50日目 8月31日(火)ー①
「一ノ瀬翔」
名前を呼ばれた。幼い子供の、甲高い声。
「誰が子供じゃ無礼者」
心を読まれているのか。神様ならそれくらいできても驚くことはない。まして、ここは向こうのホームグラウンドのはずだ。造作もないだろう。
「当然じゃ。それより、こちらの声は届いているようじゃの」
聞こえている。しかし、視界はない。それどころか、体を動かすような感覚もない。死んだあとということで、体は存在していないのだろう。
「うむ。おおよそ合っておる。魂のみになった状態では、余たちの呼びかけしか届かぬ」
感覚器官が存在していない中、声が届くのも不思議ではあるのだが、それを考えるのは無駄というものだろう。既に人知を超えた領域にいるのだから。
「それでよい。余が今からする質問に答えさえすれば、そなたはそれでよい。最悪の結果にはならぬよう、なるべく便宜を図ろう」
ありがたい。それはそうと、俺がいなくなった愛羅はどうしているのだろう。元気で過ごしているだろうか。
「安心するがよい。そなたの想い人は死神としての役目を果たし、次の生を歩もうとしておる」
次の生。耳に覚えのない話である。今この声を聞いている感覚器官は耳ではないのだろうが。
「ふむ。聞いておらぬようじゃな。よかろう。まずは、死神について話してやるとしよう」
今の口ぶりから察するに、死神の役目を終えた者は命を得るという認識でよいのだろうか。
「聡いな。その通りじゃ。しかし、命を得るというより、元に戻ると言った方がよい。死神とは、元々人間だったのじゃ」
それは、そんな気がしていた。一から死神として生まれたにしては、個体差が大きい。愛羅と藍那の違いを見れば明らかだろう。元となった人物がいたと考えるのが自然なことである。
「うむ。とはいえ、誰彼構わず死神となるわけではない。魂の何かが欠けた者だけが死神となる。そなたは死神となる条件だけは脱しておる故、その心配は無用じゃ」
どうせ死んだ身なので、それが懸念事項だとも思わないが、安心しておこう。それより、愛羅の話だ。
「そうじゃったな。愛羅は、そなたと出会ったことで死神となる条件から外れ、無事めでたく人間に戻るというわけじゃ」
そうなのか。愛羅が果たしてそれを本当に望んでいたかはわからないが、俺の前では人間として生きようとしたのだ。喜ぶべきことだろう。
「ただ、転生の際には全ての記憶を失うことになる。そなたにとっては悲しいことかもしれんの」
それは俺だって同じだ。転生すれば記憶を失うというなら、俺も新たな命として生まれ変わるときには記憶を失うことになろう。どうして俺ばかり悲しむことがあろうか。
「ふふ。やはり人間とは面白い。観察のしがいがあるというものじゃ」
そう言われても、反応に困るわけだが。
「すまぬ。では、愛羅のこれからも知ったところで、そなたらの子供の処遇を決めるとしよう。ああは言ったが、判決次第では、愛羅の転生が取り消される可能性もある」
それは、なんとも勝手な話だ。あらかじめ言ったかと思えば、変更になる可能性があるなど。
「すまぬな。何せ状況が特殊過ぎるのじゃ。愛羅の転生の話は、子供がいなければという話にすぎん」
何も問題がなければ、俺たちは何事もなく次の人生を歩めたというわけだ。俺の人生が短いというだけ、それでも十分特殊だったわけだが。
「では、そなたに質問をしよう。そなたと愛羅、そして子供の行く末を決める問じゃ。心して答えよ」
とはいえ、こう心の中が筒抜けでは誤魔化しようもないと思うが。
「それもそうじゃ。しかし、そなたの心が常に一つのことに定まっているというわけでもあるまい。こちらに渡るのは、そなたがもっとも強く信じたことじゃ」
ふむ。確かに、賛成か反対かという質問があったとして、自らの意見がそのどちらかに偏っているということはないだろう。それぞれに評価点があり、欠点がある。それを総合したものを採択してくれるというわけだ。
「その通り。故に、よく悩むがよい。結論が出るまで、余たちは存分に待とう」
ありがたい。神様以外の神様にも、姿はわからないし声も聞こえないが、感謝を申し上げたい。
「うむ。では、問おう。そなたは、愛羅以外の女を愛することができるか?」
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選択肢
1、できない
2、できる
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俺には、愛羅以外愛することはできない。だってそうだ。俺の周りには魅力的な女性などたくさんいる。その中で愛羅を選んだのだから、俺には愛羅しかいない。
「ほう。それで、そなたが他の人間を好きになることはないと」
