15日目 7月27日(火)
「あと36日であなたは死ぬ」
「よお死神!」
「おはよう」
死神は無表情ながらも、これまでの俺と今日の俺の違いに小さく首を傾げている。
「おかしいと思うか?」
「私にはわからない。ただ昨日までのあなたと異なることはわかる」
「感想を求めた俺が悪かったよ」
少し嫌味っぽく言ってみたものの、やはり死神は首を傾げるばかりで、たとえ感想があったとして全くアテになりそうもなかった。
「昨日の作戦?」
「そうだ。小学生時代のノリに戻るだけだと、奏は簡単に言ってくれたものだがなあ」
忘れがちだが、基本的に、外にいる俺の周りでは姿を消した状態の死神がいる。お陰で変わったと思われることがあっても、不審だと判断されるようなことはない。
「あなたの小さい頃が、その挨拶?」
「死神はそりゃあ知らないか」
死神は一拍置いてから頷いた。瞬きをする一瞬、どこか悔しげな表情に見えたのはきっと気のせいだろう。
「昔の俺はもっと明るかった、というか、馬鹿っぽかったんだ。宿題を真面目にやらなかった、とかいうわけじゃなく、基本的に何も考えずに生きてたからな」
「思考を停止して勉学を行うのは不可能」
「そういうことじゃないんだ。そうだな、極端にポジティブなやつだったって感じか」
「ポジティブ?」
「いや待て。ポジティブもちょっと違うな。一切悲観的なことを考えなかったんだ」
「それが、何も考えない?」
「そういうことだな」
小学生時代など、そこそこ真面目に生きていれば悩みなんて出てこない。ひたすら友達と遊ぶばかりで、人間関係の煩わしさなんて考えたこともなかったような気さえする。
「要は、自分の生き方を考えるようなことが全くなかったわけだ」
「理解した」
「あと36日で死ぬとかいう、どうしても生き方を考えてしまう状況でどうやってあの頃の俺に戻れというんだ」
状況と作戦が矛盾している。こんな中でどう足掻いたってボロが出るのは明らかで、それならいっそ作戦など取りやめてしまえば良いと思ってしまう。
「あなたは、悲観的な生き方がしたい?」
「は?」
唐突に、死神が死神らしい若干哲学的な質問をしてきた。
「そんなことはないな。どうせ最期なら、悲観的な感情を捨て去って晴れやかな気分で逝きたいものだ」
「それなら、何も考えなければ良い」
「それが簡単に出来ないんだ」
「可能」
「どうやってだよ」
俺が胡乱な目を向けると、死神はやはりそれを気にした様子なく、無表情で立って口を動かす。
「あなたの望む生き方と作戦は一致している。生き方を考える必要はない。作戦によって生き方は規定されている」
確かに、言われてみれば、生き方に悩む必要などない。俺は楽観的に生きたいと思っているし、作戦はそれを寧ろ強要するものだ。相反することはない。
ただ、だからといって割り切れるものかと言われると、そうではない。人というものは、いつも正しさを追い求め、今向かおうとする道が本当に正しいかどうかに悩む。それをあの頃のように取り除くというのは至難だ。
「悩む必要はない。あなたの生き方を、作戦という形であっても、肯定する人間がいる」
「そう、だな」
少なくとも、美川や奏は応援してくれる。最期の生き方としてではなくとも、彼女たちを信頼するということなら、この身の振り方に対して疑いをもつことも少なくなるだろう。
「よっしゃ。じゃあ作戦は実行ってことでいくか」
死神は小さく頷き、姿を消した。
「よう瑠美! 今日はいい天気だな!」
「は?」
そうは言ったものの、実の妹から覚めた目で見られると挫けそうになる。
「今日の朝ごはんはパンだ!」
「いつものことでしょ。なんでそんなにテンション高いの、気持ち悪い」
「元気が一番だからな!」
「鬱陶しいんだけど」
「昔だってこんなだっただろ?」
「昔から馬鹿ではあったけど、そこまで露骨に馬鹿じゃなかったわよ」
