31日目 8月12日(木)
「起きて、翔」
俺の名を呼ぶ声がする。微睡みの中でも聞き間違えもしない、愛羅の声。しかし、起きる時間でもないのに愛羅の方から声をかけてくるなんて初めてのことだが。
「ん、おあよぉ」
「朝ではない」
時計を見てみると、時刻は二時三十分。ちょうど亡霊が鎮まった時間だ。
「くぁあ。こんな時間に、どうしたんだ? 寂しくなったか?」
「話したいことが」
「よしよーし。愛羅はいつ見ても可愛いなあ」
上半身を起こすと、傍に立つ愛羅を引き寄せ、頭を撫でる。寝惚けた頭だからこそできる恥ずかしい芸当だ。無論、そこには他に誰もいないという条件がつくわけで。
「見せつけちゃってぇ。こっちが照れちゃうなぁ」
「ぅえっ!?」
「翔。ご近所迷惑」
「す、すまん」
「なんかめちゃ夫婦感出てんねぇ。そういうん好きよ」
ニヤニヤした藍那がそこに立っていた。彼女の武器である拳銃をカッコよく肩にトントンと当てている。ウザイ笑いだが、反論のしようもない。
「翔。話がある」
「お、おう。なんだ?」
「向こうに藍那は来ない」
「ばあちゃん家行くからか?」
「そう」
「あんま持ち場離れるってのも良くないんよね。すまんね」
「藍那も誰かに?」
「まあね。案外彼ぴっぴの近くの人かもよ?」
バチコーンという擬音が付きそうな勢いで、藍那は俺にウインクする。その動作の意味が全くわからない。それを放っておいて、愛羅が詳細を話し始めた。
「祖母の家は、人が多い?」
「ん? 全然。田舎も田舎だよ」
「そう」
「田舎っていうと、やっぱ若い子はいない感じ?」
「まあ俺の知る限りではな。それが関係あるのか?」
「亡霊の量と、死神の有無に関わる」
アレを亡霊と勝手に呼んでいたのは正しい認識だったようだ。しかし、その仕組みは未だ判然としない。今は眠いが、機会があれば話してもらうのも良いかもしれない。
「人が少ないとどうなるんだ?」
「亡霊も死神も少ない」
「そもそも死神が少ないんよね。亡霊が少なければ大丈夫なんだろうけど、まあ一応ね。ほいよ」
藍那は両手に構えた拳銃のうち、片方を俺に向かって放り投げた。
「えっ」
「必要ないことを祈ってんよ」
「藍那はいいのか?」
「そう誰でも彼でも亡霊に狙われてるわけじゃないかんね。一丁あれば十分。せいぜい自分の身を守りな」
「ありがとう。でも、これ死神じゃなくても使えるのか?」
「問題ない」
「何も考えず引き金を引くだけ。簡単っしょ? バイオをハザードする感じでさ」
「そうか。じゃあありがたく借りておくよ」
いったいどういう仕組みなのかはわからないが、信じるしかあるまい。生気のないあの亡霊なら、それほど躊躇なく撃つことができるだろう。
「しかし、見つかった瞬間補導なんだよな」
「そこは、ま、頑張って。じゃね」
「藍那、感謝する」
「ん。デート楽しんでね、お姉ちゃん」
にししと笑って藍那は姿を消した。ここだけ切り取れば、お手本みたいな姉想いの良い妹という感じだ。
「じゃあ俺も寝るかな」
「そう」
「おやすみ、愛羅」
「おやすみ」
欠伸を噛み殺しつつ、ベッドに横たわる。時間も時間なので、すぐに眠気もやってくるわけだが、そこをあえて我慢して、愛羅に手を伸ばしてみる。気づいた愛羅は微笑んで、俺の手を両手で包み込んでくれた。
これ以上ない安眠を確約され、俺は意識を手放した。
「おはよう。翔の寿命は、あと20日」
「おはよう、愛羅」
次に目が覚めたのは、いつもの時間。日が昇る直前で、朝の準備がテキパキ進んだ際には手持ち無沙汰になることもあるくらい早い時刻だが、今日ばかりはそれも好都合だ。
