32日目 8月13日(金)
「おはよう。翔の寿命はあと19日」
「おはよう愛羅。夜中は大丈夫だったか?」
「対処できないほどではない」
「でも多いのは多いのか」
「そう」
事も無げに言ってくれるが、もし俺の部屋に出たのと同じか、それに準ずるくらいの亡霊が出るとすれば、愛羅だけでは負担が大きすぎる。
「じゃあ明日は俺も起こしてくれ」
「翔の手を煩わせることはない」
「水臭いこと言うなよ。恋人なんだから。それに、もし何かあってからじゃ遅いだろ?」
「わかった」
少し愛羅と会話した後、縁側から外を眺める。見えるのは無駄に広さがある庭と、塀を超えた先に見える青々とした山々。田舎らしい澄んだ朝の空気は、適度に湿気を含み、少しひんやりとした感じがする。深呼吸をしてみると、やはり美味しい気がした。
「よし。行こうぜ愛羅」
「うん」
死神に起こされるわけでもないのに、ばあちゃんの朝は早い。俺が身だしなみを整えてキッチンに行くと、既にばあちゃんが朝ごはんを作り終えていた。
昨日は俺の料理をばあちゃんに食べてもらった。というのも、俺の料理の師匠はばあちゃんであり、師匠に対する恩返しという意味を込めて。
「美味いっ」
「ほほ。頭はボケても料理だけは忘れんでね」
「美味しい」
愛羅もしみじみと味わって味噌汁を飲んでいる。アホ毛を控えめに主張させて。それくらい、やっぱりばあちゃんの料理は美味い。
「私に教えてほしい」
「愛羅?」
「ほっほ。オババの特訓は厳しいで、ついてこれるかの?」
「問題ない。翔に作ってあげたいから」
「あっつあっつじゃの」
「恥ずかしぃ」
ばあちゃんから生暖かい目を向けられる。愛羅があまりに当たり前のように言うので、それもまた照れてしまう。
「ばあちゃん、いってきまーす」
「いってきます」
「おお、いっといで。お昼には帰っといでよ」
「うーい」
食事の後は、約束通り愛羅にこの田舎を案内する。もっとも、歩いて行ける距離となると、案内する場所もほとんど無い。
鼓膜が破れそうなほどのセミの大合唱をどうにか我慢しながら、都会ほど綺麗に舗装されていない道を歩く。徒歩でこの辺りを通る人もいないので、手を繋いで。
愛羅の頭には麦わら帽子。死神相手に日射病など気にする必要もないと思うが、ばあちゃんが持たせてくれた。確かに、そこら中田んぼだらけで遮蔽物もないのだから、一般的にそういった心配は適当と言える。
「翔。どこに行く?」
「え? なんだって?」
それにしてもセミがうるさい。愛羅のいつものトーンではよく聞こえないのだ。振り返ってみると、愛羅が声を張り上げている様というのを見たことがない。俺が耳を近づければ済む話だが、それ見たさにただ聞き返すことにする。
「どこに行く?」
「えー?」
「どこに行く!」
期待通り、愛羅は大声を出した。しかし、その表情はいつも通りの無表情。少し口の開きが大きくなっただけ。言葉が言葉だけに、悪役に追い詰められている主人公のような気分になる。
「えーっと、コンビニに行くんだ」
「そう」
「本当はちょっと違うんだけどな」
眩しい太陽が照りつける中、十分程度道沿いに歩き続けると、ある古い家の前に辿り着いた。
「ここがコンビニ」
「違う」
「まあな。通称コンビニだよ。二十四時間営業でもないし、急に休んだりするしな」
幸い今日は開いていたみたいで、引き戸を開けると中はひんやり涼しい。一見すると、整理されていない物置のように色々と物が置いてあるが、そのどれもが商品である。ここへ来ると何でも揃うと評判だ。
幼い頃、遊びに来ていた俺と瑠美は近所の子どもと一緒にここへよく涼みに来たものだ。近所と言っても、やはり歩いて十数分はかかるわけだが。
