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3日目ー2 7月15日(木)

 結局、昨日は瑠美と顔を合わせずに終わった。それどころか、誰とも会っていない。ろくに食事も摂っていなかった。栄養も何もなく、ただ空腹を消すためだけの食事として菓子を口に放り込むだけ。味も何も感じなかった。


 精神が一応の安定期を迎えたのは、朝日が昇ったのとほぼ同時だった。隙あらばフラッシュバックしようとする死の感覚を、感情の伴わない形式的なものとするよう、理性をフル活用して必死に抑え込む。今夜に関してはほとんど本来の役目を果たさなかったベッドから起き上がるまで、その作戦はうまく機能していたのだったが。


 立ち上がった俺の眼前に銀の髪、銀の瞳が刃物を携えて立ってさえいなければ。


「さっさとその鎌をしまえ!」


 俺が掴みかからんというほどの勢いで叫ぶと、死神は驚いたように目を見開き、俺の狂ったような気迫もあってすぐに鎌を虚空に投げ捨てた。しかし死神は性懲りもなく、さながら命令を忠実にこなすアンドロイドのように淡々と言う。


「98日後、あなたは死ぬ」

「黙れ!」


 俺が感情に任せて吐き捨てるのもやむべからざることであったろう。あまりに感情を無視した言動に、死神の胸倉を掴み、拳を振り上げていた。だが、抵抗らしい抵抗も見せず、なされるがまま均整の取れた顔についた無機質な目を向ける死神の姿を認識するにつれ、自分が情けなくなって、俺は突き放すように手を離した。


「お前は、毎朝そうやって告げないといけないのか」

「それが私の役目」

「そうかよ。やめてくれないのか」

「宣告はしなければならない」

「わかった。それでいいから、今日はとっとと消えてくれ」


 舌打ちまじりの俺の言葉に死神は何の感慨もなく頷き、そのまま消え去った。


「馬鹿にい、朝から何叫んでるの。起きたならさっさと朝ご飯作ってよね」


 タイミングを図ったかのように、瑠美の声が響く。


==============================

選択肢

1、部屋を出る

2、部屋を出ない

==============================


「悪い瑠美。今日も学校には行けそうにない」


 やはり、瑠美と会う決心がつかない。酷い顔をしている自覚はあるし、部屋を出たところで昨日の光景がフラッシュバックでもしようものなら、また嘔吐する可能性だってある。あまり瑠美に心配はかけたくなかった。


「あっそ」


 興味などないとばかりに、そうそっけなく返事をした瑠美の足音は遠ざかっていくかと思われたが、しかし、足音はすぐそこで止まった。


「別に、心配とかじゃないけど。大丈夫、なのよね?」


 少し意外感を覚えるほどに優しい声音だった。心配をかけたくないなどと思いながら、既に心配をかけていたことにすら気づかないなんて愚かしいものだ。なればこそ、努めて元気に振舞わねばなるまい。


「全然大丈夫だ!」

「なら学校行きなさいよ」

「うっ。急激に体調が」

「もう。都合いいんだから」


 ただのサボりとでも認識してくれたのだろうか。今度こそ瑠美は俺の部屋の前から去った。


 ふう、と息を吐く。どうにか今朝の瑠美への対応はできたが、いつまでも逃げ続けているわけにもいかない。しかし、一晩明けたとはいえ、呑気に学校へ行っていられるような精神状態でもない。


 眠れるかは定かではないが、ベッドに潜り込んでいよう。一度眠りにつけばその分苦しまずに済むとわかっているのだが、夢でさえあの仮想未来を体験する可能性を思うと、つい体が強張ってしまう。そうしている間に夜が明けてしまったのだから、今更意識が微睡むとも思えないが。


