41日目 8月22日(日)
「寿命はあと10日」
「ん。愛羅、おはっ?!」
「おはよう、翔」
目を開けると、鼻と鼻が当たりそうな距離に愛羅の顔があった。睡眠時の落ち着いた心拍数から突然跳ね上がったことで体に異常を起こしそうだ。
一旦深呼吸をして落ち着こう。しかし、愛羅から香る何らかのフローラルな香りで緊張が増すばかりの逆効果である。
「嫌だった?」
「い、いや全然。大丈夫だ」
落ち着くべく、一旦目を閉じる。普段からスキンシップ激しめの愛羅にすれば、ハグをするときもこの距離になるはずだ。落ち着いて対処すれば何ら問題はない。同衾の時点で問題といえばそうなのだが、残り十日くらい良い思いをさせてほしい。
「おはよう、愛羅」
「うん。おはよう」
目を開けて、改めて至近距離で微笑む愛羅を見る。相変わらず破壊力抜群だ。加えて、浴衣が少しはだけているのもまた俺を惑わすポイントである。
しかも、いつ脱いだのか、ブラの紐が見えない。寝るときはしないとの話だったが、俺より先に寝落ちしたときには付けていたはずだ。一度起きてわざわざ外してもう一回俺の傍に寝たのか。
寝顔を見られることには頓着しないが、無防備な彼女がずっと目の前にいたかと思うと、朝ということもあり元気になりそうである。何か喋って気を紛らわせよう。
「そういえば、酔っ払ってたけど亡霊の対処は大丈夫だったのか?」
「問題ない。何故か亡霊が少なかった」
愛羅にも理由がわからないとなると、俺にわかるはずもない。とにかくラッキーだったということだ。もしかすると、俺に頼み事をしてきた亡霊が駄賃代わりに追い払ってくれたのかもしれないが、それは深読みが過ぎるだろう。
「じゃあせっかくだから、朝風呂行くか」
「うん」
せっかくの温泉宿である。これが本当に温泉なのか、ただの入浴剤かなんて知りはしないが、こういうものは気分だ。
人のいない大浴場で、洗面器の音と水の音が響く。
「翔」
「うわびっくりした」
天井付近の壁に隙間が空いていて、隣の女湯と繋がっているらしい。そこから愛羅の声が聞こえてきた。
「他に人がいる?」
「いや、いないからいいけどさ」
「ならそっちに行く」
「来んな」
「冗談」
「来られそうだから困るんだよな」
愛羅の身体能力を詳しくは知らないが、数メートルくらい飛び上がっても驚かない自信はある。
「でも、翔とお風呂に入ってみたい」
「それは、ちょっと困るな」
「どうして?」
「瑠美にでも聞いてくれ」
「翔に教えてほしい」
「俺が言うとセクハラになるんだよ」
愛羅はハラスメントだなんて思いやしないだろうが。
「それより、窓から海でも見たらどうだ」
「翔と一緒に見たい」
「一緒だろ」
「壁が邪魔。やっぱり飛び越える」
「やめい」
案の定できそうだ。
お風呂から上がるとき、下着の代わりに水着を身につけておいた。部屋に戻り、一番早い時間の朝食へ。遊ぶ気マンマンなので、美味しいからと食べ過ぎないようにしなければ。
チェックアウトの後すぐに海へ向かい、まだ人の少ない砂浜で場所を確保できた。
「なるべく早くと思って来たけど、この時間だと海は冷たいかな」
「眺めているだけでも、翔と一緒ならたのしい」
「そう言ってもらえるのは嬉しいな」
パラソル下に引いたシートに並び、直射日光だけは遮りつつ輝く海を眺める。すると、愛羅がおもむろにパーカーを脱ぎ出した。
「翔。日焼け止めを塗って欲しい」
「え、愛羅日焼けするのか?」
「するかもしれない」
「なんだよそれ」
「瑠美がそうしろと」
「あの妹は」
そんなに積極的に兄の恋愛事情に踏み込んでくるとは思わなかった。単にアドバイスをしているわけではなく、絶対面白がっている。
「塗ってほしい」
「はぁ。わかった。背中だけな」
「全身くまなく」
「自分でしなさい」
