47日目 8月28日(土)
「残り4日」
「ん、おはよう愛羅」
「うん、おはよう」
結局、昨日はしっぽりしてしまった。仕方ないのだ。暑いと言って風呂上りに服を脱ぎだした愛羅には勝てなかった。完全に俺を惑わしに来ているが、この深い繋がり方をいたく気に入ってしまったらしい。
瑠美からいろいろと吹き込まれてはいるようだが、それでも愛羅が好きでやったことだろうから、俺としても万々歳である。愛羅を恋人として意識するようになってから、同じ部屋にいるということもあって、一人で処理することもできなかったのだ。
「翔、今日も元気」
「いや、それは朝だからな。体の仕組みとして仕方ないことなんだ」
「一回、する?」
「いやぁ、朝からはちょっと。瑠美を起こすことになるし」
「昨日の時点で今更」
確かに、昨日夕飯の時にジト目を向けられていたので、俺たちがそういうことをしているのについてはバレていると考えていい。それで昨日の夜も激しかったので、きっと寝不足を強いていることだろう。そのため、朝までやるとすると、いい加減にキレられる。
「すぐ収まるから、今からはやめとこう。な?」
「わかった」
そそくさと服を着る。その間、ベッドの上からほぼ全裸の愛羅に凝視されていたが、誘いには乗らない。
「残り4日、どうして過ごそうか。愛羅と過ごすことは決まってるけどな」
「一日中する?」
「積極的過ぎないか。まさか愛羅がそこまで気に入ってくれるとは思わなかったな」
「翔との子供が欲しいから」
「いや、でもできないんだろ?」
「そのはず」
「じゃあ理由にならないだろ」
「でも、瑠美はできるかもしれないって」
「信じたのかよ」
いったい瑠美は何が目的なんだ。愛羅にそう吹き込んだところで、得られるものは瑠美の部屋にまで届く騒音である。これが弟なら、一人で致すときの手助け的なことになるのでまだ納得できるが、瑠美に限ってそれが目的とも思えない。
それに、排卵が行われない愛羅の身体で妊娠が不可能であることは瑠美だってわかっているはずだ。瑠美にだってそれくらいの知識はあるだろうし、根拠もなく愛羅にほらを吹くような性格でもない。
「信じないより、信じたほうが楽しいから」
「ま、そうだな」
いくら不可能だとわかっていたって、何の希望もないと信じてしまっては奇跡など起ころうはずもないというものだ。死神なんて、俺たちからすればブラックボックスもブラックボックスであり、どこかにそういう可能性がないとも限らない。たとえ世界が無慈悲で、俺たちの夢なんてたやすく打ち破ったとしても、それを追い求めた楽しさは奪えないのだから。
「じゃあ、する?」
「しません」
とはいえ、それとこれとは話が別である。子作りさえしていればいいかといえば、そんなわけはない。朝ご飯も作らなければならないし、どうせならもっといろんなことを愛羅としたい。人生の最後が肌色だらけでは、死んだあと笑われかねない。
「ほら、愛羅も服着ろよ」
「ん、わかった」
「おい、愛羅の服はあっちだぞ」
「翔のがいい」
わざわざベッドの近くに畳んで置いてある着替えを無視して、俺のクローゼットを開ける愛羅。もはや無防備とかいう次元を超えた格好で俺の隣にいないでもらいたい。それも愛羅の狙いなのだろうが。
「これ着る」
「好きにしたらいいけど、せめてパンツくらい穿かないか?」
「窮屈」
「いくら何でも開放感あり過ぎだろ」
愛羅は俺のクローゼットから制服のシャツを引っ張りだすと、それだけを着た。所謂彼シャツというやつである。大変魅力的な姿であり、やはり俺の理性耐久値をゴリゴリと削ってくるわけだが、それは一旦置いておいて、それでリビングに降りるのだけは勘弁してほしい。絶対に俺の趣味だと思われる。
しかし、家族というのは時に残酷で、リビングにおりるより先に瑠美が俺の部屋の戸を叩いた。
「馬鹿にい、起きてるんでしょ。子作り中なら後にするけど」
「女の子が子作りとか言うんじゃありません」
「うるさいわね。それでしてるの? してないの?」
「してない。してないけど、格好がよろしくないというか」
「そ。じゃあ入るわね」
「えっ」
よろしくないと言うのに瑠美はそのまま扉を開けて入ってきた。そして愛羅の姿を一瞥すると、特に何を思ったという様子も無く、俺に向かって言う。
「今から始めるつもりだったなら後でもいいけど」
「誤解だ。愛羅が着たいって言うから」
「まあなんでもいいけど、これあげる」
瑠美が俺と愛羅に差し出したのは、検査キットである。言うまでもなく、妊娠したかどうかを調べるための。
「は?」
「一回調べてみたら。もしかしたら、できてるかもよ」
「いやいやいや」
「試す」
「ほら、愛羅さんもこう言ってるし」
「展開が怒涛すぎる」
瑠美が検査薬を持ってきたことに驚いている俺の方がおかしいのか。そんな馬鹿な。
