17日目 7月29日(木)
「おはよう」
「あなたの寿命は残り34日。おはよう」
死神ではあるものの、目を覚ませば視界に絶世の美少女が佇んでいるというのは、慣れてしまえば幸福にさえ感じるものである。慣れたといっても鎌を持たれてはそんな悠長なことは言っていられないが、俺が必死で訴えて以来寝起きに鎌を持ち出されることはなくなった。
「前に睡眠は必要ないって言ってたよな」
「肯定」
ゆっくりと身を起こして、着替えを始めながら死神に問う。
「俺が眠っている間、死神はどうしてるんだ?」
「ここにいる」
「暇じゃないのか?」
「暇、退屈という感情はあまりよくわからない」
案の定といった答えだった。俺が眠っている間と言ったが、一般人ならば俺が起きている間でも、俺の行動をただ見守るというのは退屈だろうから、この問いかけ自体無駄だったのだ。
ただ、その口ではわからないと言いながらも、退屈さを感じていないということではないのだろうと思う。
「わからないって言うからわからないんだよ、多分」
「意味不明」
「感情なんて曖昧で、誰も理屈ではわかってないんだ。寧ろ理解不能と言ってもいい。だから、わかるわからないっていう言葉自体、感情について述べるには不適切なんだ」
「理解するのでなければ、どのように定義される?」
「それはやっぱり、定義とか言い出すことが本質的じゃないとしか言いようがないか」
「理解不能」
コンピュータさながら、定義されないことは実行できないとばかりに首を傾げる死神。容姿や仕草は人間そのものなのだが、やはり内面に大きな違いがある。
「とにかく、感情は理屈じゃない。わからないって言うよりも、まずは自分の気持ちと向き合うことからだ」
「どのように?」
「えーと、物事に対して、良いイメージと悪いイメージに分けるとか」
というのも俺は、感情というものは欲望に依存している、と考えているためだ。楽しいならば、それをもっとやりたいという欲求が根底にあり、怒るならば、それを排除したいという欲求が根底にある、といったように。そうした欲望は肯定的な欲望と否定的な欲望に大別されると個人的に捉えており、それが良いイメージと悪いイメージに対応していると考えている。
もっとも、こういうものが理論的な考察であり、ナンセンスだとする意見も俺は持っているわけだが。
俺に内在する矛盾を意に介することなく、死神は俺の提案に素直に頷いた。
「試行する」
「ああ。ぜひ思考してくれ」
「あなたの今の言葉は、悪いイメージ」
「ぐふぅ」
いくら死神でも、自分の言葉を駄洒落にされるのはお気に召さないらしい。
ただ、俺の大袈裟なリアクションに、死神の口角が若干上がったような気がしたのだった。
今日は特に波乱もなく、放課後となった。コマ数が少ないということが理由の一つとして挙げられるだろう。というのも、実は昨日から明日にかけて、うちの学校ではテストなのだ。
生徒手帳には、テスト期間の部活は原則禁止とある。しかし、試合前の部活なんかはテスト期間であろうと大手を振って活動している。テスト一週間前程度ならば、瑠美の部活然り、他の部活も活動している程度の、緩い規則である。
とはいえ、テストはテスト。成績に入るし、赤点を取れば夏休みに連絡が入って、補習に呼び出されることもある。ただ、生徒と同じくらいに教師も補習を嫌っているので、ボーダーは意外に甘いらしい。
テストでなくとも、俺たちは受験生である。少なくともこのクラスには、俺に構ってくれるほど呑気で余裕のある人はいなかった。
美川もいつの間にか消えているし、学校ではこれ以上何も起こりそうになかった。
「奏、帰るか」
「あ、うん。いいよ」
奏は、俺が誘わなければ友達と帰る。しかし、友達は電車通学であり、徒歩通学の身としては、実質的に校門までの付き合いとなる。俺が誘ってもそこまで気まずいことにはならない。
だがしかし。誘って、校門を出てから気がついたのだが、これはサッカー部の彼に対して気まずいことになるのではないだろうか。
