37日目 8月18日(水) 愛羅視点
暗闇に支配された深夜。瑠美を鳴海と勘違いしたが故の暴走で疲労した翔、いや海翔が眠りについて、ようやく落ち着いて考える時間ができた。
亡霊が翔に触れたことで、亡霊の記憶が翔の記憶の多くを塗り替えた。直後に亡霊を切り払ったため、完全に別人格となることは防ぐことが出来たようだが、それでも意識の大部分を海翔が占有している。
私が好きだった翔は、もう戻ってこないのだろうか。
「おかえり」
「っ。藍那」
「愛羅っち、どしたの? もしかして、寝てる彼ぴっぴにキスしようとしてた? きゃーふしだらっ」
「そういう訳では無い。それに、翔は」
「よくわかんないけど、話はオシゴト終わらせてからってことで」
藍那がそう言うと、壁からぬるりと亡霊が現れた。私から、翔を奪った、亡霊。
「うわちょっ! なんか今日荒れてない?!」
「いつも通り」
図星だった。翔を、私に感情を、好きをくれた翔を奪われて、平常心でいられるはずがない。
「そう言うなら、藍那ちゃんはこの人の身辺警護に徹しようかね?」
「任せる」
ありがたい。これで事故を恐れることなく思う存分ストレス発散ができる。
翔に出会うまで、亡霊を駆逐することに感情の変化などなかった。翔に出会って、感情をもらってからは、翔を守りたいという気持ちでいっぱいだったし、今は翔を奪われた憎しみでいっぱいだ。
「愛羅っち、おつかれちゃん。今日はこれでおしまいかな。随分少なかったけど」
「そう」
「で、彼ぴっぴとは何があったわけ?」
「それは」
私は藍那に正直に話した。正直、誰かに打ち明けたくて堪らなかった。でも、いざ言葉に出すとどうしても、これが現実なのだと認めてしまっているようで、悲しくなる。
「あー、触られちゃったかぁ。そりゃ神様に怒られるねえ」
「そんなことはどうでもいい。翔が翔でなくなったことが問題」
「って言っても、記憶が混濁してるだけで、中身は変わってないんじゃね?」
「人間は記憶で自我を形成する」
「そうかもしれんけど、どうしようもなくね?」
だからこそ、神から厳重な注意が私たちに与えられるのだ。元に戻す方法があれば、神も私たちを派遣することなどない。
「元々、彼ぴっぴと愛羅っちの関係は特殊だった訳だし、あの訳わかんない量の亡霊からして、いつかこうなってたっしょ。人生諦めが肝心よ。人間じゃねーけど」
「そう」
そうなのだろうか。確かに翔の命は、例え亡霊に触れなかったとしても残り二週間。遅かれ早かれ、別れはやってきた。
それでも、その短い期間であっても翔は、私といたいと言ってくれた。その気持ちに応えてあげたい。
「藍那。これで翔から海翔の意識を引き剥がすことはできる?」
私は鎌を掲げた。亡霊排除のための、特別製の鎌。私にとって、死神の象徴のようなもの。
「無理無理。その鎌でもこの銃でも、定着した記憶を吹き飛ばして元の記憶を補填するなんてできっこない。精々意識を飛ばすくらいにしか使えないから」
「そう」
知っている。神に教えてもらったことだ。この武器で人を攻撃したところで、干渉できるのは表層の意識程度。記憶の操作なんて精密なことはできない。意識の集合体である亡霊を一時的にでも消し去るための武具なのだから当然だ。
「いくら天才藍那ちゃんがついていても、出来ることと出来ないことはある的な? 諦めるしかないと思うけど。それじゃね」
藍那はそう言って帰っていった。
暗い部屋。翔、今は海翔の寝息が立てる音しか聞こえない。
「私は、どうしたらいい」
眠っている翔のあどけない寝顔を覗き込み、その頬にそっと手を触れる。
翔は幸せそうに笑った。
私は悔しくて泣いた。
「あなたの寿命は、残り14日」
「おはよう、愛羅。鳴海はもう起きてるかな」
「まだ。それに、鳴海ではなく瑠美」
「そっか。そうだったな」
翔の体に図々しくも入り込んでいるこの男は、今日も呑気に妹のことばかり。私を気遣う様子も無いではないが、瑠美を前にすると全て忘れてしまう。
私には、翔の顔をした彼が狂人に見えていた。
死人でありながら、その妹とやらも死んでいるだろうに、翔の体を使って瑠美に偶像を押し付け、幸せそうにしている。まるで、自分が死人でないように。
「もしかして、記憶が不完全?」
「ん、ああ」
考えてみればそうだ。翔の記憶が一部残っているのだから、同様に海翔の記憶も一部が抜け落ちている。それが自らの死と妹の死であれば、この気狂いのように見える態度も納得がいく。
「なんか大事なことを忘れている気がするんだ」
「それは」
告げてやろう。お前は翔を傷つけ、私を傷つけたのだから、その報いを受けるべきだ。
そう思ったが、踏みとどまった。
