38日目 8月19日(木)
「起きて」
「ほぇ?」
暗闇に包まれた部屋。時計を確認してみると、午前三時。昨日は鳴海、もとい瑠美と遊んだおかげで疲れ果てていたのだが、体が揺すられてやむなく起きた。
「愛羅?」
何故だかわからないが、この少女の顔を見ると、無性に胸がときめく。僕は彼女のことを知らない。しかし、俺にとっては余程大切な存在だったのだろう。
「あなたに、真実を伝えたい」
「真実?」
「話していなかったと思う。私が死神であること」
「へ? 死神?」
荒唐無稽な話だ。確かに浮世離れした美貌ではあるが、だからといってこの世のものではないなどと。目の前にいる少女から言われたところで、何の説得力もありはしない。
「証拠を見せる」
そう言った愛羅の姿が消えた。電気を付けてみても影も形もない。まるで、愛羅の存在が夢だったように、忽然と消えてしまった。
「これが死神としての能力」
「鎌? 死神の鎌か」
再び目の前に現れた愛羅は鎌を構えていた。なるほど、僕が俺に乗り移ったなんて事態が起こりうるくらいだ。俺に最も近しかったであろう愛羅が特殊な立場でもおかしくはない。
「それで、僕にどうしろと?」
「してほしいことはない。ただ、早まらないでほしい」
「どういうことだ?」
「あなたは、海翔は既に死んでいる」
「は?」
死神が言う。僕が死んでいると。そんな馬鹿なことはない。ここに僕が、僕として存在しているのだから。
「あなたは亡霊だった。そして、翔に入り込み、自らの記憶を強引に挿入した」
「ちょ、ちょっと待て。僕はここにいる。生きている」
「違う。生きているのは翔だけ。海翔は亡霊として、魂だけが現世に現れた」
「そんな馬鹿な」
「あなたの失われた記憶は、あなたが死んだ記憶。そして、あなたの妹が死んだ記憶」
「な、は? 鳴海が、死んだ? 鳴海は今もこの家に」
「いない。この家にいるのは瑠美」
確かに、瑠美は鳴海と性格が違う。見た目は似ていても、あんなに直接的な罵倒が飛び出すような育て方はしていない。しかし、それも照れ隠しだと思っていた。
「あなたのことを調べた」
「っ、僕の、欠けた記憶?」
「そう。海翔と鳴海が死んだ記憶」
言いながら、死神が近づいてくる。
反射的に、ベッドの上で僕は後ずさった。
「あなたに、もう一度見せてあげることはできる。それとも、自分で思い出す?」
「な、何が目的なんだ。僕にそれを教えて、僕から幸せを奪おうというのか? それが死神の嗜好か?」
「違う。私は、翔を返してほしいだけ」
「どちらにしても、僕の幸せを奪って、死神が幸福を得たいというエゴじゃないか」
「そう」
どうして死神なんかのために、僕が不幸にならなければならないのか。命を奪う存在が、僕を差し置いて幸せになりたいなんて。
「私は、翔ともう一度話がしたい。翔の形をした別人とではなく」
「そのために僕に消えろと?」
「そう。あなたの妹はもういない。翔の体に執着する必要もない」
「僕の妹は生きている。ちょうど、隣の部屋で眠っているはずだ」
「違う。瑠美は鳴海ではない。どれだけ似ていても、記憶も中身も別人」
「そんなわけない。だって僕らは運命で」
「運命なんてものはない。少なくとも、他人の存在を、幸福を犠牲にして成り立つ運命に、本当の幸福は含まれない」
例え、瑠美が本当に鳴海の記憶を持っていたとして、俺と愛羅の幸せを奪ってまで為したもので、鳴海が喜ぶのか。死神が言ったことは、僕にはそう聞こえた。
答えは、否だ。
鳴海は優しい。他人の不幸に寄り添って、肩代わりだってしそうなくらい。俺を殺して存在する僕と一緒にいて、本当に鳴海が幸せだと思ってくれるのか。答えはわかりきっている。
「そう、か。ごめん。僕がしようとしていたのは、そういうことだったんだな」
体の中にある俺の記憶、愛羅、そして鳴海に心から謝った。そして、この体は返してやらねばならないと理解した。
「どうやったら、この体から僕の記憶を追い出せる?」
「良い?」
「ああ。僕がいつまでも居座っていたら、迷惑だろうから」
「なら、寝転がって」
死神に促されるまま、僕はベッドに横たわった。
「瑠美。来て」
「えっ」
死神が言うと、部屋の扉が開いた。そこにいたのは、俺の妹。
「海翔って名前だったのね」
「る、瑠美」
「うちの兄の体使って、散々やってくれたじゃない」
思い返してみれば、鳴海だからとありとあらゆるスキンシップをしたものの、これが鳴海でないならば、瑠美に相当な負担をかけたことになる。
これまでの比にならない罵声を浴びせられても、こればかりは仕方の無いことだと、身構える。
