20日目 8月1日(日)
「あと31日であなたは死ぬ」
「おはよう」
「おはよう」
いつも通りの朝のやりとり。ただ、いつもは亡霊の如く枕元に佇んでいるはずの愛羅だったが、今日はベッドの縁に腰掛けている。昨日学んだ淑やかな座り方で。
枕元に立っていると、白銀の髪も相まってやはり幽霊なのだが、こうして座って俺の顔を覗き込むようにすると、何だか看病でもされている気分になる。これで微笑んでいたりすると完璧なのだが、それは高望みが過ぎるというものだ。
「うまく出来てるぞ。一気に人間らしくなった気がする」
そう褒めてみると、どういう原理か、愛羅の頭にぴょこんと小さなアホ毛が生えた。本人は無表情だが、その生えたアホ毛はメロの尻尾のようにピコピコと動いている。
「あなたの今の言葉は良いイメージ」
「お、おう」
もしかすると、その気持ちが反映された結果なのかもしれない。今更アホ毛が生えたくらいで大袈裟に驚くようなことはないが、訊いてみたいという気にはなった。
「愛羅、寝癖ってつかないよな」
「死神に睡眠は不要。寝ていないため寝癖はつかない」
「そりゃそうだな。じゃあその頭のは?」
俺に言われて初めて愛羅は自らの頭に手を伸ばした。しかしアホ毛を掴むには至らない。というのも、何故だか分からないが、アホ毛の方が愛羅の手を避けるように引っ込むのだ。
「何のこと?」
「ちょっと動くなよ」
本人が触れられないのなら、俺が軽く引っ張ってやればわかるだろう。そう思って愛羅の頭に手を伸ばすものの、俺の手でもやはりアホ毛は引っ込んでしまう。
どういう理屈か全く分からない。しかし存在したことは確かなのだからと、俺は愛羅の頭を撫で付けてみた。しばらく愛羅のツヤのある髪と小さな頭を撫でてみたが、何ら違和感などない。
諦めて手を離すと、またぴょこんとアホ毛が生える。そして俺を煽るかのようにフリフリと動いていた。
「なあ愛羅。今何か良いイメージを感じたか?」
「あなたに頭皮を触れられることは良いイメージ」
要は、頭を撫でられて嬉しかったということだろう。その体躯と能力からも忘れがちだが、愛羅は自称生まれたて。子どもである。内面も子どもなのだとすれば、褒められることで喜ぶのは容易に理解できる。瑠美のように、接触すればそれだけで怒るというような複雑な乙女心を持つわけでもない。頭を撫でるという行為も、直感的に褒められていると認識したのかもしれない。
しかし頭を撫でるというのは行動であり、行動であるからには必ず文化的な背景を含むはずだ。それを直感で理解したとは考えがたい。となると、単純に人間との接触が心地よいのかもしれない。
「最初の良いイメージは多分、嬉しいってことだ。愛羅は褒められて嬉しかった、んだと思う」
「嬉しい」
「それで二番目の良いイメージは、何だろうな。安心とか落ち着くとか、そういう気持ちかもしれない」
「安心」
愛羅は噛み締めるように反芻し、記憶したようだった。こうすると俺の独断のような気がして、一応言い訳もする。
「あくまで俺の解釈だから、他の言葉の方が当てはまると思うならそう言ってくれ。それが一般に使われるかどうかは判別するから」
「承知した」
そうして会話をしていると、いつの間にかアホ毛はその姿を消していた。とすると、あのアホ毛は本格的に愛羅が良いイメージを感じたときに出てくるだけなのかもしれない。愛羅の表情が変わらない以上、そうであってくれると非常にこちらも気分がいい。
愛羅との会話は一旦中断し、朝食を摂る。今日は日曜日であり、瑠美の部活も休み。共に食卓を囲む。
寝起きの瑠美は髪も結ばず、モコモコパジャマのままでトーストに齧り付いている。この時期にモコモコは暑いだろうと思うのだが、どうやら瑠美の部屋はエアコンの効きが良いらしく、あまり薄着だと冷えてしまうらしい。
今日は寝坊気味らしい瑠美の様子を観察する。髪はボサボサという程では無いものの、気を使っていないことが一目見てわかる。顔も洗っていないので瞼も半分落ちかけているし、そのせいかいつにも増して不機嫌そうに見える。これは女性らしさというか、女子力の問題ではあるのだが。
「なに?」
「いや、女性らしさって何だろうなって」
そう素直に告げると、瑠美は机の下で俺の脛に蹴りをかましてきた。非常に痛い。
「何すんだよ!」
