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30日目 8月11日(水)

「おはよう、愛羅」

「おはよう。あなたの寿命は、あと21日」


 いつもの時間に目が覚め、いつもの口上を聞く。寝起きながら、いつもと変わらないはずの口上にこんな感想を抱いた。


「愛羅は俺の事、名前で呼んでくれないのか?」


 ベッドの縁、いつもより俺の顔に近いところで座る愛羅の頬に、寝転んだままで手を伸ばす。すると愛羅は、自らの頬をその手に擦り付けながら、穏やかに微笑んだ。なんだか看取られている気分である。


「翔」

「おう」


 名前を呼ばれるだけのこと。別に、俺は自分の名が嫌いというわけでも、特別好きというわけでもない。それでも、愛羅から呼ばれたという事実だけで嬉しくなってしまう。


「愛羅」

「何? 翔」

「今日も可愛い」

「うれしい」


 満面の笑み。何度見たって飽きることはないし、この胸のトキメキが色褪せることもない。


 着替えて、朝ご飯の後で瑠美を見送ると、俺は部屋に戻り、椅子に座って足をプラプラと揺らしている愛羅に話しかける。


「さあ、今日は何をしようか」

「私に案がある」

「お。何だ?」


 愛羅から言い出すことというと若干の不安を感じる。ただ、それが我儘かどうか知らないが、聞き入れるのが甲斐性というものだろう。


「翔のこと、もっと知りたい」

「ん、ずっと観察してたんだから、俺自身が気づいてない癖とかもバレてそうなんだが、何が知りたいんだ?」

「何でも。翔の存在をずっと私の中に留めておくために、あらゆる情報が欲しい。翔の全てを私に教えて」


 真剣な顔かどうかは判別つかないが、俺と真摯に向き合ってくれているのがわかる。


「わかった。でも、何から話そうかな」

「好きなことについて?」

「それは愛羅だな」

「うれしい。でも、私以外で」

「そうだな。好きな食べ物なら、ハンバーグとかオムライスとか、ザ洋食ってメニューが好きだな。愛羅はどうだ?」

「好きな食べ物?」

「ああ。といっても、そんなに色んな種類を食べたわけでもないからな。コレって言うには情報が少ないか?」


 俺が苦笑すると、愛羅はキョトンとした顔で言った。


「翔と一緒なら、なんでも美味しい」

「何それ超嬉しい」


 不意に惚気じみたことを言われると、驚きと喜びが綯い交ぜになって心臓がキュッとなる。


「じゃあ美味しいって思えるものをめいっぱい増やそう。何を食べても俺の顔が思い出せるくらい」

「うん」

「ちょうどここにお菓子があるし、これを食べながら話すか」


 机の上に置いてあった、チューイングキャンディの小箱を開ける。レモン味の酸っぱいやつだ。それを一つ手に取り、愛羅の前に差し出す。


「愛羅、あーん」

「あーん?」

「口開けてってことだ」

「あー」


 手の震えをなるべく抑えつつ、雛鳥のように開いた愛羅の口へ、歯並び綺麗だな、なんて思いながらお菓子を放り込む。


「ほい」

「ん」

「嫌な味だったら、無理せず吐き出していいぞ」


 愛羅は口を閉じ、咀嚼する。しかし、顎の動きは数回で止まった。表情にこそ出ていないものの、酸っぱいのが苦手なのだろう。


「無理しないでさ。吐いたって怒らないから。ほら」


 愛羅の口元へ手を差し出す。しかし愛羅はフルフルと首を横に振った。


「翔が好きな味。覚えていたい」

「愛羅」


 あまりに健気なその様に、思わず泣きそうになってしまった。お菓子一つとっても、例えそれが苦手な味であれ、愛羅にとっては大切な俺との思い出になるのだ。


 なら俺がするべきは、吐き出させてやることじゃない。苦手なものでもうれしい思い出に変えることだ。


「俺のために食べてくれてありがとう。好き嫌いしなくて偉いぞ」

「うん」


 褒めてやりながら、頭を撫でる。すると、酸っぱさに無表情だった愛羅はふにゃりと微笑んだ。


「別のお菓子を取ってこようか。たしか冷蔵庫にチョコがあったはずだ」

「私も行く」

「ああ」


 ただ階段を降りて、冷蔵庫からチョコを取ってくるだけ。時間にして、急げば一分とかからない。それでも俺と愛羅は、めちゃくちゃに暑い廊下を歩くのでも手を離すことはなかった。