「さて、準備しないとな」
できれば、家を出るところから愛羅と一緒がいい。その為には、瑠美が起きてくるより前に家を出る必要がある。急ぐ程ではないものの、楽しみということもあって体は軽やかに動く。
「朝ごはん、作る?」
「いや。途中で買って食べよう。余裕を持って行くから、そのくらいの時間はあるはずだ」
「そう」
身だしなみを整えて、財布や携帯を持ったことを確認してから、主に俺と愛羅の着替えでパンパンになった鞄を背負って、最後に愛羅と手を繋ぐ。
「よし。いってきます」
「いってきます」
誰も通らない住宅街を、人目がないのを良いことに手を繋いで歩く俺たち。柔らかくてあったかい愛羅の手に触れて、自然と頬が緩んでいた。
歩調に合わせて、握ったり緩めたりを繰り返していると、愛羅も次第に合わせてくるようになる。二人で互いの手の感触を楽しみながら、たまに目が合うとどちらからともなく微笑みかける。幸せだ。
「愛羅、電車の乗り方は覚えてるな?」
「うん」
「よし。じゃあ切符」
駅まで来ると、どうしても人通りはゼロではなくなる。あまりイチャつきすぎると、特に愛羅は可愛いので、周囲のヘイトを買うことになる。そのため名残惜しいが、手は離して行動することにした。
ついでにコンビニで、塩むすびを買っておく。これなら電車が来る前に食べ終えることができるだろう。
「それだけで足りる?」
「んー、まあ大丈夫だろ。少なくとも倒れることはないよ。移動するだけだしな」
「そう」
「それに、向こうで食べる料理って何でも美味いんだ。ここでお腹が膨れるのはもったいない」
「たのしみ」
「期待してていいぞ。ばあちゃんの料理が上手いってのもあるけど、何せ新鮮だからな」
愛羅にも、俺が好きだった場所を好きになってもらいたい。その一心で、電車の中で俺は田舎の思い出話を愛羅に沢山聞かせていた。
俺自身が楽しく話せば、愛羅もアホ毛を生やして楽しそうに聞いてくれる。それが嬉しいからもっと話すという好循環が起こっていた。
そうして時間を忘れて喋っているうちに、早朝ということもあって元々少なかった乗客は更に減っていた。
「ここで乗り換えるぞ」
「わかった」
愛羅の手を引き、決して人通りの多いとは言えない駅を歩く。ちょうど通勤ラッシュの時間帯であり、お盆の時期とあって少ないものの、社会人らしき人たちと逆行する形になる。
「なんとなく、悪いことしてる気分だな」
「そう?」
「大人たちの中で、俺たちだけ逆行してるって思うとさ。夏休みだから関係ないけど、学校から二人で逃げ出してるみたいじゃないか?」
「よくわからない」
「学校行ってないし、そりゃそうか」
「嫌な気分?」
悪いことをしている気分と言うと、それが不安になったのだろう。愛羅は先導する俺の手をくいと引いて、上目遣いで俺を見る。
「そんなわけないだろ。愛羅と一緒にいて嫌な気分になるはずない」
「でも、悪いことは嫌な気分」
「実際は悪くないから。それに、背徳感があるって話で、別に嫌ってことじゃないよ」
「背徳感?」
「そう。後ろめたいような気がするけど、それがドキドキして楽しい、みたいな」
「よくわからない」
「ちょっと難しいよな」
俺は苦笑する。しかし、愛羅は悔しい、というか何としても俺の気持ちを理解したいようで、じーっと俺の顔を見つめて、何か考えている様子だ。
「とにかく、乗り換えに急ごう。そしたら説明する時間もあるから」
「わかった」
