22日目 8月3日(火)
目が覚めた。いつもよりもっと早い時間。これは起床というより、夜中に突然目が覚めてしまっただけと言った方が正しい。
「あれ、愛羅?」
久々に眠気のある目覚めということで、ぼんやりとした脳に懐かしさを感じていると、愛羅がいることに気がついた。寝起き一番に愛羅の顔を見ることは最早習慣みたくなっていたが、まさか俺が起きる前から顕現しているとは思わなかった。姿を消すのは悪いイメージと言っていたし、単純に姿を消すのが億劫だったのかもしれない。
その愛羅は部屋の真ん中で立った状態で俺に目を向けた。
「おはよう」
「おはよう。宣言は無いんだな」
「まだ特定の時間ではない」
「目覚ましかよ」
その割に、俺にその時間を決める権限はなかったわけだが。とりあえず時計を見てみると、今はちょうど丑三つ時。確かに起き出すには早すぎる時刻である。
お言葉に甘えて二度寝しようとベッドに体重を預けていると、ふと愛羅の立ち位置が気になった。どうしていつものように俺の枕元ではないのか。あるいは、ベッドか椅子かに習った座り方で座っていないのか。わざわざ部屋の中央に位置取る意味がわからない。
「なあ愛羅」
「あなたは眠っていた方が良い」
「え」
愛羅が俺の行動に対して忠告を行うのは初めてである。人間の悪い部分だが、駄目だと言われると俄然やる気になってしまうもので、愛羅が忠告までする案件は何かという好奇心も手伝って、目を開けてしまった。
愛羅は既に俺から視線を外しており、扉の方向を向いている。まるでそこから何かが来るのを待ち受けているかのように。
嫌な予感と、それから悪寒がするのを耐えて目を開け続けた。本当はその直感に従っておくべきだったのに。
ぬるり。そんな擬音がぴったり当てはまるような動きで、扉から部屋に入ってきた、否、扉をすり抜けてきた存在がいた。それが一体何かは、俺に断定する術はないわけだが、それでもその姿は亡霊と呼ぶに相応しいものだった。
骨と皮のみで肉などないように見える、髪も全て抜け落ちて性別もわからない姿。白装束を纏っているものの、以前会った神様とは似ても似つかない、ボロ布のようなものだ。目は完全に白目を剥いており、扉を透過していることから、どう考えても生物とは思えない。
「な、なんだよこれ」
思わず声に出てしまう。心霊番組なんて比較にならないほどショッキングな光景が目の前にあるのだから、それも仕方ないというものだ。
愛羅は声を出してしまった俺を一瞥すると、虚空から死神の鎌を手に持った。そして、声に反応したように俺に向かってゆっくり近づいてくる亡霊に向かいその刃を振り下ろす。
血など出ない。しかし、上半身と下半身に分かたれた亡霊が光の粒子になって消えていく様は、悪い夢でも見ているようだった。実際、夢なのかもしれない。
「眠っていた方がいい」
愛羅は月明かりに照らされ鈍く光る鎌を軽そうに振り回しながら、改めてそう言った。
亡霊が寸断される様が見ていて気持ち良いものであるはずもないため、今度は愛羅の忠告に従うことにした。幸いにも、眠気はすぐにやって来てくれたため、俺は抵抗することなく意識を手放した。
「おはよう。あなたはあと29日で死ぬ」
「おはよう」
早朝。スッキリとした目覚めを迎える。再び眠ってしまえば、丑三つ時の光景は幻想となって消えるかと期待したものの、それは容易く裏切られることとなった。
ホラー映画もかくやという映像をなんとか理性をもって再構成し、怖さを形式的なものとするため、まずは愛羅に事情を尋ねることにした。
「なあ愛羅、今日の午前二時くらい、俺が起きたことがあったろう?」
俺のベッドに腰掛けた愛羅は、問いかけに対し首肯するでもなく、無言でただ俺を見つめていた。
「あのときの亡霊みたいなやつは何だったんだ。愛羅は何をしていたんだ」
本来は俺に見られることを予定していなかったのだろう。しかし、見てしまったからには気になってしまうのが人間である。
「あなたがそれを知るのは、悪いイメージ」
愛羅は相変わらずの無表情だったが、その声音はどこか沈んでいるような気がした。珍しく愛羅の方から忠告をしただけあって、余程俺に聞かれるとまずいのだろう。愛羅の性格からして、自分の損得で俺の行動を制限することはないだろうから、聞いて立場が悪くなるのは俺の方ということだ。