「私から言うことは何も無いわ」
「え?」
「あなたがもう一度本当の妹に会えたなら、きっとその子がちゃんと叱ってくれるでしょう。浮気みたいなものだし」
威圧感を放つことさえもなく、瑠美は僕が横たわるベッドに鷹揚に腰掛けた。
浮気と言われると、確かに耳が痛い話である。しかしそれよりも、瑠美が僕と鳴海の再開を信じていてくれることが嬉しかった。
「愛羅さん。始めて。私ももう眠いから」
「わかった」
「瑠美が何かするのか?」
「まあね」
そう言って瑠美はゴロンと俺の腹の上に身体を重ねた。ちょうどお腹とお腹を重ねてクロスするような形。少し間抜けではある。そして、その上から死神も身を重ねた。ふざけているように見えて、結構全員真剣な顔をしている。
「覚悟はいい?」
「ええ。問題ないわ」
「覚悟が必要なのか?」
「怖ければ目を瞑っていればいい」
そう言われると、目を開けていたくなる。しかし、すぐ後悔した。
死神は鎌を掲げ、そのまま僕達が重なった場所へ振り下ろす。逃れようとしなかった自分を褒めてやりたい。
その鎌は、死神、瑠美、僕の腹部を貫いた。鎌が突き立った場所は不思議と痛くない。代わりに、燃え上がりそうなほどの熱を感じた。
その熱に溶かされるように、僕は意識を手放した。
記憶が流れ込んでくる。僕の記憶じゃない。でも、とても懐かしい。
映る人影は、幼い俺。それも、背中ばかりが見える。投影された僕の姿よりも、一回り大きくて、いつも僕を守るように立ってくれる。
これは、瑠美の記憶だ。
そして、俺の記憶に繋がるものでもある。
毎朝同じ班で登校した。遅刻するときも一緒だった。体操服を貸し借りした。プール解放も、夏祭りも一緒だった。一緒に図書館で宿題をした。二人で汚れて帰ってきて怒られた。運動会のお昼は一緒に食べた。コタツの中で悪戯し合った。二人お揃いのクリスマスプレゼントに喜んだ。
幼い瑠美の記憶には、俺との沢山の思い出があった。
その全ての記憶に、安心という感情がついている。兄の姿を見て、安心し、そして勇気を貰う。いつだって瑠美は俺のことを見てくれていた。
僕の記憶が瑠美の記憶に塗り替えられていく。いや、俺の記憶が掘り返されているのだ。僕の記憶という鍍金が剥がれ、俺の記憶が瑠美の記憶と結びつく。
俺は、いつだって瑠美のことを気にかけていた。人見知りで、いつも俺の後ろについてまわる瑠美のことが心配で、勇気を分けてやりたかった。だから、俺は瑠美を色んなところに連れ回したし、楽しいと思うことを沢山教えた。
懐かしいあの日々が、次々と目の前を通り過ぎていく。こんなこともあったなと、ノスタルジックな気持ちを抱いていると、記憶が途切れた。
「これくらいでいいでしょ」
「瑠美?」
暗く染った世界に、瑠美が立っていた。
「記憶は戻った?」
「ああ。お陰様で」
迷惑をかけたなと思いつつ苦笑すると、瑠美は安心したという風に笑った。
「状況はわかる?」
「瑠美の記憶が流れてきて、俺の記憶を引っ張り出してくれたって感じか」
「そ。今は馬鹿にいの意識と私の意識を繋げてる状態。誠に遺憾ながら」
「一言余計だ」
でも、それが今の瑠美だということを俺は知っている。記憶として覚えている。
「あのさ、馬鹿にい」
「なんだ?」
「あと二週間で死ぬんだって?」
「っ。愛羅に聞いたか」
「うん。まあね」
「黙っててごめん」
信じて貰えないだろうとはいえ、秘密にしていたことは事実だ。謝る必要がある。
「別に、謝ってくれたから許してあげる」
「ありがとう」
「えーっと、もう、心の整理はつけたつもり。だから、私のことは気にしなくていいから」
「それって?」
俺が首を傾げると、跳ねるように瑠美は俺に近づいてくる。
「愛羅さんと、思う存分イチャつきなさい。せいぜい、死ぬまで笑って生きることね」
瑠美が俺の額をグッと押した。
踏ん張ることができず、俺はふわりと後ろに流される。無重力のように、慣性に従ってゆっくりと。
「じゃあね。また現実で」
「え」
「このまま進めば、愛羅さんの意識に繋がるわ」
だんだん瑠美の姿が遠くなって、モヤがかかり始める。
もう顔も見えなくなって、しかし小さく声が聞こえた。
「今までありがと。お兄ちゃん」
何も無い世界にフワフワと浮かぶ。
「翔」
「愛羅!」
突然、俺の上に愛羅が姿を現した。俺にはない重力を受けて、落下してくる。俺は無重力なので、うまく受け止めることができずに押し倒された。床は存在していたらしい。
「翔」
「ただいま、愛羅。心配かけたな」