その通りだ。でなければ俺は愛羅と過ごすために命をかけるような真似はしない。
「では、そなたに余命がなかったとしたら、愛羅を愛したか?」
当たり前だ。余命があったとしても愛羅を愛したのだから、余命がなくとも愛羅を愛したに決まっている。無論、愛羅との出会いがあればの話ではあるのだが。
「そう結論を急ぐでない。そもそも、そなたに余命がなければ、誰とも関わることなどなかったであろう」
確かに、自暴自棄じみた感情でなければ、美川に何を言われようと、言いなりになろうという気にはならなかっただろう。そして、そうして変わらなければ、俺は誰かを好きになってよいとすら思わなかったことだろう。
「愛羅を愛さないという未来さえあり得たのじゃ。それでは、他の少女を愛するという未来だってあり得たのではないか?」
それは、そうかもしれない。だが、今の俺ではもう愛羅以外を愛することなど考えられない。
「こればかりは、運命を定めてしまった余にも過失はあると思うのじゃがな。他の神にそう言われては無碍にすることもできまい」
何の話だ。そちらでは話が進んでいるのか。
「そうじゃ。それも、悪い方向にの」
悪い方向、というと。
「時間を巻き戻すのじゃ」
は。
「神の力を結集すればそのようなことも可能じゃ」
馬鹿を言うな。それができるなら、いろいろと運命を変えることだってできるだろう。
「それが、そうもいかんのじゃ。一度定めた運命は、基本的に変えられん。それこそ奇跡を神から与えられん限りはな」
なら。
「奇跡と言っても、本人の努力にもよる。それに、同一個体にそう何度も奇跡を与えることはできん」
俺は既に一度、奇跡を蹴ったから。
「そうじゃ。そなたが回答を間違えた時点で、全ての辻褄を合わせる方法はもう存在しなくなった。それこそ、そなたが奇跡をふいにする前に時間を戻す以外にはな」
それでは、俺たちの子供は。
「なかったことになる。そればかりか、愛羅と会うこともなくなるじゃろう。また子供ができては繰り返しになる」
そんな、馬鹿な話があるか。記憶どころか、世界の記録からも消え去るということか。俺と愛羅で育んだ愛情と、その結晶が。ふざけるな。
「そう憤るでない。もともと無理な話じゃった。あえて希望をもたせるように話してはいたが、できてしまった子供は誰が生むかという問題が発生するのじゃ」
それは。
「愛羅か? しかし、来世の愛羅が、交尾もなしに子供を産んだとあっては一大事じゃ。まして、他の番との間にできた子供がそなたの血を受け継いでいたなら、もっと大きな問題となる」
でも、でも。整合性なんてくだらない理由で、俺と愛羅の関係がなかったことになんて。
「くだらないわけがなかろう。整合性が途絶えた世界など、もはや何者も生きてはいけぬ」
それでも。
「それにの。この決定には愛羅も同意しておる」
な。
「翔はきっと、他にも幸せになる方法がある。私はもう十分に幸せをもらったから、翔には今度こそ真っ当な幸せを掴んでほしいとな」
そんな。愛羅は、俺が幸せじゃないと思っていたのか。確かに、俺は他の幸福を知らなかっただけかもしれない。しかし、それでも愛羅と過ごした時間は間違いなく幸福そのものだった。そう断言できる。
「そなたは若い。一度愛したものをそう簡単には手放せぬし、それ以外のことが目に入らぬのやもしれぬ。しかし、それではだめだ。このままでは、来世のそなたも愛羅だけを求め、心虚しく死ぬことになるじゃろう」
記憶は残らないのだから、そんなわけがない。
「人間の全てが記憶に支配されているわけではない。魂に深く刻まれた想念というのは、たとえ生まれ変わったとしても受け継がれるものじゃ」
だから、俺に愛羅以外の人を愛せと言うのか。
「そうじゃ。死神に向ける愛が間違っておったとまでは言わん。じゃが、死神より先にもっとよく周りを見ることじゃ」
それで納得しろというのか。愛羅に対する想いを抱いた俺を消し去ることを。
「その通り。しかし、それではあまりに救いがない。そこで、余はそなたに挑戦状を与える」
挑戦状。
「先ほども言ったじゃろう。強い想いは魂に刻まれる。もし奇跡が起こって、過去に戻った上でなお愛羅のことを想っていたなら、整合性、つまり世界を賭けた奇跡に挑むチャンスを与える。他の少女に心を奪われることがあれば、そなたはそれで幸せに暮らせばよい」
なるほど、俺の答えが正しいことを証明して見せろということだ。それはたしかに、俺への挑戦状と言うにふさわしい。
「これ以上譲歩することはできぬ。悪いが、大人しく定めを受け入れよ」
どうせ、俺にはもう抗う術など残されていないのだ。そっちがその気なら、良いだろう。俺の愛羅への愛情が唯一無二だということを証明して見せる。