「ちなみに、それを聞いたら俺はどうなる?」
怖いもの見たさで、代わりにそんなことを聞いてみた。約一ヶ月後に死ぬ人間に対し、それ以上の悪影響をもたらすものとは一体何なのか。
「あなたは、死ぬ」
「一ヶ月後に?」
愛羅は渋々といった様子ではあったが、こくりと頷いた。それならば、今と状況は全く変わらないはずだ。それなのに愛羅は言い渋っている。本来であればそれは全く合理的でない行為であるはずなのに。
それを考えれば、答えに辿り着くことは容易だった。
つまり、俺にはまだ生き残る可能性が残されているのだ。恐らく、神様がくれたという祝福もそれに関するものなのだろう。何故あの亡霊の話を聞けばそれを失うことになるかはわからないが、聞かないべきであるというのは間違いない。俺は神様から、正しい選択を続けるように言われているのだから、愛羅の忠告には耳を傾けておくべきだろう。
「わかった。これ以上は聞かないでおく」
「それが良い」
そうは言っても、俺が眠っている間にあの亡霊が近づいてきているというだけで魘されそうな事実ではあるのだが。
一先ず考えるのを止めて、日常生活に戻ろう。今日もまた瑠美は部活で、昨日聞いたところによれば奏は塾に通うことにしたらしく、俺に構っている暇はないとのことだった。結局サッカー部の彼と付き合うことにしたのかは聞かないままだったが、どちらにせよ俺にとやかく言う権利はないだろう。
「今日も俺の相手をしてくれるのは愛羅だけか」
口に出すと一層悲しくなってくる。ドッジボールをした男子たちもいるにはいるが、彼らも受験生。遊びに誘って勉強を理由に断られる確率が高く、そうなると惨めな気持ちになる。
こういうとき、死神でなく愛羅と呼んでいると、人と応対しているという感じがして精神安定上非常に良い。
「愛羅。今日は何をする?」
「何でも構わない」
何でもと言われると困ってしまう。いい加減愛羅に教えられるようなことも尽きてきたし、せめて今日だけは別のことをしようか。亡霊のことを忘れ去ることができるほどの何か。
「ゲームでもするか」
「テレビゲーム?」
「そうだ。先々週くらいに瑠美とやってたやつだな」
「覚えている」
リビングに降り、ゲームの電源を入れる。コントローラーを渡すと、愛羅はそれを上から下からと眺め回していた。ボタンを押すのだということはわかるだろうが、微笑ましい光景である。
「わからない」
「何がだ? まだゲームも始まっていないぞ?」
「これを操作して、あなたたちは互いに叫んでいた。恐らく、相手の心情を害する言葉を。何のためにする?」
「さあな。やってみたらわかるんじゃないか」
確かに、ゲームで争い合って、現実でも口で争い合う。一見どころか本質的にも、意味なんてないように思える行為だ。しかし、そうして互いに取り繕うことなく、好き放題言い合うからこそ、何か特別な繋がりが生まれるような気がするのだ。
綺麗事を並べてみたが、結局ゲームをする人間が考えることなど、知れている。
「よっしゃ! また勝った!」
勝ちの喜びである。相手よりも自分が勝っているという、優越感を感じるためだけにゲームをプレイすることが一般的だろう。
「とても悪いイメージ」
今のところ、俺の十戦十勝。そして、勝つ度に露骨に喜ぶので、流石の愛羅といえど、清楚な座り方も崩れ、少し眉根が寄っていた。初めて見せる表情変化が、いかにも不愉快そうだというのは、教育者として悲しくもある。
「悔しいってことだ」
「悔しい」
愛羅は反復してから、再び準備完了のボタンを押す。どんなに悪感情であれ、頑なに無表情だった愛羅が顔に出るようになったというのは喜ばしいことである。
そんなことを考えていたら、俺が操作するキャラクターは派手に吹っ飛ばされていた。
「あれ?」
「勝ち」
おかしい。さっきまで愛羅は初心者も初心者で、俺には煽りプレイをする余裕もあったはずだ。それがどうだ。普通に負けたぞ。
愛羅はこれみよがしに俺をガン見しながら勝利を宣言してくる。やり返さねば気が済まないほど悔しかったらしい。
とはいえ、まだ一敗。今のは俺の注意が散漫だっただけのことだ。見くびるのをやめて、本気で相手をしてやろう。
「あれぇ?」
「勝った」
そんな心の内の宣言は粉々に砕かれる、脅威の十連敗。