「喧嘩売られたのかと思って」
そう言って瑠美は再びトーストを齧る。過剰反応と言わざるを得ないが、なんとなく、視線は瑠美の顔から下りていって、その貧相な体つきに。
「いてぇっ!」
「自業自得よ」
再び蹴り。これは俺にも非があるので、甘んじて受け入れるしかなかった。
「で? 急に何? 三年の課題は女性らしさについて論じるとか、そういうものなわけ?」
「いや、そうじゃない」
「じゃあやっぱり喧嘩売ってんの?」
「違う違う!」
正面に座る瑠美の体の揺れから察するに、机の下ではきっと素振りが行われているのだろう。わざわざ確認する気も起こらないが。
「個人的な、そうだな、研究として。女性らしさって何だと思う?」
「研究って、身内が変質者すぎてドン引きなんだけど。家族の縁切っていい?」
「やめい! 単純な興味として、瑠美はどういうイメージを持ってるのかって!」
「あーはいはい。わかったから変態は黙って」
黙れと言われると、不用意に口を開くわけにもいかず、俺は静かにトーストを食む。暫くして、瑠美が口を開いた。
「体つきとか?」
「それ、言ってて悲しくならないか?」
「ぶん殴るわよ!」
激昴した瑠美はそう言ったが、言葉より先に足が出ている。どれだけ避けようとしても追尾して的確に俺の脛を狙う瑠美に、俺はひたすら謝るしかなかった。
その後、別の回答を貰おうという気にはならず、逃げるようにして部屋に戻ってきた。
「さて、愛羅」
「何?」
今日の瑠美は宿題をこなすとの事で、加えて先程の失言もあって構ってもらえるような様子ではなかった。そこで、昨日と同じく愛羅に教育をしようという魂胆である。
「瑠美に女性らしさについて訊いていたんだが」
「知っている」
いつも忘れてしまうが、愛羅は俺の傍で活動を観察しているのだ。会話も仕草も全て筒抜けなのである。
「私の体つきは、女性らしい?」
そうなると、予測できる質問ではあった。しかし、思春期男子には直接的すぎてドギマギしてしまう問いかけである。
愛羅はその華奢な体を見せつけるように、俺の前に立つ。質問に答える上で、仕方なく、仕方なく愛羅の体を改めて見ることにした。腰元まで長く伸びた、それでいて艶々とした白銀の髪。輪郭の小さい、それでいて目の大きな顔立ち。出るところは出て、引っ込むところは引っ込んだ理想的な体型。女性らしさで言えば満点だろう。
「そう、だな」
まさかお前の体は完璧だなどと堂々と言ってのけるほどの勇気はなく、とりあえず頷くことに留めた。
「瑠美の言うことは気にしないことにしよう」
「そう」
深堀されないうちに、別の話題を模索する。そうすると、一件用事を思い出した。思い起こされるのは先週の日曜日。奏と映画に行った帰りである。鍵を忘れた俺が北条家に滞在させてもらう代価としてお菓子を要求されたのだ。奏の方は忘れているかもしれないが、万が一覚えていた場合、後で何を言われるかわかったものではないため、今日のうちにサクッと作りたい。
「じゃあ愛羅。今日はこれで教室は閉店だ」
「そう」
無表情なまま、愛羅はベッドに腰かけた。いつもなら姿を消す流れになるのだが、座ったまま俺をじっと見て、動こうとしない。まさか素直に消えてくれとも言えず、控えめに尋ねる。
「何か用があるのか?」
愛羅の答えは、ノー。首を横に振るものの、しかし姿を消そうとはしない。愛羅の考えていることがわからず、首をかしげていると、愛羅の方から口を開いた。
「姿を消すのは、悪いイメージ」
スゥッと音を立てて息を吸ってしまった。早くも俺の教育が実を結んだような、そんな達成感さえある。
「そうだろうそうだろう。俺の行動をただ観察するだけじゃあつまらないよな」
「つまらないという感情は、わからない。これがつまらないということ?」
「きっとそうだ」
愛羅の言葉にすっかり舞い上がった俺は勢いに任せて、俺といるのは良いイメージか、などと聞いてしまいそうになる。それで、いや別に、みたいな答えが返ってくると精神を病んでしまう恐れがあるので踏みとどまった。
「とはいえ、姿を消してもらわないことにはお菓子は作れないしな」
「そう」
悪いイメージと言っていた割には、愛羅は随分あっさりと姿を消した。そのことに対して俺は、少し罪悪感を覚える。きっと彼女は、感情を認識できるようにはなってきても、それを他人の意思より優先して考えることはない。むしろ、それが欲求だとすら感じていないのではないか。そんなことを考えてしまう。