「おんやまあ、一ノ瀬さんとこの坊ちゃんかい?」
「そうです。ご無沙汰してます」
「ここ何年か来てなかったもんねえ。ゆっくりしていきよ」
「ありがとうございます」
「ついでに昔のツケも払ってもらおうか」
「覚えてるんですか」
「がはは。金勘定で俺に適うやつはおらんべ」
応対してくれたのは、店長のおっちゃん。ここでは幼い頃、瑠美と一緒に出世払いということでアイスを買ったりしていた。そのツケを今精算させられることになろうとは。とはいえ、田舎の物価は安い。本物のコンビニで買うよりいくらか安上がりだ。
「んでそっちの子は、もしかして瑠美ちゃんかい? あらま別嬪さんなってまあ。しかもいろいろ成長して」
「瑠美ではない。愛羅」
「聞いてません? 俺が彼女連れてきた、みたいな」
「あー、言うとった言うとった。坊ちゃんも隅に置けんねえ、こんな別嬪さん連れてきて」
もしかして、人と会う度同じことを言われるのだろうか。昔の俺はどんなにモテないと思われていたのか。いやそれより、愛羅が可愛すぎるのだろう。
「エンゲージリングでも買ってくか?」
「あるんですか?!」
「特注だで、値は張るけどな」
「買いませんけど。買いませんけど、いくらですか?」
「百万くらい」
「単位は円ですか」
「当たり前だ」
「世間は厳しいっすね」
もしかしたらと思ったが、本格的に考えるとそういうものだろう。もしかしてなんて思う方がどうかしている。
「坊ちゃんならまた出世払いでもええど」
「遠慮します」
何せ出世する予定がない。
逃げるようにコンビニを出て、また炎天下を歩き出す。さっきまでクーラーの効いた場所にいたのに、もう汗が吹き出してくる。
「次は?」
「川でも行くか。ちょっとは涼しいだろ」
田舎の川はとにかく水が綺麗だ。加えて生態系も豊か。少し目を凝らせば、川魚が泳いでいるのが見える。ただ、水辺を飛ぶ小さな羽虫も湧いているため、不用意に突っ込むと食虫生物の仲間入りを果たすことになる。
「涼しくない」
「まあ、ちょっと離れてるからな。気温が下がるわけじゃなくて、なんか川のせせらぎを聞いてると涼しくなった気がしないか?」
「しない」
「にべもないな」
とはいえ、手入れのされていない河原は背の高い雑草ばかりが好き放題自生しており、そこそこの覚悟がなければ近づこうとも思わない。無鉄砲だった少年時代では、よく突っ込んで汚れて帰ったものだ。瑠美をそそのかして一緒に汚れたから、母さんにもじいちゃんにも叱られて、でも楽しかったのを覚えている。
「なら、近づいてみるか?」
「汚れる」
「それならそれで、楽しいだろ」
「たのしい?」
「汚れたら怒られるだろうけど、それをやるからこそ面白いんだ」
「やってみる」
昔は瑠美だったが、今そそのかすのは愛羅だ。ばあちゃんはきっと何も言わない。服を洗うのは自分でやれと言われるだろうが、はなからそのつもりだ。
「よっし。行くぞ」
愛羅の手を引いて、川の流れに近づいていく。腰元まである雑草たちを踏み倒しながら、一直線に。足元に注意を払っていないと、ふとした瞬間に踏み出した足が川の中なんてことがあるのだ。それに、あまり前ばかり見ていると羽虫の群れに突っ込んだときが不快だ。
「おっと。ここまでだな」
「ついた?」
「ああ。ケガはないか?」
「問題ない」
「ちょっとスペース作るから、そこで待っててくれ」
周りの雑草を踏みつけ、二人が座れる程度の場所を確保し、川の水に触れられるくらいの場所で並んで腰を下ろす。そのくらい川に近くなると、土よりも石が増えてくるため、草の量も少なく、それほど苦労はしない。
「これでよし。川の水触れてみるか?」
「うん」
「冷たいだろ」