そうは言っても、悲しいことに彼とは明日までの関係に終わりそうである。それほど親密に連絡を交わすわけでもなく、連絡する事項と言えば、奏の好みばかり。彼のことよりも、友達である奏を優先する方が、俺としては愚直に正しいのだろう。
そうして俺は彼のことを一先ず記憶から消した。しかし、クラスメイトとは明日が今生の別れと思うと、寂しい気持ち、それこそ悪いイメージを抱く。
「明日で終わりか」
「卒業みたいな雰囲気で言うけど、たかが一学期だからね?」
「たかが、だと? お前に一学期の何がわかる!」
「一年を三つに区切ったうちの最初」
「その通り。それ以上でもそれ以下でもない」
「テンションの壮絶な高低差にスカイダイビングもびっくりだよ」
「だがしかし、そこに人生最後のをつけるとどうなる?」
「はっ!」
「そう。たとえ大学に進学しようとも、一学期はやって来ない」
基本的に大学は前期後期に分かれている。一学期と名のつくものは奏にしても金輪際やって来ないのだ。俺にとっても勿論人生最後であり、クラスメイトが一堂に会する機会さえもラストである。
「そこで、人生最後の一学期、その最後の一日をどうにか思い出に残るものにしたいのだ」
「本当にそう?」
「そうだ」
「冷静になってみたら、別に取り立てて何かしようとはならなくない?」
「いいや。やはり人生最後の一学期」
「何でも人生最後って付ければ貴重になるわけじゃないからね?」
「くっ。手強いな」
「私としちゃどうして翔君がそこまで執着するのか気になるよ」
「それは、ノリだ」
「だろうね」
理由はノリと誤魔化したが、何かしら形に残るものを思い出として置いておきたいと力説する俺のことを、奏は微笑ましいものを見るような目で見つめる。
「わかったわかった。協力するよ。打ち上げとかは難しいから、皆で写真を撮るとかならどう?」
「それだ! なるべく声をかけて、教室に留まるように説得してくれ」
「はーい。ことあるごとに何かしようってするの、すごい小学生っぽいよ」
「だろ?」
奏はロールプレイの延長だと思っているのかもしれないが、これは俺の本心である。こうして、俺はこのクラスにいたことを証明する手立てを手に入れたのだった。
「あ」
「雨か」
この時期、夕立ではなく昼前に雨が振るというのは珍しい。
「翔君、折りたたみ持ってる?」
「ん、ああ。いつも入ってるぞ」
「私忘れちゃって。入れてくれない?」
「おう」
そう返事したものの、実際開いてみると、二人はおろか、一人でさえ完全には入りきらないほどの小ささだった。
「ありゃ。それじゃあ入れないか。じゃあ鞄だけお願いしてもいい? テスト問題が濡れると困るから」
「いや、奏を水濡れにさせるわけにいかないだろ」
「なんで?」
「そりゃ男としてな。お嬢様を濡れさせるわけには参りません」
「あら。忠義な家臣ですこと。でもあなたのようなガキンチョを家臣にした覚えはなくってよ」
「ガキンチョって初めて言われたわ」
奏は笑って、鞄を押し付けてくる。譲る気はないようだが、こちらとしても、ただの良心で言ったのではない。今の奏は夏服で、薄手のシャツを着ている状態。それが雨に濡れるとどうしても肌に張り付くわけで、そうすると目のやり場に困るのだ。
「いいから、受け取ってくれよ」
「あれあれ? もしかしてぇ、私が濡れると困ることがあるのかなぁ?」
「むっ」
こいつ、分かってて言っていたのか。今のところ、霧雨のような細かい雨で、シャツに染みもしないくらい。そのシャツを俺の横でパタパタと扇ぐ。
「翔君は忠義なガキンチョじゃなくて、マセガキだった?」
「口悪いなおい」
「あはは。ごめんごめん」
「わかってるならさっさと傘持て。鞄もほら」
「はーい。ありがとね」
俺が傘を渡した直後から、霧雨のような細かい雨がそれこそ夕立のような激しい雨へとだんだん変わっていく。
「翔君、大丈夫? ちょっとくらいならスペースあるけど、頭だけでも入る?」
「なんでだよ。寧ろ守りたいのは服であって頭は割とどうでもいいだろ」
「あー、そういう認識なんだ。髪のセットを気にするかと思ったんだけど」
「言われてみれば」
生まれてこの方、美川に指示されるまで髪型に頓着してこなかったのだ。セットが雨で崩れるという思考に至るはずもなかった。
