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35日目 8月16日(月)

「すごく、大きい」

「あっ、愛羅、それは」

「嫌だった?」

「い、嫌とかじゃなくて。ああっ」

「ん、ふふ。ピクピクして、可愛い」

「そうか? 気持ち悪くないか?」

「大丈夫」

「そうか。よかった。それなら、続けてくれるか?」

「うん」


 昨日の雲は消え去り、太陽が天高く昇った真夏日。俺と愛羅は外へ出て、緑あふれるこの土地で今日も行動を共にしていた。愛羅の背丈ほどもある植物の陰で何をしているかと言えば、茄子の収穫である。


 以前会った中川さん。駅員さんをしていたその家のおっちゃんが墓掃除の一件で腰を悪くしたせいで、野菜の収穫が滞っているのだとか。そこで暇そうにしていた俺と愛羅が手伝いに駆り出されたというわけである。


 ちなみに、今何があったかというと、愛羅が大きい茄子を発見したが、俺はそれを収穫すれば必ず触れる位置にこれまた大きい芋虫がいるのを見つけたのだ。狼狽えた俺に首を傾げながらも、茄子を収穫した愛羅の足元に、芋虫が落下した。愛羅はそれをあろうことか可愛いと称したのである。


 しかしまあ、芋虫に対する心持はよくわからないものの、生っている茄子の実はどれも立派なもので、愛羅が思わず感嘆の声を漏らすのも納得というものである。


「中川さん。茄子はこれで終わりだと思います」

「ああ、ありがとう。ちょっと休憩しておいで。アイスも用意したから」

「いいんですか」

「うん。もとはと言えば不甲斐ないうちの息子のせいだし、あの子の奢りだから気にしないで。こう暑いと熱中症が怖いから、ちゃんと休んでね」

「はい。ありがとうございます」


 休憩を貰って、俺と愛羅は木陰へ。クーラーボックスからアイスを取り出し、溶けないうちに食べ始める。俺はソーダ味で、愛羅はチョコ味。


「早く食べないと溶けるぞ」

「ん。冷たい」

「反応うっすいな」


 呑気にペロペロと、文字通り舐めてかかっている愛羅に忠告。しかし遅かったようで、虫刺されも日焼けも気にしないとばかりのショートパンツスタイルで晒した太腿に、溶けたアイスが一滴落ちる。


「急いで食べないと、崩れたらおしまいだぞ」

「急ぐ」


 これだけ一気に口に含めば、かき氷よろしく頭に来そうなものだが、愛羅は涼しい顔で食べている。


「愛羅、最後の一口、俺の食べるか?」

「いい?」

「ああ。はい。崩れないうちに」

「じゃあ、私のも最後の一口」


 互いのアイスを交換する。俺の中では氷菓といえばソーダ味で、チョコ味の氷菓というと少し違和感を感じたものだが、これはこれで美味しい。


 愛羅の反応はどうかと思って見ると、棒の上で絶妙なバランスをとる残り一口を睨みつけて食べる気配がない。どうやら、律儀に一口で食べる方法を考えているらしい。というのも、俺の一口と愛羅の一口は違う。俺なら一口だが、愛羅は難しいというわけだ。


 しかし、時間が経てば経つほどアイスの状況は悪くなるわけで、ついには崩れて、愛羅の太腿の上へ。地面へ乗せることなく、見事に停止させるバランス感覚は流石の一言である。


「あーあ、言わんこっちゃない」

「一口では不可能」

「別に一口で食べろとは言ってないだろ」


 白い太腿を水色に汚したアイスを、愛羅は手で拾って食べた。おいしいと微笑む。可愛い。


「はい、ハンカチ。ほっとくとべたつくぞ」

「拭いて?」

「自分で拭きなさい」


 茶目っ気を含めて言う愛羅を軽くあしらい、ハンカチを渡す。どうせまたばあちゃんに仕込まれたのだ。可愛い上にドキッとするからもっとやってほしい。


「休憩は終わりだ。次はトマトだったな」

「うん」


 それから、トマトやキュウリなど、夏野菜を大量に収穫し、手伝いは終了となった。


「はいこれ。持って帰って」

「いいんですか、こんなに」

「形が悪いと出荷できないから。貰ってくれると助かるわ」

「じゃあ、ありがたく」


 帰り際、中川さんは採れたての野菜を袋に詰めて渡してくれた。言うほど不格好というわけでもないのだが、売り物にはならないという。世知辛い話だ。


「ああそれと、これもあげる」

「花火ですか?」

「何かで貰ったんだけど、うちは花火するような人いないから」

「ありがとうございます」


 手持ち花火や線香花火の入ったセットをついでに貰った。花火もここ何年かやっていないし、愛羅とするのも良いだろう。


「帰りも送っていくから、乗っていって」

「はい。ありがとうございます」

「こちらこそ、今日はありがとうね」


 軽トラの荷台に、野菜と一緒に乗り込む。本当はルール違反らしいが、咎めるような人もいない。愛羅に手を貸して乗せ、運転手にゴーサイン。凹凸の多い田舎道を激しく揺れながら進み始める。


