16日目 7月28日(水)
ジリジリと日差しに焼かれながら、いつものように奏と並んで登校する。ちなみに、今日も瑠美はいない。
「よかったね、作戦上手くいって」
「ああ。俺も楽しかったし一石二鳥だな」
「あれだけボロボロにされて楽しかったって、翔君マゾだったの?」
「違うわい。運動が久々で楽しかったって話だよ」
「そっか、三年に上がる時に部活辞めたんだもんね」
「まあな」
俺は部活を三年で辞めたことになっている。書類的にもそうなっているはずだ。もっとも、一度も行ったことはないわけだが。
「奏、土曜って暇か?」
「夏休み初日? 大丈夫だけど、何かあるの?」
「俺じゃないんだけどな? 奏と遊びたいっていう奴がいるんだ」
「え、翔君は来ない感じ?」
「ああ。土曜日は用事があって」
用事がある。便利な言葉だ。用事と濁すことで踏み込むことを躊躇させ、無論納得はしないだろうが、とりあえず頷かせることができるのだ。
「で、それって誰? 瑠美ちゃん?」
「いや」
「え、それって私を一人でひたすら待たせようっていうドッキリ的な?」
「一人挙げただけで諦めるなよ」
「それはもっとまともな交友関係を築いてから言ってよ」
「たしかに!」
「開き直りが潔いね!」
さて、別に彼から口止めは食らっていないし、話してしまっても良いのだろうが、この口軽少女は学校に着いてすぐあの友達に言いそうである。折角夏休み初日を指定しておいて、夏休みが始まる前に広まったのでは意味がないだろう。
「明後日の放課後にメッセージで送るから、それで確認してくれ」
「知らない人とかじゃないよね?」
「それは大丈夫だ。約束する」
「ほんとに? 誰に誓う?」
「うーん、美川」
「よし、わかった。信じるよ」
美川への信頼は厚い。というより、俺が美川にどういう印象を持っているかということについて、奏は何かしら察しているのだろう。
「というわけで、お前に誓うぜ」
「勝手にしてちょうだい。それもわざわざ本人に言わなくて良いでしょう」
登校してきた美川に話しかけ、担保的な何かにしたことを報告する。美川は奏と違って口は固いだろうし、人物名はともかく、その目的までは話した。
無論、他の人には聞かれない声量である。どうでもいいことだが、通りがかる男子たち皆に大きな声で挨拶をするので、喉の開き絞りの差がもの凄いことになっていた。
「それよりも、どうして男子には挨拶して女子には挨拶しないのよ」
「いや、ドッジボールしてないし」
「基準そこなのね」
嘘である。男子の中にはドッジボールに参加していなかったやつもいる。そいつにだってちゃんと挨拶はしているのだ。女子を敬遠しているのは、単純に距離感を掴みかねているからである。
俺の認識では、男と女では価値観そのものが違う。奏の友達のような豪気なタイプは別だが、女子へ唐突に絡み始めては、下心の有無に関わらず不審がられるのがオチだ。男子はその点、多少不思議に思われることはあっても、迷惑そうにされることはまずない。
「でも、私だってドッジボールはしていないけれど」
「仰る通りにございます」
「キャラがブレブレよ」
「さながらサイン関数の如く」
「はいはい。数学勉強したのね。よかったわね。で、ビビってないで話しかけてきなさい」
「はぐらかせない、だと?」
「それで誤魔化せるのは北条さんだけよ」
確かに、これを拒絶と受け取るのは奏くらいなものかもしれない。昔は秘密など許さんとばかりにズバズバ切り込んできたものだが、最近はあまり突っ込んで聞いてくることはなくなった。こういうところを大人になったと言うのだろうか。
「次の休み時間から、順番に声をかけて回りなさい」
「えー」
「異論は認めないわ。男子にするよりもう少し顔を引き締めて、軽く挨拶するだけでいいわ。それでも笑顔は忘れずにね」
「そんなの変なやつだろ」
「今更すぎるでしょう」
「たしかに!」
「開き直りがやかましい」
そういえば、俺に失うものなんて無いのだった。このクラスで絡む可能性があるのは、今日を含めて残り三日しかない。折角ドッジボールを通して友好関係を築くことの素晴らしさに気づき始めたというのに、行動を起こさないままでは心残りになるだろう。