「でもどうせ帰るだけだしな」
「翔君がいいならいいけどね」
「こう雨に当たるのもテンション上がるし」
「ごめん、それはよく分からない」
「なんでだよ!」
「その感覚はあまりに小学生すぎて」
小学生でなくとも、雨に当たっているとテンションが上がるものではないのか。
「それはいいけど、帰ったらちゃんとシャワー浴びなよ? 夏とはいえ風邪引くから」
「はいはい」
「昔、大丈夫大丈夫とか言って風邪引いてたこと覚えてる?」
「無駄に記憶力あるな」
「無駄じゃないもん。翔君の馬鹿さ加減を反面教師にするためだもん」
「え、今日の奏、辛辣じゃない?」
あくまで普段の奏と比較してである。瑠美や美川相手ならこれが標準だ。
「瑠美ちゃんのが移ったかな?」
「頼むから奏は優しい人間であってくれよ。じゃないと泣くぞ」
「大袈裟だよ。瑠美ちゃんだって本気で言ってる訳じゃないからさ、多分」
「せめて言い切ってもらえるか?」
そうして、傘は乾かしてから返すという奏の言葉を最後に、俺と奏は家に帰った。
「ただいまー」
「おかえり」
「うおっ」
返事が来ないことを見越しての言葉だっただけに、背後から声が聞こえてきたことには心臓が飛び出るほど驚いた。しかし、抑揚のない声から察して、すぐにその声の主は特定できる。
「死神、急に出てきてどうしたんだ」
「少し話がある」
「それにしたって玄関でなくても。瑠美が帰ってくるかわからないだろ」
そう言った瞬間に、ポケットのスマホが震える。確認してみると、瑠美からのメッセージだった。
『雨宿りするから少し遅くなる』
とのことで、心配する必要はないらしい。まさか死神といえどこれを予期するだけの力があるとも思えないが、とにかく話に応じるよりも先にすることがあった。
「先にシャワー浴びてきていいか?」
「構わない」
言質をとってから、シャワーを浴びる。死神が俺にわざわざ昼間から伝えたい要件というと、軽い要件ではないだろう。
そのことについて考えているうちに、俺はとあるミスをしていた。タオルを用意していないのである。着替えはちゃんと用意するくせに。
そのことにシャワーを浴びている途中で気づいたため、タオルを取りに出ることはできない。床を濡らすと瑠美にこっぴどく叱られる上、裸で闊歩している姿を瑠美に見られたら問答無用でビンタが飛ぶ。
詰みの状況かと考えたものの、ここで死神の存在を思い出した。
「死神、いるか?」
「何用?」
パッと死神が出現した先は、俺の背後。まさか浴室内に出てくると思わず、驚いてシャワーヘッドを取り落としてしまう。運の悪いことに、そのお湯は死神に直撃。死神をもびしょ濡れにしてしまった。
「すまん!」
「構わない」
慌てて蛇口を捻ってお湯を止め、シャワーヘッドを定位置へ戻す。死神とはいえ少女の前で裸になっていることは気になったが、余りに淡泊な反応をされたため女々しく悲鳴を上げるようなことはなかった。
それよりも、濡れてしまった死神である。死神が身にまとっているのはうちの制服であり、奏同様白いシャツである。シャワーを被れば勿論透ける。
「い、一度姿を消せ」
「承知した」
死神は言われた通り姿を消した。それにしても、あの無知な死神に黒を合わせた仲間とやらはどういう思考をしているのか。髪や肌の白とのコントラストは非常に目の毒だ。
「死神、今度はこの扉の外に出てくれ」
「承知した」
磨りガラスの向こうに突然人影が現れる。無論死神だ。
「まだ濡れてる状態か?」
「否」
「そうか。なら悪いんだが、タオルを取ってきてくれないか」
「承知した」
ただおつかいを頼むだけで、どうしてこう疲労感があるのだろう。死神の対応にはほとほと困ったものだった。
「それで、用って?」
シャワーから出て、死神に取ってきて貰ったタオルで体を拭き、着替えもした後に俺の部屋で改めて死神の要件を尋ねる。
「正確には、私の用ではない」
「え?」
俺の知る限り、死神の知り合いは仲間とやら程度のもの。しかし、別の人間を担当しているであろうその死神が俺に話があるとも思えない。まして、死神同士以外にこいつが関係を持っているとも思えない。
