13日目 7月25日(日)
午前十時。約束の時間ピッタリに家を出た。
家が隣だと、移動時間を計算せずに済んで大変楽だ。俺が家の敷地から出ると、同じく出てきた奏と鉢合わせる。
「おはよう」
「おはよう翔君。今日は付き合ってくれてありがとう」
「俺も見たかった映画だからな。気にするな」
「それはよかった」
安心したように奏は笑う。俺を連れまわすのにそう気を遣う必要もないだろうに。俺は気にしないし、むしろ嬉しくすらある。死を間近に宣告された人間にとって、誰とも話さず退屈を感じることが最も忌むべき状態なのだ。
「翔君、その服似合ってるよ。ついにお洒落を学んだんだね」
「ん、まあ、な」
「なんか、一気に大人びた感じがするよ」
「そりゃどうも」
「その見かけに合った、大人なエスコートを期待してるよ」
「勝手にハードルを上げるな」
いつもの登校の距離感で、二人並んで歩く。こうして奏と二人で遊びに出かけるのは、中二以来くらいだろうか。高校に入ってからは、クラスの雰囲気もあってか奏もよそよそしかったものだが、急に誘ってくれたのは教室で堂々と絡むようになったからだろうか。少しでも空気を悪くするのは嫌なので、尋ねることはしないが。
「そうだ。今日の映画、あとで感想を聞くからそのつもりで」
「なんで校外学習のノリなんだよ」
「何言ってるの。映画と言えば、そのあとの語りこそメインでしょ」
「映画に謝れ。映画がメインだよ」
「何を言うかね。それに安住して考えることをやめてはそれこそ無意味だよ君」
「誰だよ」
「映画研究所の教授」
「マジで誰だよ」
奏はよく、会話の途中で変なロールプレイをぶち込んでくる。他の人と絡んでいるときにそれが出るのは見たことがないが、俺だけに見せる顔、というのはさすがに思い上がりだろう。しかし少なくとも、仲の良い幼馴染として、心を許してくれているのだと信じたい。
「映画は映画で感想を語ってもらうけど、今は他にも感想を言うべきところがあるんじゃない?」
「ん?」
奏は小走りで俺の数歩先に立ちふさがり、スカートの裾を軽く持ち上げてアピールする。
「ああ、今日はいい天気だな」
「なんでやねん。誰が天気の感想を求めるっていうの」
「冗談だ。よく似合ってるよ。可愛いと思う」
七分袖で淡い色味のデニムシャツに、白のスカート。シャツはオープンカラーで、鎖骨のあたりに視線が吸い寄せられる。シャツインしているため、否応なく体のラインが出てしまうが、強調されても全く恥ずかしくない見事な体形である。それどころか、自分の魅力を生かし切っていると言ってもいい。スカートも膝元までしか丈がないため、生の足が晒されているが、その足はシミ一つなく、綺麗なものである。茶色のサンダルを纏った足先には赤のネイルがあり、それもまたアクセントになっている。とどめに白のハットをかぶせて、完全に夏の装いである。思わず唸ってしまいそうなほど魅力的だった。
「ちょっと当たり障りなさすぎかな。五十点」
「誉め言葉を勝手に採点するな」
そんな会話を交わしながら、最寄りの映画館へ。大抵そうだと思うが、映画館単体で存在しているわけではなく、集合施設に含まれているものだ。ここには洋服を取り扱う店というより、アウトドア用品やスポーツ用品を取り扱う店が多いイメージがある。勿論食事ができるフードコートもあり、映画の後は恐らくここで感想会とやらに強制参加させられるのだろう。
「翔君、ポップコーンいる?」
「いや、俺は飲み物だけでいい」
「そっか」
チケットを買ったあと、ドリンクやポップコーンを買う列に並ぶ。俺がそう答えると、あからさまにしょぼんとした目でこちらを見つめる奏。返答を失敗したらしい。