もし私が、同じことをされたら。
都合よく記憶が消えて人間の体を借りて、翔とよく似た人と出会って。私はそれを奇跡と思うだろう。そして、その翔によく似た人に縋り付くのだ。例えその彼が困惑していようと、運命と信じた私にはどうだっていいと思えるだろう。
そして、その時に。翔は既に死んでいて、私は死神でしかなかったと告げられたら。簡単に錯乱するだろう。私なら、翔の魂と再び巡り会うために、自ら命を絶つだろう。
その体が誰のものかも考えず。
「何だよ?」
「何でもない」
不思議そうにする海翔を直視することはできなかった。その気持ちが手に取るようにわかってしまうから。
真実を伝えることは、難しい。それでも、このままでは翔の記憶は戻ってこない。
決断することなどできず、私は居候として、翔と瑠美の母の部屋に入った。
翔が亡霊に触れられた場所と、お祖母様の家と同じ和室。
形上ではあるものの、私はここに泊めてもらっている。
「おはようございます、愛羅さん」
「おはよう」
ここで話をすると、昨日瑠美に約束していた。死神の存在も亡霊の存在も知らない瑠美には、到底信じ難い話ではあるのだろうけど、こちらにも真実を告げるわけにいかず、所々誤魔化しながら話した。
「あの馬鹿にいが、何かに取り憑かれたっていうのは信じるわ。さすがにあそこまで気持ち悪くなかったもの」
「そう」
「でも、怪しいのはあなたよ」
「私?」
「馬鹿にいの恋人って言ってたわよね。歴は?」
「一ヶ月程度」
「それで父方の実家に泊まりで着いて行くって、どう考えてもおかしいのよ。それにその髪。差別するようで悪いけど、人間っぽくないのよね」
「そう?」
「染めたにしたって綺麗すぎる」
それは、瑠美が言えたことではない。
「それとあなた、綺麗すぎるわ」
「ありがとう?」
「褒めてるけど、褒めてないわ。あなたがあの馬鹿にいと釣り合うと思えない」
「そんなことはない。翔は私の大切な人」
「口では何とでも言えるわよ」
「どうしたら信じてもらえる?」
この気持ちは揺らがない。私は翔が好き。でも確かに、それを証明する手立てがないのも事実。
「じゃあ、率直に私があなたをどう思っているか言うわ。そうじゃないと証明できるなら、あなたの気持ちを信じてあげる」
瑠美が告げた私に対する予測は、こうだ。翔を騙し、洗脳ないしは何らかの違法薬物を投与して、自身に貢がせようとしている悪女。恐らく、奏とも同じ予想をしている。
「違う」
「じゃあ、まず馬鹿にいとどこで出会ったか話しなさい」
「それは」
本当は、私が彼の元に送られ、枕元に立っていた。日が昇る直前の真っ暗な部屋で。そんなことを言えるはずもない。
何か、今までの経験で言い訳になりそうな場面はないか。
「ここからバスで向かえる花畑。祖母と一緒に歩いていたら、祖母が翔に声をかけた」
「ふうん。証拠は?」
「翔のスマホに写真がある」
「そう。でもそれ、奏ちゃんから聞いた話と違うのよね」
「っ」
「おばあちゃんのところで出会って、こっちへ着いてきたって」
失敗した。瑠美と奏の繋がりを甘く見ていた。
「どっちかが嘘。それとも、両方が嘘なのかしら?」
瑠美はジッと私の目を見る。背丈は私より頭一つ分も小さいはずなのに、とてつもない威圧感を放っていた。
本気で怒っているのだ。家族を壊されて。膝の上で握った拳は、きっと私を殴りたくて仕方がないのだろう。
言わなくてはならない。本当のことを。信じてもらえるかどうかは別としても、翔のことで真剣になってくれる家族に、このまま嘘をつき続けることはできない。
「実は」
「何か言い残すことがあるのかしら?」
「私は、死神」
「それ以上戯れ言を言うならぶち殺すわよ」
「事実」
「ああそう。じゃあそれを証明してみなさい」
明らかに怒気を孕んだ声。当然のことだ。受け入れられるはずもない。
それでも不思議なことに、彼女の怒りには、ただの人間とは思えないほどの迫力と、物理的なまでの力が篭っているように感じた。
しかしそれは今現在において些末なことだ。瑠美に証明をする。私が死神であることを。
仮想未来を見せるか。そんなことはできない。感情を持たなかったあの頃ならまだしも、これほどまでに彼のために怒ることができる身内が、翔死ぬ場面を見て心を病まないなどとは到底思えない。
死神である証明なら、もっと簡単でいいはずだ。
「どうしたの? 言い訳もないなら、洗いざらい吐いてもらうわよ」
「これが証明にならない?」
「えっ」
瑠美の目の前で、鎌を出した。死神らしいと思ってもらえるだろうか。
「何か仕込んでた?」
「違う。死神としての能力」
「他には何かないのかしら」
「姿を消す」
