36日目 8月17日(火)
「今日は亡霊が少ないな」
「うん」
深夜。俺はまた起き出して拳銃を構えていたが、それほど出番はない。というのも、言った通り、亡霊の数が明らかに少ないのだ。天井や壁からヌッと出てくる亡霊も、いつにも増して行動が遅い。
理由の候補としてお盆を挙げてみる。しかし、お盆が始まるより前と数が変わるとも思えない。お盆を経て新たに成仏した人がいると考えるのも、特に亡霊に対してアプローチをしたという実感がないので、現実味が薄い。
「それに、今日はお狐様も来ないし」
「きっと忙しい」
稲荷神社の眷属にお盆が関係あるのかどうかはわからないが、きっと神様全体で大騒ぎなのだろう。
「何か理由があるのかな」
「言いたくない」
「そっか」
どうせ考えたところで仕方の無いことだ。そんなよりもっと重要なことがある。
愛羅の反応が淡泊であることはいつも通りだ。その代わり、愛羅は身体的接触を非常に好む。何かにつけて俺に身を寄せるくらいに。
しかし、昨日流れ星を見てから、どうにもよそよそしいのだ。幸いこちらからの接触を拒むようなことはないが、どこか上の空というか、俺を見ていないような気がする。
「なあ愛羅」
「何?」
本当は、亡霊の出る時間に問答をするのは愚策という他ないが、俺は一刻も早く愛羅の態度の意味を知りたかった。様子を見ると言ったって、俺の寿命には限りがある。悠長なことはしていられないのだ。
「何か俺に悪いところがあったなら教えてくれ。できる限り直すようにするから」
「どうして?」
「なんか、ちょっと距離がある気がして」
「そんなことない」
「そう、か?」
「あったとしても、翔のせいではない。決して」
そう言われても、不安に思う。愛羅に何か思うところがあるというのは事実だろうし、こちらも気を使ってしまうのだ。それに、キッパリ言った割に俺の方をじっと見つめ、悩んでいるようにも見える。
主力たる愛羅がそんな様子。そして、俺も愛羅の一挙手一投足に気を払う。忘れてしまうが、今は丑三つ時。奴らの時間である。
「愛羅ッ!」
俺ばかりを見つめる愛羅の背後に、亡霊の影。奴らの狙いは俺との話だが、かといって愛羅が触れて無事に済むという確証があるわけではない。この拳銃で、愛羅を撃たずに亡霊だけを正確に撃ち抜く技量も俺にはない。
俺はなけなしの勇気を振り絞り、愛羅を引き寄せた。驚いた愛羅を抱きしめ、俺は亡霊に背を向けた。何があっても、愛羅にだけは触れさせない。
彼我の距離を確認するため振り向くと、腕を伸ばした亡霊が、寸前に迫っている。引き金を引く間もなく、亡霊の指が俺の額に触れた。
体のあらゆる部分がグラグラと揺れ動き、それでいて全身の力が片っ端から抜き取られるような感覚。視界が激しく明滅する。
重力の方向がどちらかもわからない俺の視界に写ったのは、切り裂かれた亡霊と、俺の顔を覗き込む愛羅の姿。そのワンショットを最後に、俺の意識は切り離された。
僕には義妹がいた。親の再婚によるものではない。俺は彼女の両親の元へ養子として入った。
妹はその当時から、いや、もっと前から引っ込み思案で、不器用な子だった。そしてそんな態度を嫌った両親からの虐待の結果、声を出すことが困難となってしまっていたた。
彼女の両親は、当時小学生だった俺を養子として、望むがままになるあやつり人形として家族に迎え入れたのだ。そしれ幼いながらに僕もその思惑を知っていた。
だから僕は高校を卒業するまで優等生を演じ続けた。子育ての楽しいところだけを味わいたいという彼女の両親の欲望を叶え続けた。
その陰で、妹に一握りの優しさを与え続けた。ただのエゴ、偽善だ。しかし、妹にとって僕はさながら救世主だったのだろう。
大学進学と同時に自由を得た僕は家を出て、妹と暮らし始めた。彼女の両親もそれを止めなかった。
僕は妹のことが好きだった。僕が入ったことで暴行は無くなり、痣が癒えた体は美しかった。言葉がなくとも、仕草と笑顔で僕の心を癒すには十分だった。だから、一緒に過ごす時間が僕の何よりの幸福だった。
しかし、美しく育った妹は、両親に目をつけられた。簡単な話、貢ぎ物だ。重役に体を差し出せ。両親は彼女にそう迫った。
僕も妹も、拒めなかった。演じているだけのつもりでも、優等生の面の皮はすっかり僕を臆病にしていた。そして、妹には過去のトラウマがある。逆らえるはずがない。
妹が居なくなった部屋で、耐えきれなくなった僕は結局飛び出した。でも、遅かった。
俺が飛び込んだ部屋には、確かに妹の姿があった。見知らぬ誰かの慰みものにされ、汚液に塗れた姿。
こんなことがあっていいのかと思った。
微かに目を開けた妹は最期に、掠れた声で「一緒に」そう言った。
そして僕は、憔悴しきった妹の名を呼んで、首を括った。
目を開けると、見覚えのない天井があった。床の感触も、明らかに畳。おかしい。僕たちが住んでいるアパートはフローリングだったはずだ。
「翔ッ!」
仰向けの状態から首を捻ると、少女の姿があった。綺麗な少女だ。目鼻立ちが整っていて、長い髪はサラサラで、きっと笑うと可愛くて、まるで。
「鳴海?」
「翔っ。ごめんなさいっ」
翔って、誰だろう。泣きついてくる鳴海は、誰に謝っているのだろう。
とにかく、兄として妹を泣かせたままにはできない。でも、何故だか体がうまく動かなくて、抱きしめてやることができず、ただ頭に手を乗せた。
「翔?」
「翔って、誰のことだ?」
鳴海が息を飲んだ。僕が忘れていることが余程ショックなのだろうか。仲が良かったやつの中に、翔なんて名前は。
仲が、良かった?