正解を探すべく、メニューに目を向ける。ポップコーンの欄を上から順に眺めていくと、最後の一つにドリンク付きのカップルセットというものがある。ターゲットがあからさまになっている商品名だが、単品で二人分買うよりいくらか安い。
「カップルセットってやつでいいのか?」
「え、う、うん」
「どうした? 欲しかったんだろ?」
「いや、そうなんだけどね? なんか照れもなく言われるのはちょっと解釈違いっていうか」
「どうしろと」
カップルセットという名前だが、お得なのだから恥を忍んで男二人でも買うだろう。女の子と一緒なのだから恥の程は軽いものだ。
解釈違いらしいが、特に慌てるようなこともなく注文し、予約した座席に向かう。
「この辺り、風当たりが強いな」
「なに? 今更高校生活でも振り返ってるの?」
「そういう意味じゃねえよ。物理的な話だ。空調きつくないか?」
「んー、確かにちょっと寒いかも」
「上着いるか?」
今日俺は薄手のカーディガンを羽織っている。俺は体温が高いのか、一枚脱いだところでむしろ快適と感じるくらいで、全く問題はない。
「へえ。優しいじゃん。まあ、ブランケット借りられるんだけどね」
「え」
「知らなかったからとはいえ、恥ずかしいねぇ? まるで私に着させたいみたいな」
「ぐぬ」
苦々しげな表情になりつつも、シアターの入り口でブランケットを借りてきて、奏に渡してやる。
「ありがとう。気遣いのできるいい男だね」
「今更フォローするな。これくらい当たり前だろ」
「当たり前って言いきれるのは素直にすごいと思うよ」
「そりゃどうも」
それからほどなくして映画が始まった。
敵国に故郷の村を滅ぼされた少年が復讐を決意し、七年間の修行を経て敵国に傭兵として潜入を果たす。
その中で、国のやり方に疑問を覚えていた副将の少女と出会い、二人は協力関係を結ぶことになる。そして数々の戦場を共に潜り抜け、絆が深まった二人は恋愛関係に。
それから二人は共に多くの武功を上げ、遂には王族の身に手が届くような位にまで到達する。
しかし、主人公の復讐心に気がついていた王様は、見せしめとして主人公を捕え、断頭台に上がらせる。主人公の処刑を止めに入ってしまった少女は、裏切り者として主人公の目の前で無惨にも殺されてしまう。
それが引き金となって、主人公は暴走する。タガが外れた彼の力は誰にも止められず、王族を皆殺しにしてしまった。復讐が終わったことで理性を取り戻した主人公だったが、その時彼は、王の腹心に背後から体を貫かれてその生涯を終えた。
おおよそこのような内容の、いわば悲劇だ。誰も救われない。しかし、悲しい話だからこそ、彼らの生き様には、心に訴えかけてくるものがあるのだ。
「なあ奏。いつまで泣いてるんだ?」
「なっ、泣いてないしっ」
俺だって、映画の最中は感極まって涙を流したとも。だが、劇場を出てからも鼻をすするほどではない。
「昼ご飯買ってきてやるから、その間に落ち着けよ。はいハンカチ」
「うん。ありがと」
「何が食べたい?」
「ハンバーグ定食」
「了解」
震えた声で頼む奏に微笑みかけ、俺の分も合わせて注文する。注文した料理が完成したら鳴るタイマー的なものを持って席に戻ると、奏は何やら若い男性に声をかけられていた。
ちょっと目を離した隙にナンパなんてされるものだろうか。しかし、実際美川のときもあったし、奏もああ泣いていては余計につけ込まれるだろう。とりあえず声をかけてみるしかあるまい。
「あの、そいつ俺の連れなんですけど。ナンパとかなら他所でお願いします」