 波打ち際に停泊するボートのような激しい揺れにも慣れてしまえば、風を切って進む爽快感だけが残る。


「愛羅、揺れは平気か?」

「大丈夫」

「そうか。落ちないように気をつけてな」


 風に流れる長い髪を抑える愛羅は、背景の田園風景と共にとても絵になる。これで乗っているのが軽トラでなく電車であったなら、映画のワンシーンとして成立するくらいなのだが。


 ばあちゃん家の前で降ろしてもらって、愛羅と一緒にたくさんのお土産を抱えて帰宅する。


「ばあちゃーん。ただいまー」

「おかえり。これ見てみかーくん。テレビテレビ」

「何?」

「流星群じゃて。今日は星でも見たらどうだの。明日には帰るんじゃろ?」

「そうだなあ。愛羅、いいか?」

「構わない」


 いつも通り淡泊な反応を示す愛羅。そこでばあちゃんが横槍を入れる。


「愛たん、そこはもっと喜ばんといかん」

「やったー?」

「ほうじゃ。ほいでかーくんに抱きついてみ」

「やったー」


 ばあちゃんに唆されて愛羅が俺に背後からぎゅむっと抱きつく。そのアドバイスは確かに俺が喜ぶのだが、ばあちゃん。愛羅のことを愛たんと呼ぶのは年齢不相応だからやめた方がいい。




 日が落ちるのを待って、家を出る。今日は懐中電灯を忘れないように。


 ぶっちゃけた話、この辺りならどこでも真っ暗なので、どこで花火をしようが星を見ようが、綺麗なものは綺麗だ。だが、道端でというのはさすがに気遣いがなっていない。


「神社の方に行くか」

「神様の前で花火?」

「そういうわけじゃなくて、石畳の上なら火事にはならないと思ってな。もしかしたら、神様も遊びに来るかもしれないけど」

「神様は忙しい」

「だろうな」


 今頃、お盆から帰ってきた霊の対処に大忙しだろう。想像の範疇でしかないが。


 懐中電灯で照らさなければ、それこそ一寸先は闇という状況を二人で手を繋いで、ゆっくり歩く。昼間はうるさいくらいの蝉も夜には声を潜め、代わりにカエルの合唱が響いている。