まさか愛羅は、最初に手を抜いていたのか。いや、そんなはずはない。相手の油断を誘うなんて、そんな機転は愛羅にはない。それに、俺は油断せずとも現に今負けている。
そうなると、愛羅が突然上手くなったということしか考えられない。元々愛羅は俺の動きをコピーするだけの観察力と運動神経があるわけだが、臨機応変な対応が必要となる格闘ゲームではそんなもの役に立たない。
きっと、元々センスがあったのだろう。亡霊退治もやっているのだから、戦闘勘のようなものがあるのかもしれない。日常では無感情に抑えられているそれが、悔しさという感情によって呼び起こされたと考えられる。
「いいだろう。そちらが戦いの中で進化するというのなら、俺も進化するのみ! 胸を借りるぞ! 愛羅!」
俺は勢い込んで準備完了のボタンを押す。愛羅はそれに感化されたように小さく頷いて、画面に集中し始めた。
結果は惨敗。負けた数などもう覚えていない。俺だって、愛羅の動きをよく観察し、良いところを吸収して頑張っていたのだ。しかし、愛羅の成長速度はそれ以上だった。
俺を秒殺することは最早朝飯前で、投げ飛ばした後毎回煽る余裕まである。しまいには確殺コンボまで見つけ出す始末。もうどうやっても勝てる未来が見えなかった。チート有りの人間と戦っている気分である。
「とても良いイメージ」
「勝ったのがそんなに嬉しいか」
どことなく、頬の筋肉が緩んでいるような気がする。どうやら愛羅はゲームの快感を余すことなく味わってくれたらしい。負けに負けたこちら側としては、そのくらいの方がいっそ清々しい。
「なあ愛羅、今度は協力プレイをしないか」
「構わない」
二人で協力してボスを倒すモードである。正直、愛羅がいる時点で負ける気はしていなかったし、どうやって足でまといにならないようにするかだけを考えていた。
案の定、俗に言う姫プレイというやつになった。俺は移動さえしていれば、周辺の敵は全て愛羅がどうにかするという完全なキャリーである。寧ろ愛羅が一人で進めた方が良いのではないかとさえ思う。
よく、他人がやっているゲームを傍から眺めることほどつまらないことはない、なんて言う人がいるが、そのプレイが尋常でなく上手ければ、その言葉を効力を為さないものである。
結局愛羅は、数年前俺と瑠美が挫折したコースを実質一人で終わらせてしまったのだった。ちなみに、協力プレイに付属するストーリーもそれに応じて解禁されたわけだが、前の話を覚えていないがために、何のことやらさっぱりだった。
「ただいまー」
「やべ。愛羅」
俺が言うより早く、愛羅は姿を消していた。瑠美が帰ってきたためである。
「お、おかえりー」
「なんでこんなところでゲームしてるの受験生」
「いやあ、息抜きに、さ?」
「はぁ。ちょっとなら別にいいと思うけど。ってそれ! クリアしたの?!」
瑠美が帰ってきたタイミングは、ちょうどエンディングのスタッフロールが流れているときだった。
「絶対ちょっとどころじゃないじゃない」
「それが、ね? 興が乗ったと言いますか」
「そんななんとなくでクリアできるステージじゃなかったでしょ。あーあ、それが原因で浪人とかやめてよ?」
「高々数時間で大袈裟な」
「たわけが」
「ええ?!」
聞いたことのない単語が瑠美の口から出てきて驚いてしまった。ついでに瑠美は手も出ていた。俺の脳天にチョップを食らわせるという目的で。
「ごおぉ」
「私は馬鹿にいの将来を心配して言ってるの。わかる?」
「お、おう」
「わかったらさっさと部屋に戻って勉強してきなさい」
「いやでも、片付けは」
「私がやっとくから」
そう言いつつ、瑠美はコントローラーを両手で持っていた。片付ける前にやる気満々である。
「あれ? コントローラー二つ? 誰かいたの?」
「え? ああ、えと」
しまった。コントローラーを隠すのを忘れていた。まさか見えない誰かがいるなんて嘘みたいな真実を言っても困惑させるだけだろうし、何か良い言い訳はないものか。
「えーっと、俺が二つ持ってプレイしてたんだ。何か変わるかと思って」
「変わったの?」
「弱くなった」
「そりゃそうでしょ」
瑠美は苦笑しながら、シッシッと手を振って俺を追い出す。どうやら誤魔化すことができたようだ。
「今度からは気をつけないとな、愛羅」
部屋に入り、扉を閉めた瞬間から現れていた愛羅にそう言うと、愛羅はいつも通りの無表情で頷いた。