先程まで乗っていた電車より車両が少ない電車に乗り換える。この駅で始発ということもあって、人は疎らだ。座り放題な座席の一角に二人並んで腰を下ろす。
「ドキドキを楽しいって思うのが、まず難しいか?」
「うん」
「そうだな、例を出すにしても、何がいいか」
かくれんぼのドキドキとか、お化け屋敷とか肝試しとか、色々と例は思いつくものの、どれも愛羅が怖がる、ないしはドキドキを感じそうなものには思えない。何せ、毎晩亡霊駆除をしているのだから。
「愛羅、何か怖いものってあるか?」
「暴力」
「そりゃそうだろうよ。痛みに直結するんだから、そこが怖くなかったらお手上げだよ」
「翔が死ぬこと」
「うん、それは、ありがとう」
「それから、叱られること?」
「それだそれだ。その気持ちが大事なんだ」
「叱られるのは怖い」
「そう。でも、あえて叱られるようなことをする。バレないようにな。それで、なんて言うか、ドキドキするだろ?」
うまく言葉にできず、共感を求めてみるも、やはり愛羅は首を傾げるだけだ。なるべく簡単に体験させてやる方法を考えるべきだろう。
「じゃあこうしよう。ここに手を出して」
「こう?」
「そうそう」
手のひらを下に向けて差し出された愛羅の手に、俺は自分の手を重ねる。
「俺の手の上に、愛羅の好きなタイミングで手を置いてくれ。フェイントもしていい。んで、手を置いた後、俺にこっちの手で叩かれるより先に手を引くんだ」
「私が痛いだけ?」
「いや。うまくフェイントをすれば、叩く方の手は俺に当たるだろ? それで痛がってる隙に手を置けば勝ち。まあ、勝ち負けというより、愛羅は俺に叩かれないように手を置くことだけ考えればいい」
「わかった」
頷いた愛羅は、ゆっくりと自らの手を差し向けてくる。それでは叩いてくれと言っているようなものだ。
初心者ということでというか彼女だから、友達同士でやるときのように本気でやるわけでもなく、音が鳴ればいいかくらいの強さで愛羅の手を狙う。
「んむっ」
愛羅は変な声を出したかと思うと、迫る俺の手を察知して自らの手をグッと引いた。
そんな攻防を数度繰り返して、結局俺は負けた。段々フェイントが速くなっていくのだから、勝ちようがないし、元々勝てるとも思っていない。
「で、気持ちはわかったか?」
「少し」
「俺が手を翳したらウッてなるだろ。そのドキドキが楽しいと思わないか?」
「言われてみれば?」
「はは。まあそういうもんか」
こういうのは男女差もあるかもしれない。少なくとも俺は女子がこの遊びをしているのを見たことがない。
そうなら仕方のないことだろう。そう思うと同時に大きな欠伸が出た。
「翔?」
「あ、ちょっと眠くて」
「私が起こしたから?」
「そんなに関係ないと思う。電車の揺れが気持ち良いんだろうな」
「降りる場所を教えて。起こす」
「ありがとう。でも、終点まで行くから、多分寝ても車掌さんが起こしてくれるよ」
「そう」
「寝る流れになってるけど、寝ないでも大丈夫だぞ。立てば眠気も消えるだろうし」
「眠って。私の責任でもある」
「気にしなくてもいいって」
「あなたの健康が全て。翔こそ、私のことは気にしないで」
「でも、折角のデートだし」
「私も眠る。それでいい?」
「む。そうだな。愛羅が寝てるのに、俺だけが起きていても仕方ない」
「決まり」
愛羅は姿勢の良いままで目を閉じる。そんなことで眠れるわけがないのに、俺を寝かせるためだけにそんなフリをするのだから、愛いやつである。
愛羅の存在を隣に感じながら、心地よい電車の揺れに俺の意識は微睡んでいく。
