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29日目 8月10日(火)

「おはよう、愛羅」

「あなたの寿命はあと22日」


 そう言うと、枕元に立っていた愛羅は挨拶もせずに姿を消そうとする。俺はその手を掴んだ。


「待ってくれ。話があるんだ」

「話すことはない。生きたいなら、私に構わないで」


 愛羅は俺の手を振りほどこうとするが、俺に離すつもりがないことを悟ると、抵抗をやめた。


「離して。でなければ、あなたの腕を折る」

「やれよ。別に俺は構わないぞ」


 離すつもりなど微塵もないと伝えるために、俺はさらに力を込めた。華奢な愛羅の腕は折れてしまいそうなほど細い。それでも、構うことはなかった。ここで振りほどかれるわけにはいかなかった。


「そう」


 愛羅は抵抗をやめたように見えた。しかし、それは俺を油断させるためだったようで、一瞬俺の気が緩んだ隙をついて、愛羅はくるりと俺に掴まれた腕を回し、無理矢理俺の手をはがした。


「待っ」


 俺が言うよりも先に、愛羅の身体が透明になっていく。しかし、何としても話さなければならないのだ。俺の生き方を愛羅に伝えるために。


「待て!」


 愛羅は姿を消した。


 しかし、透明化した愛羅を俺は抱きしめていた。見えていなくても、触れればそこに愛羅がいるのだとわかる。


「頼む。姿を見せてくれないか」


 俺が懇願すると、俺の胸の中の愛羅は姿を現した。顔を俺の胸にうずめた状態で。


「離して。私はあなたのそばにいてはいけない」

「誰がそんなことを決めた」

「それは、私が」

「なんで」

「私があなたの気持ちに応えてしまえば、あなたは死ぬことになる」

「応えなくても、俺は死ぬぞ。人間の寿命は有限なんだ」

「そんなことを言っているのではない」


 愛羅は身体に力を込め、俺の抱擁から逃れようとする。俺は今度こそ逃すまいと、離してなどやるものかと力を強めた。


「私は、あなたに死んでほしくない」

「どうせ死ぬのにか」

「そう。私が好きな人には、長く生きてほしい」


 愛羅は力を入れることをやめた。それでも、俺は力を込めるのをやめない。


「それで俺が、不幸になるとしてもか」

「それは、でも、不幸になるとは限らない」

「なるよ。俺はお前に会えないと、不幸だって思う」

「そんなものは一時のこと。きっと他に良い相手が見つかる」

「確かに、良い相手はいるかもしれない。でも、俺はお前のことを忘れることはない」

「どうして。人の記憶は有限。いつか忘れる」

「それは、今でも俺の胸の中に住んでるやつがいるからだ」

「誰も住んではいない」

「比喩だよ。俺は今でもそいつのことを思い出して、後悔するんだ。だからきっと、愛羅のことも忘れない。忘れずに、ずっと苦しむことになる」

「そう。それでも、他の幸せが掴めるのなら」

「未来のことはわからない。良い相手が見つかるかも、見つからないかもしれない。それより先に、死ぬこともあるかもな?」


 愛羅は黙った。俺の将来を約束する言葉を、愛羅は持ち合わせていないのだ。


「だからさ。俺は、不幸を抱えてあるかわからない幸せのために生きるより、今、お前と過ごす幸せを感じたい。それで寿命が持ってかれるとしても、それで後悔なんてしない」

「それであなたは、本当に幸せ?」

「当たり前だ」

「本当に?」

「ああ」


 それを昨日一日考えていたのだ。考えてすぐ愛羅にぶつけるのではなく、昨日丸一日使って考えて、考えて、考え抜いた上での言葉だ。俺の幸せの形はこれ以外にないんだと、何度考えてもその結論にしか向かわなかった。