「そ、そうか」
「せめて声を落として。近所にも私にも迷惑だから」
「おう」
瑠美はため息をついて、食卓についた。普段ならそれから無言で朝食を摂る時間が続くのだが、これは学校で過ごすための予行演習だ。そんなことではいけない。
とにかく喋りに喋った。どれだけ瑠美が相槌さえ打ってくれなくとも、それだけが生き甲斐とばかりに。その結果。
「もうちょっと実のある話できないの?」
「すいません」
「それと毎回毎回話題の人が遠すぎ。友達いないのバレバレだし、話がぼんやりしすぎ」
「返す言葉もございません」
「馬鹿にいが一方的に喋ってばっかでつまんない」
「それは俺悪くなくない? 瑠美が介入してくれたら済むくない?」
「そのつまんない口を開かないで」
「はい」
「会話はインタラクティブにしなさい。空気も読めない馬鹿には難しいだろうけど。いっそ喋らない方がいいんじゃない?」
「そうはいかないんだよ」
手厳しい瑠美の言葉に反論することはできないものの、従っておくことはできなかった。とはいえ、瑠美が言うことも事実であり、これが治らなければ一人芝居になること間違いなしである。
「小学生時代はどうやってたんだろうな、俺」
「というか、なんで無理矢理昔に戻ろうとしてるの? 今更友達作ろうっていっても遅すぎるでしょ」
「それはもっともなんだが、どうしてもな」
「ふぅん。よくわかんないけど。でも昔の馬鹿にいっていうと、もっと行動がうるさかった覚えがあるかも」
「行動がうるさい?」
「そ。リアクションがオーバーっていうか、ちょっとズレてて。あの頃はそれが面白くて、は、なかったんだけど」
面白くて、と続けそうになったような気がしたのだが、口が滑ったのか照れくさいのか、否定の言葉にねじ曲げられてしまった。しかし、これは良いヒントだ。
「あと、スキンシップが無駄に多くて鬱陶しかった。昔は私も、多分奏ちゃんも気にならなかったろうけど、今やられたらキレるかも」
「お、おう。気をつける」
触れた瞬間、一本背負いの勢いで投げ飛ばされそうなほど鋭い眼光で睨まれ、竦み上がることしかできなかった。
「とりあえず、もっと表情を緩めて。彼女相手ならともかく、友達相手ならだらしないくらいでいいんじゃない」
「そういうもんか。助かった。ありがとう」
試しに顔の筋肉を弛緩させ、大袈裟に笑顔を作ってみる。
すると瑠美は、ちょっと驚いたようにムスッとした表情を解したが、それを自覚したときには顔を逸らし、牛乳を呷っていた。
「ぷはぁ。別に。馬鹿にいに恥を晒されなくないってだけ」
「つれないなあ。感謝の言葉くらい、素直に受け取ってくれよ」
苦笑いで言うと、瑠美は多少大袈裟にムッと口を閉ざし、食器を流しへ持っていった。もっと顔に出せという、俺への当てつけかもしれない。
「よう奏」
「おはよう、翔君。思ったよりテンション高くないね。つまんないの」
「瑠美からのアドバイスでな。っておい。お前俺を空回りさせようとしてたのか」
「にっしっし。バレてしまっては仕方ない」
「どうしてだ奏! 信じていたのに!」
「お、なんか今日はノリが良いねえ。いつもなら、そんな笑い方するやついねえよ的なテンプレツッコミなのに」
「俺はノリとテンションで生きていく。そう決めたんだ」
「決めゼリフっぽいけど普通に馬鹿だよねそれ」
「それを見破るとは、お前も相当な眼の持ち主のようだ」
「ただの厨二病だよそれ!」
こうしてみると、毎朝の会話でいかに奏ばかり喋らせていたかということがわかる。基本的に話題を提示するのは奏で、俺は雑につっこむか、相槌を打つ程度だった。それでも奏は楽しそうに話してくれていたが、俺が会話に積極的に参加した方が嬉しそうだ。
「このテンションで俺は奴らを取り込むんだ」
「うまくいくといいね」
「ああ。見ていろ。パーフェクトコミュニケーションを決めてやる」