うつ伏せに寝転がった愛羅の背中に、日焼け止めでヌルヌルになった手を添える。
改めて、白くてすべすべな肌に触れると、否応なくドキドキしてしまう。なるべく均等になるよう、愛羅の背を俺の手が滑る。
「んぅっ。ふふ」
「変な声出すな」
「でも。くすぐったい。んゃっ」
「やめてくださいお願いします」
ただでさえ、下着姿と変わらない布面積の愛羅の体が目の前にあって、そこに触れているのだ。うつ伏せのため、豊満なそれが潰れているのも目に毒。
「んん。んんんっ」
「それはそれでやばいな」
くぐもった声でも何かと情欲を煽ってくる。殺意が高すぎるのだ。社会的な意味で。
「はいおしまい。あとは自分でな」
「むぅ」
「むくれてもやらないぞ」
頬を膨らませて起き上がる愛羅。仕方ないとばかりに、俺に見せつけるように自らの体へ白い液体を塗りつけていく。
腕、肩、鎖骨。そして谷間。否応なく視線が山脈に吸い付けられるし、妙にテカリの入った肌が色っぽい。
お腹に手が添えられる。くびれのある細い腰周りに白い粘液をぶちまけ、それを満遍なく広げていくのだ。可愛らしいお臍にも指が触れると、ふるりと体が震えた。
そして極めつけは足である。わざわざ愛羅はこちらに体を向けて、足先から少しずつ、ふくらはぎ、太ももへと手が進んでいく。まるで見せつけるように、というか実際見せつけているのだろうが、際どい股関節周りにも手を添える。
「んぅ」
「マジでもう勘弁してください」
水着の端に手が触れて吐息が漏れると、いよいよ耐えきれない。せっかくの海で立ち上がれなくなりそうだった。
「今度は翔の番」
「え?」
「動かないで」
「ぴっ、冷たっ」
暑さばかりでない理由で体を熱くしていた俺の背中を愛羅の細い指がなぞる。予測できない動きがくすぐったい。
「十分だ。自分でできるから」
「塗ってあげたい。だめ?」
「そりゃダメじゃないけど」
「なら動かないで」
「はい」
強請られて、無理に断るようなものでもない。愛羅は慈しむように優しく俺の体に手を触れ、感触を堪能している。男の体なんて触ったところで何も楽しくなどないと思うのだが。
「わひゃっ。やめっ。そこはくすぐったい」
「ここ?」
「んははっ。ストップストップ」
足裏は反則だ。自分のならともかく、他人の手がそこに這うととてもくすぐったい。
「ふふふっ。翔楽しそう」
「楽しくないっ。あひひっ。やめてくれぇ」
「えいっ。えいっ」
「やめっ、くふふ」
耐えきれず、足が動く。
「動かないで」
「うひっ?!」
思わず変な声が出てしまった。俺が勝手に動いたので、愛羅は逃がすまいと、俺の足を無理やり伸ばし、その上に座ったのである。
そりゃ、動けなくもなる。モチモチの太腿で足を固められているのだ。
「もう擽らないでくれよ?」
「保証はできない」
「おい」
言いながら膝裏を撫でられて足が浮きそうになるのを死ぬ気で堪えた。
「はぁ。なんで日焼け止め塗るだけでこんなに疲れるんだよ」
「貧弱?」
「誰のせいだ」
散々愛羅に煽られたお陰で、疲れていなくとも暫く立ち上がれなくった。その間にだんだんと人が増え、浜辺はすっかり賑わっている。
「よし。そろそろ海に入るか」
「うん」
貴重品その他荷物はロッカーに預けてあるので、心置き無く二人で海に足をつける。無論、軽く準備体操をしてから。熱い砂浜を走り抜けて足を水に浸すと、冷たくて首筋辺りがキーンとなった。
「冷たくて、気持ちいい」
「だな。足が砂を掴んで変な感じだけど」
「えいっ」
「のわっ。やったな」
お互いに水を蹴って、相手を濡れさせていく。手を繋いだままなので、避けることはできない。避ける必要もないが。
「波、面白い」
「だろ。もうちょっと深いところまで行こうか」
「うん」
