45日目 8月26日(木)
「行こうか、愛羅」
「うん」
昼下がり。弱まり始めた夏の日差しを脳天に受けながら、家を出た。どこへ向かうかといえば、昨日貰った招待状が示す先である。特殊なギミックとかいうわけではなく、書いてある住所に向かうだけ。いったいあのおばあさんが俺を呼んで何をするつもりかはわからないが、愛羅が勧めるなら行くしかあるまい。
「あの花畑の近くにあるんだな」
「初デートの場所?」
「そうだ。といっても、まだ付き合ってはなかったけどな」
随分と懐かしく感じる。まだ愛羅がほとんど心を持っていなかった頃だ。それでありながら、綺麗な光景に目を奪われていたり、ソフトクリームに舌鼓を打ったりしていた。
「男女が二人で出かければデートだと、瑠美に聞いた」
「そういう見方もあるらしいな」
「瑠美や奏とはデートした?」
それを聞かれると痛い。瑠美は妹だからともかく、昔は奏と二人で遊んだりもした。無論瑠美が一緒の時が多かったが。しかも奏とはこの間二人で映画も見たのだったか。
「その定義で言えば、多分したことになる」
「む」
「でも俺が好きになったのは愛羅だから。やっぱりデートっていうのは好きあっててこそだろ」
「たしかにそう。でも羨ましい」
そう言って愛羅は俺の手を取り、ぎゅっと握りしめた。瑠美や奏と体験したことを愛羅ともう一度するには時間が圧倒的に足りない。俺はただ苦笑いを浮かべていることしかできなかった。
「ここみたいだな」
「大きい」
到着したのは、洋風の巨大な屋敷。封筒の住所と照らし合わせてみても、確かにここで合っている。委縮してしまいそうな門構えだが、インターホンだけが一般的で浮いている。ビビりながらも俺はボタンを押した。
すると、お屋敷の扉が開いて、あの付き添いの女性が顔を出した。
「いらっしゃい。今開けるからね」
「お邪魔します」
門をくぐると、あの花畑を彷彿とさせるような整備された庭が広がる。ここがあるならわざわざ向こうに行く必要は無いのではなかろうか。
「こっちです。おばあちゃんもいますよ」
てっきり中に案内されるかと思ったのだが、女性が先導する先は庭の方向。見れば見るほど丁寧に手入れされた庭園を進むと、屋敷の一角にあるテラスへ到達した。
「こんにちは」
「いらっしゃい。待っていたわ」
円卓に一人で腰掛けるおばあさん。その姿はまさに貴族婦人といったもので、優雅にティーカップを傾けていた。近づく俺たちに気づくと、温和な笑みを浮かべる。
「どうぞ座って」
「はい。失礼します」
「面接じゃないんだから。そんなに畏まらないで。私は楽しくおしゃべりするためにあなたたちを呼んだのよ」
「紅茶入れるわ。お茶菓子もあるから、好きに食べてね。好き嫌いとかあるかしら」
「お構いなく」
同じテーブルを囲み、俺と愛羅が座る。戸惑ってばかりの俺を見て、おばあさんは微笑み、話を始めた。
「驚かせてしまったかしら。家が広いのだけが自慢だから」
「家というか、御屋敷ですよねこれ」
「うちの五倍くらい?」
「こら愛羅。余計なことは言わなくていいから」
「うふふ。この間会ったときは無愛想な子だと思ったけれど、この一ヶ月で随分心を開いたみたいね」
どれだけ鈍い人でも、この愛羅の変化には気づくだろう。たとえ一般に見て普通でも、以前の愛羅を知る者からすれば特別なことである。
「あなたも、良い目をするようになったわね」
「え、俺ですか」
「ええ。恋する少年の目よ」
笑うおばあさんに対して、俺は照れる。隠すつもりなど一切なかったが、こう率直に指摘されると恥ずかしい。
「でも、残念ね」
「何がです?」
「あなた、もうすぐ死ぬのでしょう?」
「っ」
息が詰まった。どうして、この女性が俺の運命を知っている。昨日の反応を見るに、瑠美や奏の知り合いではない。他に俺の運命を知る者はいないはずだ。
「ごめんなさい。おばあちゃんったら困惑させたみたいで。まずは落ち着いて紅茶でもどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
「私にもおかわりを貰えるかしら」
「はいはい」
差し出された紅茶を飲む。何とも香り高い。俺は紅茶というとインスタントのものしか知らないが、比較するのも烏滸がましいと思える。無論インスタントが悪いとは言わないが、寧ろこれは別の飲み物だ。思わずため息が零れる。
