33日目 8月14日(土)
「起きて、翔」
「ん、ああ。この時間だと、おはようかこんばんはか、どっちが正しいんだろうな」
「翔に言われるならどちらでもうれしい」
「やだ惚れる」
「嫌?」
「そんなわけない。おはよう愛羅」
「おはよう、翔」
パジャマ姿の愛羅と俺は布団から抜け出し、立ち上がる。俺は月明かりを頼りに、カバンから物騒な拳銃を取り出した。
「今の時間は?」
「あと一分で二時」
「ふぅ。緊張するな」
「翔。安心して。あなたのことは私が守る」
「かっこいい」
「そう?」
男前だとは口にしなかったが、俺より余程男気のある発言である。
「それに、神様も守ってくれる」
「え? 俺のために出張ってくれるのか?」
「違う。遣い」
「ああ、そういうこと」
神様の遣いという点では、死神も同じだろう。しかし、死神の存在は期待できないとの話であったため、他の役職の遣いがいるのかもしれない。
「来た」
「亡霊か?」
「違う。応援」
愛羅の視線を追って見ると、この和室の入口に何か小さい物が揺らめいているのがわかる。俺の膝元くらいしかない大きさのそれが、月に照らされる位置までやってきた。
「狐?」
「そう」
俺の視覚は間違っていなかったらしい。俺の近くで行儀よくお座りしているのは、紛れもなく狐。実物は初めて見たが、意外と可愛い。この時期は暑そうとしか思えないが、フサフサの毛並みは触り心地が良さそうである。
「触らない方がいい」
「え?」
「神の遣いというだけで、存在としては亡霊と同じ。触れるとどうなるかわからない」
「そりゃ難儀だな」
「同じ存在だからこそ、追い払うことができる」
「それだと愛羅も亡霊みたいだぞ」
「私は違う」
「だろうな」
だって、愛羅とは好きなように触れられる。もしかすると、今愛羅が手に持つ鎌こそが亡霊を切り裂くポイントなのかもしれない。
「昨日のお礼っていうのは、こいつの?」
「そう。手伝ってもらった」
「それは有難い話だな。ばあちゃんが信仰を続けてくれたお陰か」
神様が遣いをくれるくらいに、ばあちゃんは日頃から大切に思っているのだろう。それが俺を助けてくれるのだから、感謝してもし足りない。
「そろそろ来る。覚悟して」
「わかった」
拳銃を構えて、愛羅の後ろに立つ。折角お狐様が来てくれたのだから、誤射だけは気をつけなければ。ごんぎつねも真っ青の事案が発生してしまう。
「うわ、すげえ」
暗いからこそ狐に当たってしまわないか不安だったのだが、その心配は無用だった。
応援の狐が亡霊の対処に使うのは、青い炎。狐火というやつだ。お狐様は口から蒼炎を吐き、周囲を照らしながら亡霊を焼き払う。これで誤射などするようなら、いよいよ不届き者である。
それから三十分間、俺たちは黙々と亡霊に対処し続けた。初陣ということで、狙いもフラフラで不甲斐ないばかりではあったが、どうにか凌いだと言える。
「ふぅ。お疲れ」
「お疲れ様」
「応援ありがとう。お陰で随分助かった」
要は済んだとばかりに和室から出ていこうとする狐の背に感謝を述べる。実際見えているのは背中ではなく尻尾だが。
「反動はほとんど無いけど、慣れないと使うのは難しいな、これ」
「そう?」
「愛羅は一瞬で慣れそうだな」
ピンポイントの精密射撃くらい軽くこなしそうだ。俺の尊厳のため、愛羅には絶対この武器は渡さないことにしよう。
「墓掃除?」
「最近腰が悪うてのぉ。草むしりもできんで、ご先祖さまに申し訳ないから、お小遣いあげるで、かーくん代わりに頼めんかの?」
「いいよ。忙しくはないから」
「すまんの、彼女さんも」
「翔がいいと言うなら構わない」
「ゾッコンじゃの。ほほほ」