「え? ああ、彼氏君がいたのか。安心して。ナンパとかじゃないよ。泣いていたから心配になってね。彼氏君が一緒なら大丈夫だろうから、失礼するよ。邪魔しちゃってごめんね」
「いえ、こっちこそすいません」
軟派な男かと思いきや、ただの好青年だった。物凄く恥ずかしい。38日後と言わず、今すぐ埋葬されたい気分だった。
「あはは。はっずかしーい」
「うるせえ」
「あまりにキツくって感動全部ぶっ飛んじゃったよ」
「キツい言うな」
慰めという言葉を知らないのか、思いっきり馬鹿にしてくる奏。もう心のライフはとっくにゼロなのだが。
「普通に考えてナンパなんて起こらないでしょ。アニメの見すぎだよ。それとも何? 私のこと、そんなに可愛いと思ってるの?」
これに対して、ああそうだよ。と言うのは負けた気がする。それに、照れくさい。
「そんなわけないだろ馬鹿」
「馬鹿って言う方がばーか」
「はいはい」
俺がやれやれといった風に笑うと、対して奏は心底楽しそうに笑った。
「それじゃあ感想戦、はじめよっか」
「将棋かよ。いつから戦いになったんだ」
俺は注文した唐揚げ定食を、奏はハンバーグ定食を食べながら、約束していた感想会が始まる。
「序盤のさ、かつての友達と戦場で相見えるシーンあったじゃん。あのとき友達を殺した主人公の昏い表情がもうね。泣かせに来てるよね」
「ああ、確かに。俺が戦争を終わらせるって殺した後に呟きながらも、迷いがある感じでな。あれは良い演出だった」
終わってから考えると、あれがあったからこそ、主人公は最後までやりきれたのかもしれないとも思う。
「あの精神状態で可愛い子に慰められたら、そりゃ堕ちるよね」
「そうだな」
そういえば、ほんの二週間ほど前、そんな話が俺の身にもあったような気がするが。
「あとさ、終盤でヒロインが、殺されるって分かっていながらも、主将にくってかかるシーン。あれが本当に辛くってさあ。泣くしかないよあんなの」
「あそこはな。音響も良い仕事してた。完全に泣かせに来てたな」
「あーやばい。思い出したらまた涙が」
「また泣くのか? ハンカチ絞ってくるか?」
「それどれだけ大量に泣いたの私。そのうち涙で扉開かなくなるやつじゃん」
「そのときは窓叩き割ってやるよ」
「器物破損で訴えます」
「情趣もへったくれもねえな」
「というかもしかしてそれ、私の泣き顔が変って意味? 遠回しな悪口だった?」
「この流れになったのお前のせいだからな?」
しかも、割と強引な持っていき方だった。
「あ、あとあと。語りたいのがさ、最後刺されるシーンあったでしょ? あのとき、ちょっと主人公笑ってなかった?」
「それは確かにそう見えたな。自分が死ぬことを望んでいたって感じの顔だった」
「だよねだよね。恋人を守れなかった自分が許せなくて、自己嫌悪の末って感じ」
「念願の復讐も達成したしな。王族の死に際なんてあっさりしたものだったが」
「それはそうだよ。復讐なんて、何も生まないとは言わないけど、終わる瞬間は一瞬で、終わった後は空虚なんだから」
「そうだよなあ。割に合わないよな」
「なぜ人は人を憎むんだろうね」
「哲学だな」
感傷に浸った後は、必ずと言っていいほど哲学的な話に帰着するのだ。それもまた醍醐味である。
帰り道でも感想を言い合いながら、家についた。瑠美は出かけているらしく、鍵がかかっている。
「あれ?」
「どうかした?」
鞄を底の方から漁ってみても、鍵が見つからない。いつものポケットだって勿論確認したが、入っていなかった。
「俺の鍵、家の中だな」
「ありゃ。どんまい」
そう言葉を掛けただけで、特に気にした素振りもなく奏は彼女の自宅の扉に手をかける。
「ちょ、待て待て。可哀想だとは思わないか? 締め出された幼馴染を」