目が覚めて、辺りを見回す。揺れが続いていることから、終点ではないらしい。
「ん」
体のバランスが悪い。妙に傾いている。というのも、俺の体に愛羅の体がそのまま寄りかかっているからだ。結局愛羅も眠ってしまったらしい。
そこで車内アナウンスが入る。いつの間にか、乗客は乗車時よりも減っていた。次が終点というアナウンスで納得する。
「愛羅。起きろ愛羅」
俺の体の傾きを戻し、愛羅の肩を揺する。脱力した愛羅の頭の動きに合わせて、サラサラの銀髪が揺れた。
「んぅ、翔」
「おはよう愛羅」
「おはよう」
「次で乗り換えるから、起きてくれ」
愛羅が自らの重心を戻した。
「また?」
「次で最後だ。乗車時間もそんなに長くないから」
ちらと窓の外を覗く。景色はすっかり田舎のもので、田んぼと山ばかりが広がっている。たとえここが故郷でなくとも、誰もが郷愁を感じる光景だ。
最後の乗り継ぎを終える。その電車は驚きの一両編成で、車掌さんを除けば俺たち二人しか乗っていない。
「翔。何も無い」
「はは。そりゃそういうところだからな」
窓の外を指して何も無いというのは失礼な話だが、実際広がっているのは田んぼや山ばかりで、これといって目を引くものはない。
「これで飽きないでくれよ。ここから先ずっとこうだから」
「そう」
言いつつも、俺と愛羅は二人して窓の外に流れる緑をぼんやり眺める。
何も無いを実感したところで、ようやくばあちゃん家からの最寄り駅に着いた。ここから炎天下を数分歩けばばあちゃん家。駅から近いのがせめてもの救いだ。同じ町内でも、歩いて数十分とかかる人もいる。
「こんにちはー。ばあちゃーん、いるー?」
ばあちゃん家に着くと、俺はインターホンも押さず、玄関の扉を開けた。扉といっても、磨りガラスを木枠に嵌めた引き戸だ。このガラガラという無駄に大きな音を聞くと、帰ってきたという感じがする。
「かーくん! 彼女連れてきたってほんとかね!」
「え、あ、うん。なんで知ってんだよ」
「駅員の中川さんから連絡があって」
田舎の情報の速さは異常だ。変化が少ない分、何かがあるとすぐ連絡が回るし、些細なことでも結構大袈裟に話が広がっていく。
「こんにちは。私は愛羅」
「おんやまあ別嬪さんね。かーくんも隅に置けんねえ。上がって上がって。何もないとこだども、ゆっくりしておいき」
「よろしくお願いします」
愛羅は練習した営業スマイルでばあちゃんと相対する。折角練習した挨拶だが、舞い上がったばあちゃんはそれほど気にしていないらしい。
それから日が暮れるまで、俺はばあちゃんから普段の暮らしぶりや、愛羅との関係まで根掘り葉掘り聞かれた。まさか死神なんて伝えるわけにもいかず、色々とぼかして伝えたが。
「んだら、オババはあんまりちょっかいかけんようにしとこがね。若いの二人で楽しめばええ。ほほほほ」
一通り話を聞き終えるとばあちゃんはそう言って自分の部屋に戻っていった。自由にさせてくれるとのことらしい。
それからは、ばあちゃんの分も愛羅の分も含めて料理を作ったり、愛羅に家の設備を紹介したり、荷物を整理したり、また飯を作ったり、何だかんだと時間が過ぎていった。
夜。俺と愛羅に与えられた部屋は和室一部屋。和室というかお座敷というか。宴会でも出来そうなくらい広い。そこに布団を二組敷いて、愛羅と共に寝っ転がる。
「疲れたな。別に何もしてないのに」
「うん」
「明日はこの辺をを案内するよ。何も無いけど、何も無いなりに良いところだから」
「楽しみ」
そうして俺と愛羅は、初めて隣に並んで眠った。電車のあれはノーカンだ。