 瞼を閉じていると、家の中の音が鮮明に聞こえる。瑠美が食器を片付ける音。何やら準備をして、玄関に向かう足音。玄関の扉が開く音。そして、再び近づいてくる足音。


 そこで俺は跳び起きた。足音は迷いなく俺の部屋に近づいてくる。心臓が煩いくらいに鳴り始める。知らず知らずのうちに、俺は布団を身に寄せ、じりじりと体を部屋の隅に向かって動かしていた。俺の脳の冷静な部分は、この音が仮想未来で聞いた武骨な足音とは違うのだと告げているが、トラウマに突き動かされているこの体は言うことをきかない。


 まもなく足音は止まる。どちらかというと淑やかだった足運びとは裏腹に、その侵入者はノックもなしに扉を開けた。


 果たしてそこに立っていたのは、憎めない腐れ縁、奏だった。


「翔君、元気?」


 呑気な声で奏は言うが、俺の心境は全く穏やかでなかった。いつもの柔和な笑みを浮かべるこいつを殴りたくなるほどに。さすがに手を上げはしないが、睨むくらいは許してほしい。


「体調は問題ない。だがメンタルは最悪だ。主にお前のせいで」

「ありゃ。ごめんね」


 俺の形相に気圧されたように、ぺこりと頭を下げる奏。それで俺の溜飲は下がった。怒りは収まったが、また何の拍子に精神が乱れるとも限らない。さっさと追い出すに限る。


「何の用だよ。言った通りメンタルは最悪なんだ」

「うーん、確かに、思ったより重症みたいだね」


 苦々しいような、心配そうな、微妙な表情で奏は俺の顔を覗き込む。大抵のことは知り尽くしている幼馴染だが、見せたくない表情だって存在するのだ。これまで見せたことのないような顔なら尚更。


「俺のことはいいから、奏も学校行けよ」

「いやでーす」

「は?」


 にししと笑う奏。ちょっとイラっとする。昔から、どうしてこう俺の思い通りに行動してくれないのか。八つ当たりしたくないからと、奏を思ってのことなのに。


「そんなボロボロの翔君を放っておけるほど薄情じゃないよ」

「俺がいいって言ってるんだから、構わず行けよ」

「やだね。翔君朝ご飯も食べてないんでしょ。それくらいはお世話させてもらうよ」

「はぁ。それで気が済むなら好きにしてくれ」

「もぉ、やりがいないなぁ。お礼の一つくらい言ってくれてもいいじゃん」

「はいはい。ありがとう」

「よろしい。じゃ、いつまでも隅っこにいないで、早く着替えて出てきてね」

「ああ」


 面倒なことになった。いや、世話になる奴のセリフではないとわかってはいるのだが、どうもお節介が過ぎるように、俺には思えるのだ。


「超簡単メニューだけど許してね」

「いいよ。どうせ俺が作っても似たようなもんだ。それに、奏に手の込んだ料理なんて任せられない」

「失礼な。私だってちょっとずつ練習してるんだから」


 奏は料理が下手だ。初めは慣れていないだけかと思ったが、そこは長年の付き合い。才能がないんだと実感することが何度かあった。いかなる操作もレシピを見ながら行う癖があるので、読みふけった瞬間、焼きものなんかは大体焦がすし、手際が恐ろしく悪い。今朝はトースターで調理するだけなので、失敗のしようがないのである。


「それで?」


 トーストにかぶりついた俺に、唐突に奏が問いかける。その目に茶化す色などはなく、真剣そのもの。こっちが居心地の悪さを感じるほどだ。


「何のことだ」

「とぼけなくても。休もうとしてる理由が気になるのは当然でしょ」

「そう、だな。言わなきゃだめか?」

「うん。話してもらうまで学校行かないからね」


 そう豪語する幼馴染の笑顔には、妙に迫力があった。


「私が気になるっていうのもそうだけど、ここだけの話、これは瑠美ちゃんの頼みなんだよね」

「瑠美が?」

「そ。『お兄ちゃん、何か悩んでそうだけど、私を避けてるみたいなのぉ。心配だから、奏ちゃん様子見てきてぇ』ってね」


 普段の瑠美とは似ても似つかない、可愛い子ぶった声で奏は瑠美を真似る。ちっとも似ていないし、寧ろ馬鹿にしているんじゃないかとも思うが、趣旨は合っているのだろう。少し意外に思う気持ちと、罪悪感が胸をよぎった。


