9日目 7月21日(水)
「あなたの寿命は残り42日」
毎度毎度懲りずに時報を続ける死神を朝一番の視界に捉え、俺は今日も起き上がる。
「おはよう」
「おはよう」
死神と挨拶を交わし、いつものように朝食を摂るのだが、今日は、正確には昨日の夜から、瑠美の様子が普段と少し違った。チラチラと、こちらの様子を窺うように視線を向けてくるかと思えば、俺と目を合わせようとはしない。
「なんだよ。言いたいことでもあるのか?」
「いや、べ、別に」
尋ねてみても、照れたように顔を背けるだけ。悩み事という雰囲気でもないので放っておいても良いのだろうが、少しばかり気になる様子であった。
「じゃあお先にっ」
いつもより気持ち程度早く、瑠美が家を出ようと玄関に向かう。その出がけにも俺の方に一瞬視線を向けるのだが、その意図は全くわからない。
「いってらっしゃい」
違和感を感じつつも、俺は瑠美を見送った。様子からして俺に原因があるのだろうが、いまいち見当がつかない。
とはいえ、昔と違って今の瑠美は大抵のことは自分でどうにかする。学校では俺と会う機会もない事だし、心配するのも無駄でしかないだろう。
「げっ」
そう思った矢先、テーブルの上に桃色の巾着袋が置きっぱなしになっていることに気づいた。瑠美のお弁当だ。学校にも食堂はあるが、折角作ったものを食べてもらえないというのは少し悲しい。それに、安売りの冷凍食品を詰め込んだ弁当よりは学食の方が高いのだ。たかだか数十円の違いで、そう口うるさく言うほどのことではないのだが、そもそも瑠美が財布を持っているかも怪しい。瑠美のことだから友達に借りるなりできるだろうが、金銭の貸し借りはないに越したことはない。
そんな訳で、走って追いかけようかとも思ったのだが、友達と登校しているところに、普段から罵倒している兄が割り込んでこようものなら瑠美は機嫌を損ねるだろう。ただでさえ朝からろくに口をきいていないのだ。となれば、奏にでも頼んで学校についてから届けてもらうとしよう。
ただ、今日は昨日と一昨日のクラスの状況を鑑みて遅く行くつもりなので、奏には迷惑をかけてしまうだろうが。
「おはよう、翔君」
「ああ、おはよう」
焦ったように出ていった瑠美とは対照的に、若干遅めに家を出た。歩くペースも普段より落としている。今になって気づいたが、奏はこのペースの方が楽そうだ。
今朝は奏も、挨拶こそ平常運転だったものの、口数が少なかった。まるでラジオでも聞いているような感覚で、いつも奏が楽しそうに喋っているのを聞きながら登校するため、殊更違和感が強かった。これまた悩みという風でもないので、尋ねてみることにする。
「どうかしたのか?」
「あー、えっとね。翔君、その髪型似合ってるよ」
「その間は何だよ。その言い方だとお世辞にしか聞こえないだろ。実際そうなのかもしれんが」
「そんなことないよ。翔君にお世辞なんか言わないし」
「それはそれでどうかと思うんだが」
「気の置けない関係ってことで認識してよ」
「それで、気の置けない関係のはずの奏は何か言いづらそうにしているが、何なんだ?」
「えと、ね。すっごくカッコよくなったなぁって」
幼馴染に対し、面と向かってカッコイイと言うのは照れくさかったのだろう。言い渋っていたのは正解だったとばかりに奏の頬は赤く染まる。
「お、おう。そりゃどうも」
勿論、照れくさいのは言われる俺もそうだ。家族同然の仲を築いてきた奏に褒められるというのは、どこかくすぐったい。
しばらく二人して恥ずかしがっていたが、それも時と共に収まり、いつもの気安い空気に戻る。
「でもその変わり様って、何かあったの?」
「あー、それがなあ」
正直に言って良いものか。こう言っては悪いが、奏は口が軽い。美川にオススメしてもらったなんて言ったら、あのクラスの状況に関して、火に油を注ぐようなものではないか。
