その分、舞台の細かいことにも注意を払ってくれるタイプだから、助かってはいるけどね」

「部活は安全第一が大前提だからな。部長さんの言うことも正しいだろ」

「わかってるわよ」


 そうして部活について話している間に、目的の建物に。この間奏と訪れたショッピングモール。衣服の品ぞろえで言えば無論アウトレットモールの方が上だが、ここは手芸用品やらインテリアやら、大人の趣味っぽい雑貨がそろっている。


「どういう布がいるんだ? というか、一から作るのか?」

「基本的には先代のを流用したり、古着を活用したりするけど、一部はね。余りにも古くて色あせてるのとかあるし。それが味になったりもするんだけど」

「そういうもんか」

「そ。それで今日必要なのは、王子様の服みたいな。王様の服はあるけど、王子様ってないのよね」

「そこの違い、重要なのか?」

「同時に舞台に立つから。同じ服でもいいけど、二着ないと」

「なるほどな」


 聞く限り、伝統の演目などはないようで、各世代で全く違う劇をするため、必要な衣装が被ることもそう多くないのだとか。今のところ王子様役の衣装だけで済んでいるが、サイズの関係で他に必要なものもあるかもしれないとのこと。


「王子様の衣装なのに瑠美が選ぶんだな」

「まあね。ここに一番近いの、私だから」


 それに、瑠美が一番真面目だということもあるだろう。部費の横領なんてことを思いつきもしないだろうし。


「どうせ部費で落ちるなら、わざわざ手作りじゃなくても、出来合いのものでいいんじゃないのか?」

「少しでも部費を削減しないと。部員が少ないせいで、随分ケチられてるのよ」

「それはなんとも可哀想に」

「そうなのよ。一番部費を使うと言っても過言じゃないのに」

「それは過言だろ。スポーツ用品なめんな」


 こまごまとした出費は演劇部が多いかもしれないが、一度設備を買い替えようとすると高くつくのが運動部だ。別に運動部の肩を持つというわけではなく、一般に。


「王子様ってことは、結構良い布がいるのか?」

「どうせ舞台上だもの。そこまで考慮に入れなくても、色さえそれっぽければ良いわよ」

「シワになってたりしたら不格好じゃないか?」

「それはもう気をつけるしかないわね。毎度衣装を着て練習する訳でもないから、なんとかなるとは思うけど」


 演劇の衣装というのは、確かに着用する回数も少ない。リハーサルと本番で使うくらいだから、限られた経費を割くポイントではないのだろう。


「それで、王子様っぽい色ってどう思う?」

「んー? 一般的なので言えば、赤とかじゃないか?」

「お遊戯会じゃないのよ。それに、仮にも内容聞いたならそれじゃ合わないってことくらいわかりなさいよ」


 一般論を言っただけなのにこの叩かれよう。とはいえ言っていることは正しいのでわざわざ反論しようとは思わない。確かに、部分的ではあるが聞いた劇の内容は華やかとは言い難いもので、王子様と言っても常に着飾っているようなものではない。


「じゃあ無難に白とか? 清潔感も出るだろう」

「そうねぇ」

「不服か?」

「白なら、服とか再利用できそうじゃない。それじゃあわざわざ布を買う理由がないと思って」

「肩回りのあれ、あのふわふわしたやつとか。普通の服にはついてないだろ」

「パフスリーブ?」

「いや、名前は知らないけど」

「別にリメイクでもできるし、一からである必要はないわ」

「へぇ、そうなのか」


 じゃあやっぱり、布を買って作る必要はないのではないだろうか。


「服じゃなくて、装備で王子っぽさを演出したらどうだ? ところどころに家紋をつけるとか」

「それもそうね。案として送っておくわ」


 瑠美は現場の判断で決めることなく、スマホを操作して演劇部のグループにメッセージを送ったようだった。そもそも、王子様っぽい服なんてそうそうないのだ。先ほど言っていたパフスリーブとやらと、あとハーフパンツ。それくらいしか王子様のイメージなどない。


