21日目 8月2日(月)
「おはよう。あなたの寿命は残り30日」
「おはよう」
俺の残り時間も、ついに30日を切った。相も変わらず、俺の残り人生を賭けるほど大切なものが見つかるわけでもなく、今日も俺はノープランである。そして今日も瑠美は部活。日曜日以外は全て活動する部活などなかなかないと思うのだが、一体何部なのだろうか。いまだに教えてもらえる気配はない。
そういうわけで、今日も今日とて死神に教育を施す一日になりそうである。まずは題材を探すことから始まるだろう。目下の目的は女性らしさの獲得であり、女性らしさといえば淑やかさというのが一昨日の結論である。お淑やかな座り方くらいはどうにか教えられたが、あれで淑やかさの概念を全て内包しているかというとそうではない。
他の具体的な事例を示そうと思うのだが、そう簡単に思いつくものではない。
「愛羅。この行動を淑やかにするとどうなるか、みたいなことが気になる動作ってないか?」
「虐待」
「いやだから、お前のそのバイオレンスな発想はどこから来るんだよ」
「首絞め?」
「小首を傾げて可愛げに振舞っても怖いのは変わらないからな」
無論、愛羅にそんな意図がないというのは承知の上だが。
「まずそれだな。何か尋ねられたらすぐ暴力表現に結び付けるのをやめるんだ」
「承知した」
「で、本題に戻って何かないか?」
「わからない」
「ま、そうか」
俺でも思いつかないのだ。俺より知識に欠けているであろう愛羅が思いつかないのも無理はない。そうなるとやはり俺が思いつかなければならないわけだが、どうしたものか。悩みながらも愛羅の顔を覗いてみると、愛羅の無表情が目に映る。
「それだ」
俺が呟くと、愛羅は疑問を示すべく首を傾げた。そのときの表情も、やはりない。決定的に愛羅に足りていないもの。それは明らかに。
「表情が足りてない」
「表情」
とはいえ、表情にも色々な種類がある。感情に対応して表情があると言ってもいい。そうなると先に感情を教えなければいけないわけだが、それに難儀しているというのも事実である。
そうして考え込んでいると、おもむろに愛羅はずずいと俺に顔を近づけてきた。鼻と鼻が触れ合うほどの距離である。もし一歩間違えればキスでもしてしまいそうな距離。
「な、なにを」
俺の焦った声で、愛羅の髪が揺れる。俺の視界には愛羅の綺麗な顔しか映っていない。
「表情を観察している」
「待て待て。表情は感情に対応するんだ。観察して真似すればいいってものじゃない」
「そう」
スイッチが切れたように愛羅は顔を離してベッドに腰かけた。俺の動悸を返せと言いたいほど落ち着いた様子、無表情である。しかし、今の流れで愛羅に最優先で教える必要のある感情を思いついた。
「愛羅。お前には恥じらいが足りない」
「恥じらい」
こうしてみると、何よりも早くこれを教えるべきだったのだ。この間裸にパーカーだけで出かけたことに然り、まずそこを教え込むべきだった。
「そうだ。女性らしさかどうかはわからないが、恥じらいについて学んでもらう」
「承知した」
「とりあえず言葉の意味からだな。検索してみてくれ」
スマホを渡すと、愛羅は慣れ親しんだ操作のように淀みなく検索エンジンにワードを投入する。
「ネットでは何だって?」
「羞恥心のこと。恥を感じること」
「そうかぁ。それじゃわからないよな」
感情が欠如したと自称する愛羅である。恥と言われてピンとくるわけがない。ここは具体的な例を挙げることとしよう。まず、愛羅にとって、何か失敗や失態をを恥じる気持ちは縁がないように思える。なぜかといえば、愛羅は俺にしか見えない上に、超ハイスペック。恥じるような失敗をそもそもしない。それでも、何かドジをして照れている表情を見たいというのは偽らざる気持ちである。
「恥をかくときの例として、まず失敗をしたときだ。例えば、水の入ったコップを持ったまま転ぶとか」
「実演?」
「それは無理だな」
他に愛羅がしそうな失敗というか、恥に直結しそうな失敗というのも思い当たらないので、失敗を例に挙げることは諦めた。
「あとは、やっぱり女性として大切な場所を見られたときとか?」
「大切な場所?」
「この間も言ったろ。その、下着とかその内とか」
「そう」
とは言うものの、愛羅はわかっていない様子だった。見られることが羞恥、つまり悪いイメージに繋がっていないのだろう。そうなると、表情の変化を期待することなどできそうもない。