「ちょっと曇ってきたか?」

「多分」


 見上げてみると、真っ暗。星も見えないということは、雲が掛かっているということである。


「流星群までに晴れるといいけどな」

「きっと大丈夫」


 繋いだ手を軽く握って愛羅は言う。その表情は暗くてハッキリとは見えないが、きっと微笑んでいるのだろう。


「階段、気をつけてな」

「うん。翔も」


 二人の足元を照らすように懐中電灯を向け、転ばないように一段一段ゆっくりと石段を登っていく。そのせいか、随分と長い階段に感じた。


 境内で花火をやる許可は、日があるうちに神主さんに貰ってある。勿論、騒ぎすぎないという条件付きで。


「よし。どれから始める?」


 懐中電灯で花火セットの袋を照らしながら愛羅に訊いてみると、愛羅が指さしたのは、手持ち花火。一番オーソドックスなものだ。


 ライターで火を灯すと、シャーッという音と共に、雨のようにカラフルな光が舞う。


「愛羅、こっちにも火をくれ」

「ん」

「ありがとう」


 俺も愛羅とは別色の手持ち花火を点火する。愛羅の色と俺の色が混ざって、よりカラフルに。


 しかし、花火の寿命とは短いものと相場が決まっている。程なくして勢いが弱まり、照らされていた愛羅の笑顔も曇っていく。


「終わったらバケツの中に入れてくれ。まだまだいっぱいあるから、楽しもう。な?」

「うん」


 頷いた愛羅は二つの手持ち花火を両手に持って、俺から同時に火を貰った。俺から少し距離をとって、その場でくるくると回転し始める。


「危なくないか?」

「大丈夫。それより、綺麗?」


 普通の人なら、少しバランスを崩しただけで火傷が怖い状況だが、愛羅の回転はまるでプロのフィギュアスケートのように安定しており、そういった心配は必要なかった。


 それで綺麗かと問われれば、そりゃもちろん綺麗である。渦を巻く光の粒と、その中心で華麗に回る美少女。これ以上ないほど絵になる。


「御伽噺にも出てきそうなくらい綺麗だよ」

「ふふ。うれしい」

「綺麗は綺麗だけど、燃え移ったりとかしないように、気をつけてくれよ?」

「わかっている。心配しすぎ」


 苦笑した愛羅は、また花火を使って俺に舞を披露した。ただ回転するだけでなく、ちょっとした振り付けまで。神様に納める舞と言われても俺なら信じるくらい美しかった。


「あ、ネズミ花火がある」

「ネズミ?」

「そう。名前の由来は知らないけど、結構危ないから入ってないやつも多いんだ」

「やってみる?」

「ああ。ちょっと離れてろよ」


 点火した俺も、数歩離れた。数秒の後、花火が鮮やかな光を放ちながら回転を始める。さながら先程の愛羅のように。


「そっち行ったらちゃんと逃げろよ」

「わかった」


 ネズミ花火は少しバランスが崩れると火を撒き散らしながら移動するので、注意が必要だ。とはいえ、安全策か、それほど長い時間燃え続けることはなかった。


「どれも綺麗」

「だな。でも、そろそろラストも近い」

「残念」

「それも花火の醍醐味だ」


 言いつつ、続きを準備する。再び愛羅に離れるよう指示し、それを点火。俺は愛羅の隣に並び、導火線が役目を果たすのを待つ。


 手持ち花火と同様の細かな火の粒が、設置した缶から溢れ出す。その高さは、俺の背丈を優に超える。


 ボーッと見とれながら、隣に立つ愛羅の手を握る。愛羅も同じく花火に目を奪われながらも、しっかりと握り返してきた。


 それを見計らったように、パチパチと音を立てて弾ける光が加わる。その音に驚きながらも、手を放すことなく、むしろより強く互いに握りあった。


「愛羅」

「何?」


 花火に照らされた綺麗な横顔を見て、心臓を高鳴らせながら、ゴクリと唾を飲み込む。


 吹き出し花火が終わる。周囲は再び真っ暗闇に戻った。


 俺はその闇の中で、愛羅の綺麗な頬に手を添え、ゆっくりとこちらに顔を向けさせる。


「翔?」

「好きだ。愛羅」


 いくら暗くても互いの顔が目視できるくらいの距離まで近づいて、俺はそっと、愛羅の唇に自分の唇を。


「えっ?!」


 触れさせる直前。バシュッと音を立てて、吹き出し花火が息を吹き返した。


 心臓が早鐘を打つ中で加えられた突然の衝撃に硬直した俺は、完全にタイミングを逃してしまった。


「翔。私も翔が好き」

「うん。うん。ありがとう」


 何故だろう。嬉しいはずなのに悲しい。


 ラストスパートとばかりに鮮やかな光を放出した花火は、それっきり本当に動かなくなった。


「畜生め」

「翔?」

「なんでもない」


 悔しさを込めて水をかけて、最後の花火へ。


「線香花火。やり方わかるか?」

「問題ない」

「じゃあ、せーのでな」


 二人同時に火をつける。ぷっくりとした小さな火の玉が、次第にパチパチと弾けだす。


「私、これが一番好き」

「ん、そうか? もっと派手な方がよくないか?」

「それも良い。けど、私はこれがいい」

「そうか。確かに、これはこれで落ち着くよな」


 こじんまりとした花火。そのまま細く長く続くのなら良かったのだが、小さいからこそすぐに終わってしまう。


「落ちた」

「ああ。短い命だよな」


 そう言葉に出した瞬間、今朝聞いた言葉が脳裏を過ぎる。そうだ。俺の寿命は残り16日。今日が終わることを考えると実質は15日目しかない。


 考えた瞬間、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。息もできないほど、強く。


 花火の袋をひっくり返し、残りがないことを悲しんでいる愛羅を見て、痛みは強くなった。愛羅と過ごせるのも、残り15日。愛羅の笑顔が見られるのも、まだ見ぬ表情が見られる猶予も。


「翔。あれ」

「え?」


 一人静かに耐えている俺に、愛羅が呼びかける。今の俺の心の内など知るはずもない。むしろ知らないでいてくれた方がいい。


「あれ!」

「どれだ?」

「流れ星」


 愛羅が興奮して、空を指差す。雲の切れ間から、確かに星空と、それを横切る光の筋が一瞬見えた。


「翔。願い事」

「ん、そうだな。じゃあ」


 星空をじっと見つめ、流れ星が来た瞬間に、小さく呟いた。


「もっと生きられますように」


 叶わぬ願いと知っている。それは神様によって否定されているのだから。でも、願うとするならば、愛羅と過ごす時間が増えることを祈るしかなかった。


「愛羅は、何を願ったんだ?」


 様式美というように、愛羅にも尋ねてみる。しかし、愛羅は俺を見て呆然としたまま、反応しない。


「愛羅? おーい」

「え、あ」


 愛羅にしてはやけに生々しいリアクションで、俺の呼びかけに動揺していた。


「何を願ったのか、聞かせてくれないか?」

「え、と。秘密」

「えー。なんでだよ」

「なんでも」


 苦笑しながら問い詰めてみても、愛羅は真面目くさったというか、いつもの無表情で決して言おうとしなかった。

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