朝ご飯の時にばあちゃんと顔を合わせると、申し訳なさそうに墓掃除を依頼された。泊めてもらっているのだから、それくらいの仕事はこなすとも。それに、お墓という言葉が他人事とは思えない。
今日もうるさい蝉の声を聞きながら、畦道を愛羅とえっちらおっちら歩く。とにかく暑い。
「昨日より随分暑く感じるな」
「気温は上がっている」
「そういうのわかるのか?」
「なんとなく」
「俺と変わんねえじゃねえか」
愛羅が言うから正確なのかと思えば、全くそんなことはなかった。とはいえ、愛羅が感覚で物を言うというのも珍しい。
「てへ」
「どこで覚えたそんな言葉?!」
より珍しい事件が起こった。というか、そんな死神らしさゼロの反応を教えた覚えはない。
「お祖母様から教わった」
「ばあちゃん?!」
「私は反応があっさりしすぎらしい。翔に喜んでもらえるように言葉も表情も豊かになれと」
恐らく、晩ご飯の準備はばあちゃんを愛羅が手伝う形になっているので、その時に話していたのだろう。いつも俺と一緒の愛羅だが、俺の知らないところで何かを学んでいるというのは少し寂しい。だからといって、ばあちゃんの口からその言葉が出てくるところを想像したくはない。
「確かに、愛羅にはそういうところがあるけど、言葉はともかく表情はどうにもならんだろう」
「秘伝のマッサージがあると」
「何でもありだな!」
いったいばあちゃんの知恵袋はどうなっているのだろう。あのコンビニが何でも揃っているなら、うちのばあちゃんは何でも可能な気がする。
「翔は嫌?」
「いや、全然嫌じゃないよ。むしろ、愛羅が俺のためにって思ってくれるのが凄く嬉しい」
「よかった」
「それは良いけど、愛羅は俺のこと観察してなくていいのか? ばあちゃんと料理してるときでも」
「構わない。元々、観察は必要事項ではない。私が常識を学ぶためのものだった」
「そういやそうか」
「沢山教えてもらったから。もう大丈夫」
「そっかぁ」
やっぱり寂しい。今までずっと世話というか、教育をしていただけに、他の人の元へ行くとか、俺が必要ないとか言われるとちょっと目元が熱くなる。
「寂しい?」
「ん、まあ」
「よしよし」
愛羅が背伸びをして俺の頭を撫でる。愛羅がそういった行動をするようになったことを喜ぶ気持ちと、それを教えたのが俺じゃないという寂しさが同時に襲ってくる。そして愛羅の手に癒される。
「愛羅が俺の気持ちを訊くのは初めてじゃないか?」
「そう?」
「そんな気がする。嫌かどうか以外、訊かれた覚えがない」
「そうかもしれない」
「お互いの気持ちを知ることって大切だから、そういうの続けてくれると嬉しい」
「わかった。頑張る」
これもばあちゃんに教えてもらった仕草だろう、ふんすとやる気を入れた愛羅。彼女を連れ、やたらと広い墓地にやってきた。
荒れ放題というわけでは決してないが、雑草が結構生い茂っている。お盆のシーズンということもあって、墓掃除に来ている人は俺たち以外にもいた。
「愛羅はお墓を綺麗にしてくれ。結構草が生えてるから、昨日みたいに足を切らないようにな」
「任せて」
水を汲んだバケツと雑巾を愛羅に。俺は軍手をして、雑草を抜いていく。
各々作業をするときは、それほど喋るわけでもない。ただ予想外に辛い作業で声を出す気力もないということもある。
ずっと屈んでいるせいで腰は痛むわ、何かデカい虫に出くわすわ、蝉がうるさいわ、暑いわで、労働環境としては最悪と言える。それでもやると言った手前、文句を言うのはカッコ悪いだろうと思って黙々と作業をする。
そんな俺にも癒しがあるのだ。ふっと腰を伸ばすついでに墓の方を見ると、愛羅がせっせと墓を拭いている。