そんな俺の逡巡をよそに、奏はからかうようなにやけ笑いを浮かべ、俺に尋ねる。
「何? 彼女でもできたの?」
「お前、一昨日説明して納得しただろう」
「あれあれ? 誰も美川さんのことなんて言ってないけどなあ」
奏のにやけ笑いが加速する。こんなからかいも慣れたもので、苛立つことこそないものの、どうにかして一度懲らしめてやりたい気持ちはある。それが苛立っているということかもしれないが。それはおいおいの事として、今は根も葉もない噂を立てられることだけは避けるべく、弁明をしようと口を開いた。
「いや、だからな」
「わかってるよ。彼女ではないんでしょ」
「勘違いしていないなら何よりだ」
「片思い、なんだよね?」
今まで見たどの表情よりも優しい表情で、俺のことを見つめる奏。あろうことか子供にするかのように撫でようとしてくる始末。その手を払い除けて、露骨に溜息をついてみせる。
「はぁ。幼馴染でも伝わらないものだな」
「えー。違うの?」
「違う」
「なぁんだ。じゃあ誰が好きなの?」
奏も女子高生なのだということを実感した。恋の話だろうと決めつけ今度はワクワクした顔で、内緒にするからと耳を差し出してくる。
「別に誰も」
「嘘だぁ。その変わり様で恋のひとつもしてないなんて」
「そんなにか?」
奏はうんうんと頷く。
「ただ髪を切っただけだぞ?」
「そう言うけどね、翔君。女の子だったら、ショートかロングで随分印象が変わるでしょ?」
「それはまあ、確かに」
「髪型っていうのはそれだけの力があるの。つまりそれを疎かにしていた翔君がモテないのは必然だったってわけ」
「さらっと酷いこと言わなかったか?」
「気にしない気にしない。それで、貧乏性の翔君が高いお金を払ったのは恋じゃないとしたら何?」
「倹約家と言え」
一先ず苦言を呈したものの、質問の答えには窮していた。露骨に話を逸らすことしかできそうにない。
「忘れる前に言っておきたいんだが、瑠美に弁当を届けてくれないか?」
「翔君、文脈が断絶してるよ。まあそんなに言いたくないなら無理には聞かないけど。それより、なんで私に頼むの?」
「瑠美の迷惑になるかと思って」
「お弁当届けて迷惑ってどういうこと?」
「何が気に障ったか知らないが、今日は朝から目も合わせられなかったからな。そこで俺があいつの友達との会話に水を差すような登場をしたら、今度こそ刺されるかもしれない」
「考えすぎだよ。さっと行ってさっと渡して来たらいいだけだって。それに、目を合わせてくれないのだって」
奏はそこで区切ってちらっと俺の顔を見て訳知り顔で笑う。
「なんだよ」
「何でもない。きっと喜ぶよ、瑠美ちゃん」
ふふ、と笑って奏は数歩先を歩き始めた。
学校につき、最初に一年の階を歩く。俺はクラスでもそこそこ背が高いほうなので、この階ではとにかく目立つ。別の学年というのが一発でわかるのだ。
なんとも言えぬ居心地の悪さを感じながら、瑠美の教室にたどり着いた。他の教室に入ってはいけないなどという規則はないが、さすがに注目されすぎるので、教室に入ろうとしていた少女に声をかけた。
「あの」
「はい? なんですか、センパイ?」
活発そうな雰囲気の少女だった。俺が他学年だとすぐに見抜いて、それでも物怖じすることなく応対している。
「瑠美。いやえっと、一ノ瀬さんにこれを届けてほしいんだけど」
そう言ってピンクの包みを取り出すと、訝しがるような眼を俺に向ける少女。客観的に見ると、俺は確かに怪しいかもしれない。
「センパイ、瑠美ちゃんとどういう関係ですか?」