そうして休み時間になるたび、どこかの女子グループに顔を出し、元気よく挨拶をしては何かしら会話に混ざり、またはドン引きされていった。最終的に、放課後になる頃には全員と一言は喋ったという状況が生まれた。
「ふぅ。ミッションコンプリート」
「やればできるじゃない」
「まあな」
自らの性格を変えるという無理難題をこなした人間だ。この程度、不可能の内には入るはずもない。
「それで、感触はどうだったかしら」
「感触? 何も触ってないぞ。人を痴漢みたいに言わないでくれよ」
「そんなこと言ってるわけないでしょう。腕をへし折るわよ」
「猟奇的だなおい」
「そういうことじゃなく、誰と話していて楽しかったとか、逆に相手が楽しそうだったとかないのかってことよ」
なるほど、何故そんなことを聞くのかは相変わらず謎だが、一考してみるとしよう。
クラスにいて甲高い笑い声をよく聞くグループに行ったときは、向こうこそ興味津々といった様子で来たものの、こちらとしては勢いに押されて別段楽しかったというわけではない。向こうが楽しかったかどうかというのは、基本的に楽しそうな連中なのでよくわからない。
いつもクラスの隅で固まって話しているグループに行ったときは、全くといっていいほど話が進まなかった。引かれていることをありありと実感した状況が楽しいはずもなく、きっと向こうも楽しくはなかったろう。
「どこもイマイチだったな。そりゃ、いきなり話しかけたらそんなものかもしれないけど」
「そうね。ところで、これから予定はあるかしら」
「ん、いや。ない」
「そう。じゃあ、このあとメールを送るわ」
そう言って美川は鞄を持って颯爽と教室を出ていった。
呆気に取られた状態でそれを見送ってから、辺りを見回してみると、友達と帰った奏を含め、もう半分以上の生徒が帰宅、または部活に行っていて、これから受験生らしく自習を始めようという雰囲気を出している人もいる。
後でメールを送るというのはすなわち、場所を変えようということだろう。教室は静かになりつつあり、美川としては、イメージに関わるため、あまり積極的に会話しているところを聞かれたくないのだ。加えて、この話題はあまりに人聞きが悪い。
そう考えながらぼーっと真っ黒なスマホの画面を見るうちに、メールが届いた。マナーモードでバイブレーションも切ってあるスマホを開いて確認する。
『第二体育倉庫』
ただの名詞で敬語になることはないらしい。
命じられるままに、第二体育倉庫へ向かう。一応周囲を確認し、誰も居ないことを確認してから中へ。
そこでは、美川が跳び箱に足を組んで座っていた。さながら考える人のようなポーズだが、個人的にはあの銅像よりよっぽど見ていたくなる。
「来たわね」
俺の姿を確認すると、美川は立ち上がり、ホワイトボードを引いてきた。
「これからあなたに新たなミッションを課します」
「ちなみに拒否権とかって」
「あるわけないでしょう」
「ですよねー」
何だってそこまで干渉されなければならないのかとも思うが、本人が面白半分ですらなく、真面目に言っているのだ。従わなければ罰当たりのような、そんな気さえしてしまう。
「で、そのミッションっていうのは?」
「しっ。ちょっと黙って」
美川は口元で人差し指を立て、腕を俺の前に差し伸べて動きを止めろとジェスチャーをとってくる。何やら聞き耳を立てているようなので、俺もそれに倣い、外の音に注意を向ける。
「本当にさっき見たんだって。噂の倉庫に人が入っていったところ」
「嘘つけよ。開かないはずだろ? 先生が締め切ってるって言ってたじゃねえかよ」
恐らくは男子生徒の声。もしかすると、入るところを見られたのかもしれない。だが、ここには鍵がある。扉に手をかけられるより先に閉めてしまえば何の問題もない。
そう思って扉に近づこうとしたのだが、美川がそうはさせなかった。
どういうわけか、目にも止まらぬ速さで美川は俺と俺の荷物をひっつかみ、その細い体のどこにそんな力があるのか、一瞬にして俺の鞄を跳び箱の一段目を開けて放り込み、俺にも入れと指図する。
その余りの勢いに何も言えず、飛び込むようにして俺も中へ入った。先に中に入っていたらしい美川の鞄と俺の鞄を背凭れにして仰向けになると、躊躇った様子ながらも、美川も中へ飛び込んできた。一段目で蓋をすることも忘れずに。
