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48日目 8月29日(日)

「あと2日」

「ああ、そうか。一日短くなったんだったな」

「おはよう、翔」

「おはよう、愛羅」


 目覚めた俺は愛羅とキスをする。もはや恥ずかしがることもなく、微笑み合った。


「行こうか、愛羅」

「うん」


 着替えた俺と愛羅は、朝食後すぐに家を出た。まず向かうのは、中学校。もうだいぶ懐かしさを感じる登校経路を愛羅と二人、手を繋いで歩く。


「先生、いてよかった」

「だな。急に会いたいって言ったら心配されたけど」


 運良く中学時代の担任がまだ転勤することなく学校に残っていた。それで別れの挨拶に訪れようという話になったのだ。


 小学校時代の教師は、名簿を見る限りもうほとんどいなくなっていたし、俺としてもそれほど覚えていないため、小学校には向かわない。


「着いたぞ」

「ここ?」

「そうだ。高校と比べたら、ちょっと小さいけどな」

「翔の思い出の場所?」

「まあ、そうなるかな」


 良くも悪くも、思い出の地。ここで過ごした日々こそが今の俺を形作っている。それは確かだ。


「あまり長居するつもりはないから、早いところ挨拶に行こう」

「待って。翔が勉強してた場所、知りたい」

「う、まあ愛羅がそう言うなら」


 入校者用のスリッパをパタパタ鳴らしながら、校舎を渡り歩く。


「ここが俺のクラスだった教室。別に変わったところもないな」

「懐かしい?」

「うーん、まあ高校の教室も大して変わらないからな。教室が懐かしいとまでは思わないな」

「そう」


 教室よりも、廊下の窓から見える景色の方が懐かしさを感じる。日当たりの悪い裏庭と、ラインが薄くなったテニスコート。森みたいに木が茂った近くの神社。別に関係があったわけでも、とびきり印象に残っているわけでもないが、毎日見ていた景色はやはり記憶に残るものだ。


「理科室とか家庭科室とか、やっぱり高校にもあるからな」

「そう」

「でも、廊下の材質とかは違うから、そこは懐かしいかも」

「翔、中学校の友達は?」

「え」

「建物よりも、そこにある思い出を思い出してほしい」


 愛羅の狙いはそれだったらしい。案内して欲しいという訳でもなくて、ただ俺が感傷に浸れるよう気を使ってくれていたというわけだ。


「ありがとう。でも、特別仲が良い奴がいたわけでもないからな。かといって険悪でもなかったけど」

「本当に?」

「ああ」


 クラスメイトとして普通の距離感。高校でこそ友達はいなかったが、中学では友人と呼べるような間柄の人もいた。それなりに仲良く、取り留めのない会話を楽しんでいたはずだ。


 とはいえ、決して裕福とは言えない家庭の事情により、休みの日に友達と遊びに出かけるということはなかったが。


「そろそろ職員室に行こう」

「わかった」


 ただ、愛羅の気遣いが無駄だったかというと、そうではない。顔を思い出すこともなかったような過去の友人のことが頭を過ぎって、微かでも郷愁を得られた。


 職員室に入り、三年当時の担任に声をかけると、面談室に通される。


「高校はどう? 一ノ瀬君」

「平穏に過ごしてますよ」

「本当? 何かあったわけじゃないのね?」

「はい」


 優しくて、ノリの良い担任だ。生徒のことをよく考える、人気もあるおばちゃん先生。だからこそ、俺の突然の連絡を不安に思ってくれたのだろう。


「それじゃあ、今日先生を訪ねてくれたのはどうして?」

「今日は」


 口ごもる。この人は優しいからこそ、俺が明日にでも死ぬと言えば大層心配してしまうだろう。別れの挨拶であるからこそ、後腐れなく、清々しく済ませたい。しかし、それに相応しい言い訳が思いつかない。


「翔」

「え、あ、えっとこの子は愛羅って言います。俺の、大事な人です」

「えーっと、結婚のご挨拶?」


 先生を困惑させてしまった。何の違和感もなく愛羅を同行させていたが、先生からすれば本当に知らない人が何故か一緒にいる状態である。困惑するのも無理はない。


「その、俺たち、引っ越すことになるので、もう会えないかと思ってお邪魔しました」

「引っ越し? 二人で?」

「まあ、はい。そうなります」


 詳細はぼかすしかないが、そう言っておけば良い。別れには違いないのだから。


「そう、二人で。わかったわ。挨拶に来てくれてありがとう。強く生きるのよ」

「え、はい」


 何を想像したのか知らないが、妙に力を入れて俺たちと握手を交わす先生。


「若いうちは沢山やんちゃしていいのよ。最後にはきっと親御さんもわかってくれるわ」


 どうやら、俺と愛羅が逃避行を計画していると解釈したらしい。その勘違いのお陰で、心配されることこそなかったものの、あまり別れという感じのしない挨拶になってしまった。