どうして今はもう会えないみたいな、そんな風に考えてしまった?
「ぐ、ああっ」
「翔っ。大丈夫?!」
「頭がっ」
頭が痛い。僕は、何を。
過去を遡る度、頭痛が酷くなる。まるで考えることを阻止するように。
「一度、休んで。記憶の整理をつけた方がいい」
うまく動かない僕の体を、鳴海が抱えあげた。鳴海はこんなに力持ちだったっけ。
「目を瞑って。呼吸をゆっくり」
そのまま僕は布団に寝かされた。鳴海が言うならと、僕は睡魔に身を委ねた。
日が昇るより早く目が覚めた。それはもうぱっちりと。この時間にさっぱりと目が覚めるのは、初めてのような、もう慣れきったことのような。
「おはよう、翔。あなたの寿命はあと15日」
「なる、み? 寿命って?」
「私は鳴海ではない」
枕元に立っている少女は、確かに鳴海ではない。確かに顔立ちは綺麗だが、鳴海はもっと幼げな容姿をしている。体つきに関してもそうだ。そして何より、髪が銀色なのである。
浮世離れした美貌を持つ、鳴海ではない少女。彼女は俺を翔と呼ぶ。そして、日が差し込むようになって確かめられるように、ここは俺のアパートではない。状況が全く掴めなかった。
「私は愛羅」
「あいら?」
変な名前。しかし、妙にストンと、いや、腹の奥にズドンと落ちた。頭がグラグラと揺れて、立っていることもままならなくなった。
記憶が混濁する。僕。俺。本当の自分は。
頭痛と格闘すること数分。ようやくある程度の整理がついた。
どうやら僕には、もう一人の記憶がある。
「愛羅。僕は誰だ?」
「あなたは翔。一ノ瀬翔。わからない?」
「そう、か」
聞いた事のない名前だ。恐らく、何かがあって、俺の記憶の大部分が、僕の記憶によって上書きされたということだろう。とはいえ、僕の記憶も曖昧な部分が多いのだが。
「愛羅、とりあえず、俺のことを教えてくれるか?」
「その前に、あなたは? 翔ではない?」
「僕の名前は海翔。俺の記憶も、一部は残っている。有り体に言えば、憑依した感じか」
「そんな」
目を奪われるような美少女が、途端に顔を歪め、悲しそうに俯く。愛羅にとって俺は大切な存在なのだ。それは俺にとっても同じ。僕の記憶が台頭する中でも、愛羅のことを何より大切に思う気持ちは変わっていないと思える。
「ごめんな、愛羅」
「ううん。あなたが謝ることではない。私の責任」
「そんなことないだろ」
「責任の所在よりも、先に翔の話。思い出してくれるかもしれない」
無機質な瞳で愛羅は語り出す。ここはどこか。俺の年齢、所属、趣味は何か。そして、人間関係。
「翔と私は恋人」
「だろうな」
「わかる?」
「俺が覚えているのは、どれも愛羅のことばかりだから」
「ふふ。うれしい」
弱々しく微笑む愛羅。きっと俺も、こんな顔をさせたことなどなかっただろう。胸が苦しくなる。俺の記憶が、こんな顔をさせるなと求めてくる。でも、僕にはどうしようもない。
「俺の家族は?」
「今この家にいる祖母。それから、家に帰れば妹がいる」
「妹?」
ドクンと胸が鳴った。僕の最愛の妹。その姿が瞼の裏に浮き上がってくる。何かある度におどおどして、俺に助けを求める鳴海の姿。寂しくなったときに静かに甘えてくる鳴海の表情。その全てがまるで走馬灯のように駆け巡る。
「翔の妹の名前は瑠美」
「鳴海?」
「違う。瑠美」
偶然か、それとも運命か。名前がよく似ている。俺の名前である翔だって、僕の名前である海翔に含まれているのだから、これは運命かもしれない。僕が俺に混ざったのと同じように、鳴海も瑠美に混ざっているかもしれない。
「愛羅、帰るのは今日なんだな?」
「そう。電車に乗って」
「今すぐ帰ろう」
「待って。お祖母様に挨拶もなしに帰れない」
「そっか、そうだよな」
僕としたことが、奇跡に近い事象に気を取られて礼を失してしまうところだった。
「それに、電車は一時間に一本しか来ない。焦っても無駄」
「え?」
僕の予想を超える田舎だった。危うく、急がば回れを体現してしまうところだった。
「この駅も、なんだか見覚えはあるような気がするんだが、どうにも思い出せないな」
「仕方ない」
僕は愛羅の案内で、俺の家に向かっていた。最寄り駅から歩くとのことだが、まるでデジャブのような感覚ばかり。この場合、見たことがあるはずの場所が思い出せないという、ある種対偶のようなものだが。
