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19日目 7月31日(土)

「あの、瑠美さん?」

「ちっ」


 朝。昨日に引き続き、瑠美は機嫌が悪かった。それほど昨日の羞恥が大きかったということなのか、それとも昨日をきっかけに反抗期が本格化したのか。いずれにせよ、機嫌を取る方法を考える必要がある。同居人がそんな調子では、残りの寿命が救われない。


「瑠美、何か食べたいものはあるか? 晩は好きなもの作るぞ」

「シャトーブリアン」


 それは無理だ。どこに売っているのかわからないし、そもそも俺が買える値段なのかもわからない。


「帰ってきたら甘いものが食べたい」


 苦い顔をする俺に少しでも溜飲が下がったのか、瑠美は別のものを提示した。さすがに冗談だったらしい。


「わかった。甘いものだな。角煮の味付けを甘くするか」

「そういうことじゃないわよ馬鹿。お菓子を用意しろって言ってるの」

「晩御飯にお菓子っていうのは、いくら何でも健康に悪いぞ」

「晩御飯から離れなさいよ。夕飯前につまむ甘いものが欲しいって言ってるの」

「ああ、なるほど」

「これだから馬鹿は」


 夕飯の話をしていたのだから、俺は悪くないと思う。とにかく、機嫌をとる一助として、お菓子を用意しておくことに決めた。せっかくなので、いつぞやに滞在費として請求されたカップケーキにしよう。あれを瑠美の分も作ればいい。


「よし。じゃあ楽しみにしててくれ。とびっきり甘いの作るから」

「常識の範疇にしなさいよ。まずかったら一生口きかないから」

「責任重大すぎないか、今日のお菓子」

「許してあげる可能性を残した寛容さにひれ伏しなさい。本来なら問答無用で斬首刑よ」

「刑が重い!」


 演劇部ということは、いずれ誰かの前で発表するようなことにはなったのだ。文化祭なんかだと、もしかしたら俺も出席する可能性だってあるわけで、それが早まったことがそんなに恥ずかしいかという疑問を持ってしまう。未完成というのが羞恥ポイントかもしれない。


「じゃあ、行ってきます」

「いってらっしゃい」


 俺が朝食ついでに作った弁当を持って、瑠美は出ていった。律儀に行ってきますと言うあたり、真面目な瑠美らしい。この様子だと、口を利かないと言いつつ最低限は会話してくれそうだが、そうは言っても手を抜くことはすまい。


 まずは材料から。買い出しに行かねばなるまい。




 デート中に悪いとは思いつつ、奏に試食してほしくて連絡をとった。デートに夢中で気づかないのならそれでもよかったのだが、幸か不幸か、もうまもなく帰ってくるらしい。瑠美が帰ってくる時間まではあと一時間ほどである。


「翔くーん、来たよー」

「お、上がってくれ。約束の品はできてるから」

「へへへ。悪いね」

「別に悪いことはないが、お前の今の笑い方は悪役そのものだぞ」


 俺が昨日メッセージで口を酸っぱくして言った通り、今日の奏はオシャレだった。何より、普段はそこまで主張しない、というかしているのかさえわからないメイクが、今日は堂々たる活躍を見せているのである。


「翔君、オシャレな私に、言うことない?」

「ワーカワイイ」

「感情込めてよ!」

「黙ってれば普通に褒めようと思ってたのに、催促するから」

「えー、ほんとかなぁ」


 肩が出た黒のブラウスに、白のスカート。いくらか白く見える肌に、ひときわ目立つ唇の紅。そこはかとなく赤みの差した頬。もともとの作りが良いのも相まって、これを可愛いと言わない人は感性を疑われるレベルだ。


 これにはさぞ、サッカー部の彼も満足したことだろう。


「座ってて待っててくれ。オレンジジュースでいいよな」

「うん。ありがと」


 完成品のカップケーキと、グラスに注いだオレンジジュースを一緒に出す。


「わ。すごいね。結構ちゃんとしてる」

「ちゃんとしてないカップケーキってなんだよ」

「翔君のことだから、飾りつけも何もない、チョコチップが申し訳程度に入ったようなやつだと思ってた」

「まあ、俺も奏にだけ作るならそうしてたな」

「おいこら。それを本人の前で言うんじゃあないよ」


 俺が作ったカップケーキには、質素感をなくすための、それでいて飾り過ぎない程度のデコレーションを施していた。食紅で色をつけた生クリームを絞り、アラザンと呼ばれる真珠のような飾りをつける。それだけでも十分可愛らしくなる。


