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39日目 8月20日(金)

「寿命はあと12日」

「おはよう愛羅」

「おはよう翔」


 目が覚めると、愛羅がベッドに飛び込んでくる。甘えたがりな猫のようにスリスリと体を寄せてきて、朝からとても幸福感を感じた。


「今日は何をしようか」

「何でも一緒にする」


 その一言だけで胸がいっぱいになる。なおのこと俺も愛羅も楽しめることを考えなければならないと思う。


「今日は私に任せてほしい」

「愛羅が? 何かあてがあるのか?」

「わからない」

「なんだそりゃ」

「瑠美が何か勧めてくれるらしい」

「なるほど」


 愛羅の存在はもう既にバレている。何かしら考えてくれるというのなら、それに従ってみるのも一興というものだ。


「それじゃあ、瑠美が起きてくるまで一緒に朝ご飯でも作るか」

「今日は私が作る」

「なんでも一緒なんじゃなかったか?」

「翔には見ていてほしい。お祖母様から譲り受けた秘伝を今見せるとき」

「そんな秘伝はないぞ」


 俺だって教わったが、あのばあちゃんは意外とお茶目なところがあって、わりと普通のことでもそれっぽく振る舞ったりするのだ。俺のときは豚汁に隠し味と言って味噌を入れたりだとか、そんな感じだった。


「じゃあ、楽しみにしておこうかな」

「任せて」


 それでも、折角愛羅がやる気なのだから、任せてみるのも悪くない。それに、台所に立つ彼女を見るというのも、これまでずっと一緒に立ってきたからこそ新鮮で良いものに思えるだろう。


 キッチンに降りてきて、愛羅が紺色のエプロンを手に持つ。ばあちゃんから免許皆伝の証としてもらったとのことだ。向こうでは、台所は女の園だからとばあちゃんに言われて入れなかったため、どんなことが行われていたのかわからない。ばあちゃんの口から女の園と言われるとちょっと寒気がするが、仲良くなったのはいいことだ。


「翔、少し後ろを向いていて」

「え? ああうん」


 言われた通り後ろを向く。衣擦れの音が聞こえるわけだが、エプロンを着るだけに俺が目を背ける必要があるのだろうか。まさか愛羅に限って羞恥心というわけでもあるまい。というか、エプロンを着るのに羞恥を感じる要素がない。不安で言えば、ばあちゃんが変な入れ知恵をしていないかだが。


「いいか?」

「うん」


 衣擦れの音が止み、承諾を貰って振り向く。不安は的中していた。


 愛羅はエプロンを着ていた。しかし、エプロン以外は着ていない。俗に言う裸エプロンというやつだった。エプロンの色だけがいやに現実味をもっている。


「ど、どうだろうか?」


 発想はともかくとして、愛羅が少し顔を赤くして俯け、エプロンの端を押さえている。これは間違いなく恥じらいの所作であり、俺がどうしても教えてやれなかったことである。


「お祖母様が、ケンタイキにはこれをしろと」

「倦怠期って、絶対意味わかってないだろ」

「嫌だった?」

「最高です」


 それはそれはいい笑顔で親指を立てた。ばあちゃんの思考にはもうこの際突っ込まないことにする。薮蛇になりそうで色々と怖い。


「うれしい」


 俺の言葉に微笑んだ愛羅は、新しい洋服を披露するようにくるりと一回転。エプロンを押し上げる山脈を横から覗くこともできるし、かわいいお尻もチラリ。悩殺する気満々である。


 俺が言葉を失っていると、愛羅は料理を始めた。いったい恥じらいはどこに行ったのか。所詮付け焼き刃だったのだろう。ヒラヒラする裾を気にすることなく、惚れ惚れする手際の良さで進めていく。