瑠美の目が開いているときを狙って姿を消した。影も形も残っていないはずだ。
「逃げた?」
「逃げていない」
「わっ」
再び、瞬きという疑いの余地を無くした上で姿を現した。
「そう。わかった。信じることにするわ」
「よかった」
「それで、死神が馬鹿にいとどう繋がるのよ」
「私は翔の寿命を宣告に来た」
「それで?」
「翔の寿命は、あと二週間しかない」
「っ。本当に?」
「本当」
瑠美の瞳には涙が滲んで、体中が強ばっていた。必死で泣くまいとしているようだ。きっと翔は、瑠美にこんな顔をしてほしくなかったのだろう。
「それで、続きは?」
それでも尚、続きを要求する胆力には、彼女の翔への深い愛情が伺い知れる。
「翔の寿命は神によって定められた。それは、ある理由があって」
「その理由は、話せないってことね」
「ごめんなさい」
「いいわ。死神の言うことだもの。全部信じるわけにいかないし、分からないことがあったところで驚かない」
「ありがとう」
相手に譲歩してくれる優しさは、翔に似ている。
「その理由が元で、翔は亡霊に狙われている」
「それで、その亡霊が馬鹿にいに取り憑いたってわけ?」
「そう」
「死神がいれば、亡霊もいないとは言えないわね」
「信じてもらえた?」
全て真実だ。詳細を伝えることはあっても、嘘だと糾弾されて抗う術はない。
「まだ、わからないことがあるわ」
「何?」
「あなたが出てきた理由」
「理由?」
「そう。どうせ馬鹿にいのこと殺すんでしょう」
「殺すわけではない」
「どっちでも一緒よ。私にしてみれば。どっちにしたって、中身が違ってもあなたに不都合はないでしょう?」
「それは、確かにそう」
無論、神からの叱責は免れない。ただでさえ短い命を、更に短くしてしまった。しかし、人道的に悪くても、死神の役割として見れば問題はない。
それに、だ。あの夜。翔は星に願ったのだ。
もっと生きていたい、と。
私と生きるならば、寿命など惜しくないと言った翔が。
それは、私を見限ったとも読み取れる。
海翔の状態ならば、特殊ではあるが、寿命宣告の対象には入らない。このままならば、翔の望み通り、生き長らえることができる可能性はある。
「私が出てくる必要はなかった」
そうだ。私はもう必要ない。翔が生き長らえるためには、却って邪魔な存在だったのだ。このまま、審判のときまで姿を消していれば、それで翔は幸福になれる。
「私は、私が、すべきことはない」
「そう」
「私は、もう翔の前に現れる必要なんてなかった」
「そう」
「私はこの結果を、喜ぶはず」
「そう」
瑠美は、私のことをじっと見つめていた。まるで何かを見定めているように。
それでも、関係はない。瑠美が悲しもうと、翔が幸せならばそれでいい。
私は姿を消した。瑠美にはもう見えていないはず。
「あなた」
なのに。
「死神のくせに、随分悲しそうな顔をするのね」
どうして瑠美は私を見つめたままなのか。
「あなた、馬鹿にいのこと、好きなんでしょう」
「っ、どうして」
「口では何とでも言える。でも、そんな風に顔を歪めるのは、人を好きじゃないとできないわ」
「なんで、見えてっ」
「それは私にもわからない。でも、あなたが本当に、そのまま消えていいと思っているようには見えない」
「っ」
「このままなら、馬鹿にいの命だけは助かるってところかしら」
「どうしてっ」
怖かった。瑠美の目は獣のようにギラついて、私の心を見透かしてしまっていた。
「うちの馬鹿は、そんなつまんない生き方望んでないわよ」
「そんなこと、わからない」
「そうね。でも、今まで一緒に暮らしてきた家族として、わかることだってあるはずよ」
「でも、翔は」
生き長らえたいと、確かにそう望んだのだ。そう言おうとしたが、瑠美がそれを遮った。
「馬鹿にいはあなたのことが好きなのね」
「なんでそんなことが言える」
「逆にそれだけしかわからないわ。家族として、思いを寄せる人がいることくらいはわかってた。それがあなただと思った」
「でも、気持ちは変わる。今もそうかはわからない」
「あの馬鹿にいに限って、そんなことないわよ。一度好きだと言ったなら、死んでも好きでいるわ」
「でも」
「私がどれだけ邪険にしても、昔私に言った好きを守っている人だもの」
にこりと、瑠美は笑った。きっと彼女は、そうして翔を信じているから、遠慮なく罵倒し、貶しているのだ。その信頼は、私にはないものだった。
「あの馬鹿は、死んでもあなたのことが好き。だから、あなたが悲しそうな顔をする選択だけは許さないわ」
瑠美はそう言うと、和室から出ていった。姿を消す意味もなくなって、私は顕現してへたりこむ。
それでも、私の頭は休まなかった。
翔を取り戻す方法を考えて。