「いや、別に」
「薄情かよ。そう言わずにさ」
「なに? 女子高生の家に上がりたいの?」
「言い方に犯罪臭がしないか、それ」
「どうしよっかなー。入れてあげてもいいけどー、今日お父さんもお母さんもいないしー、何されるかわかんないしなー」
「ぐ。今度カップケーキでも作ってやるから」
「やった。契約成立だね。なんか悪いなー、ただ瑠美ちゃんが帰ってくるまで待たせてあげるだけなのに、手作りお菓子貰っちゃうなんて」
「お前契約って言っただろ」
ナンノコトカナ、とすっとぼける奏にジト目で返しつつ、奏の家に上がらせてもらう。昔はよくお邪魔していたものだが、かなり久しぶりだ。
家具が少ないため、うちよりも広々としたリビング。少ない家具には理由があって、それは。
「おぉ。相変わらず元気だな、メロ」
北条家の愛犬、ポメラニアンのメロだ。こいつが家の中だろうと走り回れるように、リビングにはテーブルさえ置いていない。その環境に慣れきったメロは、家の中でも全力疾走だ。
「翔君が来てはしゃいでるんだよ。最近はもっと大人しくなってるの」
「もう三年くらい来てないような気がするんだが、覚えているものなのか?」
「そりゃそうだよ。何回ここで遊んだと思ってるの」
「それもそうか」
メロは勢いを緩めて、立ったままの俺の足の辺りの匂いを嗅いでいる。たしか、知っている人かを嗅ぎ分けるのだったか。
暫くすると、昔のように俺の脛あたりに前足を乗せたり、ぴょんぴょん跳ね回ったりと忙しなく動く。どうやら本当に俺を覚えていてくれたらしい。
「こらメロ。あんまりはしゃぎすぎないの」
幼い子供に言い聞かせる母のような口調で奏はメロを宥め、その頭を軽く叩く。するとメロは、尻尾を全力で振り回していることに変わりないが、行動に激しさがなくなった。よく躾られている。
「たしかに、メロも随分丸くなったみたいだな。昔は叱られようがお構い無しだったのに」
「まあね。私の根気強い教育の賜物ですよ。ねーメロ?」
奏がメロを抱き抱えて同意を求めるが、メロはくりくりとした目を瞬かせるだけで、答えはしなかった。返事が貰えなかったものの、奏はよしよしと顔を擦り寄せる。見事な溺愛っぷりだった。
「あ、クッキーあるけど食べる? 翔君の好きなやつ」
「あーあれか。欲しい」
「はーい。お茶淹れるからメロと遊んでて。机にまでは上ってこないと思うけど」
メロはやんちゃだ。俺たちがメロと遊びながら菓子でも食べようものなら、大抵隙を見てお菓子をかっさらって行く。
念の為、メロと遊んでいる必要があるのだが、奏に食べ物を用意させるというのは経験上何か怖い。
「お茶なら俺がやるぞ?」
「お茶くらい私でも大丈夫だよ。家主に任せなさい」
確かに、いくらなんでも心配しすぎか。どんな調理実習でも必ず一回は何かしでかす奏とはいえ、さすがに自分の家でインスタントのお茶を淹れるくらいできるだろう。お湯を注ぐだけなのだから。
「あっつ!」
「ぅおい。言ったそばから火傷か?」
「いや、大丈夫大丈夫。カップが思ったより熱かっただけだから。火傷とかじゃないよ」
「貸せ。奏には任せられん」
「心配性だなあ」
キッチンからダイニングのテーブルまでという極めて短い距離だが、ひっくり返して今度こそ火傷なんて洒落にならないので、メロをダイニングに入って来られないようリビングでお座りさせ、奏の代わりにカップを受け取る。
「えへへ。ありがと」
「そう言うならもっと気をつけてくれ」
「はーい」
それから、瑠美が帰ってくるまで、お茶を飲みながら二人で、いや二人と一匹で、のんびりとした時間を過ごした。




