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19日目 7月31日(土)

「あと32日であなたは死ぬ」

「おはよう、死神」

「おはよう」


 夏休みであろうと、俺が起床する時間は変わらない。夜明け直前の、普段であれば非常に眠い時刻。しかし、こうして全く眠気が起こらないとなると、いっそ清々しいと感じる時間である。


 だんだん白んでいく空をぼんやり眺めながら、たまに吹く涼しい風を顔から浴びる。目が冴えた状態で迎えるこの状況もさることながら、たまには微睡みと共に迎えたいものである。


 そんな思考などお構い無しに、いつの間にやら太陽はその姿を現す。そうなると感傷に浸るような穏やかな時間は終わりを告げる。


 ちゃっかり恒例となりつつあった心地よい時間が終わったことで、俺は今日の予定について考える。今日は奏もサッカー部の彼と出かけているはずで、瑠美も部活。俺一人で過ごすことになりそうである。


 しかし、寿命まで残り一ヶ月という限られた時間。それを俺一人で、何を遺すでもなく無為に過ごして良いのか。答えは言うまでもなく否である。とはいえ、夏休みになっても俺と絡みを持ってくれるような人の心当たりなど、悲しいことに先述の二人しか思い当たらない。


「さあ、どうするか」


 あてどもなく街へ繰り出し、ひたすら善行でも積むか。そうすると、あの幼女神に天国へ連れて行ってもらえるかもしれない。しかし、通りすがりの半ばお節介のような善行が果たして正しい選択と言えるのだろうか。


 それに、俺個人の考え方としても、見知らぬ人の些細な幸福より身内の幸福を優先したいと思う。そうはいってもその純粋な善意を向ける相手がいないのであり、結局最初に戻ってしまうのだが。


 その思考を何週かしたところで、奏でも瑠美でもない身近な人物への心当たりが生まれた。彼女を人物と称して良いかと言われれば微妙なところではあるのだが。


 何はともあれ、クラブに行くはずの瑠美が起きてくる時間はもうまもなく。急いで朝食でも作って、せめてもの家族孝行といこう。




 瑠美を学校へ送り出した後。もちろん家にいる人間は皿洗いまで済ませた俺一人。しかし、そこに人ならざる存在を加算すると、二人に変わる。もっとも、はたから見れば彼女は透明化しており、俺一人だと疑いもしないだろうが。


「死神」

「何?」


 俺がテキトーに部屋の一角を見ながら声をかけてみると、返事は背後から聞こえてきた。死神に声をかけて彼女のいる方角に当たった試しがない。俺に彼女の気配を察する力がないことは認めざるを得ないが、何であれ話ができるのなら良いのである。


「死神の記憶って引き継がれるのか?」

「詳細に」

「えーと、俺を看取った後で初期化みたいなことってないのか?」


 まず、これから俺が行う行為が無駄にならないかどうかを確認する意味でそう聞いた。


「ない。記憶は維持される」

「そうか。じゃあ次、お前は、俺がお前に何か知恵を教えたとして、それに悪いイメージをもつか?」

「否。新たな記憶に対して悪いイメージは持たない」

「それはよかった」


 そして、これが俺の独りよがりでないことを確認した。俺が何をしようとしているかと言えば、死神に教育をしようとしているのである。以前から烏滸がましくも感情について講釈を垂れていたりしたのだが、今度はもっと現実的というか、裏付けのある話ができたらと思っている。そうすることで、次に死神の担当になった人がこいつの常識外れに動揺しないで済むだろう。


「じゃあ死神。って、名前にしては武骨すぎるよな」

「私は死神。間違っていない」

「それはそうだけど、あれだ。可愛くないだろ」

「名前における可愛いとは何か」

「卒論かよ」


 余りに素朴でかつ奥深そうな疑問にそうつっこんでみたものの、死神は首を傾げるばかり。愛想笑いくらい覚えてもらった方が良いだろうか。


「とにかく、呼びやすい名前は必要だろ」

「死神では不都合?」

「不都合ってわけでもないけど、死神って呼ばれ方に拘り、つまり良いイメージがあるのか?」

「特にない」

「そうか。なら何か考えよう。役職で人のことを呼ぶとなると、それも親しい人なら特に、距離を感じるだろ?」

「距離?」

「なんというか、替えが効く人間みたいでさ」

「死神は代行が可能」

「そういうことじゃなくてだな」


 死神にこのニュアンスを伝えることは難しいのだと理解したため、多少強引にでも話を進めることにする。いずれわかってもらいたいものだが、こればかりは俺が繊細過ぎるということも考えられるため、今後躍起になって教えるようなことはやめようと決意した。


「何か良い名前の案はあるか?」

「個体識別番号はA16」

「うーん、あいろ、あいむ、あいら。アイラなんてどうだ?」

「構わない」

「せっかくだし漢字もふるか」


 思いついた漢字を裏紙に書き付ける。愛羅。ぶっちゃけ、ラと読む文字はこれくらいしか思いつかない。あとは螺旋の螺も思いつくには思いついたが、咄嗟に書くことはできなかったため断念。