「面白い先生」

「否定はしない」


 俺と愛羅は再び町を歩く。


 向かう先は高校だった。今度はちゃんと言い訳も考えた上で、教師と挨拶をする。


 愛羅の存在にはやはり首を傾げられたものの、とりあえず今生の別れになるということを遠回しに伝えた。どちらかというと熱血系なうちの担任は別れ際に俺と熱烈なハグを交わし、エールをくれた。


「とりあえず義理は果たしたか」

「まだ」

「え。まだ誰かいたか?」

「うん。翔がお世話になった人」


 そう言うと、愛羅は体育館の階段裏を指さした。そこまでされてようやく合点がいく。


「なるほどな。それは挨拶くらいいるか」


 どこに居るかはわからないものの、とりあえず第二体育倉庫の扉をノックした。


「美川、いるか?」

「ええ。入っていいわよ」


 何故かは知らないが、美川はここにいたらしい。鍵が壊れたままの扉を開け、入ってみると、いつ見ても神がかった造形の少女が跳び箱に腰かけ、足を組んで本を読んでいた。


「随分と久しぶりね」

「そうだな」


 仲が良い、というわけではなかったと思う。友達かと言えば、ノー寄りのイエスを返すレベルである。そのため、久しぶりとなると距離感が掴みづらい。


「入り口に突っ立ってないで、入りなさい。後ろのあなたもね」

「ああ」

「わかった」


 床も壁も石で、限りなく日当たりが悪いことから、中はひんやりしている。


 美川は本を閉じ、俺と愛羅に視線を向けた。


「それで、何の用かしら」

「挨拶だ」

「そう。私はあなたの親にも、ましてその子の親にもなった覚えはないわよ」

「結婚の挨拶じゃない」


 何故こう、愛羅を伴って挨拶をすると結婚の挨拶と思われるのか。


「挨拶は置いておいて、まずはミッションの報告だ」

「そういえば、そんな風にも言ったかしらね」

「俺の彼女。愛羅だ」

「そう」


 自ら課したミッションでありながら、美川は興味も無さげに愛羅を一瞥する。そして愛羅に対し問うた。


「そんなにコレが好き?」

「大好き」

「そう。おめでたいわね」

「ちゃっかりコレ呼ばわりするのやめてくれないか」

「うるさいわよ」


 美川はそれからため息をついて、小さく口を動かした。


「これが、噂の欠陥品ねぇ。全然話と違うわね」


 あまりに小さい声で、聞き取ることはできなかったが、俺に伝えたい言葉というわけではなさそうだった。


「何か言ったか?」

「いいえ。それで、あなたはどうなの。愛羅さん、だったかしら。好きなのよね?」

「勿論だ」

「そう。それ以外の答えなら磨り潰していたところよ」

「怖いわ!」


 金属バットが壁にかかっているだけに、よりリアルで怖い。戦々恐々としている俺を他所に、また美川は小さく呟いた。


「ミッションとしては失敗だけれど、本人が良いなら良いでしょう」


 やはり聞き取ることはできない。しかし美川は反応など求めていなかったようで、小さく頷いた。


「いいじゃない。お似合いよ」

「ありがとう」

「それで、挨拶っていうのは?」

「ああ。明日、俺は死ぬんだ」

「そう」


 何となく、美川になら本当のことを言っても心配はされないだろうという予感があった。しかし現実は予想よりも淡白な反応である。


「明後日でも明明後日でもなく、明日なのね」

「ああ」

「そう。短い人生だったわね」

「驚いたりとか、しないのか?」

「別に、あなたが死んだところで私の人生は変わらないもの。むしろ、厄介事が減ってすっきりするわ」


 流石というか、何ともドライである。厄介事と言う割に、絡んできたのはそっちだが、それは指摘しないでおく。


「精々、悔いのないように過ごすことね」

「ああ。ありがとう」

「はいはい、なら明日死ぬ人間はさっさと消えなさい。私まで巻き込まれたくないわ」


 そうして、半ば追い立てられるようにして俺と愛羅は学校を出た。


「帰るか」

「うん」


 見慣れた下校路を、愛羅と並んで歩く。夏休みということで、部活に来た生徒たちと出会うこともあるわけだが、一切気にすることなく堂々と手を繋いでいる。


 すれ違う生徒、特に男子の視線を集めている訳だが、それをどこか誇らしく思うくらいの気持ちで家にまで戻ってくると、そこに奏が立っていた。


「何やってるんだ? この暑いのに」

「この暑いのに、見せつけるみたいにくっついてる人に言われたくないなあ」

「好きだから」

「まあまあ。愛羅ちゃんも言うようになったね」

「可愛いだろ?」

「翔君が誇ることではないと思うけど、そうだね」


 本当はすれ違った人全員に自慢して回りたいくらいだが、さすがにかっこ悪いので奏にだけ。


「こんなところで立ち話もあれだし、うち来てよ」

「ん、ああ。わかった。いいよな、愛羅」

「構わない」


 そう言いつつも、愛羅は頬を膨らませて俺の腕を抱く。何らか警戒しているのかもしれないが、柔らかくて気持ちいい。暑いのは愛羅だからノーカンだ。