「やっぱり部屋の外は暑いな」

「そう」

「愛羅は汗とか、かかなさそうだな」

「水分を摂取すれば、汗をかくこともできる」

「なんでもありだな」


 喋っていると喉も渇くので、チョコより先に冷蔵庫からサイダーを取り出してコップに注ぎ、一気に呷る。


「愛羅も飲むか?」

「うん」


 俺が使ったコップを愛羅へ。シュワシュワと音を立てる液体をお酌する。愛羅はそれをちびちびと飲み始めた。飲ませてから、これもレモンと同じで刺激が強いことに気づいた。


「すまん。苦手だったか?」

「少し。でも、美味しい」

「そうか」


 炭酸の刺激はともかく、味はお気に召したらしい。


「あれ?」

「何?」

「そのまま飲んでてくれ。留守電があったみたいだ」


 ダイニングに置いた固定電話のランプが点滅していることに気がついた。愛羅をキッチンに残して確認しようとしたのだが、愛羅は離れまいと俺の背後をぴたりとついてくる。


 その可愛らしい姿に頬を緩め、その手を掴んだ後で留守電の再生ボタンを押した。


「翔君、瑠美ちゃん。お元気ですか? おばあちゃんです。よければ12日から、うちに帰ってきませんか? お返事待ってます」


 機械越しに話すことに慣れていない祖母らしい、無駄に肩肘張った喋り方の留守電だった。


「祖母?」

「ああ。ここより随分田舎で、もう少し涼しいだろうな」

「行く?」

「どうしたもんかな。優しいばあちゃんのことだから、断っても何も言わないだろうけど。瑠美とも話して決めるか」

「そう」


 何となく、肩を落としたような気がする。田舎に行きたいのかと思ったが、本質的にはそうでないだろう。


「俺、小さい頃は毎年向こうで夏休みを過ごしてたんだ。結構向こうの地理にも詳しいと自負してるんだけど。その、一緒に行くか?」

「行く」

「そうか」


 正解だったらしい。愛羅は俺が過去過ごしていた場所について知りたかったのだ。一気に機嫌が良くなった愛羅は笑顔になってグイッとコップの中身を飲み干した。


「けぽ」

「ぷっ。ふはは」


 随分可愛らしいゲップだった。


「はい、愛羅。あーん」

「あー、ん」


 部屋に戻って、愛羅にチョコを食べさせてあげる。冷蔵庫から部屋までなるべく急いだつもりだったが、この暑さにはチョコも勝てず、俺の体温が決定打となって、少し溶けてしまっていた。


「美味しいか?」

「うん」


 それはそれで、カチカチのチョコを食べるより美味しく感じるだろう。そのおかげかどうかは定かではないが、愛羅は笑顔で味わっていた。そして俺の手に付着した溶けチョコを目ざとく見つけると、俺の手をがっちり掴んだ。


「え」

「あー」


 ぱくりと俺の指を咥え、舐める。上目遣いに俺の反応を見る愛羅の舌の、ザラザラした感触が指の先から感じられ、背筋にゾクゾクとしたものが走った。


 愛羅は俺の指についたチョコを丁寧に舐めとった後、口から手を離した。俺の指は愛羅の唾液ですっかりふやけてしまっている。


「美味かったか?」

「うん」

「それは何より」


 迷惑と言うほどのことでもなく、苦笑して済ませる。


「お返し」

「ん?」

「あーん」


 言葉通り、愛羅は個包装からチョコを取り出し、俺の目の前に差し出してくる。照れくさかったが、先にやったのは俺だ。恋人らしくもあるだろうと思って、応じる。


「あー」

「美味しい?」

「ああ。すごく」

「そう」


 愛羅は嬉しそうに微笑むと、俺を見た後で、自らの指先を見つめた。そして再び俺を見る。


「舐める?」

「ん、あ。ああ。じゃあ」


 チョコを飲み込んだのとは別に、ゴクリと唾を飲み込む。目の前には愛羅の細い指。先端には茶色いチョコがべっとりと付着している。冷静にならないうちに、与えられるがまま口に含んだ。


「んふぅ」

「へ、変にゃ声らふにゃ」

「んふ」


 恐る恐る愛羅の指先を舐めてみると、くすぐったいようで愛羅は体をクネクネさせながら耐えていた。


「もう終わり。もう舐めないからな」

「そう」


 こっちが恥ずかしくなる。愛羅がもの寂しげなのは気のせいだと思いたい。だが愛羅は俺の唾液がついてしまった指をじっと眺めると、それを自らでペロリと舐める。


「あ、おい」

「おいしい」

「そんな真顔で言われても」

「おいしい」

「笑えばいいって話でもないんだよなあ」


 恥ずかしい思いをするのはこっちなのだ。唾液が美味いと言われてもどう反応したらいいのかわからない。




 それからも愛羅と二人でイチャイチャと時間を過ごして、夕飯時。帰ってきた瑠美と食卓を囲む。


「このタレ、いつもと味違う?」

「ん、ああ。毎度測ってるわけでもないし、ばらつきくらいあるだろ」

「それもそうね」


 今日の夕飯は俺が作ったことになっているが、実は愛羅にも手伝ってもらっている。俺の指示通りやってもらったので、余計なものは入れていないはずなのだが、確かにいつもよりちょっと甘い。