「せっかく私が薬局で恥を忍んで買ってきたんだから、有効活用しなさい」
「なんでそこまで」
「うるさいわね。そんなだから馬鹿なのよ」
それだけ言い残して、瑠美は部屋を出ていった。不思議な妹である。愛羅が愛羅としてうちに来てから、何か変だ。瑠美は瑠美なのだが、何か大人びているような気がするのだ。
「まあいいか。せっかくだし、使ってみたらどうだ」
「ん、わかった」
愛羅は箱の中身を持って部屋を出た。箱を見てみると、検査のタイミングは何週間後がいいだとかいうことを書いてあったが、それを気にすることさえ今更である。
しばらくして、朝食でも作るかとリビングに降りると、ガチャリとトイレの扉が開いた。
「結果出たか?」
「うん」
「どうだった?」
一応聞いてみたようなものだった。愛羅の表情は普段通りで、何でもないように振舞っている。だからこそ、当たっているわけがないと思っていたのだ。
「できてた」
「まじ?」
「うん」
俺の目の前には、くっきりと二本線が浮き上がっている。
「愛羅」
「うん」
言葉よりも先に、俺は愛羅を抱きしめていた。すると愛羅は、俺がしているよりも強く俺の胴を抱いた。
「翔と私の、子供」
「ああ」
どうやって育てるのか、そもそも生まれるのか、そもそも本当にヒトの子供なのか、何もかもわからないが、俺が生きた証が愛羅の中に存在するという事実に目頭が熱くなった。
「翔、ありがとう。私の欲しいものをくれて」
「何言ってんだ。二人で作ったんだろ」
「うん。でも、ありがとう」
「こっちこそ、ありがとう」
廊下で、暑いのも構わず俺と愛羅は抱きしめあった。喜びの涙を流したのは人生で初めてのことだ。
そしてこの涙は同時に悲し涙でもある。どうして俺は、愛羅との子供を育てることができないのだろうか。愛羅と添い遂げることができないのだろうか。詮無いことではあるが、どうしても考えてしまう。
「このクソ暑いのに、何してんのよ」
そこへ瑠美が階段を下りてきた。三十度を超えようかという気温の中、泣きながら身を寄せている二人が家にいれば当然の反応と言える。
「いいから部屋に入りなさい。あんまり人を待たせるものじゃないわよ」
「ああ。悪いな、朝ご飯まだできてなくて」
「私じゃないわよ」
「え? 奏でも来てるのか?」
「ううん。私は初対面ね。そこで見てるわよ」
「えっ」
瑠美が指さした先には、水色の透き通った髪に白い衣をまとった、小さい女の子の姿。俺の記憶が正しければ、いつか出会った神様である。なぜだか神様も驚いたような顔をしていた。
「余の隠形を見破るとは、やはり只者ではないな」
「何のことかしら。それより、人の家に挨拶もなく上がり込むのはどうかと思うわよ」
「おい瑠美、この人は」
「よい。面白い女じゃ。気に入った。では名乗るとしよう」
神様はその小さな胸を張り、小さな背丈を精一杯大きく見せて、堂々と名乗りを上げた。
「余は神じゃ」
「ふーん、まあ、確かに馬鹿みたいに長いわね」
「髪ではない。神じゃ。ゴッドじゃ」
「へぇ。ロリババア的な?」
「なんじゃその言葉は。そういえば、A17も似たようなことを言っておったな」
不敬だと叱られるものと思っていた、というか俺は以前実際叱られたわけだが、神様は意外と瑠美との掛け合いを楽しんでいる。女性同士がそんなに良いのか。
「あの、どういった御用で?」
「む、口をはさむとは不敬な」
「そうよ。馬鹿にいは黙ってなさい」
「当たりきつくない?」
「よしよし」
残り4日にしてのけ者にされる悲しみ。愛羅に癒してもらうほかにない。
「情けない男じゃの。仕方あるまい。話を始めるとしよう」
「その前に朝ご飯がいい」
「よし、では朝食じゃ。用意せい」
「どういう関係なんだよ」
瑠美からの不躾な言葉にむきになったかと思えば、まるで祖母かのように瑠美の要求を飲む。よくわからないが、明らかに立場が下の俺は従う他にない。
「手伝う」
「ああ、ありがとう」
愛羅と二人で軽く作る。一応神様の分も。愛羅が食べられるのだから、神様だって食事くらいできるはずだ。
「お待たせしました」
「そなた、そういうことになっておるのか。なかなか見どころのある女じゃの」
「あなたも本当に神様だったのね。不法侵入者じゃなくて」
「当り前じゃ。しかし、なるほどの。道理で」
「あの、朝ご飯」
「会話に割ってこないで馬鹿にい」
「そうじゃ。不敬な奴め」
もはや何も言わず、愛羅が俺の頭を撫でてくれた。別に泣いてない。
「む、人間の食べ物というのは美味じゃの。食事というのもたまにはよい」
「お口に合ったようで何よりです」
「A16、いや愛羅か。これを毎日というのは羨ましい」
「恐縮」
瑠美と神様が打ち解けている中、微妙な空気の俺と愛羅を含めて朝食を終える。牛乳を飲んで小さくげっぷをした神様は食器を片付けた俺と愛羅を手招いた。ついでに瑠美も。