「やったね翔君、攻略対象が増えるよ」
「攻略って言い方やめろ! 寒気がするわ!」
瑠美の言う通り、少しオーバーに、というより、動作の制限を一切外した状態でリアクションをとる。
「あはは。めんごめんご」
「圧倒的死語じゃねえか」
「そんな。私の中では現役バリバリだよ」
「んなわけあるか」
ペちと奏の頭を叩く。そこでハッと気づいた。ついさっき、瑠美に言われたばかりだ。気安く触れたらキレると。
しかしそう思っているのは瑠美だけのようで、奏はいつもの調子でのほほんと笑っている。
「なんか懐かしいなあ、こういうの」
「そりゃそうだろ。だって今の俺は小学生だからな」
「3+5は?」
「8」
「じゃあ小学生じゃないじゃん」
「小学生でも足し算はできるわ! 小学生舐めんな!」
「翔君ってそんなに賢かったっけ?」
「お前より勉強できたわ」
今はともかくとして、小学生の頃の俺はもっと真面目に勉学に励んでいたので、同時期の奏より成績は良かったはずだ。
「ふざけないで! この私が小学生に劣るとでも?」
「比較対象今じゃねえよ! それは卑下しすぎだろ!」
「え? じゃあ私もしかして、世界一賢い?」
「その飛躍は最早狂人だぞ」
俺の小学生時代を足し算すらできないものに仕立て上げたかと思えば、世界一賢いものとして祭り上げる。ぶっ飛んだ会話だった。きっと奏も、何も考えずに喋っているに違いない。
とりとめのない、頭の中をすっからかんにした会話の後で教室に入る。
「おはよー」
「おはよう、カナ」
「よっ!」
「え、あ、うん、よう、一ノ瀬」
挨拶はするものの、今日は留まって奏との輪に加わることなく、自分の席に座った。呆気にとられた彼女の声が小さく耳に入る。
「カナ、あいつどうしたんだい? 何か悪いものでも食べたのかね?」
「中身がタイムスリップしたんだって」
「はぁ?」
同じく頭が小児化した奏は、部外者にはてんで伝わらない答えを返していた。
俺の雰囲気を異質と感じとったか、朝は誰も絡んでくる気配がなかった。
さて、事態が進展したのは昼休みである。奏のところに行くでもなく、第二体育倉庫に行くでもなく、俺は以前敵意を剥き出しにしていた、金髪頭のところへ向かった。
「よう!」
「な、なんだよ気持ち悪いな」
俺が気さくに挨拶をすると、敵意というより警戒心を顕に弁当の包みを抱える金髪。高圧的に詰め寄られたこともあるし、追いかけられてトイレに逃げ込んだこともある。しかしこうしてみると、可愛らしいというのは言い過ぎだが、思ったより小さな体をしている。
「ドッジボールしようぜ!」
「は?」
小学生の昼休みよろしく、ドッジボールに誘ってみた。案の定、ぽかんとした顔で間抜けな顔で返事もできない。
「なあ、いいだろ?」
「お、おう」
どうにか頷かせ、勢いそのままにクラスの男子全員に声をかけた。部活の昼練があるやつらは無理だったが、美川信者や奏教のサッカー部なんかは誘いに乗ってくれた。
結果として言えば、こっぴどくやられたものだった。敵になった全員が俺を狙い、俺が逃げ惑う。俺は幾度となくボールを当てられ、全身に痺れが起こるほどだ。
しかし、それでも俺は楽しそうに振舞っていたし、実際楽しかった。童心に戻って体を動かすというのも良いものだ。
そうして朗らかにいたお陰か、単純な男たちには仲間意識が芽生えたようで、もう敵視されるというようなことはなくなった。
万が一、いや億が一、俺と美川が恋愛関係にもつれ込んだとして、応援してくれるなんてことはないだろうが、嫉妬で殺されることはないだろう。こうしてガス抜きに、俺を虐め倒すイベントは多分に必要だろうが。
予鈴に合わせて、砂埃に汚れたまま席に戻る。
「もう少し綺麗にしてから戻ってきてくれるかしら」
「昼休みが短いのが悪い」
「横暴ね。まあそのくらい馬鹿じゃないと、こうはならなかったでしょうから、合格かしら」