「でも、いつものより今日の方が好きかも」

「うっ。そ、そうか」

「なんでダメージ受けてるのよ。馬鹿にいが作ったんでしょ」

「いや、なんでもない」


 瑠美の好みなど分かっていると思っていたが、愛羅の味付けの方が好みと言われて若干傷ついた。別に、それで仲が変わるなんてことはないのだが。


「そうだ。今日電話があったんだ」

「そりゃ馬鹿にいにも、たまにはかかってくるでしょ」

「俺じゃなく家に」

「変な詐欺とかじゃないわよね」

「ばあちゃん家からだよ。詐欺は失礼だろ」

「あぁ、そういえばもうそんな時期ね」


 瑠美は米を口に運びながら、カレンダーを眺める。


「私は今年パスかな」

「へぇ。部活か?」

「部活もお盆は休みだけど、友達と遊ぶ約束するかもしれないし」

「お前、それは誰にも誘われないフラグだろ」

「うっさい! ご馳走様!」


 瑠美は荒々しく食器を片付け、階段を上がって自分の部屋に戻っていった。


「だってさ、愛羅」


 俺一人になったダイニングで、虚空に呼びかける。ちょうど俺が向いた方向に愛羅が姿を現した。


「デートだな」

「そう?」

「ああ。実は、向こうでは愛羅が姿を消さなくても良いようにしたいと思って」

「私は構わない。でも」

「ばあちゃんには正直に言うよ。俺の彼女だって」

「そう」


 勿論、死神云々を話すつもりはない。いっそ瑠美にも彼女だと紹介してしまえばいいとは思うが、実際俺と愛羅は同棲している状態であり、ただの恋人関係ではボロが出る可能性がある。


「だからこれは、ご挨拶兼お泊まりデートって体だ」

「本日はお日柄も良く」

「それはただの挨拶。こういう場合のご挨拶っていうのは、恋人が相手の家族に自己紹介したり、場合によっては結婚を認めてもらったりっていうのだな」

「結婚、する?」


 当然のような顔で、愛羅は小首を傾げ尋ねてくる。そんな仕草も可愛い。


「そうしたい気持ちもあるけど、書面では無理だろ?」

「うん」

「結婚式を真似るにしても、受験生が何してんだって、瑠美や奏には言われるだろうし」

「私の知り合いは、藍那や神様しかいない」

「そもそも超少人数だな」


 やはり人生の終わりだからといって結婚をするのは難しい。同棲している時点で事実婚のようなものだが、式を挙げることはできそうにない。


「いっそ、二人だけで神様の前で愛を誓うか」

「いつもしている」

「それもそうか」


 基本的に、この部屋ではずっとイチャついている。互いに好きと言い合い、適度に触れ合っているわけだ。神様の前といってもまさか本物を呼ぶわけにいかないし、実質やることは変わらない。


「で、結婚の話の前って何の話だったっけ」

「ご挨拶兼お泊まりデート」

「そうそう。愛羅の準備が要るんじゃいかって話をしようとしたんだ」

「準備するものはない」

「そりゃそうだけど、いろいろ取り出したりとかする訳にいかないだろ?」

「うん」


 愛羅が消えたり現れたりする様をばあちゃんに見せたら卒倒しかねない。


「鞄はこっちに大きいのがあるから。愛羅、服って着ない状態でも出せるか? というか、そもそも姿を消した状態で服だけ残すことができるか?」

「後者は可能。前者は不可能」

「げ。まじかよ」

「脱ぐことは可能」


 そう言うと、愛羅はすぐに服を脱ごうとする。必要な行動ではあるので、止めるでもなく俺は後ろを向いた。


「せめて俺が後ろ向いてから着替えてくれよ」

「翔。下着も脱ぐ?」

「あ、ああ。そうだな」


 衣擦れの音が背後すぐ近くから聞こえる。訊いたからには、下着も脱いだのだろう。


「全部脱いだか?」

「うん」


 聞くんじゃなかった。より意識してしまう。


「じゃあ、一度姿を消して、他の服を着てまた現れてくれ」

「わかった」


 振り返るタイミングが重要だ。決して愛羅が着替えたと言うまで振り返ってはならない。


 一応言っておくが、別に見たくないというわけではない。寧ろ見たい。青少年の一般的な反応として、すごく見たい。しかし、その気のない恋人の裸を見るのは、いくら恋人でもちょっと違うだろう。


「愛羅。もういいか?」

「うん」


 振り返って、ほっと息をつく。愛羅はちゃんと別の服を着ていた。しかし、その足元には先程まで纏っていた衣服が乱雑に落ちている。無論、下着も。


「愛羅、そっちは自分で畳んでくれ」

「わかった」


 今まで何度か、着用している状態での下着を見たことはあった。しかし、手に触れたことはないし、触れようと思わない。衛生的に抵抗があるとかではなく、神聖すぎるが故にというか。どっちに転んでも変態的な言い回しになるのが悲しいところである。


 同じようなドキドキシチュエーションを何周か繰り返し、鞄の半分弱を愛羅用のの衣服やら衛生用品で埋めた。俺も適当に自分用の荷物を詰め込んで、完成である。


「デート、楽しみだな」

「たのしみ」


 それからはまた二人でイチャイチャして過ごし、ウキウキ気分で俺は眠りにつく。愛羅は、瞼を下ろしていく俺のことを優しい眼差しで見つめていた。

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