「とりあえず、見られることは恥ずかしいことだと覚えていてくれ」
「表情は」
「それを実演するには、男だとどうにもな」
男が恥じている姿など、気持ち悪いとさえ思うだろう。そういう意味で、美少女たる愛羅に俺の反応を学ばせるのは嫌だった。
他に適任がいるとすれば、俺の身の回りの少女。つまり瑠美か奏である。しかし、瑠美に恥をかかせると後で嬲り殺されそうだ。そうなると奏が適任ということになる。恥ずかしがらせることの適任というと可哀想だが。
そしてタイミングの良いことに、俺の家のインターホンが鳴った。これは奏だ。なぜそう言いきれるかと言えば、連絡が来ているからである。
昨日は奏の方に用事があったとかで、お菓子を渡すことができなかった。それを伝えると、代わりに今日この時間を指定されたのだ。
インターホンがさっさと出ろとばかりに遠慮もなく連打される。愛羅に作戦を伝える時間も与えられず、俺は駆け足で玄関へ向かった。
「おそーい! 外あっついんだから!」
「悪い悪い。涼んでいってくれ」
「わーい。お邪魔しまーす」
奏を家に招き入れる。今日の奏の服装は、黒のシャツに白のスカートというシンプルなスタイル。素足なのは、サンダルか何かで来たからだろう。俺が思いついた作戦を実行するにはお誂え向きと言える。
「奏、俺ちょっとトイレ行くから」
「わかった。テレビ見て待っとくね」
奏は勝手知ったるという様子で、遠慮もなくリビングに向かっていった。俺が奏の家にお邪魔する頻度より、奏が俺の家に滞在する頻度の方が大きいのだから当然とも言える。
さて、俺はそれを見届けるより早く、トイレに入った。振り向いて、愛羅に呼びかける。
「何?」
「うおぁっ」
予測はしていた。狭い個室で振り向いて呼べば、目の前に愛羅の頭が出現することは分かりきっていた。しかし、分かっていたからといって驚かずにいられるかと言うと、決してそんなことはないのである。
出現が突然だったことに加えて、愛羅の豊満なそれが俺の胸板に触れそうな距離だったということもある。それ故に、俺はバランスを崩し、ガタンと音を立て、思い切り便座に臀を打ち付けることになった。
「翔君大丈夫?」
「ああ。ちょっと躓いて」
「もう。何年この家に住んでるの」
俺のドジに耳ざとく気づいた奏がからかいに来たものの、すぐに戻っていった。
俺は呼吸を整え、無様を晒した俺を見下ろす愛羅に作戦を告げる。
「俺はこれから、奏のスカートを捲る」
我ながら最低の宣言である。しかし、具体的な事例を示すにはやむを得ないことなのだ。決して奏のパンツが見たいとか、そういうわけではない。
「奏は多分、お手本みたいな反応をするから、それをしっかり学んでくれ」
「承知した」
代わりに俺の評価が下がるわけだが。我ながら、どうして奏からの評価を下げてまで愛羅に恥じらいの表情を教えたがっているのかわからない。
「それじゃあ、作戦開始だ」
俺は用も足していないのにトイレの水を流し、手を洗ってリビングに向かう。奏はソファにだらりと腰掛けて足も伸ばし、テレビを眺めていた。
「自分の家みたいな寛ぎ方だな」
「まあね。実質我が家でしょ」
「そうかもな」
適当に相槌を打ちつつ、包装してあるカップケーキをダイニングのテーブルに置く。それから冷蔵庫にあったオレンジジュースをコップに注いでそれもテーブルの上に。
「奏。用意できたぞ」
「こっちで食べようよ」
「お前食べかすポロポロ零すだろ。ジュースなんて零された日には俺が瑠美に怒られるんだからな」
「え、なんて怒られるの?」
「どうして奏ちゃんにこっちで食べさせたの! って」
「兄妹揃って私の印象酷くない?!」
奏の食べ方が特別汚いかというと、そうではない。ただ単に不注意なのだ。零さないように食べるということが出来ないのである。
「仕方ない。じゃあそっち行くよ」
そうして奏がソファから立ち上がり、こちらに歩いてくる。ちょうど俺の正面に来たとき。それが絶好のチャンスである。
「そおい!」
「きゃっ!」
奏のスカートの端を掴んで、思い切り腕を振り上げる。これほど堂々としたスカート捲りもなかなかないだろう。
完全に油断していた奏のスカートは見事に捲れ、日に焼けるどころか反射しているのではないかという白い太腿が顕になる。そしてその上の、水色縞模様のパンツも。