「うん」
「あの山からの雪解け水なんだと。夏になってもまだ雪解けの話になるってすごいよな」
「そう」
反応が薄い。もともとこんなものだからそれほど気にならないが、もしかして熱中症かと思い山の方から愛羅の方へ視線を移すと、顔に冷たいものがかかった。
「冷たっ!」
「ふふ」
なんと、愛羅の悪戯だった。川の水を掬い、俺の顔面に浴びせかけたのだ。愛羅は俺の反応を見て楽しそうに笑う。そっちがその気なら、俺だって対抗してやるのが礼儀だ。
「このっ!」
「冷たい」
「俺の気持ちがわかったかふひゃあ!」
「ふふふっ」
「やったな! 上等だ!」
汚れるのなんてもうどうでもいい。俺と愛羅は戦争とばかりに冷たい水を互いに浴びせあう。もはや煽る言葉もなく、ただただ笑って遊んだ。
楽しい時間はあっという間。ふと我に返った俺たちは、どちらもびしょびしょなことにようやく気づいた。愛羅は持ち前の反射神経をフルに使って躱すので、せいぜい長い髪がしっとりするくらいだが、俺の方はといえば、愛羅の情け容赦を知らない猛攻に遭ってシャツからズボンまでじっとりである。川に飛び込んだといっても通用しそうだ。
「やりすぎた?」
「それくらい夢中になったんならいいことだ。この暑さならこれくらいがちょうどいいよ」
「そう」
「そろそろお昼時だろうし、一旦家に戻ろうか」
「うん。たのしかった」
「それは何より。俺も楽しかったよ」
来た道を帰る。見渡す限りの田んぼや畑で、自分がどこにいるかわからなくなりそうになるが、そこは幼少期の記憶が活躍する。
「はっくしょい!」
「大丈夫?」
「ああ」
それよりも、ちょっと水を浴びすぎたようで、だんだん体温が下がってきていた。昔も同じようなことをして、それで風邪をひくようなことはなかったから大丈夫なはずだが、愛羅は心配な様子だった。それがちゃんとわかるほど、愛羅の表情は進化している。
「それ、心配な表情だよな?」
「できている?」
「ああ」
「翔はたまに無理をするから。この顔は頑張って学んだ」
「それは喜べばいいのか?」
「それよりも、手が冷たい。体が冷えている証拠」
愛羅はにぎにぎと繋いだ手を確かめるように力を入れるが、あまり実感はわかない。もちろん、体温が下がっているのはわかるが、愛羅が表情に出すほどとは思わない。
「そんなにか?」
「こうしたらわかる」
「ちょっ、愛羅?」
誰もいないとはいえ、誰でも通りうる路上で愛羅は俺に抱き着く。田舎の人間は無駄に目がいいし、ちょっとした話題にも敏感なので、そういう大胆な行動は慎んでもらいたい。
とはいえ、触れた愛羅の身体は俺に比べて随分と熱く感じる。愛羅の方こそ熱中症ではないかと心配だが、これは俺の体温が低いせいでそう感じているのだろう。
「って、これじゃ歩きにくいだろ。それに、愛羅も濡れるぞ」
「構わない」
「俺が構うんだが」
「これで私の熱が翔に移る。私は涼しいし、翔はあったかい。合理的」
「そりゃそうかもしれないけどさ」
どうにも、くっつく言い訳のように聞こえる。もしそれが求められているということだとしたら、彼氏冥利に尽きるということで、断る理由もない。実際は外聞という理由があるわけだが、今更そんなものを気にせずとも良いだろう。
「それに、けがをした」
「なに?」
「ここ」
愛羅は頷かない俺に追い打ちをかけた。実際陥落済みなのだが、どうしてもくっついていたいらしいと見える。というのも、愛羅が指し示したケガというのが、足首付近の小さな切り傷。恐らく、遊んでいるときに草で切ったのだろう。
「じゃあ、おんぶするか?」
「うん」