何よりもまず可愛い。お団子に結んだ髪とうなじは思わず見とれるほど綺麗だし、肌も透明感のある白さ。日焼けなど知らないとばかりだ。
そして、座り直す度に揺れる山脈には否応なく目を引き付けられる。今愛羅が着ているのはノースリーブなので、愛羅が雑巾を墓に差し伸ばす度脇がチラチラしてドキドキする。
思春期男子の夢を詰め込んだような彼女を見て癒されると、俺はまた雑草と向き合うのだ。
「あらかた片付いたかな」
「綺麗になった」
「凄いな愛羅。ピッカピカだ」
「えっへん」
「えっへんって聞かないけどな」
「そう?」
ばあちゃんでも流行り廃りはわからないらしい。そこは俺が擦り合わせていけばいいだろうが、時代錯誤な言葉遣いの愛羅も捨て難いものがある。
とりあえず、雑草はほとんど抜いたし、愛羅のお陰でお墓も太陽の光を反射するくらい綺麗になった。ゴミ袋が雑草で一杯になると、達成感も一入である。
「あのぉ」
「はい?」
「すいません、ちょっと手伝ってもらえませんか」
「はあ」
帰り支度でもしようかと軍手を外したとき、見知らぬおばあさんから声をかけられた。人の良さそうな感じで、何か怪しい勧誘というわけではなさそうだ。
「お墓掃除に来てるんですけど、息子が腰をやっちゃって」
「ああ。それは大変ですね」
おばあさんが指差す先には、うちのお墓と同じく半分以上が雑草に覆われたお墓と、痛そうに四つん這いになっている壮年の男性。続行不能という意思表示がヒシヒシと伝わってくる。
「分かりました。いいですよ」
「本当? 助かるわぁ」
「愛羅、また頼めるか?」
「任せて」
作業時間が倍になったものの、田舎へ来てすることとしては丁度いい。持ちつ持たれつのスローライフがここの良いところだ。
「かーくん、大丈夫けぇ? 随分時間かかっとるども」
「あぁ、ばあちゃん。うちの方はもう終わってるよ」
「ほんとねぇ。綺麗んなってご先祖さまも喜んどるよ」
腰を上げて見上げると、太陽はもう真上に上っており、俺の腹も昼時であることを告げていた。ばあちゃんが様子を見に来るのも納得の時間である。
「あら一ノ瀬さん。ご無沙汰なってます。一ノ瀬さんとこのお孫さんだったのね」
「かーくん中川さんとこ手伝っとんの。偉いねえ」
「中川さん?」
聞いた覚えのある名前だ。思い出してみると、ばあちゃんが言っていた駅員さんの名前だった気がする。座って腰を摩っている男性をよく見てみると、確かに有人改札で切符を渡したお兄さんだった。
「中川です。ちょっと離れたところでイベントの運営とかやってます。あんまり人気ないから、仕事というより趣味だけどね」
「一ノ瀬翔です。高校生です」
「愛羅」
「どうもありがとうね。助かったわぁ。よかったらスイカ、持っていって」
「いいんですか?」
駅員さんの方が、腰に気をつけつつ、乗ってきたであろう軽トラからスイカを引っ張り出してきた。なぜ置いてあるのかは謎だ。元々誰かにあげる予定だったのかもしれない。
「あんまり形はよくないけど、味は保証するからね。今日のおやつにでも冷やして食べて」
「ありがとうございます」
「うふふ。お幸せにね。それじゃあ一ノ瀬さんもまた」
「おぉ。スイカありがとうね」
表面にキズこそついているものの、ずっしりと重たいスイカを一玉いただいた。
「そんじゃかーくん、帰るでね」
「わかった。愛羅」
「うん」
会話にほとんど介入しなかった愛羅を呼び、三人で家に戻る。昼食はばあちゃんが既に用意してくれていて、カレーだった。きっと晩もカレーになるのだろうなと思いながら、しかし美味いから文句はない。
「スイカ庭先で冷やしとくで、後で愛羅ちゃんと食べね」
「ありがとー」
「ほじゃ、おばばはお隣までおしゃべりに行ってくるで、お留守番よろしくね」