 包丁の音が静かな部屋に響く。これを聞けば日本人なら誰でもノスタルジックな気分になるのではないだろうか。例え母が朝食を作ったことなどなくても。


 ただ、今料理をしているのは俺の彼女だ。それはそれで新婚のようなロマンに溢れている。格好がやけ扇情的なのはともかくとして。


「お祖母様から、これをすると襲われると聞いた」

「俺にか?」

「そう」


 料理の最中でも、会話をするリソースはあるようで、愛羅の方から口を開いた。


「そう聞いていたならやるなよ」

「翔は、私の嫌なことはしない」

「そりゃそうだけどな」


 どうせ愛羅のことだ。襲われるという言葉の意味もよく分かっていないに違いない。


「それに、翔がしてくれることなら何でもうれしい」


 裸エプロンよりも、その言葉の方が俺の理性を大きく揺らがせたことを、愛羅は知らない。


「くぁーあ。おあよー馬鹿にい、愛羅さん」

「ああ、瑠美。おはよ、うっ」

「おはよう」

「何よ馬鹿にい。机の足で小指ぶつけたような声出して」


 いつの間にか時間が経っていたようで、瑠美が降りてきてしまった。ダイニングから見えるキッチンには、裸エプロンの愛羅。修羅場である。


「愛羅。瑠美が寝ぼけてるうちに服着てくれ」

「でも、鍋が」

「代わるから! 早く!」


 瑠美に聞こえないように小声で叫ぶ。寝起きの愛羅はリビングのテレビをつけ、まもなくブルーライトで目を覚ますだろう。それまでにどうにか。


 そう思ってキッチンに入ると、なぜか愛羅は唯一の防衛線を身から話そうとしていた。


「なんで逆に脱ぐ!」

「服を着るにはエプロンを脱ぐ必要がある」

「姿消せばいいだろ!」

「あまり、姿を消したくない。私は翔の彼女だから、人らしくありたい」

「あーもう嬉しいけど! わかったからとにかく急いでくれ!」


 鍋を掻き混ぜながら、隣で愛羅が着替え終えるのを待つ。隣を意識しないためとはいえ、こんなに鍋に集中したことなどない。


「あれ、馬鹿にい、愛羅さんは?」

「ぅえっ? あー、トイレじゃないかな?」

「ふーん。それより、いい匂いね」


 愛羅が立っているのは、ギリギリリビングから見えない位置だったらしい。愛羅が下着を身につけると同時に瑠美が声をかけてくる。


 それだけなら良かったのだが、俺が掻き混ぜる鍋の中身を見ようと近づいてきてしまった。愛羅は機転を利かせて少しでも見えにくくなるようしゃがんだが、その位置はまずい。


「え? 何してんの?」

「あー、その」


 結局、近くまで寄ってきた瑠美は愛羅に気づいてしまった。屈んで、俺の陰に隠れようと傍にいる愛羅。


「あーそう。隠し味に白い液って? 妹になんてモノ飲ませようとしてるのよ。ぶち転がすわよ」

「違うわ!」

「いくら彼氏彼女でもドン引きなんですけど」

「だから違うって」


 瑠美が何を想像したのかは薄々わかっているが、そんな問題だらけの行動はしない。


「じゃあなんでそんなことになってるのよ」

「料理してたら立ってばっかだろ? 疲れたならしゃがめばどうかって」