とにかく、それならばさっさとお菓子を作って、また愛羅と話す時間を設ければいいだけのことだ。そう思って部屋を出て、キッチンに向かう。すると、俺から少し遅れて階段を下りてくる足音がした。
「あれ、瑠美?」
「げ」
露骨に嫌そうな顔をした瑠美は、もうパジャマ姿ではなく、可愛らしい私服姿だった。そこまで気合の入ったものではないが、どこかへ出かけることは確実である。
「どこか行くのか?」
「馬鹿にいには関係ない」
反抗期の模範解答のような返事だった。今朝のこともあり、今日の俺は瑠美からのヘイトが高い。触らぬ神に祟りなしとは思いつつも、家族として聞いておかなければならないこともある。
「ご飯はどうするんだ? 昼は食べてくるのか?」
これまた、反抗期の息子を持つ母親の模範解答のような質問である。しかし、いかに機嫌が悪いといえど、食事の用意を考えることの重要さは、家事を分担している瑠美ならよくわかっている。
「食べてくる気はないけど、帰ってくるのは昼過ぎになるから先に食べておいて」
「わかった。いってらっしゃい」
何の用事かは知らないが、最低限必要な情報だけを言うと瑠美は足早に出ていった。
となると、この家には俺一人。いや、愛羅を含めて二人きりである。
「愛羅」
「何?」
調理器具を用意しながら呼びかけると、キッチンの入り口に愛羅は現れた。心なしか返事がいつもより早かったような気がするものの、アホ毛も出ていないところを見ると、俺に呼ばれることを期待していたというわけでもないだろう。
「お菓子作り、手伝ってくれるか?」
俺がそう依頼すると、やはり食い気味に愛羅は頷いた。
お菓子と、それからついでに昼ご飯も一緒に作った。昼ご飯については瑠美の注文通り二人分。お菓子に関しては、奏の分と、味見用に俺の分、ご機嫌取りのために瑠美の分もカップケーキを作った。
「愛羅、片付け頼んでいいか?」
「承知した」
小間使いに対するようで悪いとも思うのだが、俺の食事風景を見ていて愛羅が喜ぶとも思えない。退屈を感じさせるよりは、何か仕事でも与えてみようと思ったのだ。その間に、俺は作った昼食を腹に収める。
「ふう。やっぱ夏はそうめんだな」
「そう?」
「ああ。こう暑いと食欲がなくなるからな。俺は運動もしてないし」
「そうめんは食べやすい?」
「そうだな」
茹でるために使った鍋を片付けながら、愛羅は俺の話に相槌を打ってくれていた。キッチンのカウンター越しに会話をしていると、家族になったような気分である。
「愛羅も食べてみるか?」
「死神に食事は不要」
「そう言うなよ。味とか食感を楽しむつもりで一口。どうだ?」
食べ進めて最後のひと啜りになった麺を差し出す。愛羅は少し行動を停止してからキッチンを出て、いつも瑠美が座っている俺の対面に座る。俺から箸を受け取って、まずは手を合わせる。
「いただきます」
「召し上がれ」
おそらく俺や瑠美を真似たのだろう。礼儀正しく声を出して、それから俺の箸を握った。そして、見様見真似でずぞぞっとそうめんを啜る。まるでコマーシャルのように勢いよく啜ったものだから、麺が踊る。その全てを口の中に収め、暫く咀嚼をしてから嚥下した。
「どうだ?」
「冷たい」
「だろうな」
「悪いイメージではない」
余りお気に召さなかったようだ。確かに、そうめんが何よりも好物と言う人は少ないだろう。俺にとっても、食べやすさに特化したメニューだという認識である。
「じゃあこっちはどうだ?」
味見用にとっておいたカップケーキを差し出す。ホットケーキミックスを使った簡単なものだが、やはりシンプルなおいしさがある。今回はメープル風味で作ってみた。愛羅の口に合うと嬉しいのだが。
包みを解いて、愛羅はカップケーキに口を付けた。面白いもので、愛羅が咀嚼するたびにアホ毛が少しずつ生えてくるのだ。
「良いイメージ」
「おいしいってことだ」
その一口を飲み込んだ後、愛羅は俺に残りを渡そうとする。その姿に俺は苦笑して、俺に向いた手を押し返した。
「全部食べろよ。おいしいんだろ? 俺はいいからさ」
そう言うと、愛羅はこくりと頷いて、一口ずつ大切に、甘いカップケーキを齧っていくのだった。