「わかった。行ってらっしゃい」
ばあちゃん一人で暮らすには広すぎる木造平屋に、愛羅と二人で留守番する。普段家にいるときと同じと言えば同じなのだが、場所が違うと感じ方も違う。具体的に言えば、ちょっとソワソワする。
「翔」
「ど、どうした?」
俺と愛羅は和室で座布団の上に座っている。蝉の声が心なしか遠くに聞こえ、風が入るたびに窓際の風鈴が小さく鳴る。それに耳を澄ませるばかりで会話はなかったのだが、先に愛羅が俺の名前を呼んだ。
「近づいてもいい?」
「それくらい訊く必要ないぞ。どこにでも来てくれ」
「わかった」
すっくと立ちあがった愛羅は、胡坐をかく俺の足の間へすっぽりと収まった。そのままぐりぐりと体重を預けてくる。これが甘えているのか、純粋に人肌が好きなのか、それはわからない。というか、どちらも同じことかもしれない。いずれにせよ、俺も愛羅も幸せになるのだから、気にする必要はない。
「可愛いなぁ愛羅は」
「うれしい」
頭を撫でると、こっちを振り向いて微笑んでくれる。可愛い。
愛羅の可愛さと柔らかさを堪能するのもほどほどに、今日あったことで知りたかったことを聞いてみる。
「お墓掃除したけど、それで亡霊が減ったりとかしないのか?」
「わからない。翔と中川さんのご先祖様による」
「つまり、亡霊になるには条件があるってことか」
「そう」
「ちなみに、条件とか教えてくれたり?」
「あまり教えたくない」
愛羅は俺の方を向くのをやめ、顔を正面に戻す。少し気まずいという気持ちがあるのだろう。
「そっか。まあ企業秘密、というか秘匿義務みたいなのはあるよな」
「義務ではない。ただ、翔のために」
「もう死ぬことは受け入れたから、気にしなくてもいいんだけど」
「万が一、気が変わったときのために」
「大丈夫だと思うけど、愛羅がその方がいいなら、そうしよう」
「ありがとう」
「お礼を言うことじゃない。俺の我儘を言っただけだから気にしないでくれ」
きまり悪いからか背中を浮かせようとする愛羅をとどめ、優しく銀の髪を撫でる。
「話さなくたって、俺は愛羅のこと好きだから。冥土の土産なんて、愛羅さえいれば十分だ」
「うれしい」
離す気がないと悟った愛羅は、頬と頬をすりすりと擦り合わせて喜びを表現する。しかし、その表情は少し翳りがあった。
「でも、ときどき考える」
「何を?」
「もし、翔が選んだのが私でなければ、翔が亡霊に狙われることもない。私と関わらなければ、もっと翔は」
生きられるはず。そう言おうとした愛羅を強く抱きしめ、やめさせた。それは言ってほしくないことだった。まるで、俺が愛羅を選んだことが間違いだったみたいな台詞。
「愛羅。俺は愛羅じゃなきゃ嫌だ。今の俺は愛羅の可愛いところを沢山知ってる。それを知らないままでいるなんて、嫌だよ」
「ごめん」
沈黙が続く。何か、言わなければならない。別の道を考えるあまり、今の道を進む俺の感情も、愛羅自身の感情も勘定に入れ忘れてしまった愛羅に。
「大丈夫だ。不安になるのもわかるから」
「そう?」
「ああ。俺だって愛羅が俺を好きでいてくれてるか、ちょっと不安になることもある」
「私は翔が好き」
「ありがとう。愛羅がそう思ってくれるのと同じくらい、俺だって愛羅が好きだからさ。もしもの話なんて、必要ないんだ。愛羅も俺も、ただ前だけを向いて生きればいい」
「うん」
「好きだよ、愛羅」
「私も。好き」
再び振り向いてくれた愛羅と見つめあい、どちらからともなくくすりと笑う。
「スイカ食べるか」
「うん」
冷やしてあるスイカを、ばあちゃんの分を残して切り分ける。
どっしり中身の詰まったスイカは、とても甘かった。