「トップスはリサイクルでどうにかなるでしょうけど、問題はパンツね。色の統一性から言って、白がいいけど、白のパンツなんて誰も持ってないわ」

「でも全身真っ白ってのも、なんかな」

「色合いで変えるのならトップスね。パンツは白だわ」


 そこは確定事項らしい。となると、白ズボンだけ用意しなければならないか。それくらいなら、着心地を度外視すれば手縫いでどうにかなりそうだ。


「それじゃあ、白い布は確定として、問題はトップスね」

「それも聞いてみたらどうだ。同じ舞台を作るんだし、俺よりあてになるだろ」

「そうね」


 素直に瑠美は頷き、スマホを操作する。別に否定してほしかったわけではない。しかし、少しくらい間があってもいいと思うのだ。なにもノータイムで返事をしなくても。


「返事が来るまで暇になったわね」

「なら、少しお茶してくか」

「この年にもなって兄妹でお店に入るの?」

「それを言うなら、出かけてる時点でそうだろ」


 これを今日誘ったのは瑠美。それを考えれば、渋い顔をされるいわれはない。


「まあいいわ。どうせ暇だし、付き合ってあげる」

「そりゃどうも。じゃあフードコートでも行くか」

「もっとオシャレなところないの?」

「ないのは知ってるだろ。それに、デートでもないのにそんなところに入る余裕はありません」


 コーヒー一杯に平気で五百円を要求するような場所、そうそう入れはしない。


「へぇ、デートなら入るんだ」

「なんだよ。例えだ例え。別にいいだろ」

「どうでもいいけど」


 ならその意味深な返事をやめてくれ。


「何がいい?」

「おごり?」

「別にいいぞ。妹に払わせるってのもみっともないし」

「じゃあクリームソーダで」

「おごりじゃなかったら?」

「ただのメロンソーダ」

「なるほどわかった」


 メロンソーダとクリームソーダを注文し、瑠美の前にメロンソーダ、俺の側にクリームソーダを置いた。


「ありがと」


 一瞬戸惑ったように見えた瑠美は、ドン引きしたような目をこちらへ向けると、渋々ストローに口をつけた。


「おい待て。ツッコミ待ちなんだよこっちは」

「え? そういうゲスさを見せつけたわけじゃなくて?」

「誰がそんな陰湿すぎる嫌がらせを本気でやるんだよ。冗談だから。替えてやるって」

「落ちるところまで落ちたなと思ったんだけど」

「もうちょっとくらい俺の評価上げてもよくない?」


 瑠美に対してそんな嫌がらせをした記憶なんてあんまり無いのだが、その低評価の所以はいったい。


「口つけちゃったけど、いい?」

「気にすることないだろ。風邪引いてるわけでもないし」

「これが逆だったなら私は絶対嫌だけど。交換を諦めるレベル」

「兄妹の間接キスがアイスより重いのかよ」


 同じ釜の飯を食う仲だというのに、この距離感である。これくらい過剰に嫌われている方が、何も話さないというより幾分かはマシなのだろうが。


「こういうフロート系のアイスって、氷と一体化したシャリシャリのところが美味しいのよね」

「あー、わかる。バニラシャーベットってあんまり聞かないし、特別感あるよな」

「食べたい?」


 銀のスプーンの上に、例のシャリシャリしたところを乗せて瑠美は俺を見た。さっきまで嫌がっていたのは何だったのか。


「じゃあもらう」

「はい」


 近づいてくるスプーンに対して口を開ける。しかしスプーンが着地したのは俺のグラスの中。


「何やってるのよ。馬鹿にいに直接食べさせるわけないでしょ気持ち悪い」

「いや、うん。すまん」


 自分でもなぜこうしたのかわからないでいる。そこまでのデレを瑠美に期待できない。


「あ、返信来た」

「なんだって?」

「トップスは青色のジャケットがいいんじゃないかって。装備の紋章も考えるって」

「青色のジャケットなんてあるのか?」

「ないから作るのよ」

「大変そうだな」


 王子様役をする人からの要望だという。参考画像があるとのことで、某フリーサイトのイラストが画面に表示されている。なるほど、全身真っ白よりよほどそれっぽさがある。


「とにかく、布として必要なのは白と青ね。細かな飾りなんかは持ち寄ることになりそう」

「了解。どうせ俺は荷物持ちだろ?」

「わかってるじゃない」


 そのくらい覚悟の上で来ている。それに、二人いた方が何かと都合がいいだろう。男の例として、サイズ感の確認にも役立つだろうし。とはいえ俺の身長は高い方なので、年下の例に当てはまるかどうかは不明だが。




 帰り道。布をいくらかというだけで、随分軽い荷物持ちである。


「演劇部には裁縫できる人がいるのか?」

「部長ができるらしいけど、他は知らないわ」

「へぇ、珍しいな。男でっていうか、そもそも裁縫が実践レベルでできるっていうのは」

「ボタンのほつれくらいなら馬鹿にいでもできるけど、服作りって言われると、難易度高そうよね」

「ちゃっかり俺を引き合いに出さないでくれるか。それと、瑠美も同レベルだろ」


 どうしても主婦のイメージがあるので、学業と家事の両立が迫られる俺たちには縁遠いものだと思っていた。というか今も思っている。


「何かと器用なのよね、うちの部長。他にも」

「おい瑠美っ」


 不用心に俺の方へ余所見して歩く瑠美の腕を掴んで引き寄せた。瑠美が一歩踏み出しかけたのは、このショッピングモールの車用出入口。屋上に駐車場があって、そこから降りてくるので、公道に出ようとする車は大概スピードが出ている。基本的には止まってくれるが、中には勢いそのままに飛び出してくるような車もいるのだ。


「危ないだろ。ちゃんと前見て歩け」

「あ、う」


 瑠美と同じタイミングで出てきた車は止まってくれるタイプだったからよかったものの、もし俺が瑠美を引き止めていなくて、かつマナーの悪い車だったら轢かれていたかもしれないのだ。


「瑠美?」

「は、離して。あと、近い」


 取り込み中とみてさっさと去っていった車を見届けた後で、瑠美を掴んだままだったことに気づく。


「ああ、悪い。それよりも、ちゃんと注意して歩けよ」

「うん。ごめんなさい」


 ばっと距離をとった瑠美はやけに素直に謝った。別に謝ってほしいわけではないのだが、つい素直になってしまうほど反省しているならこれ以上小言を言う必要もないだろう。


「急に掴んで悪かったな」

「別に」


 それから決して俺の方を向くことなく、前だけを見て歩くようになってしまった瑠美と帰った。それでいて会話には普通に応じるし、いじけているのか何なのか、よくわからない。

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