「これで愛羅。どうだ?」


 感想を尋ねてみても、やはり漢字の情趣なんてものはわからない、というか理解する気もないようで、頷くだけだった。


「一応、愛を網羅するってことで、これから死神が感情を持てたらいいなっていう願いがこもっていたりする」

「理解した。私は愛羅」


 そう理由付けしたものの、死神という役割に本当に感情が必要かと言えば、寧ろその性質上、必要ないとさえいえるだろう。感情のある者ならば、身近で観察しているとどうしても愛着が湧く。その対象が死ぬ悲しみというのは、感じたくないという人もいるだろう。しかし、これは愛羅の感情を完全に無視した我儘だが、死にゆく人を看取る者として、共感や同情はしてやってほしいと思うのだ。


 そうはいっても、愛羅が感情を手に入れられるかどうかは彼女次第であり、結局のところ俺がどう足掻こうと全て彼女次第なのだ。


「よし、じゃあ愛羅。まず算数とか科学技術ってわかるか?」

「四則演算は可能。科学に関する知識は少ない」


 愛羅に常識なり何なりを教えるにあたって、彼女が何を知っていて、何を知らないのかを知らなければ話にならない。いつぞやの話によれば、彼女はまだ生まれたてだという。それもあって、どの程度の話をしたらよいのか図る指標が欲しかった。


「とりあえず、これ触ってみろ」

「これは?」

「スマホだ。スマートフォン」


 どうやらスマホという装置に触れることは初めてらしい。常人程度には俺も活用していたはずだが、愛羅は何をしているかわからずにそれを見ていたということになる。これで調べものをしている時間もあったため、それを眺めていた愛羅の退屈さ加減というものが窺い知れるというものだ。思えば思うほど可哀想である。


「名称は記憶した」

「じゃあ使い方だな」

「ある程度は把握している」


 俺が手渡したスマホの電源ボタンに触れ、パスワードを入れる。


「おい。なんで知ってるんだよ」

「観察していた」

「パスワードを見るのはマナー違反だ」

「承知した。今後気をつける」

「まあいい。愛羅が使うときのためにパスワードは変えないでおくから、使いときがあったら声をかけてくれ」


 図らずも、早速一つ常識というか、暗黙のルールを教えることとなった。


「他に俺を観察していて学んだことはあるか?」

「この印を押し、ここに入力をすると関連する事柄が提示される」

「そういうことだ。なんだ、教えるまでもなかったか」


 愛羅にとって、最も必要となる機能はそれだろう。マップ機能は俺がいるのでもちろん使わないだろうし、愛羅の存在を知る人がいないのだから、連絡手段としての活用は望めない。


「わからないこととか知りたいことはこれで調べればいいからな」

「承知した」

「検索履歴が見たいときは、ここを押して、これだ」

「承知した」

「スマホの使い方はこんなものでいいか」


 俺がそう言って画面から顔を上げると、同じ画面を共に覗き込んでいたせいで愛羅との距離が近いことに気が付いた。画面を凝視する愛羅の肩には滑らかに銀の髪が流れている。どれだけ無表情でも愛羅は美少女。意図したことではないといえど、自分からこの距離まで近づいたのだと思うと恥ずかしいものがあった。


「あなたがよく検索する言葉はこれ。エ」

「口に出さんでいい!」


 そそくさと距離をとっていたわけだが、再び意図せず距離を詰める結果となる。そしてひったくるように愛羅の手からスマホを取り返した。


 履歴はこまめに消しているので大丈夫だと思っていたが、甘かった。この少女、以前包丁の使い方を教えたとき然り、物覚えが良すぎるのである。覚えられるほど検索していたのかと言われても、何も反論はできないわけだが。


「スマホの使い方がわかるなら、他の機械の使い方も分かるよな」

「あなたの模倣は可能」


 常識や知識こそ抜けているものの、基本的にはハイスペックな愛羅である。一度見せた動きは完璧に模倣されると言っていい。つまり、俺の生活を監視している愛羅は俺が実行したことは全て実行可能なのである。


 そんな少女に、今更生活の知恵みたいなものを教えたところで無駄にしかなるまい。


「俺が普段しないことか」

「自傷行為」

「そりゃしねえわ!」


 何が悲しくて余命の定まった身で己を傷つけねばならないのか。というか、愛羅がその概念を知っていたことに驚きである。


「他に何か、俺が普段しないことは思い当たらないか?」

「他者への暴行。拉致監禁」

「発想がバイオレンスすぎるわ! 全部犯罪だよ!」


 愛羅に問うこと自体が間違いのような気もするが、これは愛羅のための教育だ。なるべく愛羅が知りたいと思っていることを教えてやりたい。


「何か知りたいことはないのか?」


 そう問うてみると、今度はバイオレンスに走ることなく真面目に考えた様子だった。俺のこれまでの生活程度にしかないだろう知識を思い巡らせているようで、目を瞑っている。


「女性らしさ」


 愛羅は目を瞑ったまま、ぽつりとそう零した。正直意外な発言である。女性らしさと聞くと、女性としての尊厳がどうのだとか、そういう穿った見方をしてしまうが、愛羅が言っているのはそういう倫理的なことではないだろう。