「私以外って誰にあげるの? まさか、彼女?」


 今日デートに行っていた分際で何を言うか。的外れもいいところだ。


「いや。瑠美だけど」

「なんだ。つまんない」

「そう言うな。こっちは死活問題なんだよ」

「何、また何か余計な事言ったの?」

「言ったというか、しただな。奏は瑠美の部活知ってたのか?」

「あぁ、演劇部の練習見に行ったの?」


 知っているということは、瑠美から話はされていたということだろう。格差を感じる。


「わざとじゃない。そもそも瑠美のやつ、なんで奏には言って俺には言わないんだよ」

「そりゃ恥ずかしいからだよ。家族の前で演技とかどんな地獄だよって感じじゃん」

「演劇部って言ったからって演技しろって言われるわけじゃないだろ」

「完成した舞台だろうと見られたくないんだって。演劇部って毎年文化祭で発表してるし、それも見られたくないってさ」

「嫌われてんなぁ」

「照れてるんだよ」


 だといいのだが。


「それで、味はどうだ?」

「うん。それは良い感じ。見た目だけじゃないね」

「そうか」

「瑠美ちゃんも認めてくれるんじゃない。知らないけど」

「だといいけどな」


 結局のところは瑠美の裁量だ。奏のお墨付きはもらったし、なるようにしかなるまい。


「それじゃ、ごちそうさま」

「もう帰るのか?」

「まあね。出かけて疲れたし」

「ああそうだ。どうだったんだ?」


 俺がわざわざセッティングしたのだ。聞く権利くらいあるだろう。


「別に。どうもない」

「告白とかされなかったのか?」

「ズカズカ踏み込むね。翔君には関係ないことだよ」

「ってことは、断ったのか」

「ご想像にお任せします」


 否定しないということは肯定と一緒だ。話したがりな奏のことだから、付き合うとなれば寧ろ積極的に言いふらすだろう。口止めをくらっていても、俺相手なら話して問題ないと判断するだろうし。


「勉強とか大変だもんな」

「何を他人事みたいに。同じ受験生でしょ」

「ってことは本当に断ったみたいだな」

「はっ。謀ったな」

「しらを切るならやり通すべきだったな」

「悔しい」


 サッカー部の彼も可哀想なことだ。しかし、これですっぱりと諦められるなら、付き合ってから渋い顔をされるより余程良いだろう。


「ああでも、今日のお出かけは楽しかったよ。色々と計画してくれてたみたいで。やっぱり翔君とは違うね」

「さりげなく俺を引き合いに出すな」

「そうだね。何でもノープランの翔君と比較されるのは可哀想だよ」


 仕返しとばかりに言いたい放題である。奏と遊ぶ際に一切の計画性を持たなかった俺も俺なので、甘んじて受け入れるしかないが。


「楽しかったなら、セッティングした俺も報われるってもんだ。よかったよかった」

「それじゃ、私はこれで」

「ああ。またな」

「ちゃんと瑠美ちゃんと仲直りするんだよ」

「言われなくても」


 これが原因で、瑠美が飯当番のときに俺だけ白米のみなんてことになったら目も当てられない。




 一番見栄え良くできたもの以外を奏にお土産として渡し、それから数十分。


「ただいまー」

「おかえり」


 瑠美が帰ってきた。体操服姿で、いつも通り金色のツインテールをフリフリさせている。


「お菓子、用意してあるぞ。食べるか?」

「その前にシャワー。焦りすぎよばーか」


 悪態をついて、炎天下を歩いてきたであろう瑠美は荷物を置いてお風呂へ向かった。


「あ」


 水の流れる音が小さく聞こえるリビングで瑠美を待ちながら、気づかない方が良かったことに気づいてしまった。夕飯の存在である。お菓子に気を取られすぎたせいで、下ごしらえさえしていない。何とかシャワー中にと思ったが、汗を流すだけなのでそう時間はかからない。というか、もう出てきてしまった。


「お、おかえり」

「見すぎ。キモイ」

「すまん」


 この時間に普段着に着替えるのも馬鹿らしいということで、いつも瑠美はシャワーを浴びるとパジャマで過ごしている。今更それに気を引かれたというわけではなく、夕飯の支度もできていないという現況を瑠美が知ったときの反応が恐ろしいと思っているだけである。