「それより、翔に許可を求めたい」
「僕で良ければ」
「瑠美に本当のことを話す。構わない?」
「えっと、俺たちの関係は秘密にしていたのか?」
「そう。正確には、秘密にするべきだと翔に言われていた」
俺が言っていたことを、僕が勝手に捻じ曲げて良いものか。プライベートなことだろうから詮索はしないが、俺と愛羅の間には、他の人には隠さなければならないような関係があるのだろう。それで妹にも関係はおろか、会わせたこともないという。
「うーん、じゃあできる限り誤魔化すことにしないか」
「誤魔化す?」
「そう。僕のことは、そうだな。御先祖様が取り憑いたみたいな感じで紹介して、愛羅は向こうで会って付き合い始めたことにしよう」
「承知した」
確かに、俺と愛羅の関係も大切だが、今の僕にとって重要なのは、その瑠美に鳴海の記憶があるか否かである。多少おざなりになるのは勘弁してほしい。
「ここ」
「へえ。綺麗なところだな」
僕達が住んでいたアパートよりよっぽど綺麗な一軒家だ。ここに兄妹二人で住んでいるというのだから羨ましい。
「あれ、翔君?」
「え?」
隣の家から、俺の名前を呼ぶ声がした。見てみると、鳴海よりちょっと年上かというくらいの可愛らしい女性が玄関先まで出てきていた。これは、まずい。情報にない人物だ。
「どこか旅行でも行ってたの? 受験生なんだから勉強しなよって、誰そのスーパー美人」
「あー、えーと。旅行先で知り合った、愛羅だ」
「えぇ。旅行先で知り合った人を家に連れ込むの? 犯罪臭しかしないんだけど」
出会った少女は、僕の言い訳に早速微妙な反応をする。我ながら杜撰すぎただろうか。
「私は私の意思で彼といる。問題ない」
愛羅のフォローが入るも、少女は首を傾げ、トテトテと愛羅に近づくと、こっそり耳打ちする。
「もしかして、翔君から財産搾り取る気ですか? やめといた方がいいですよ。搾り取るほどお金持ってないので」
「悪徳セールスじゃねえよ」
思わず僕、いや今のは俺が反応したのか。つっこんでしまった。恐らく、俺はこんなやり取りをずっと繰り返してきたのだろう。体が覚えているのだ。
「うーん、あんまり私が口出しても良くないかな。瑠美ちゃんももう帰ってきてるみたいだし、そっちに任せよう。じゃあね」
「ああ」
幸い、俺を訝ることはなく少女は去っていった。
「なあ愛羅、やっぱり今まで隠れて付き合ってたことにするか」
「承知した。話は合わせる」
察するに、妹たる瑠美は口うるさい性格らしい。受験生が恋愛なんて。そう言うのも有り得る話だろう。それを恐れていたという体にする。
気を取り直して、僕は俺の家に入った。
「ただいま」
「おかえりー」
懐かしいような、それでいて新鮮な声。きっと俺の方は聞き慣れているはずだ。しかし、僕の方には、まるで鳴海が言葉を発したように思えたのだ。
「馬鹿にい、お土産は?」
「る、み」
「何? どうしたの?」
「なるみっ!」
俺はソファで寛いでいる妹の元に駆け寄り、その華奢な体を抱きしめた。
「はぁ?! キモイ! 触んな!」
「すーはー、なるみぃ」
「匂いを嗅ぐな変態! 離せー!」
「この抱き心地、クリクリした瞳、柔らかい頬、神がかった美しい顔立ち、そしてツルペタな胸。間違いない!」
「喧嘩売ってんの?! ぶん殴るわよ!」
「なるみぃっ! ついに声を手に入れたんだな!」
「ふざけんな! どきなさいよ!」
鳴海が髪を染めて、ツインテールにするとちょうどこんな感じだ。ちょっと胸が貧相すぎる気もするが声を得た代価としては安いものだ。
それに何だか口が悪いが、もしかすると声が出せるようになったのと同時に反抗期がやってきたのかもしれない。しかしそれもまた良い。
「いい加減にしなさい!」
「ぐぉえっ」
そう。例え脇腹に膝が突き刺さろうと、僕は鳴海を抱きしめ続ける。
と、そこで僕の体は持ち上げられた。羽交い締めにされ、鳴海の体から引き剥がされる。
背中の感触からして、これは愛羅だ。あの細い体のどこにそんな力があるのか知らないが、僕の腕力では脱出不可能といえる。
「あなた、誰?」
「私は愛羅。翔の恋人」
そんな僕を余所に、愛羅と鳴海が初めての邂逅を果たした。