それが姿を現したのはほんの一瞬だったが、その光景は俺の脳にしっかりと焼き付いた。ただ、これに味を占めないようにしなければならないことは確かだが。残りの人生を留置場で過ごしたくない。
忘れそうになったが、今重要なのは奏の下着ではなく、奏の反応である。ふわりと浮き上がったスカートを必死で押さえ、顔を真っ赤にして俺を睨んでいる。
「何するの変態!」
「いや、あの、童心に帰って」
「帰りすぎだよバーカ! ちょっとそこに正座!」
「はい」
俺としたことが、合理的な言い訳を用意していなかった。スカートめくりに合理的もクソもないだろうことは言うべきでない。
「あのね翔君。いくら内面が小学生でも、見た目は高校生なんだから、やっていいことと悪いことがあるんだよ」
「いやでも奏さん、中学のときも女子同士で」
「あれは見せパン穿いてる前提でしょうが! それと小学生も中学生も変わらない!」
ぐうの音も出ない。俺は大人しく、奏の説教を受けることになった。
「あの、奏さん? ジュースが温くなってしまいますので、ここら辺で」
「はぁ。まあそれもそうだね」
ジュースを交渉材料に、俺はどうにか解放されそうだった。安心して肩の力を抜くと、それを察したのか、奏は罰を追加しようと口を開く。
「じゃあ翔君、そのまま動いちゃだめだよ」
「え。何。何するんですか奏さん」
「んー? 体罰」
「そんな酷い!」
「幼馴染のスカートを捲っておきながらその言い分はそれこそ酷いよ」
ごもっともである。
「じゃあ翔君。ちょっと足開いて」
「こうですか」
「そうそう。じゃあいくよ」
奏は足をプラプラとさせ、準備体操をする。思春期のピンク色の脳をアクティベートするならば、これから俺は奏に男の象徴を素足で踏まれることとなる。それはある性癖の人にはゾクリと来るシチュエーションだろうが、俺はある意味ゾクリとしている。
「せーのっ!」
「ぐああっ!」
それはふみふみなんて擬音がつくほど生易しいものではなく、勢いよく俺の股間に叩きつけられた。余りの痛みに悶絶を通り越して気絶しそうなレベルである。ぎっくり腰でも起こったかのように立つことすらままならなくなった俺は、そのまま倒れ込んだ。
「死ぬぅ」
「ふんだ。しーらない」
俺が倒れた姿に一瞬嗜虐的な笑みを浮かべた奏は、くるりと身を翻して椅子に座る。這いつくばった俺からはその際にもチラリと水色が見えたのだが、それは良いのだろうか。
「どうだ? 再現できそうか?」
奏が帰った後、部屋で愛羅を呼び出して聞いてみる。これで見ていなかったなんて言われようものなら俺は泣く。
「再現は可能」
「まじか」
愛羅が真っ赤になってスカートを押さえるようになるのなら、俺は本望である。恥じるという感情が行為と共に染み付いたならば、俺の目的は完遂されたことになるが、どうだろうか。
「再現する?」
「え、あ、それは」
愛羅が言う再現には、もれなく俺がスカートを捲る行為も含まれることだろう。幼馴染の奏に対しては、小学生の頃何度か実行していたこともあり抵抗はそれほどなかったが、感情に乏しい少女に対してそれを行うとなると倫理的に大丈夫かという問題が今更ながらに湧いてくる。
しかし、さあ来いという風に待ち構えられては、やっぱり無理とも言えない。仕方なく。これに関しては本当に仕方なく、俺は俺の良心を無視し、愛羅が纏う制服の端に手をかけた。
「いくぞ」
改まってやるとなると緊張する。ちなみにこの時、これを俺にやらせること自体が、恥じらいが芽生えていないことの証左であるということに俺は気づかなかった。
意を決して、奏の時と比べて穏やかにピラッとスカートを捲った。やはり下着は黒であった。
それを見届けると同時に手を離すと、愛羅はスカートを押さえ、恨みがましい目を俺に向ける。顔に赤みが差すことはなかったが、下から見上げる視線の鋭さは完璧に再現されている。
「やればできるじゃないカッ?!」
最後の一音のアクセントが壊滅したのは、わざとではない。愛羅に対して、そんなしょうもない芸はしない。
では何かと言えば、愛羅の右足が、俺の股間に刺さっているのである。再び襲う激痛にやはり立っていられなくなった俺はその場で崩れ落ちた。
「ブルータス、お前も、か。ガクッ」
「私は愛羅。ブルータスではない」
「知ってるわ!」
腰にまでジワジワ広がってくる痛みに悶えながら、今日の教育が失敗であったことを悟るのだった。