「時間取ってごめんね。好きなだけイチャついていいから」

「言われる前からって感じだけどな」

「自覚あるならちょっとくらい諌めてよ」


 どうやら愛羅はイチャイチャする時間が少なくなるのを忌避しているからこそ、ムスッとしていたらしい。奏の言葉にほっぺたの風船が萎んだ。


「好きに寛いでね。お茶いれるから」

「俺がやろうか?」

「いいよ。愛羅ちゃんと遊んであげて」

「メロ相手みたいな言い草だな」

「そう思わないとやってられないでしょ。その甘えようは」


 たしかに、リビングに入るなりメロの噛み跡がついたクッションに腰掛けた俺を、膝立ちになった愛羅は後ろから抱きしめている。メロも俺の膝辺りをくるくると回っているし、奏からすれば似たようなものなのかもしれない。


「んで、何か用があったのか? わざわざ家の前で待ち伏せなんて」

「うん、まあね。明日になったって聞いたから。最期の語らいってやつ」

「明日死ぬ前に行こうと思ってたんだが」

「私の中では引越しだから。看取るのはちょっとね。お葬式には行こうと思ってるけど」


 俺も明日死ぬことはわかっているが、いつ死ぬかはわかっていない。目の前で死なれるのは、いくら割り切っている奏といえど傷つくだろう。


「最期だからって、特別話題があるわけではないんだけどね」

「だろうな。奏とは毎朝話してたし、今更何か新しい内容なんてないだろう」

「まあね。だから、語らいとは言ったけど、実際喋ることはないかな」


 しかし、最期の最期に挨拶一つでさようならというのも、腑に落ちない。それが美川ならわかるが、奏は幼馴染である。そう簡単には別れられないだろう。


「思い出話の一つでもしようかと思ったけど、それじゃ愛羅ちゃんが除け者になるしね」

「翔の話なら聞きたい」

「うーん、そう言われたら秘密にしよっかな」


 悪戯っぽく笑う奏に、俺のつむじに頭を乗せた愛羅は若干不機嫌そうな息をつく。そういう素直な反応も可愛い。


「どうせ話すなら、翔君からの方がいいでしょ」


 奏らしい気遣いで、俺の黒歴史を暴露されないため得ばかりである。


「後で翔君の黒歴史メモを贈るから、それで勘弁してね」

「助かる」

「おい」

「彼女には全て知っといてもらわないとね?」


 にやにやと笑う奏。溜飲の下がった愛羅はご機嫌に俺の頭頂部を顎でぐりぐりしてくる。


「その代わりと言ってはなんだけど、愛羅ちゃん。今からすること、許してね」


 そう言った奏は、愛羅が頷くよりも先に俺を、そして愛羅も一緒に抱きしめた。


「か、奏?」

「喋らないで」


 俺の頭が前からも後ろからも柔らかいものに包まれて、男として大変幸福な状況に晒されたわけである。俺は奏を引き剥がしたりしなかったが、いくら何でもそれが理由というわけではない。


「翔君、愛羅ちゃん。元気でね」


 死後に元気も何もないと思うが、涙声のそれが奏の精一杯の強がりだということを俺はわかっている。だからこそ、肩を震わせる奏を振り払うことなく、その背中を優しく撫でた。


「またいつか、会おうな」

「っ。うん」


 奏の強がりに合わせることにした。それでも、言いたいこと、言わなければいけないことは変わらないのだから。


「ありがとう、奏。これまでずっと友達でいてくれて」

「う、ん」

「俺、毎朝奏と会ってたから、ここまで生きてこられたんだと思う」

「は、は。それは、大袈裟だよ」

「いいや。奏がいなかったら、俺はどこかで折れてたかもしれない。俺は、奏みたいに強くないから」

「そんなことないよ。翔君だって、やればできるんだから」

「ありがとう。その言葉にいつも助けられてる」


 奏のお陰で、俺は今まで生きて、愛羅と出会えた。そして、奏のお陰で、俺は悔いなく死ぬことができる。


「ありがとう奏。俺の親友」

「こっちこそ、ありがとう。翔君。私の大好きな親友」


 それから何分もそのままでいた。心の何かが満たされるまで。二人の震えが収まるまで。


「うん。よし。ありがとう愛羅ちゃん」

「構わない。大切なことだから」


 俺と愛羅は、後ろ髪を引かれながらも、奏の家の玄関まで戻る。


「愛羅ちゃん。翔君、不甲斐ないところも多いけど、根は優しくて、カッコイイときはちゃんとカッコイイから、愛想つかさずに、面倒見てあげてね」

「任せて」


 目元が赤くなった奏と、真剣な表情の愛羅が固く手を結んだ。そして奏は最後に俺を見る。


「じゃあな、奏」

「うん。じゃあね」


 最後の最後には、お互いにぎこちない笑みを浮かべることしかできなかった。


 それも、一つの終わりの形だ。


「ばいばい」


 締まりかけた扉の向こうで、奏は小さく呟いた。

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