「それが若いと言うておるのじゃがな。まあよい。最後におまけじゃ。愛羅と話す機会をやろう。といっても、すぐに忘れ去るのじゃが」
それから数瞬の後、俺は肉体を得ていた。無論、仮初であることはわかっている。幻影のようなものだ。視覚を得た俺が見ているのは、見慣れた俺の部屋。そこにはベッドに腰かけた愛羅がいた。
「愛羅」
「翔。ごめんなさい」
「どうして謝るんだ」
「過去に戻すこと、賛成したから」
「どうせ、俺のことを想ってのことなんだろ」
「うん。それは、間違いない」
だったら、責められるはずもない。愛羅は、俺が幸せになる道が他にあると思っているのだ。
「でも、俺はずっと愛羅が好きだから」
「うん。わかってる。私に向ける愛情が本物ってこと」
でも、と愛羅は続ける。
「翔が、私以外にも愛情を向けられるくらい優しい人ってことも知ってるから」
そんな風に言われて、俺にはお前だけだと言い切ることはできなかった。愛羅の言葉を頭ごなしには否定できない。
「翔。最後だけど、私の前世の話をしてもいい?」
「前世? 記憶があるのか?」
「うん。死神は記憶が引き継がれる」
「そうなのか」
「私が持っていた欠陥の話。あまり面白い話ではないけど」
それでも、愛羅を形作っている事柄の一つだ。聞いておきたい。
「聞かせてくれ」
「先に白状する。これは、翔が私を嫌ってほしいからする話」
「構わない。前世如きで俺が愛羅を嫌いになんてなるわけがないからな」
「わかった。じゃあ、始める」
前世でも、愛羅は初めて会ったときのように不愛想だった。常に無表情で、感情を持たない。その時代背景はわからないが、まるで機械のようだったという。そんな存在は、当然不気味に思われる。学校の知人にも、そして家族にも。
「大家族の末っ子だった。お母さんも、お父さんも、兄弟姉妹全員から気持ち悪いって言われた。愛想よくしろって、お母さんからは怒鳴られたし、お父さんからは殴られた。怖かった」
だから、怒られることや暴力にだけ過剰に反応したのだろう。
「それから、私は売られた」
「売られたって」
「口減らし。貧しかったから」
「っ。それで、どうなったんだ」
「買われた。使われた」
雑用にも、性処理にも、ストレス発散の道具としても。惨めで仕方のない生活の末に、前世の愛羅は死んだ。買った主の手によって、絞殺されたという。そこまでいっても、愛羅は人として見られることなく、代替の利く道具としてしか見られていなかった。
「私は道具。人としての尊厳も何もかもなくした道具。どう?」
「何がだ」
「道具で遊んだ気持ちは」
頭に血が上った。俺が、そいつと同じように、愛羅を道具として見ていたかのような、そんな口調だったから。
でも、俺は何も言わなかった。愛羅のしていることが、瑠美と同じだとわかっているから。
「私は気持ちよかった? 私に甘えられて、いい気分だった?」
無表情で、淡々と、愛羅は言う。
「全部偽物。私の存在は、全部。死神になったって、私は道具でしかなくて、惨めに生きるしかなかった。好きでもない人に抱かれて」
「ッ! 愛羅!」
我慢ができなかった。全て嘘だったなんて、そんなはずがない。確かに愛羅は俺と出会って変わり、愛情も何もかもを手に入れたのだ。それが嘘なはずがない。
でももし、それが過去、ご主人様から気に入られるために身に着けたノウハウだとしたら。
そんなはずない。そう理解していても、怖いと思ってしまう。また嘘をつかれていたとしたら。
「翔。ごめんなさい」
愛羅が謝ってくれたことで、俺はその不安から断ち切られた。そうだ。最初に愛羅は言った。俺に嫌われるために話すことだと。
「でも、これで元通り」
しかし、一度胸に抱いてしまった不安はそう簡単には消えない。俺がどれだけ愛羅のことを信じていても、不安なものは不安でしかない。
「私のこと、嫌いになってくれたなら。これで翔は新しい幸せを手にできる」
「愛羅っ!」
時間が来たようだった。俺の部屋が端から崩れはじめ、その崩壊はすぐさま愛羅にも迫る。
「翔。出会ってくれてありがとう」
足先から光の粒子になって消えていく愛羅に、必死で手を伸ばした。最後にもう一度、触れたくて。
「愛羅! 愛羅ぁ!」
でも、その延ばした手も消えていく。俺の身体も、端から消え始めていた。
「私は、またどこかで感情を取り戻す。そうしたら、また翔に会いに行くから」
「愛羅! 待ってくれ!」
「ばいばい、翔。いつか、今度は二人とも人間になったときに、また会おう」
「愛羅! 俺は!」
「翔。大好き」
一方的に言って消えてしまった愛羅に、俺は何も言えなかった。自分でも、言いたいことがわからなかった。
ただわかることは、今の俺は、まだ愛羅を愛しているということだけだった。