「さて、今回訪れた要件を話すとしよう」
「朝ご飯を集りに来たわけじゃないのね」
「うむ。余の目的は、愛羅。そなたの腹の中じゃ」
そう指摘され、唇を引き結んだ愛羅は自らの下腹部を優しく摩った。
「子供ができたのじゃろう。本来ならありえんことじゃ」
「やっぱりそうなんですか」
「当たり前じゃ。死神の身体の作りはほとんど人間のと同じにしておるが、死神が孕んでは育てる方法もない。機能は抑えてあるはずなのじゃ」
「でも、本当にできた」
「わかっておる。だからこそ余が来たのじゃ」
神様は一度ため息にも似た深呼吸をして、再び愛羅と俺に向き直る。その真剣な表情に、俺が思い当たった最悪の可能性を想起してしまう。
「あの! 下ろせと言うなら」
「馬鹿を言え。愛情の果てに神の奇跡が起きたというのに、それを無碍になどできぬ」
「そうですか。なら」
「しかし、強硬手段に出ることはなくとも、これは大きな問題なのじゃ」
もう一度神様はため息をつく。今度はれっきとしたため息であった。
「死神が人間との間に子供を作ったというのは前代未聞じゃ。そもそもそれほど関係を深めることがほとんどないのじゃから、当然とも言える」
「それで、その前例のないことをした場合はどうなるんですか」
「余と、それから他の神の裁量次第じゃな」
「別に禁忌ではないんでしょ。ならいいじゃない」
「そうもいかぬのじゃ。新たに規則を作らねばならぬ。それに、その子供の状態もよくわからぬからな」
「神様でもわからないんですか」
「なんじゃ。生意気な口を効きおって。不敬罪で地獄行にするぞ」
「シャレにならないわよ」
「ちょっとした神ジョークじゃ」
おちゃめで可愛いとか言っていられない。ただただ心臓に悪いし、愛羅が不安がっている。
「地獄行というのは冗談じゃが、そなたの待遇については考えなければならん」
「俺ですか」
「そうじゃ。言った通り、諸々の処遇は神の審議に委ねられておる。しかしそれも、当事者がおらねば話にならん。そなたが無理矢理孕ませたとなる可能性もあるのじゃから」
「そんなこと!」
「わかっておる。そう吠えるでない。事情を知らぬ他の神からはそう見えかねんという話じゃ。無論余からも説明はする。しかし、余は第三者じゃ。実際に決議するには当人の話を聞く必要がある」
「それじゃあ、どうしたら」
すると、話の途中で神様は突然頭を下げた。
「すまない」
「えっと、どうしたんですか?」
「そなたの死を一日早めることになる」
息をのんだのは瑠美だった。俺と愛羅は、どこか呆然としていていまいち理解が追い付かない。
「そなたの魂が4日後に輪廻に戻ることは決定されておる。一度可能性を歪めた魂の行方を再び歪めることはできぬのじゃ。無理矢理可能性を変化させた場合、最悪魂が崩壊しかねない。ゆえに、そなたの命を縮めることが審判を実現するための条件なのじゃ」
「それを断った場合は?」
「処遇は全て余らに委ねられることとなる。最悪の場合、その子供の存在をなかったことにする可能性もある」
ぞわりという感覚が俺の背筋を襲った。それだけは避けなければならない。俺と愛羅の愛情の結晶がそう簡単に奪われてなどたまるものか。
代替案として、現世で行うことも脳裏をよぎったが、それでも丸一日かかることを考えると同じことである。俺の寿命が一日短くなることと、息子か娘の運命が天秤にかけられた瞬間であった。
「わかり、ました」
「ちょっと馬鹿にい」
「悪いが、瑠美。俺にだって譲れないものがあるんだ。例え俺の寿命が一日削れても、そんなの今更だろう。この先何十年を犠牲に愛羅といることを選んだんだ。たかが一日、子供のためにくれてやれないなら、親失格だ」
それは瑠美に向けた言葉でもあり、愛羅に向けた言葉でもあった。子供ができるかもしれないとはしゃいだ責任を感じているだろうから。
「大丈夫です。俺は死にます」
「そうか。本当にすまない。決して苦しまぬよう連れていくことを約束しよう」
その言葉に、俺は苦笑いした。
愛羅を好きになる前の俺ならどう思っただろう。寿命を告げられてもそういうものかと受け入れ、苦しまないようにという一言に何よりも安堵したことだろう。まるで安らかに死ぬことだけが人生の目的であったかのように。
「では、余は準備に戻る」
「はい。また」
「3日後、そなたに幸福が訪れることを祈っておる」
そう言って、瞬きするうちに神様はいなくなった。
「翔」
「ごめんな。勝手に決めて」
「ううん。いい。翔が決めたことなら、尊重したい」
「ありがとう」
肩を震わせる愛羅を抱きしめた。
俺が神様の御前で何が言えるかわからない。しかし、なんとしても、愛羅と、愛羅の中に眠る命だけは守らなければいけないと心に誓った。