「相変わらず上から目線だな」
「ええ。とりあえず、うまくいってよかったわね」
諸悪の根源が何か言っている。
「これからも引き続き、その調子で頑張ることね」
「え」
「当たり前でしょう。また息苦しい思いをしたくないなら、その性格を馴染ませなさい」
つまり、寿命まで小学生のままでいろと。確かに不安も何も感じないある意味便利な頭の出来になっているが、アイデンティティが失われているような気もする。
「馬鹿は馬鹿らしくなさい。真面目なことを考えてはだめよ」
「お、おう」
その思考すらも放棄して、空っぽの頭で授業に臨むのだった。
それから放課後。今日は周囲の殺意に急き立てられるようなこともなく、悠々と帰り支度を整える。何なら帰ろうとする男子たちに、じゃあなと声をかけるほどだった。
消費するエネルギーは尋常でなく多いが、頭が楽しそうなやつとして振る舞うのは、実際に楽しくなってくる。
もう無理を言ってまで奏と帰る必要はないのだが、ここ数日一緒に帰っていただけあって、わざわざ時間差を空けて帰る必要も感じず、帰ろうと声をかけようとする。元々、クラスを騒がせないためにもバラけて帰っていたため、声をかける事なしに一緒に帰るということは決定されない。
「一ノ瀬」
席を立ち上がり、奏の所へ向かって歩き出した俺を、ある男子が呼び止めた。
その彼は、昨日と、ついでに今日も散々やってくれたサッカー部の彼である。
「ちょっと来てくれるか」
「おう」
警戒心など一切捨てて食い気味に頷く。昨日の果たし状の内容を破って、今日も堂々と奏と一緒に登校したわけなので、何かしら嫌味でも言われるのだろうが、知ったことではない。もはや俺の脳には余計なことなど即座に忘れる用意がある。
促されるまま、やって来たのは階段の踊り場。俺たちのクラスの階より上の階段なので、奏が偶然やってくるということはないだろう。
「その、悪かったな」
開口一番に飛んできたのは謝罪の言葉だった。それが意外で少し惚けていると、彼は補足で説明を入れてくる。
「昨日のは、さすがにやり過ぎたと思ってる。昨日、俺が付けたアザを心配する北条を見て、自分がしたことを自覚したよ」
「ああ。大丈夫大丈夫。別に死にやしないって」
「軽いな、お前。そんな性格じゃなかっただろ」
「ちょっとな。楽しく生きようと思って」
「真面目に反省した俺が馬鹿みたいじゃねえか」
謝られれば許す。それが小学生の俺の心情というものだった。あえてギクシャクする関係に持っていく必要もあるまい。それに、この謝罪を自ら、相手を呼び出してまでするというところは素直に偉い。
「今日のドッジボールで、とりあえずお前が悪い奴じゃなさそうだってことはわかった。美川さんを好きな奴らも多分そう思ってる」
「そりゃよかった。折角クラスメイトになったんだから、仲良くしないとな」
「お前、ほんとに中身変わってないのか?」
「勿論だ」
ポンポンと、穢れを知らない少年のような単語が出てくることには自分でも驚いている。もしかすると、今までは抑え込んでいただけで、こちらが俺の本心なのかもしれない。
「それで、ものは相談なんだが」
「どうした?」
「あの、北条に俺を紹介してくれないか」
「クラスメイトだろ? 紹介ってお前、俺じゃないんだから」
「いやすまん、語弊があった。えーと、あれだ。告白、をしたいんだ」
少し顔を赤くして、視線を逸らして言う。正直男のそういう反応は気持ち悪い以外の感想を持てない訳だが、折角クラスメイトが恥を忍んで頼んでくれているのだから、力になってやるべきだろう。
「わかった。協力しよう」
「本当か?」
「ああ。嘘はつかない」
「よっしゃ! ありがとう!」
まるで数年来の親友のように肩を組んで、耳元で叫ぶ彼。サッカー部だけあって声がデカい。
ただ、こういうのも悪くないかと、童心に帰った俺は思ったのだった。