「なんで下着姿である必要があるのよ」

「暑いから、かな」

「とりあえず、馬鹿にいの趣味ってことで、追放していい?」

「やめてくださいお願いします」


 言い訳も虚しく、鉄拳制裁が待ち受ける。そこで愛羅に目で救援を求めた。


「瑠美。これは私がしたこと」

「そうなの?」

「翔が喜ぶと思って」

「やっぱ馬鹿にいの趣味じゃない。処刑決定ね」

「ちがーう! 誰か助けてくれー!」


 朝からとんだカオスが巻き起こった。バレたからもういいとばかりに普通に服を着る愛羅の精神力が俺にも欲しい。




「で、今日は瑠美からお勧めがあるって聞いたんだが」

「あるけど、そんな不細工な顔で外出ないでくれる?」

「お前が! やったんだよ!」


 ガッデムとばかりにビンタを食らわされ、朝食前に俺の頬が膨らんだのである。腫れたともいう。


「別に、ただの提案だから、好きにしたらいいと思うけど。海でも行ってきたらどうかなって」

「海?」

「そ。電車で、それほど遠くないところにあるから。日帰りでも何泊でも行ってきたらいいんじゃない」

「さすがに泊まるだけの金はないぞ」

「私のお小遣いでも使えばいいわよ」

「いや、それは」

「その代わり、馬鹿にいが死んだら、馬鹿にいのものは全部私が貰うから」


 平然とそんなことを言って、愛羅が作った味噌汁を飲む瑠美。瑠美なりに気を使ってくれているのだろう。


「そうか。じゃあ、少しだけ使わせてもらうよ」

「あっそ。愛羅さん、この味噌汁美味しいわね」

「ふふ。ありがとう」

「馬鹿にいも、せっかくこんなに美味しく作ってくれたんだから感想くらい言いなさい」

「言われなくても。美味いよ愛羅。今まで飲んだ味噌汁で一番美味い」

「うれしい」


 にっこり笑顔。同性の瑠美でさえぼーっと見とれてしまう可愛さだ。


「それじゃあ今日は買い物か。水着とか、持ってないだろ」

「うん」

「いってらっしゃい。私は部活だから。ごちそうさま」

「お粗末さま」

「頑張れよ」


 そういえば、結局瑠美の部活が何か知らないままだ。知らないままでいて欲しいというなら、それでも良いか。


「じゃあ、俺たちも行くか」

「うん」




 毎度お馴染みのアウトレット。以前来た時にも水着コーナーはあったが、少し拡充しているような気がする。アウトレットの仕組みなんて知りはしないが、なんともお誂え向きである。


「なんか、下着売り場みたいでめちゃめちゃ気まずいな」

「翔は私の彼氏。何もまずくない」

「ん、そうか。愛羅だけ見ていればいいか」

「そう。私と、私に似合う水着だけを見て」

「わかった」


 他人の視線など気にしても仕方がない。捕まりさえしなければ、何をしたって俺のメンタルは傷つきなどしないのだ。


「愛羅にこういうのは、さすがに子どもっぽすぎるよな」


 ワンピースタイプの、割と露出面積が少ない水着。フリフリもついていて可愛くはあるのだが、サイズ的にも似合いそうにない。このタイプの水着であのナイスバディを押さえられるかどうか。