「確かに、服装はいつも制服だし、メイクとかもしてないだろうしな」


 そうは言っても、メイクなし、服装の目新しさもなしで、ここまで綺麗なのだから、これ以上美を求める必要などないと思うのだが。


「でもそうか。愛羅が知りたいのは俺がしないことだから、俺では教えられないこともあるのか」


 そういう意味では苦労をすることになりそうである。とはいえ、教えると決めた手前、無理だからと放り出すわけにもいかない。


「こういうときこそネットの力だな。ほら、愛羅。使ってみろよ」

「承知した」


 愛羅はまず、女らしさで検索をかけた。するとやはりというか、現代における女らしさを議論するページに溢れている。愛羅が知りたいのは恐らく、もっと古典的な意味での女性らしさであろう。


 淑やかさ、か弱さ、そして美しさなんかがより詳細には挙げられるだろう。昨今では女性らしさという言葉もあまり聞かず、俺はぱっと美しさが浮かんだが、確かに女性らしさと言われたときには淑やかさの方がしっくりくるかもしれない。


「じゃあ実践してみるか」

「どうすれば良い?」

「そうだな。まずは座ってみてくれ」


 そういえば、ずっと立ちっぱなしである。ベッドの縁を指さしつつ、俺は椅子に座る。愛羅の立ち姿は淑やかかと問われれば別にと答えざるを得ないものであったが、立ち姿の違いなど少なくとも俺には分からない。


 立ち姿のことはともかく、愛羅は俺が意図した通り、ベッドに腰かけた。その座り方は、卒業アルバムのクラス写真に映る男子を彷彿とさせるものだった。つまり、足は肩幅で、手は膝の上にある。もしアルバムよろしく正面から写真を撮るとすると、スカートの内が不安になる座り方である。


 矯正、と言うと愛羅の意思を無視するようだが、世に言う女性の座り方を示すため、俺は愛羅の足を閉じさせる。


 あんまりな座り方につい手が出てしまったが、愛羅の滑らかな太腿に手が触れた瞬間我に返った。静電気が当たったくらいの勢いで手を離す。愛羅はそんな俺の様子を不思議そうに眺めていたが、やろうとしたことは伝わったようで、足を閉じてくれた。


「足はぴったり合わせて、斜めに流す」

「こう?」

「そうそう。それで、手はこんな感じに腰元で重ねて」


 初めから俺が実演したら良かったのだ。そうすれば、愛羅は完璧に模倣してくれるのだから。


「よし。それで座り方は完璧だな。と言っても、普段からそんな座り方するやつはいないけど」

「そう」

「あくまで一例だな。あまり気にするなよ」


 恐らく学校にいるお嬢様モードの瑠美はこのくらいやってのけるだろうが、今の時代そこまで強く推奨される姿勢でもなければ、愛羅は死神で普通の人間には見えないのだ。


 面倒だと思ったらやめてもいい。そう言おうとして、やめた。


 愛羅は何度も座り直して、その淑やかさを体現したような座り方を染み付けようとしていた。その純粋な努力を見ていると、それがどうでもいいこととは言えそうにないのであった。


「じゃあ次は正座してみてくれ」


 そう言うと、愛羅はまるで結婚の挨拶でもするかのように綺麗な正座をする。もちろん男性側。やはり俺を観察しているせいか、男性寄りの姿勢になってしまうのだろう。とはいえ、ここまで姿勢良く正座をした覚えなどないわけだが。


「それで、こうやって足を横に流すんだ。手はさっきと同じように」

「こう?」

「そうそう。女性らしい座り方というとそんな感じかな」

「理解した」

「と言っても、女性らしさなんて座り方くらいしか思い当たらないけどな」


 一昔前と違い、女性らしさという概念も廃れてきたように思える。まして男の俺なら思いつくことがないというのも頷けるのではないだろうか。


「今で言う女の子座りみたいなのも教えとくか」


 そう言うと、愛羅はこくりと頷く。よしよしと実演して見せようと思ったが、男の骨格では難しいのか、はたまた俺の体が硬すぎるのか、うまくいかない。よくもまあこんな体勢で座ろうと思うものだと愚痴を零すほどである。


「悪い。俺は出来ないから、とりあえず説明だけはする」


 しかし、人の動作を口頭で説明するというのは難しいもので、なかなか愛羅に伝わってくれない。そして、試行錯誤の度に愛羅の足が動き、スカートがひらひらと捲れたり捲れなかったりするので、ドキドキしっぱなしで注意も散漫になる。


「初めからこうしたら良かったな」


 結局、画像を検索して真似してもらった。


 ただ、手間をかけさせた愛羅には悪いが、青少年としては中々有意義な時間であったと思う。


 マナー未満の、ある種俺の偶像的な知識を愛羅に教え込んでいく。無知な愛羅を理想に近づけていくのは、非人道的な風味のある言葉ではあるが、楽しかったし、愛羅も熱中してくれている様子だった。

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