お腹あたりまで水に浸かると、体が波に揺さぶられるようになる。だいたい小学校のプールくらいの深さだろうか。
「ここ、水綺麗だな」
「うん。まだ底がよく見える」
「魚とか見えるか?」
「いない」
「小さいのとかはいるかと思ったんだが、もうちょっと進んでみるか」
遂には俺の胸辺りまで。愛羅で言えば、首が水に隠れるくらいまで進んできた。愛羅の髪の毛が水面に広がっている。
「翔。ちょっと怖い」
「そっか。愛羅、泳いだことは?」
「ない」
「そうだったか。ごめん。怖がらせて」
「翔、おんぶ」
泳げない中で首元まで水に浸かっているというのは怖いはずだ。肺から空気がせり上がってくるような感覚は俺も感じたことがある。だというのに強かな少女だ。謝罪の意を込めて、愛羅を乗せることにした。
「よし。来い」
「やった」
俺の首に腕が回され、体重が乗る。ここぞとばかりに、水さえ挟まない密着状態になろうとワガママボディを押し付けてくるので、このまま岸まで戻ることはできそうにない。
「向こうの岩場まで行ってみるか。あそこなら魚とかもいるかも」
「うん。連れてって」
上機嫌な愛羅の乗り物となって、生き物がいそうな磯へ。
「翔、星がある」
「星? 昼間だぞ」
「あれ」
背中の愛羅が指を指す方向を見ると、確かに星型がある。ヒトデだ。さすがにもう足がつくどころの浅さではないので、愛羅を下ろす。すると愛羅は水の抵抗を受けながらずんずん近づいていく。
「毒とかあるかもしれないから気をつけろよ」
「わかった。触らない」
「あ、こっちに小魚も泳いでるぞ」
と言ったものの、愛羅はヒトデを凝視して動かない。ヒトデの何が良いのかは全くわからないが、真顔もまた可愛いので、とりあえず眺めておいた。
「そろそろ戻るか。お腹空いてきたし」
「うん」
岩場から砂浜のベパラソルまで戻る。その途中、愛羅が急に屈んだ。
「どうした?」
「綺麗な貝殻」
「どれどれ? ほんとだな」
大変小ぶりではあるものの、傷もなく、色も綺麗な白。愛羅はよくこれを砂浜から見つけ出したものだ。
「持って帰る」
「そうだな。これも何かの縁ってことで」
「うん」
そうして貝殻を大事に持った愛羅と共に、ロッカーから財布を回収。そのまま人が多いエリアを歩く。
「愛羅、何か食べたいものあるか?」
「海の家行ってみたい」
「何が良い? 焼きそばとか、お好み焼きとかもあるみたいだけど」
「翔の好きなものがいい」
「うーん、じゃあたこ焼きにするか。体も冷えてるし」
「うん」
やっぱり人が多いので、しばらく並ぶ。イチャつくカップルも多いので、手を繋いでいるくらいで目立つようなことはあるまい。
しかし、行為自体は目立たなくとも、愛羅の存在自体が目立つ。太陽を眩く反射する白い髪というのは珍しい上に、顔も良ければスタイルも良い。パーカーの上からでも芸術品のような肉体美を察することができる。
これには例え彼女持ちであっても、その彼女と共に見とれてしまうものだ。あまり不躾な視線を愛羅に浴びせたくないので、彼ら彼女らの視線を遮るように俺が立った。これは愛羅を直射日光から守るという目的もある。
「翔?」
「日焼けするとお風呂が痛いからな。よければ俺の影にいてくれ」
「うん。ありがとう」
この笑顔が俺にだけ向けられたものだと思うと、優越感が押し寄せる。微笑むくらいにしか顔には出さないが、内心満面の笑みである。
ふと、愛羅が俺の頭に手を乗せた。別に撫でられるようなことはしていないはずだが。
「ん。頭熱い」
「ああ、髪が黒いと熱を吸収するんだよな」
「熱中症は大丈夫?」
「ちゃんと水分補給はしてるから大丈夫だ。愛羅もお茶飲むか?」
「うん」
持っていたペットボトルを愛羅に。当然のように間接キス。この程度はイチャイチャのうちにも入らない。ふと、こくこくと喉を鳴らす愛羅の頭に手を置いてみた。