ジーっと俺を見つめる。きっとこの少女は瑠美の友達なのだろう。あいつも良い友達をもったものだ。ただ了承すれば何事もなく終わるものを、瑠美のことを思って、先輩に対しこんなにあからさまに警戒するような態度をとる度胸がある子はそういないだろう。ただし、その正義感も今ばかりは収めて欲しかったが。
「どうかしましたか? 今、私の名前を呼ぶ声が聞こえた気がしましたが」
「あ、瑠美ちゃん。この人が瑠美ちゃんに届け物って言うんだけど、知ってる人?」
近づいてきた瑠美の表情が固まった。俺の顔を認識してから、一歩も動こうとしない。
しかし、瑠美は学校でそういうおしとやかなお嬢様みたいなキャラになっているのか。家での態度とは見違えるようである。
「センパイ、瑠美ちゃんに何かしたんですか? 機能停止した瑠美ちゃんって初めて見たんですけど」
「知らないよ。ただ弁当を届けにきただけだ」
弁当という単語を聞いてハッとしたのか、瑠美はばっと顔を上げ、つかつかと歩いてきて俺が持つ包みを奪い去った。そんな様子を呆気にとられたような様子で見ていた少女が声をかけた。
「えと、瑠美ちゃん、この人は?」
「あ、兄、です」
恥ずかしそうに俺から目を逸らしつつ、ぼそりと答える瑠美。作っているキャラを実の兄に見られるのは精神的に来るものがあるのだろう。
「お兄さんなんだ。道理でイケメンだと思ったよ」
「ぅえ? 俺が?」
初めてそんなことを言われた。ただ確かに、瑠美の兄というのだから、多少顔立ちに自信を持っても良かったのかもしれない。となると、よほど髪型が悪かったのだろうか。
「お、お兄ちゃん。もうすぐ予鈴だから、教室行ったほうがいいんじゃないですか」
「あ、ああ」
久しぶりに瑠美からお兄ちゃんなんて言葉を聞いた気がする。それだけ動揺しているのだろう。さっさと退散したほうが良さそうだ。
「ありがとう、ございます」
「ん、ああ」
背を向けた俺に、消え入りそうなくらい小さな声で瑠美がつぶやいた。その声音があまりにいじらしくて、少しにやけてしまいそうだった。
そうして滑り込みぐらいのタイミングで教室に入ったわけだが、自分の席についた途端、突然男どもからの鋭い視線が突き刺さる。そこには昨日までよりも濃厚な殺意のようなものがこもっていた。捕まったら何をされるかわからない、そう予感させるほどである。
ほどなくして授業が始まり、いつものように一時限目が終わりを告げる。そこからは一瞬だった。嫌な予感を信じて俺はダッシュでトイレに駆け込む。予感は的中していて、男子どもが鬼のような形相で追いかけてきたのだ。
なんとかせねばならない。鍵をかけたままの姿勢で息を切らして解決策を考えるものの、ノックというには激しすぎるものに思考が遮られてまともに考えることもできない。
そのまま二時限目が始まるまで耐えていた。しかし解決策という解決策が見つからないままである。
二時限目は英語。言い訳をしてどうにか遅刻判定は免れた。この授業は前後の席でペアになるタイプで、俺はやはり美川とペアになる。
「大変なことになっているわね」
「誰のせいだと思ってんだよ」
文句も言いたくなるものだ。あいつらが俺を追いかける様子はさながら獲物を追う肉食獣。捕まったら何をされるかわからない。彼らが豹変した理由はおそらく、今朝の奏の会話にもあった通り、俺の雰囲気の変化を美川との交際が原因と推測したからだろう。
恨みがましい目を美川に向けると、彼女は顎に手を当てて思案顔を作り、何やら俺のノートの端に書き始めた。その行為こそ周りから見れば恋人のように見えると思うのだが、幸いにも誰も美川の様子を気にした気配はない。
『昼休みまで耐えてください。昼休みになったら、追っ手を撒いて第二体育倉庫まで来てください』
追っ手を撒いてとは、無茶な要求だ。昼食も関連して追っ手は減るだろうが、部活にも入っていない人間が撒ける相手かと言われると難しいだろう。