「とりあえず、約束のお菓子。カップケーキ作ってみた」

「わざわざ作ったの? 市販品でもよかったのに」

「いやー、はは」


 何を言われても乾いた笑いしか出てこない。


「あんまり見つめないでよ。食べにくいじゃない」

「すまんすまん。代わりに牛乳用意しとくから」

「気が利くわね」


 冷蔵庫から冷たい牛乳を出し、コップに注いで瑠美に渡す。椅子に座ったまま腰に手を当て、一気に呷った瑠美はカップケーキに手を付け始めた。


「ねえ馬鹿にい、これ写真撮っていい?」

「ん、別にいいけど、何に使うんだ?」

「私が作ったことにしようかと思って。投稿したら女子っぽくない?」

「それはちゃんと自分で作れよ。奏はともかく、瑠美は作れるだろ」

「じゃあ馬鹿にいに作らせたって友達に送るわ」

「その言い方で実際正しいけど、キャラ的に大丈夫なのかよ」


 せっかくこだわった見た目を気に入ってもらえたということで、俺としては文句もない。


「うん、味もおいしいし、パティシエ目指せば?」

「高々お菓子一つで兄の将来を指図するなよ」

「冗談よ。まあ、本気で目指すなら応援するけど」

「お菓子食べたいだけだろ」


 そうつっこみつつも、戦々恐々として瑠美の顔色を窺う。幸せそうに食べてくれて何よりなのだが。


「何よ。そんなに怖がらなくても、許してあげるわよ。いつかはバレると思ってたし」

「ほんとか?」

「嘘つく必要ないわよ。どうせなら、完成した劇を見てほしかったけど」


 演劇部を覗いてしまった件は許してもらえるらしい。しかし、今は更に問題が積み重なっている。


「あの、実はもう一つ許していただきたいことがございまきて」

「は? 言ってみなさい」

「晩御飯の準備、忘れちゃった」


 てへ、と茶化すように言ってみたが、対する瑠美は深い深いため息をついた。


「呆れた。これ準備するので頭がいっぱいだったわけね?」

「その通りでございます」

「随分と容量の少ない頭ね。勉強で頭がいっぱいなんだと信じたいけど」


 カップケーキを平らげた瑠美はもう一つため息をついて、キッチンに立つ。


「何ぼさっとしてるのよ。元々馬鹿にいのせいなんだから」

「えっと?」

「早くしなさい。カップケーキ一つで満たされるほど、私のお腹は小さくないわよ」


 包丁を持って俺を手招く瑠美。


「これがケジメってやつか」

「何言ってるのよ。何作るかさっさと決めなさい」

「指を切り落とされるのではなく?」

「そんなえげつない事しないわよ。手伝ってあげるって言ってるの。感謝しなさい」


 寛容な妹様に感謝を。サッと冷蔵庫を覗いて献立を決めると、俺と瑠美は二人で夕飯を作り始めた。


「やっぱり二人だと早いな」

「口より手を動かしなさい。サボるんじゃないわよ」

「すいません料理長」

「だれが料理長よ。シェフと呼びなさい」

「呼び方の問題かよ」


 単純計算でかかる時間は半分。並行してできる作業がある程度限られているといっても、急ぎで作っている分それに限りなく近い効率を叩き出していた。


 何せ俺たちの料理の師匠は同一人物であり、今日作るのは最初に教えてもらったメニューである。幾度となく練習したのだから工程も完璧に一致しており、次に必要となる作業もわかっている。


「完成ね」


 程なくして、肉じゃがと味噌汁が完成し、時短コースの米飯も炊けた。若干固めなのはご愛嬌である。


「やっぱり出来たては美味しいわね」

「ああ」

「とはいっても、部活帰りに毎回これでは困るんだけど」

「すいません」


 平身低頭。無論行儀が悪いので心の中で。ホクホクのじゃがいもを頬張りながら。


「このお詫びは何がいいかしらね」

「またせびる気かよ」

「またとは失礼ね。カップケーキは自主的だったでしょ」

「せびることは否定しないんだな」


 するとそこで、瑠美の携帯が震える。食事中ということでわざわざ手に取りはしないが、瑠美はチラと画面を見て、そしてそこに映し出された文章を読んだ。


「ねえ馬鹿にい、お詫びが決まったわ」

「ん?」

「今友達からメッセージが来て。友達も、馬鹿にいが作ったお菓子食べたいって」

「別にいいぞ。満足してもらえるかは知らないが」

「言質取ったわよ」

「何だよわざわざ。好きなだけ取れよ」

「それじゃあ明後日、三時頃学校で」

「え」


 それはつまり。


「出前、よろしく」


 滅茶苦茶に暑い夏、それも午後三時という最悪のタイミングで家を出ろという、遠回しすぎる死刑宣告であった。

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