 俺の幸せは、俺が決める。


 そしてそれが実現するかどうか、それを決めるのは。


「愛羅。お前は、俺と恋人になるのは嫌か?」

「嫌じゃ、ない」

「愛羅は負い目なんて感じる必要はない。悲しむ必要だってない。俺は、俺の意志でお前と生きることを選んだ。だから、頼む。俺の隣で、笑っていてくれないか」


 我ながら自分勝手な願いだ。最期の日を思うと、愛羅には辛いことかもしれない。でも。


「絶対、お前を幸せにする。俺を失った不幸より、俺と過ごした日々の幸せの方が大きかったって、胸を張って言えるように。だから」


 息を吸って、吐いた。


「俺と付き合ってくれ、愛羅。お前のことが好きだ」


 愛羅の肩が震えた。じわりと、胸の辺りに熱い何かが染み込んでくる。そして、愛羅の頭から髪の毛が一房持ち上がった。


「馬鹿」


 愛羅の口からそんなことばが漏れ出た。


「これであなたは、22日後に死ぬ」

「ああ。知ってる」

「私と過ごせる時間は、あと22日」

「承知の上だ」

「それで、本当に幸せになれる?」

「当たり前だ。愛羅と一緒にいて、不幸になるわけがない」

「そう。そう」


 噛みしめるように愛羅は呟くと、勢いよく顔を上げた。


「うれしい」


 愛羅は、涙を流しながら、満面の笑みを浮かべた。




「愛羅」

「何?」

「暑くない?」

「全く」


 昼過ぎ。愛羅は朝からずっとこの調子で、俺の膝の上を占拠している。重いとか邪魔とかいう話でもなく、寧ろ俺だって愛羅とのふれあいは増やしたいと思っていたから、渡りに船と言える。しかし、それとは別に問題が発生するのだ。