「ほぅ」
「おいしい」
「落ち着いたかしら。ごめんなさい、話を飛ばしてしまって。あなたの疑問に答えることにしましょう」
おばあさんの温和な笑顔が、今ばかりは末恐ろしいものに感じる。彼女がいったい何を抱えているのか。
「まずは、私の身の上話から始めましょうか。全く知らない人に何かを言われたって怖いでしょう? それに、私とあなたの関係についてのヒントにもなるから」
紅茶を口に含み、一息置いておばあさんは話を続けた。
「私はね、今天涯孤独なのよ」
「はい?」
「親なんて勿論生きていないし、夫も他界したわ。当時にしては珍しかったのだけれど、子どももいないの」
それでは、今給仕をしてくれているこの女性は誰なのだろう。これくらい広い邸宅を構えるほどだから、雇っているのだろうか。
「それでね。この子は、死神なのよ」
「は?」
「愛羅さんはわかっていたと思うけど」
愛羅を見ると、小さく頷いた。なるほど、この中で事情を知らないのは俺だけというわけか。
「私の型番はA01。おばあちゃんからは葵って呼ばれてるの。よろしくね」
「は、はい。よろしくお願いします」
死神同士、何らかの連絡手段くらいはあるのだろう。葵さんと愛羅は元々互いの存在がわかっていたようだ。
「葵に教えて貰って、あなたにそう長くない寿命が定められていることを知ったわ。昨日会ったのは偶然だったけれど、折角だから情報交換でもと思って誘ったのよ」
「情報交換ですか」
「ええ。あなたも、もう諦めはついているでしょう?」
「はぁ、まあ」
「だから、いわゆる終活っていうものをね。レクチャーしようと思って。多分、何かと周りに死が多い私の方が詳しいから」
ニコニコしながら不謹慎なことを言うおばあさん。ただ、それも一種の諦観なのであろう。
「本当はもう一人、死神と会った子を誘っていたのだけど、丁重に断られてしまったわ」
「そうなんですか」
意外にも、俺以外におばあさんと遭遇した人がいるらしい。このおばあさんの行動力は昨日見た通りなので、それほど不思議なことではない。もしかすると、藍那と一緒にいる人かもしれない。
「それじゃあ、まずお墓の話からしましょうか」
「は、はあ」
そうして、お茶会改め終活講座は着々と進んだ。彼女と違い、俺には親族がいるので、何から何まで学べた訳ではないが、手続き等の心配事は十分軽減されたと言える。
「ありがとうございました。勉強になりました」
「いいのよ。それより、もう少しだけお話していかないかしら」
「夕飯の支度があるので、少しなら」
「ありがとう」
葵さんに紅茶のおかわりをもらい、今度こそお茶会らしいお茶会が開かれる。
「そうね、私たちの共通点、死神の話をしましょうか」
「はあ」
「葵の髪の色、気にならないかしら?」
「確かに、白くありませんね」
葵さんの髪は茶髪だ。きっとおばあさんの若い頃も茶髪だったのだろう。愛羅、藍那共に白銀の髪を持っているので、てっきり死神は皆そういう髪色なのかと思っていた。
「実は私のこれ、カツラなのよ」
「えっ、そうなんですか」
ひょいと外すと、中には白銀のショートヘアがあった。俺の仮説は正しかったらしい。
「そうか、カツラか。愛羅もカツラをしてたらまだ目立たなかったかもな」
「でも、翔は私の髪が好き。困らない?」
「たしかに、ちょっと困るかも」
軽く愛羅の髪を撫でる。それをおばあさんは笑って、というか苦笑いで見ていた。空気を変えようと、おばあさんが次の話に移る。
「たしかあなた、神様には会ったのよね?」
「はい。一応」
「なら、あなたに寿命が定められた理由についての話はできないわね」
「そういうものなんですか。俺が死んで悔いはないとしても」
「ええ。それが推奨されているわ」
やはり、俺が知る権利はないらしい。知らなくていいと愛羅も言ったのだから、気にする必要はないだろう。
「システム的な話はできないから、葵の話をするわね。孫自慢みたいで聞き苦しいかもしれないけれど」
「むしろ聞きたいです。どういう関係なのか」
「うちの葵は、私の孫として接してもらっているのよ」
「確かに、そう感じます」
「おばあちゃんは一人ぼっちだったから、見かねてね。本当は私の方から言うべきじゃないんだけど」
「それで私が少なからず幸せなのだから、結果オーライよ」
笑い合う二人は本物の家族のようで、見ていてほっこりする。例え真似事だとしても、確かな関係を築いているのだ。