「それで、翔君。どうして急にそうなっちゃったの?」

「それは」


 到底信じてもらえそうな話でもない。それに、信じたとして、気安い関係の奏と重苦しい空気になるのも嫌だ。しかし、尋問のような雰囲気の今の時点で今更である。それに何より、奏の真摯な眼差しに嘘はつけない。


「俺さ、あと98日で死ぬんだ」

「え?」

「死神が現れて、俺の寿命はそれだけだって。毎朝カウントダウンされるんだ。苦しくもなるさ」


 奏はぽかんとしたようすで、至って真面目に話す俺の顔を見ていた。思わず、自嘲的な笑いが漏れてしまう。


「信じられないよな、こんな話。悪い夢だとか、新しい黒歴史だとか茶化してくれていいんだぞ」

「ううん。そんなことしないよ」

「信じられるのか?」

「ごめん。そういうわけじゃないんだ。でもきっと、嘘は言ってないんだと思う」


 奏は顔を見せずに、うつむいたまま、俺のそばに来て、俺の頭を抱き寄せた。不意をつかれた俺の顔はなすすべもなく奏のよく育った胸に包まれる。


「おい、奏?」

「信じられないし、信じたくもない。なんでそんな馬鹿みたいなこと言ってるのって、ほんとは思ってる。でも、そのことで翔君は苦しんでるから。私にできるのは、このくらいかなって」


 まるで聖母のような優しい声音。奏の手はゆっくりと俺の頭を撫でている。心の中に巣食っていた仄暗い感情が押し流されていくような感覚を覚えて、無性に泣きそうになった。


「ごめんね。幼馴染なのに、わかってあげられなくて」

「謝るなよ。幼馴染にだってわからないことくらいある」

「おっぱいが好きっていうのは知ってるんだけどねぇ。ちょっとは元気になったでしょ?」


 答えに窮する質問をぶつけられて、涙は引っ込んだ。


「あれ? まだ元気足りない? もっとむぎゅってする?」

「馬鹿。お前はもっと恥じらいを覚えろ」


 慌てて奏の体を引きはがす。奏が意地の悪い笑みを浮かべていることに気が付いたのだ。


「きゃあ。女の子に乱暴はだめだぞ?」

「うるさい」

「ふふふ。元気になってよかった」

「む」


 屈託なく笑う奏は、思わず不服の声が出かかったのも止めてしまうほど、今の俺には輝いて見えた。しかし、その奏の顔は徐々にうつむいていく。


「別のところも元気になってたり、する?」

「さっさと学校行け」


 苦手なはずの下ネタを、顔を真っ赤にしてまで言わなくていいのに。


 何はともあれ、奏のおかげで元気が出た。身を挺して俺を慰めてくれた奏には感謝しかない。






 リビングでテレビを見ながら様々なことに思索を巡らせて数時間。今頃は瑠美も奏も昼休みだろうか。


「気分転換に外にでも出るか」


 ちょうど昼食の買い出しに出ねばならない。包丁を目にしたくないので、冷凍食品になるだろうが。


 近所のスーパーまで自転車で向かう。ぽかぽかの日差しに、少しだけひんやりした空気が肌を撫ぜる。その温度差がふさぎ込んでいた気分に爽快感を与えてくれる。お世辞にも吹っ切れたとは言えないが、闇雲に不安に駆られるようなことはなくなった。


 極めて平常心に近い状態でスーパーに入店。迷いなく冷凍食品のコーナーへ。最近は多様でかつ調理が楽なものが揃っている。そして値段も良心的。ただ、この時間のスーパーは高校生がいるような場所ではなく、注目を集めているような気がしてしまうので、迷っている暇はない。