「愛羅」

「何?」

「可愛い」

「うれしい」


 至近距離で愛羅が笑うので、俺の心臓が持たないという話だ。あまりに脈動が大きく、自分の耳で聴きとれそうなほど。発作で本当に死にかねない。


 そこで、ご機嫌にピコピコとアホ毛を揺らす愛羅に交渉を持ちかける。


「なあ、愛羅。ちょっと俺から離れる気はないか?」

「嫌」

「そう言わずに」

「あなたは、こうするの嫌?」


 そう言って愛羅は身体を思い切り俺に傾けてくる。華奢な身体はすっぽりと俺に覆われ、かつ愛羅は俺の腕を引っ張って自らの胸の前で交差させる。抱きしめろと言いたげだ。


「嫌じゃない。でも、こうするとわかるだろ」

「あっ」


 望み通り、力いっぱい抱きしめてやる。少し苦しかったのか、愛羅は小さく息を吐いたが、嬉しそうに微笑んだ。


「あなたに触れられるのはうれしい」

「俺だってそうだ。でも、感じるだろ。俺の心臓」

「すごく、早い」

「ドキドキしすぎて破裂しそうなんだ。だから、ちょっと離れよう」

「大変」


 説得すると、愛羅はふっと俺のそばを離れた。自分で言っておいて何だが、ちょっと寂しい。


 俺は椅子から立ち上がると、愛羅に近づいてその手をとった。指と指を絡めあう、それはいわゆる恋人つなぎである。


「代わりにこうしていよう」


 愛羅は小さく頷いて、はにかんだ。やっぱり離れていてもドキドキするものはドキドキする。


「なあ愛羅。せっかくだから、写真でも撮らないか?」

「構わない。でも、なぜ?」

「人間世界のものを持って帰ったりとかできないのかなって。俺が死んだ後でも、愛羅には思い出して欲しいからさ」


 死ぬという言葉に、愛羅が握る手の力が強くなる。付き合って早々、そんな話はしたくないという気持ちはよくわかるが、向き合わなければならない事実だ。


「不可能。こちらのものを所持しておくことはできない」

「そっか。まあ仕方ないよな」

「でも、この服も、髪型も、名前も、この感情も、全てあなたがくれたもの。あなたのことを忘れたりしない」

「ありがとな」


 俺の顔を真っ直ぐに見つめて言ってくれる愛羅に、俺は微笑む。


「俺だって、愛羅のこと、死んでも忘れない」

「それは、不可能。記憶は全て剥奪される」

「記憶が消えても、覚えてるから」

「意味不明」

「実は俺もよくわからん。けど、何となくそんな気がする」

「理解不能。でも、うれしい」


 そう言って愛羅は笑ってくれた。それをスマホで写真に収める。


「何?」

「愛羅が可愛くて、ついデータに残したくなったんだ」

「うれしい。でも、意味がある?」

「んー、そうだな。俺にはこんな可愛い彼女がいたんだって、死んだ後でも自慢できるだろ」

「そう?」

「ああ。瑠美も奏も、絶対驚くぞ」

「そう」


 愛羅は返事をしながら、見よう見まねだろうか、ムッとした表情を作り出した。


「私以外の女性の名前を出すのは、悪いイメージ」

「ごめんごめん。それは多分、嫉妬って感情、かな」


 自分で相手の感情を予想し言葉にするのは、恥ずかしいというか、間違っていたらと思うと不安になる。だが、愛羅に感情を教えられるのは俺しかいない。気にする必要などないのだ。


「では、この表情は合っている?」

「ああ。良い表情って言うと語弊がありそうだけど、ちゃんと感情を表現できてるよ」

「安心」


 すっかり話がすり替わってしまったが、話を戻そう。


「それと、写真を撮りたい理由だけど、もし愛羅の写真を残しておけばさ、その写真が巡り巡って、生まれ変わった俺の元まで届くかもしれないだろ。そしたらきっと、万が一忘れていても思い出すから」

「そう、かもしれない」

「本当は、愛羅との幸せを形に残したいってだけだけどな」

「それでも、その可能性はある」

「ああ。じゃ、一緒に撮ろう」


 ベッドに並んで腰掛け、初めて自撮りをしてみる。思ったより二人を画角に収めるのは難しい。


「愛羅。もっと近づいて」

「心臓、破裂しない?」

「大丈夫。多分」

「不安」


 そう言いつつも、触れ合いたい気持ちは愛羅も同じだったのか、肩と肩が触れる距離まで接近する。


 これでようやく顔が入るようになったが、このままでは俺も愛羅も画面端で、仲が悪く見える。


「愛羅、こっちに体重を掛けてくれるか?」

「破裂」

「大丈夫だから。頭を俺の肩に乗せる感じで」


 ぐっと、愛羅の柔らかな肢体が俺に寄りかかる。そして愛羅はその頭をこてんと俺の肩へ。サラサラの髪が俺の首筋に当たってくすぐったい。それに、限界まで体を寄せあっているために、腕に愛羅の特別柔らかい部分が当たっていたりする。


 愛羅に恥じらいがないのはいつものことだ。平常心を心がけ、俺からも愛羅に重心を寄せる。丁度、愛羅の頭に俺の頭を立て掛けるような感じ。


「と、撮るぞ」


 スマホの画面を見ると、これでもかというくらいイチャつくカップルが映っている。シャッターを切ると、その様が切り取られ、データとして残る。


「なんか、恥ずかしいな」

「そう?」

「でも止めないぞ。もっと二人で撮ろう。二人の写真でアルバムが出来るくらい」

「うん」


 愛羅は頷くついでに、猫のように俺の肩へ頬を擦り付けて甘え始めた。その度ふにふにと形が変わり、とても可愛い。写真を撮ろうとは言ったが、俺はビデオ撮影に切り替えていた。


「愛羅、可愛い」

「うれしい」


 にへらと笑いながらそれを続けるものだから、鼻血でも出そうなくらいだ。


「愛羅、もう一回俺の上に座ってくれ。それでも写真を撮ろう」

「心臓は?」

「そう長い時間でなければ」


 愛羅は逡巡ののち、ベッドから立ち上がって俺の目の前へ。そしてその小さなお尻を俺の太ももの上に。その感触になるべく注意を向けないようにしつつ、今度は俺が愛羅の肩に頭、というか顎を乗っける。腕は愛羅のお腹の前で抱きしめるように。