俺が首を傾げると、死神が説明をするよりも早く、俺の部屋の一角、机を向いた椅子が俺の方向へ回転したかと思うと、その上が光を放ち始めた。
その光はやがてぼんやりと人型を形成し、そして間もなく、はっきりと子どもの輪郭を形作る。一際強い光の後、それが収まったとき、椅子に腰掛けていたのは少女だった。
何のエフェクトもなく現れる死神とは似ても似つかない登場をしたその少女は、十歳前後の幼い体つきをしており、その華奢で陶磁器のように滑らかな体には真っ白な布地を纏っている。中世ヨーロッパの絵画に出てくるような着方だ。
そして何より特徴的なのが、長すぎて椅子にも乗り切らず、床にまで散らばった青い髪である。青というよりは水色の方が近いかもしれない。とにかく透明感のある青である。その流れはさながら川や滝のようで、並々ならぬ存在であることが伺い知れた。
「ええい、控えおろう!」
「え?」
しかし、その神々しい少女が発した言葉は、どこかしらで聞いた事のある文言。見た目に合った幼い声であるだけに、ポカンと見つめていることしかできなかった。
「そこの人間。無礼であるぞ」
「あ、え、俺?」
「お前以外に誰がおる」
言われてサッと見回すと、死神は片膝をついて頭を垂れていた。真似をすれば良いのだろうということで、俺もそのポーズに倣う。
「よろしい。面を上げよ」
「はぁ」
「なんじゃ、その煮え切らん返事は」
言われた通り顔を上げてみると、やはりそこにいるのは不機嫌そうな幼女。これで困惑するなという方がどうかしている。
「どちら様でしょうか」
「ふん! 余はこの世界を管理する神。普通であれば、そなたら人間が天国でしかお目にかかることの出来ぬスーパー偉い存在なのじゃ!」
「へぇ」
「胡乱な目をするな無礼者! せっかくそなたの妹をこの家から遠ざけてやっているのに、礼のひとつも言わんとは」
どうやらシャワーを浴びた後になっても瑠美が帰ってこないのはこの自称神が工作しているらしい。自称というか、十中八九神様なのだろう。その神様は、俺の望みを汲んで、瑠美に知られないようにしてくれているようだ。
「ありがとうございます」
「うむ。苦しゅうない」
見た目幼女の神様は、水に流そうとばかりに足を組み、椅子の上からじっくり俺の顔を見た。必然見つめ合う形になるわけだが、やはりというか、この神様のご尊顔も素晴らしい造形である。童顔であり、目はくりくりとして実に可愛らしい。是非人形のモデルになってもらいたいと懇願するレベルだ。まさに美を体現したような少女である。
「あの、本日はどういったご要件で?」
「まあそう焦るでない。今ちょうど、そなたにその資格があるか試していたところじゃ」
「は、はぁ。結果のほどは?」
「うむ。問題はない。器は十分じゃろう。この17日でよくぞここまで」
「あ、ありがとうございます?」
よくわからないが、褒められたらしい。確かにこの17日間で性格なり容姿なり色々と変わった自覚はあるが、そのことだろうか。
「では、そなたの健闘を讃え、余からプレゼントを贈ろう。そこを動くな」
「はい」
神様は俺の椅子からピョンと飛び降りて、長い髪を引きずりながら俺の元へと歩いてくる。
「目を閉じよ」
「はい」
言われるがまま俺が目を閉じると、神様は両手で俺の顔を支えた。そして、額に何か温かく柔らかい物が触れた後、そっとその手を離した。
「もうよい」
俺は目を開け、感覚があった額に手を添えた。しかしそこには何か特別なものがある訳でもなく、いつも通りの俺の額だった。
「何を?」
「そなたに祝福を授けた。もしそなたがこれより先、選択を間違えなければ、道は開けるやもしれん」
「はぁ」
「では、そなたとはこれでさらばじゃ。次会う機会が、どうか34日後でないことを祈っておる」
そう言って神様は再び眩い光を放ち、それが収束した時には少女の姿も長かった髪も嘘のようになくなっていた。そしてついでに、膝をついていた死神の姿も。
「ただいまー」
惚けている間もなく、瑠美の声が階下から聞こえてくる。神様の祝福がどういったものなのか、詳しく知ることはできそうになかった。