「初めは戸惑いもあったけれど、今ではすっかり孫代わりだわ。あなたと愛羅さんみたいに」
他意はないのだろう。しかし、その言い方がどうにも引っかかった。彼女は葵さんを孫の代わりとして認識している。しかし。
「俺にとっての愛羅は恋人の代わりじゃないです。恋人そのものですから」
つい反駁してしまった。揚げ足をとっているような気分で、あまり自分としてもいい気分ではないが、どうしても見過ごせなかったのだ。
「ふふ。本当にそう思っているのでしょうね」
「はい。勿論です」
「でもね、本当に誰かの代わりじゃないって言いきれるかしら」
「言いきれます」
「そう思っていていいけれど、少しだけ考えてほしいのよ」
決して穏やかな笑みを崩すことなく、おばあさんは続ける。
「この世の中に、浮気をする人なんて沢山いるわ。最初はあなたと同じくらい誰かを愛していても、他の人に目移りすることだってあるのよ」
「それは」
「今のあなたがそれを信じられないのも無理はないわ。でも、それがただ一つ、愛羅さんにしか向けられることのないものではないということも覚えておいて」
「なんで、そんなこと」
「そうね。残り時間の少ないあなたには、関係のないことだわ。倦怠期なんて、本来はまだまだ先だもの。でも、頭の片隅にだけ、入れていてほしいと思ったのよ。強いて言えば、老人のお節介ね」
意味が分からない。なぜ彼女がそんなことを言うのか、全く理解ができなかった。
ただ、おばあさんの言葉は俺を苛立たせるには十分だった。俺の気持ちを侮辱されたような気がして。愛羅のことも貶された気がして。
「ご馳走様でした。帰ります」
「そう。葵、門まで送ってあげて」
愛羅の手を取り、立ち上がる。あの人の意図なんてどうだっていい。今はただ居心地が悪くて、一刻も早く立ち去りたかった。
「さようなら」
おばあさんは、最後まで微笑んでいた。
「これで良かったのよね」
「うん。ごめんね、おばあちゃん。憎まれ役なんて頼んで」
「いいのよ。孫の頼みだもの。それに、あの愛羅さんの望みでもあるのでしょう」
「それは、どうだろう。わからないけど、少なくとも私は、あの子が死ぬのは惜しいと思ったわ。初めて会ったときには危うかったけど、今はもう、生きるべき一つの命ね」
「そう。それなら、私の最期の頑張りも報われるわね」
「そうだね。おばあちゃん、あなたの寿命は、今日で終わるんだから」
「例え代わりでも、真似事でも、家族に看取ってもらえるのは嬉しいねぇ」
「おじいちゃんもそうだったと思うわ。おばあちゃんに看取ってもらえて、嬉しかったと思う」
「他の女の尻ばっかり追いかけるような男だったけどねえ」
「ふふっ。それでも、おじいちゃんはおばあちゃんのこと好きだったと思うわ」
「そうかしら」
「私の直感は昔から外れないのよ」
「ふふ。ならそうだといいわね」
「さあおばあちゃん、ここは西日が眩しいから、中に入ろう」
「ええ」
年老いた白髪の女性は、葵に手を引かれる前に、目をそばめて茜色の空を眺めた。
「悔いのない選択ができるといいわね」
「翔」
「何だ?」
帰りのバスで、隣の愛羅が話しかけてくる。
「あのおばあさんは、悪気があったわけじゃない」
「そうか? あの態度は俺に嫌われたいとしか思えないんだが」
「もしかしたら、そうかもしれない」
「どっちだよ」
確かに、わざと俺に悪い印象を与えて、僅かでも他人の記憶に残ろうとしたのかもしれないが。
「わからない。葵にしかわからない」
「なんで言った本人はわかってないんだよ」
ボケだろうと思って笑うと、愛羅は至極真面目な顔つきで俺を見つめた。
「あのおばあさんは、今ちょうど亡くなった」
「っ、そうか」
淡々と事実を告げる愛羅。
「悲しい?」
「いいや。二日の付き合いだからな。いつかこうなる可能性はあったし。タイミングには驚いたけど」
「そう」
愛羅は繋いだ手に力を込めた。慰めてくれているのだろう。
俺の言葉は嘘ではない。喧嘩別れのようなことをしたのだ。全くとは言わないが、彼女を惜しむ気持ちもそれほど強くない。
ただ、最期の最期であの話をしたのは、あの話自体に意味があったのか、俺への印象を強めるためだったのか、わからない。
もしかすると、俺の機嫌を損ねることで、俺が彼女の死を悼まないで済むようにしたかったのかもしれない。