「じゃあ、このボタンで撮影してくれ」

「承知した」


 俺を乗せていない側の腕でスマホを掲げ、パシャリ。


「愛羅。笑って笑って」

「こう?」

「ぅっ。そうだ」


 やはり至近距離の笑顔には殺傷能力すら備わっている。笑顔の愛羅がシャッターを切った後、すぐに俺は愛羅の脇に手を挟んで持ち上げ、俺の上から隣へ下ろした。


「重かった?」

「いや全然。むしろ軽かった」

「では?」

「あと少し遅かったら俺の心臓がな」

「大変」


 俺の心臓を労わって、愛羅は俺の胸部を撫でた。それで発作が良くなるというわけではないが、気持ち的には落ち着いた。


「じゃあ、次は逆」

「え?」


 俺の落ち着きを察して、今度は愛羅がポーズを提案した。愛羅はベッドに四つん這いで乗り上がったかと思うと、俺の後ろまで移動。膝立ちになったかと思えば、そのまま俺の背に撓垂れ掛かってきた。


 愛羅の手は体をぎゅっと抱きしめるように俺の胸の前で結ばれ、愛羅の顎は先程の俺のように肩に乗せられている。そして、俺の肩甲骨の辺りには、二つの柔らかな膨らみが押し付けられていた。


「撮って」

「は、はい」


 俺はもうドキドキしっぱなしで、顔が赤くなりながらシャッターを切った。そこには、やはり顔の紅潮した俺と、幸せそうな笑みを浮かべる愛羅が写っている。


 そして愛羅は撮り終わったのにも関わらず、姿勢をそのままにその柔らかな頬を俺の頬に擦り付けてくる。もう心臓がどうにかなりそうで、スマホを取り落としかけた。


「せ、接触が激しくないか?」

「あなたと触れ合うことが、何よりうれしい」


 その言葉が何より嬉しい。とはいえ、先程にも増して俺の心臓が持たないので、俺を抱きしめる腕を優しく剥がした。


「今度はまた俺の前に来てくれ」

「承知した」


 先程と同じく、愛羅は俺の上に座る。


「わっ」

「びっくりしたか?」


 そこで俺はすっと足を開き、股の間に愛羅を落とす。無論、愛羅のお尻が着地したのはベッドの上だ。


「楽しい」

「そうか。それは何より」


 愛羅は密着具合が足りないとばかりに、ぐいぐいと背中を俺に押し付けてくる。それでは良くない部分を刺激しかねないので、ポーズに注文をつけることにした。


「愛羅、ちょっと背中を俺から離して、全身の力を抜いて俺に凭れかかってくれ」

「こう?」

「そうそう」


 ソファにだらけて座るような感じ。猫背が進行しそうな座り方だが、気にする必要はあるまい。こうすることで、俺の胸かお腹にしか愛羅の頭や背中は当たらない。そして俺は、ちょうど顔の下に来た愛羅のつむじに顎を乗せた。


「これで撮ろう。愛羅、頼む」

「承知した」


 俺は愛羅の体を抱いた。腕の位置で言えば、肩を抱く感じ。あの豊かな胸の下に手を差し込む勇気はなかった。


「ここで撮るのはこれくらいが限界かな」


 その後も、色んな体勢で写真を撮った。川の字で寝転んだり、セルフタイマーを使って二人の腕でハートマークを作ったのを撮影したり。それから、撮った写真に落書きをしたりもした。


 そうしてあっという間に、俺のスマホの画像フォルダは愛羅とのイチャイチャ写真で埋めつくされることになった。


「見返してみると、やっぱちょっと恥ずかしいな」

「そう?」

「でも、嫌じゃない」

「そう」


 俺の言葉に、愛羅はうれしそうに微笑む。こんな幸せな時間が何年でも続けばいいのに。そう思った。

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