「俺より熱くない」
「そう? なら、私の髪、日よけに使う?」
「それは流石に変だろ」
一緒にマフラーを巻くとかでもあるまいし。そんな話をしている間に、俺たちの番になった。たこ焼きを受け取り、海の家付属の日陰へ。
「火傷しないようにな」
「食べさせてほしい」
「別にいいけど、熱いから気を付けて食べろよ」
「あーん」
と言いつつ、愛羅はちょっとだけ齧る。やっぱり熱かったみたいで、はふはふしながら嚥下した。ゆっくり時間をかけて一個食べ終える。
「おいしい」
「よかったな」
「お返し」
「え、それは何か嫌な予感がするんだが」
とはいえ拒むこともできず、大人しく口を開ける。案の定加減を間違えた愛羅は俺の口に丸ごと一個含ませてきた。確かにうまいが、それどころではない。声にならない悲鳴を上げ、その場で暴れ出す俺を見て、してやったりと愛羅はくすくす笑っていた。
「翔。お茶」
「お、おう」
ぬるいお茶で中和を図ったが、微妙なところ。口内にじんじんとした感覚が残る。
「ふーっ、死ぬかと思った」
「おもしろかった」
「面白がらないでくれよ」
「ごめんなさい」
謝りながらも、愛羅は楽しそうに笑った。
「そろそろ帰ろうか」
「うん」
最後にもう一度海に入って、お開きとなった。まだ日は高いが、今帰らなければ、帰宅が夜中になってしまう。
「少しさみしい」
「それも旅行の醍醐味だ」
上から言ったが、俺も少し寂寥感を覚えていた。楽しい時間というものはあっという間だということを改めて知った気分だ。
「じゃあ、ここで着替えて出てきてくれ」
「うん」
二つ並んだ個室の更衣室を使う。別段ここにきて何かが起こるというわけでもないだろうと思っていたが、その予想は裏切られることとなった。
着替えは俺の方が早く済んだ。そこで愛羅が入っている扉の前で待っていたのだが、どうにも中が騒がしい。
「どうかしたか?」
「助けてほしい」
愛羅の声と共に鍵が開いた。傍から見ると怪しいこと極まりないが、そーっと数センチ扉を開ける。すると案の定、下半身は下着姿のままだった。
「ちゃんと服を着てから呼びなさい」
「引っかかった」
「え」
「入ってきて」
彼女が入っている更衣室に一緒に入るのと、覗くのと、どっちが風聞が悪いだろうか。でも何もしなければ愛羅は出てこないだろうし、やむを得ない。周りの視線が向いていないことを確認して、狭い個室に入り、急いで扉を閉める。
「どこが引っかかってるって?」
「この辺り。無理に引くと破れそう」
壁面にある刺さりの甘い釘。そこにブラウスのフリルが引っかかっていた。縫い目の合間を更に縫うように引っかかっているので、確かに簡単には取れないし、無理にしようとすれば生地が耐えられるかわからない。
「じっとしてろよ」
「うん」
外すと簡単に言っても、ここは個室。壁まで手を伸ばすにも愛羅と密着せねばならない。もういい加減慣れてもいいと思うのだが、律儀に俺の心臓はドキドキと早鐘を打つ。恐らく、狭い密室ということも関与しているだろう。背徳的な感じがして更に緊張感が増す。
「は、はい。取れたぞ。もう大丈夫だ」
「ん。ありがとう」
これでも手を出さない俺は紳士の鏡だと思うのだ。単純に愛羅が嫌がる可能性が怖いというチキンとも言うが。
そうして着替え終えた愛羅と更衣室を出る。順番待ちをしていたであろう同い年くらいの少女と目が合った。俺たちが二人で出てきたところを見て顔を真っ赤にしている。それでありながら俺たちの使っていた更衣室に入った。
彼女が何を想像していたのかは想像に難くないが、何もしていないし匂いもしないので是非安心して使って欲しい。
何かとそういう誤解をされやすいのは、愛羅と過ごす上でもはや宿命と受け取っておこう。