とはいえ、撒かねば待つのは死だ。昼休みは死ぬ気で逃げねばなるまい。
そして、運命の昼休み。これまで追ってきていた野球部の坊主頭たちは燃費が悪いようで、昼は追ってこなかった。おかげで死力を尽くせばどうにか撒くことができたのである。
約束通り、第二体育倉庫へ辿り着いた。体育のときにも開けたことのない、体育館二階へ続く階段の下にある倉庫だが、果たしてここに何があるのか。校舎のどの棟からも見えない場所であり、誰も中を見たことがないということで、怪しげな噂も後を絶たない場所である。
どうせ開かないのだからとその扉に背を預け、周囲を警戒する。美川が撒けといったのだから、万が一にも尾行されるわけにはいかない。とはいえ、彼らに姿を隠す必要などないわけで、杞憂に過ぎないだろうが。
「誰にも見られていないわね?」
「のわあっ!」
外に意識を向けていただけあり、倉庫の内側から声をかけられて俺は思わずのけぞった。背後から漏れてきた声は紛れもなく美川のものである。
「ああ。言われたとおり、そこら中走り回ってでも撒いてきた」
「そう。じゃあ入って」
古ぼけた見た目に反して、音を立てることなくスムーズに開いた扉。それほど広くもない中には一般的な体育用品、すなわち跳び箱やらマットやらが隅の方に少数並んでおり、中央は三畳分ほどの空間がある。石造りの床であるため、くつろげるかといえば否だが、もしこれが畳なら、十分寝転がることができる広さである。
「災難だったわね。同情だけはしてあげる」
「そりゃどうも」
「同情ついでに、誰にも見られないと約束できるなら、ここを使ってもいいわよ。中から鍵もかけられるし、誰もこんなところにいるとは思わないでしょう」
「いいのか?」
「ええ。友達だもの」
それは冗談で言っているのか本気で言っているのかわからないが、貸してくれるというならありがたく使わせてもらおう。それ以前に、ここは何なのか、どうして彼女がここを自由にしているのか疑問に思うが、どうせ聞いても答えてはくれないだろう。
「ここについて聞かないのね。良い判断だわ。世の中、知らなくていいことは知らない方がいいにきまってるもの」
「お褒めにあずかり光栄ですよ」
「相手の機微もろくにわからない人類未満の存在にしては上出来よ」
「褒めるか貶すかどっちかにしてくれ」
「この愚図」
「貶すのかよ」
そう俺がつっこむと、美川は口元に手を当てて笑った。
「ふふ。それにしても、私がこの場所を、あろうことか男の子に教えることになるなんて、人生って不思議ね」
「そうかい」
素っ気ない返事で、会話が止まる。生憎と独白に返す相槌のレパートリーは多くない。この場所について知らないのだから、共感もできはしない。
「それで、俺をここに呼んだのは使用許可を与えるためだけか?」
「あら、世間話には付き合ってくれないの?」
「お前のそれは世間話じゃないだろう」
「そう? 難しいのね、友達との会話って」
「話題の選択を間違っただけだ。本来そこまで難しいことじゃない」
相手の機微がどうだのと語っておきながら、当の自分が会話に疎いというのはいかがなものか。
「それより、他に目的があるのなら早いうちに聞いておきたいんだが」
「せっかちね。友達との会話もろくに楽しめないようじゃ、この先苦労するわよ」
「誰が言ってんだよ。会話を楽しむために用事はさっさと済ませるタイプってだけだ」
「そう。まあいいわ」
美川はやれやれといった風に立ち上がり、そばにあった移動式ホワイトボードを転がしてきて言う。
「これから、あなたがこの学校で生きていくための作戦会議を始めます」
ホワイトボードに書かれた可愛いパンダの落書きと共に、俺の身の振り方を決める会議が一方的に始まった。