 そう思い、なるべく早く退散することを目標にたどり着いたわけなのだが、まさか、同類がいようとは思わなかった。


 ジャージ姿で冷凍餃子とにらめっこをしている少女。年齢は恐らく俺と同じ。高校生だろうが、ゆったりとしたジャージの上からでもわかるほど起伏のはっきりした体つきは、モデルという言葉を彷彿とさせる。ちらりと覗いてみると、顔立ちも思わず二度見してしまう程に整っている、というか、この美貌には見覚えがある。眼鏡をかけ、帽子をしているので印象が違って見えるが、こんな美少女がそう何人もいてはたまらない。


「美川?」

「えっ」


 俺が小さく名前を口にしてしまうと、相当驚いたのか、手にしていた餃子を取り落とし、ぎょっとした様子で、髪が遠心力でふわりと靡くほどの勢いで振り返った。


「げっ。こほん。人違いです」

「今思い切り『げっ』って言ったよな」

「ぐ」


 誤魔化すのは難しいと判断したのか。ごにょごにょとどもった後、キッと眦を吊り上げ、責めるような口調に変えた。


「こんな時間に、どうしてこんなところにいるのかしら。もしかしてサボり? ついに真面目に登校することもやめてしまったの。愚かね」

「あまり言い訳のできる状況でもないからそれでもいいが。そっちこそなんでこんなところにいるんだ。思い切りブーメランだぞ」

「ぐ。ああ言えばこう言う」


 至極真っ当な反応だと思うのだが。


「女の子には色々あるのよ。デリカシーのない男は嫌われるわよ」

「今更嫌われたって、別に気にしないけど。聞かれたくないなら別にいい。それじゃ」


 寿命まで定まった俺とはやはり生きる世界が違うのだ。これから死ぬ覚悟をしなければならない俺とは、もうまともに関わることもないだろう。


「ねぇ」


 そう思って、さっさと選んで退散しようとしたのだが、彼女の口から出た言葉に俺は引き留められた。


「なんだ。ここであまり長居はしたくないんだが」

「一つだけ質問させて」

「なんだ?」

「最後の晩餐には、何を食べるべきだと思う?」


 その質問は、意図が全くわからなかったが、俺も考えなければならないことだった。そして、彼女の質問は、俺のたった今の行動を反省させた。適当に選んでしまった冷凍食品を棚に戻し、先ほどの彼女のようにパッケージとにらめっこを始めた。


「ねぇ、聞いていたの」

「ああ。聞いていた。今選んでいるところだからちょっと黙っていてくれ」

「何よそれ」


 二人並んで冷凍食品を品定めする。結果、俺は肉じゃが、美川はハンバーグを選んだ。


「それが君の最後の晩餐?」

「いや。最後が冷凍食品は嫌だろ」

「たしかに」

「俺は、そうだな。彼女の手料理かな」


 本気の決断というわけではない。ただ、冗談というわけでもない。彼女の愛情篭った手料理を男は誰しも夢見るものだ。それで最後にするかは別として。


「へぇ。なんか、馬鹿っぽい答えね」

「文句があるなら訊くな」

「ふふ。嫌いじゃないわよ。それも一つの正解だと思うわ」

「最後の晩餐に正解も不正解もあるのかよ」

「ないわけじゃない、と思うわ」

「あるにしても、どうせ最後なのに、正解を出したところで意味なんてないだろ」

「さぁ、どうかしら。もしかしたら、最後じゃなくなるかもしれないわよ」

「どうだか。さておき、美川はどうなんだ」

「どうって?」

「最後の晩餐。出題者の意見も参考にさせてくれ」

「そうねぇ」


 美川は中空を仰ぎ見た。とはいっても、目に映るのは店の蛍光灯くらいだろうが。


「家族の手料理、かしらね」


 そう言った美川は、話は終わりとばかりにその場を立ち去った。

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