美川の人間らしい重量に俺が呻くと同時に、ゆっくりと第二体育倉庫の扉が開く。
「うわっ、なんか声聞こえなかったか?」
「人がいるなら声も聞こえるだろ」
「で、でもいねえぞ?」
それっきり、入ってきた二人は会話をすることなく、そっと去っていったようだ。見た目にはただの狭い倉庫で、使われていない道具が放置されているだけで面白みも何もない。噂込みの不気味さも相まって、長居する理由がないことは明らかだ。
しかし、俺と美川に関しては決して見つかる訳にいかないため、そう易々と出ていくことはできない。慎重に外の様子を窺う必要がある。
それを解決するより先に状況を解説すると、跳び箱の中の俺たちは密着している。足を曲げた仰向け状態の俺の腕の中で美川が丸まっている体勢だ。
言うまでもなく、というか言葉にできないレベルで美川の体は柔らかい。生憎と跳び箱の隙間から入ってくる光の他に光源がなく暗いため、何処が当たっているかは全くわからないのだが、とにかく触れた至る所が幸せになる感触だ。
それに加えて、柑橘系のようなさっぱりした香りがする。この暑さで汗をかいていないはずがないのだが、いったいどんな仕組みがあるのやら。
「動かないで」
更に耳元でそっと囁かれる。ゾクリとした何かが背中に走り、全身が弛緩する。力が入らない俺の上でモゾモゾと動く美川の息遣いも聞こえて、力の抜ける筋肉と相反して心臓がドクドクと激しく動く。
見えないため予想だが、美川は寝返りを打って俺に背中を預ける状態になった後、外の様子を窺うために上体を起こした。つまり、今俺の腹に当たっているのは美川の臀部ということになる。
それを意識してしまうと逆に俺の体はガチガチに硬直してしまい、全く動けなくなってしまう。
「大丈夫そうね」
美川はそう言って、一段目を取り除いて立ち上がった。残念ながら俺は全然大丈夫ではない。
「こっち見ないで」
跳び箱を跨ぐのに俺の視線が気になるのか、睨みつけてくる。下着が見えるというわけでもあるまいし、他の女子同様気にしなくとも良いと思うのだが、言われた通りに顔を背け、目を瞑る。
軽い着地音が聞こえる。美川が運動をしている姿を見たことがないので知らなかったが、身のこなしが軽やかで運動神経が良いのだろうということがわかる。
「ふぅ。出てもいいわよ」
「お、おう。そう思ってるんだがな」
緊張し、固まって動かないものと思っていたが、実際に肩の辺りと足が引っかかって身動きがとれないのだった。
「悪いんだが、引っ張ってもらえないか」
「はぁ。仕方ないわね」
差し出した右手が思いっきり引っ張られる。さっきも思ったが、どこにそんな膂力があるのか、跳び箱ごと一瞬浮き上がり、無事に抜け出すことができた。
「ありがとう」
「鈍臭いわね」
流れるような罵倒である。別に気にしないが。
「それは別として、急に押し込んだことは悪かったと思ってるわ。ここの鍵、ついこの間壊れたのよ」
「なるほどな」
美川は実演とばかりに扉の鍵を閉めた後、ドアノブを捻るとそれは容易く開いた。
「これ、俺まで隠れる必要あったか?」
「もし彼らがあなたの知り合いだった場合、帰宅部のあなたがこんな時間にこんなところで何をしてるか聞かれるでしょう。そのくらい考えなさい」
「俺、知り合いとかクラスの奴らくらいだけど」
「あ。なんか、ごめんなさい」
「そこで謝るなよ! 余計惨めだわ!」
実際そこまで気にしているわけではない。それよりも、話の続きが気になっていた。
「気を取り直して、新たなミッションって?」
「そうね。終業式の日、つまり明後日の放課後、誰か女子と会いなさい」
「は?」
また突拍子もない指令である。女子と会うなんて、朝起きるだけで叶うではないか。
「会うと言っても、顔を合わせるだけじゃだめよ。二人きりで、親密にコミュニケーションをとるといいわ」
「そんな都合よくいくか?」
「それをどうにかするからこそのミッションよ。あわよくば付き合えばいいんじゃないかしら。まあ無理だとは思うけれど」
簡単に言ってくれる。学校という大人数が参加するコミュニティで二人きりになることがいかに難しいことか。しかも、俺は今日ようやく認知されたようなものだ。一層難しいだろう。