「こっち?」

「そうだな。セパレートタイプだったか? こっちの方が似合うと思うぞ」


 かといって、過度な露出は控えてほしい。愛羅が集めるのは俺の視線だけで十分だ。


「ん。いくつか試着する」

「え」

「どうかした?」

「取り残されるのが、ちょっとな」


 シーズンも終わりが近いということで人はそれほど多くないが、心境としては四面楚歌である。


「一緒に入る?」

「馬鹿言え。さっさと行ってこい」


 そういえばこういうことを平気で言ってくるやつだったと思い直して、試着室の前でそっと瞑目する。俺が見るのは愛羅だけだ。余計なものは何も見ない。


「翔。見て」

「ん、わかった。外には出るなよ」


 控えめに開けられたカーテンから中を見る。見慣れた、というと誤解しかないが、いつもつけているだろう黒の下着とそう変わらない、黒の水着だ。


「うん。似合ってるよ」

「そう?」

「あんまり気に入らないか?」

「翔には今朝も見られたから、違う色にする」

「あんまそういうこと言わない。な?」

「わかった」


 若いカップルはお盛んねえなんて言われた日には悶え死ぬ自信がある。言ってくる人なんていないだろうが。


「若いカップルはお盛んねえ」

「っ?!」


 ニタニタと笑いを浮かべた美川がそこに立っていた。


「なんでまた、こんなところに」


 どうしてこう、美川とは買い物先でばかり会うのだろう。どうせ会うなら、事前に連絡くらいほしい。心臓に悪い。


「男がいる方がおかしいと思うわよ」

「俺は愛羅の付き添いだから」

「彼女できたのね。よかったわ」

「お、おう」


 どうしてそこまで安心したような表情を浮かべているのかはよくわからない。


「万が一にも邪魔したくないし、それじゃあ」

「え、あ、ああ。じゃあな」


 忘れがちだが、気の抜けたこんな挨拶で今生の別れになるかもしれない。というか、きっとなる。礼を失している感じがするが、追いかけても不審がられるだろうし、これくらいで構わないだろう。


「翔。私だけ見て」

「ごめんごめん」


 美川との会話が聞こえていたのだろう。むくれた様子で試着室から俺の腕を引いた。


 引きずり込まれないようにしながら見ると、今度は驚くほど布面積が小さい白の水着だった。こんなものが全年齢対象の店に売っているのが驚きだが、俺の目を釘付けにするという気概は十分に感じられた。


「翔、これ好き?」

「好きか嫌いかで言えば好きだが、これを着て外に出て欲しくない」

「どうして?」

「その格好の愛羅は、俺だけ知ってればいい」

「独占欲?」

「これはむしろ常識の範囲だ」


 なるべく豊満なそこに目を奪われすぎないよう気をつけつつ、次をねだった。


「どう?」


 これがまた、よく似合っていた。水色で、上にも下にもフリル。見慣れていたということもあり、てっきりシックな黒が似合うかと思っていたのだが、これはこれで大変可愛らしい。


「可愛いよ。世界一だ」

「えへへ」


 その上あどけなく笑ったりなどするものだから、いよいよ可愛すぎて涙が出てきそうなほどだ。目に入れても痛くないし、むしろ保養になる。


「じゃあ、これにする」

「よし。じゃあ買うか」

「いい?」

「ああ。着るにもいちいち姿消す必要とかあるだろ?」

「でも、お金」

「これくらいは任せてくれ。甲斐性ってやつだよ」


 思ったより高くて声が出そうになったのは内緒だ。


「翔のは私が選ぶ」

「お、そうか?」

「かっこいいのを選ぶ」

「じゃあ任せる」


 男物なんて、それほど拘る必要もないと思うが、せっかく愛羅が張り切ってくれたので、その様子を観察してみる。


 迷いなく男物コーナーに入る愛羅。何も気にした様子はないが、周りの男性陣がギョッとしているのが見ていて面白い。


「まずこれ」

「え」


 渡されたのは、所謂ブーメランパンツ。いくら羞恥を捨てて愛羅の望むままになるといっても、これはちょっと遠慮願いたい。


「あとこれ」

「ストップストップ。もうちょっと面積があるやつにしてくれ。さすがに恥ずかしいから」

「私は翔ともっと直に触れたい」

「ちょおまっ! しーっ!」


 周囲の男たちが嫉妬を超えて憎悪の視線を向けてくる。まだ一度もそんな関係には至っていないのに、理不尽だ。


「な? 頼むから」

「むう。わかった」


 残念そうにしながらも、言うことは聞いてくれる。いい子だ。初動さえおかしくなければ。


「翔。これがいい」

「ん? ああ。いいじゃないか」


 今度は普通のハーフパンツ型。愛羅のと同じ水色で、ペアルックと言えなくもない。恋人らしさで言えば満点をあげられるくらいだ。


「色、お揃い」

「そうだな」

「うれしい」


 言葉足らずではあるものの、それが却って幼く感じられ、やっぱり愛羅は綺麗というより可愛い。


 最初の頃はそれこそ鋭利な刃物を持って、怜悧で冷たい少女という印象だったが、今やデレデレの愛玩動物のようだ。それが可愛いので、何も文句はない。


 二人で海を歩く日を思い浮かべながら、俺は試着室でこっそり頬を綻ばせた。

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