俺の首元に顔を埋める愛羅の頭を撫でる。
「ごめんなさい」
「どうして謝るんだ」
「私の不注意で、翔を危険に晒した」
「気にするなよ。それより、俺を取り戻してくれてありがとう」
愛羅の背中を優しく叩く。赤ん坊をあやすように。
「本当に、これでよかった?」
「ん? どういう意味だ?」
「あのままの状態だったら、あなたはもっと長く生きられたかもしれない」
「そんなの。俺が生きてるって言えないだろ」
「そう」
「俺は、俺のままで、愛羅と生きたい」
愛羅の華奢な体を折ってしまおうというほど、力を入れて抱きしめる。
この感触が二度と味わえなかったかと思うと、ゾッとする。しかし、今は取り戻してくれた喜びの方が大きい。
「愛羅。いつか神様が俺を殺すまで、一緒に笑っていような」
決めゼリフのつもりだったが、愛羅からの反応がない。
「愛羅?」
「翔。翔は私のこと、何より大切?」
「ああ。勿論だ」
「瑠美よりも、奏よりも?」
「ああ」
かといって、全てにおいて愛羅を優先した結果として、彼女らを危険に晒すようなことはしたくないと思っているが。
「俺は、俺自身よりも、愛羅のことを大切に思ってる。だからこうして、寿命を捨てて愛羅と過ごす道を選んだ。そうだろ?」
「うん。ごめんなさい、変なことを聞いた」
「大丈夫だ。気持ちを伝えきれない俺も悪いから」
言葉で伝えられることには限りがある。なぜなら、言葉には嘘が存在するからだ。例え真実を告げていたとしても、聞き手の判断次第で違いが生まれる。
愛羅が俺を疑うというのなら、それは確かに悲しいことだ。しかし、俺に残された道は信じさせてやることの他にない。それが惚れた弱みというやつなのだろう。
今は少しでも気持ちが伝わることを祈って、愛羅の体を強く強く抱きしめた。
「翔」
「どうした?」
しばらく抱き合ったままでいたが、やがて愛羅が俺から体を離した。
「私は、決めた」
「何を?」
決然とした表情で、俺の目を見つめる愛羅。
「私は、翔をもっと惚れさせる」
「へ?」
「この世界に未練が無くなるように、私だけしか見られないようにする」
宣言。ゾクゾクと、何か快楽が俺の体を走り抜ける。
「愛羅。多分それ、独占欲みたいなものだと思う」
「独占欲?」
「そう。自分だけを見ていてほしいって思う気持ちとか、相手の全部を独り占めしたい気持ちとか」
「うん。私は翔を独占したい」
押し倒された状態で聞くセリフとしては、控えめに言って最高である。愛する人に愛される感覚がこんなに甘美なものだとは。
「翔。もう離さない」
「は、はい」
歯を見せて笑う愛羅。なんだか食べられてしまいそうだ。
「まずは、私がどれだけ翔のことを好きか、知ってもらう」
「というと?」
「私の記憶も見て」
愛羅がそう言った途端、記憶が流れ込んでくる。記憶というよりも、感情の奔流だった。
出来事としては、俺の記憶にも新しい。でも、それに付随する感情がどれも好きでいっぱいなのだ。記憶よりも感情の方が圧倒的に多い。
愛羅にとって、どんな経験にも俺がいた。美味しい、嬉しい、楽しいの感情には全て俺が関わっている。そしていつの間にか、俺を見るだけで好感情が生まれるようになっていた。
翔は私の全て。大好き。
あくまで愛羅の心を代弁したまでだ。あまりに率直すぎて、照れてしまいそうになる感情である。
しかし、俺はそれを受け取って悶えそうなほど嬉しい。恥ずかしいなんて二の次だ。こんなにも健気に俺の事を想ってくれる愛羅が愛おしくてしょうがない。
「どう?」
「愛羅まじ可愛い」
「えへへ」
「あー可愛い。成仏しそう」
いっそ目を背けたいほど可愛い。でも決してそんな勿体ないことはしない。死んでも忘れてやらない脳内フォルダに永久保存だ。
「私の気持ち、わかった?」
「そりゃもう。俺だって愛羅のことしか考えられない」
「ふふ。やった」
一生見ていたい、この笑顔。
しかし、この意識の世界ももう終わりに近いらしかった。黒く塗りつぶされていた背景が、だんだん白んでいく。
「翔。そろそろ目覚める時間」
「ああ。向こうでもイチャイチャしような」
「うんっ」
愛羅と抱き合ったまま、意識が離れていくのを感じる。
もうすぐ、朝がくる。
「愛羅っ!」
「翔っ!」
目覚めた瞬間、折り重なっていた愛羅に全力ハグ。早速続きだ。
「ぐえっ」
「あ」
そう思ったのだが、間に瑠美がいることを忘れていた。腹部を人体でサンドイッチされた瑠美が、怒りと共に目覚める。
「他所でやれ!」
「ここ俺の部屋!」
俺が戻った日は、早朝から騒がしくなった。