明らかに大袈裟だが、愛羅は待ってましたとばかりに、笑顔で俺の背中に体重を預ける。ふにゅんとした感触が心地いい。それを知ってか知らずか、愛羅はルンルンで俺の背に身体を擦り付けていた。
「落ちないようにな」
「うん」
愛羅も、だんだん自分の欲求を正直に伝えるようになったものだ。これが正直と言うかはともかく、要求を実現させようとすることに意味があるのである。
これが健全な恋人の形かと言われると自信はないが、愛羅も俺も幸せならオールオッケーだと思うのだ。
「かーくん、ご飯できとるで、持ってって縁側で食べ。そんなびしょびしょで家入らんでな」
「あーい」
「若いってええの」
「え?」
「ほほほ」
無論、玄関に来てまで愛羅を背負うことはしていない。それでも意味深な笑いを浮かべるばあちゃんが何を想像しているか、あるいは早速噂が出回っているかは考えたくもなかった。
「冷やし中華って、なんか田舎っぽくないよな」
「そう?」
「まあ美味いから文句なんてないけど」
ずぞぞと音を立てて中華麺を啜る。朝よりは大人しくなった蝉の鳴き声を耳にしながら、黙々と麺を食む愛羅を眺めていた。
「麺はともかく、野菜はやっぱり一味違うな。帰ってきたって味がする」
「かーくん、お茶持ってきたでお飲み。それと、それ全部出来あいじゃよ」
「え」
「最近は料理する必要もなくて便利での」
「マジ?」
「まじ」
「ふふ」
わざわざ言わないでほしかった。かっこつけて違いが分かるアピールをしたのに。めちゃめちゃに恥ずかしい。愛羅も笑っているし。というか、そんなに機転の利く笑いができただろうか。
「ほいで、食べ終わったらここ置いとってくれればええでの」
「ばあちゃん、洗い物くらい任せてくれていいよ」
「かーくん、まだ神様に挨拶いっとらんじゃろ」
「え、ああ。そういえば」
「先行っといで」
「わかった。じゃあそうする」
こういうことにうちのばあちゃんは厳しい。俺は信じる信じないではなく実際に会っているが、ばあちゃんは神様というものを信仰しているしているし、ここを訪れた際にはいつもお参りさせられる。子供のころは面倒に思っていたが、今となっては別に苦でもない。むしろ愛羅に紹介する場所が増えて嬉しいくらいだ。
「行くぞ愛羅。というか、死神が神社とか行って平気なのか? 神様の種類が違うとか」
「問題ない。それに、お礼がしたい」
「お礼?」
「明日になればわかる」
愛羅は頷くと、事情を話すことなく俺についてくる。愛羅がそう言うならそうなのだろう。気にしないことにして、俺は近くにある小さな山、というか森林を目指して歩く。
お世辞にも綺麗とは言えないが、掃き掃除くらいはされていそうな長い石段を登る。小山の外からもちらりと見えていた、薄汚れた赤色の鳥居をくぐる。
「あの、お供え物です」
「あぁ、一ノ瀬さんとこの。いつもありがとうねぇ」
境内を掃除していた、腰の曲がった神主さんにばあちゃんから渡されたお供え物を渡す。中身がお稲荷さんであることからもわかるように、ここは稲荷信仰の神社。詳しくは知らないが、愛羅のとこの神様は人型だったし、信仰が別なのだと思うが、怒られたりしないだろうか。
「愛羅、お参りの作法は知ってるか?」
「知っている」
「じゃあはい。五円玉」
財布から小銭を取り出し、愛羅と並んでお参りをする。愛羅の拍手が上手いのが印象的だった。何をすればあんな綺麗に音が響くのだろう。
「愛羅は何をお願いしたんだ?」
「願うことはない。ただ感謝しただけ」
「殊勝なことで」
「翔は?」
「最期の一瞬まで愛羅と一緒にいられますように」
「ふふ。うれしい」
願い事なんて、たった五円で叶えば苦労しないと思っているが、この笑顔が見られるなら、神頼みも悪くないかなと思った。