「その女子ってのは家族でも良かったりするか?」
「いいわけないでしょう。話を聞いていたの?」
ダメ元で訊いてみたが、無謀だった。付き合えば、なんて言うくらいなのだから当たり前だ。
「それをしてどうなるんだ?」
「言うと思うかしら」
「だよな」
「強いて言えば、あなたの為になるわよ」
それは最初の擬似デートからも聞かされていることだ。美川が何か要求を吹っかけてくるとき、理由を詮索すると必ず美川はそう返す。正直余計なお世話だとも思うのだが、もしその通りだった場合、間違いなく俺の余生を良いものにしてくれるのだろう。現に、見た目を変え、性格を昔に戻した結果、変える前よりも比較的楽しい生活を送っている。
ついでに言えば、こうして出された指令を遂行するのは、小学生的観点から見ると、秘密結社か何かみたいで面白い。
「それと、今日みたいに報告をする必要はないわ。私に報告している暇があるなら、その子にメッセージでも送りなさい」
「わかった。ミッションはそれだけか?」
「ええ。今日のうちに作戦を考えておくことね」
「美川の案はないのか」
「ええ。最後くらい自分で考えて行動なさい」
「最後?」
確かに俺の寿命は、次の始業式までもたない。しかしそれを美川が知っているはずもないため、最後というワードに引っ掛かりを覚えた。
「そういつまでも私が面倒を見てあげるわけがないでしょう。甘えていないで自立しなさい」
「はい」
全くもってその通りだった。俺たちは受験生であり、余命残り一ヶ月の俺とは違って美川には受験勉強というものがある。このまま続くと思っていた方が異常だったのだ。
「ただ、そうね。今日は私があなたの練習に付き合ってあげるわ」
どこか恥ずかしそうに言う美川。恐らく二人きりの会話を練習するのだろうが、どこにそんな恥ずかしがる要素があるのだろうか。あわよくば付き合うという前提条件のあるなしで違うのかもしれない。いずれにせよ、乙女心というのは男には理解しがたいもので、気にしないことにする。
「それじゃあ、はい」
「ん?」
少し顔を俯けて、そっと左手を差し出す美川。外国人のような考え方だが、コミュニケーションの第一歩としての握手だろうか。たしか美川は右利きだったような気がするのだが、左手を差し出したのには意味があるのだろうか。
とにかく、俺はそれを握手を求めていると認識し、左手を繋ぐ。すると美川は焦ったように手を振りほどいた。
「握手じゃないのか?」
「違うわよ! これは、その、手を繋ぐという、恋人同士のコミュニケーションよ」
「飛躍しすぎだろ!」
どうして親密イコール恋人関係なんて発想に至るのか。童貞でもあるまいし、美川がそんな思考を持っていることに驚きを隠せない。
ただ美川は至って真面目で、自ら振り払っておきながら、再び左手を差し出していた。
もしかすると、ミッションの中のあわよくば付き合えというのは、本気で言っているのかもしれない。正確に読み取れば、すぐにでなくとも、いつか付き合えと。
いくらなんでも、そんなことは不可能だ。相手だって、誰かに言われたからなんて軽薄な気持ちは不愉快だろうし、俺も不愉快だ。だからこそ、この指令に関しては、字面通りの意味しか受け取らないことにする。
それはそれとして、この場はそうもいかない。美川は手を繋ぐ練習だと言って譲らないし、俺にとっても役得である。恐る恐る、右手を彼女の左手に触れ合わせた。
言葉はない。柔らかなでしなやかな手の感触に高鳴る心臓を自覚しながら、軽く彼女の手を握る。
それで終わるかと思いきや、美川はそのたおやかな指を俺の指に絡ませ、キュッと握ってきたのだ。俗に言う、恋人繋ぎというやつである。
驚いて美川の顔を見ると、彼女はバッと勢いよく顔を逸らした。髪の間から見える耳は真っ赤に染まっている。
「あんまり、見ないでください」
小さくぼそりと呟かれたそのあまりにいじらしい声に、危うく卒倒するところだった。
そのまま三秒が経過し、パッと美川は手を離した。
「それじゃあ、頑張るのよ」
そう言い残して、赤さの収まらない顔を隠しながら、荷物を引っ掴んで扉から出ていった。
パタンと閉じられ、俺一人になった第二体育倉庫の中。鳴り止まない心臓の鼓動をずっと感じながら、俺は呆然と立ち尽くすのだった。




