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1日目 7月13日(火)

 意識が覚醒し、薄目を開ける。


 どうやら日の出直後らしく、薄いカーテンがかかっているとはいえ、室内はほとんど真っ暗と言ってよい。俺の体に染み付いた起床時間よりも随分早く起きてしまったらしい。


 この時間に覚醒することなんてなかなかない。暑さで起きることも考えられないではないが、こんな早朝に起きては二度寝するのが定石というものだ。にも関わらず、眠気が完全に吹き飛んでしまっている。まるで運命づけられているかのように、目を閉じても、微睡む予感さえしない。


 瞼を開く。一時間や二時間も早起きしてしまうと、授業中が辛いことは分かっているのだが、眠れないものは仕方がない。


 さて、目を開けたわけだが、いくら暗いといっても、自室のレイアウトはわかる。そりゃあ、ベッドから上を見上げたら、天井と電灯があるはずである。そのはずで、それ以外には、視界に入ったとしても勉強机の角張ったフォルムくらいなものだろう。


 そのはずなのだ。しかし、俺の視界には明らかに丸みを帯びた造形が浮いている。そう、まるで女性の胸部のような。


 だんだん暗闇に目が慣れてきて、その正体が網膜に像として映る。


「はああぁぁぁぁ!?」


 思わず近所迷惑な声量で叫んでしまった。まさか、男子高校生の私室に早朝から見知らぬ女性が侵入しているというあまりに現実離れした予想がその通りだとは誰も思わないではないか。


 俺の枕元に立つ少女が纏っているのはうちの高校の制服。それだけではない。黒い外套に、それから手に持っているのは、鈍く光る鎌のような刃物。というか、ゲームで見るような大鎌そのものである。


「うわぁぁぁぁ!」


 ご近所迷惑その二。不法侵入と思しき少女が凶器を持ってこちらを見下ろしていたら、ベッドから跳ね起きて悲鳴を上げても致し方ないというものではないか。


「私は死神」


 俺の悲鳴を聞こえていないかのようにスルーした少女は、そんな世迷言をぼそりと口にした。目と鼻の先で刃物を構えた人間が何を言うのか。


「あなたの寿命はあと50日」


 ちょっと何を言っているのかわからない。いよいよ危険人物という評価がお似合いのこの少女、いったいどう対処すべきか。


 この少女よく見ると、顔立ちは、校内でも一二を争う容貌と名高いうちの妹と比べても引けを取らないほど整っていて、確かに浮世離れした白銀の髪は薄暗い中にも異様な存在感を放っており、はっきり言って美少女としか言い表すことしかできず、正直タイプだ。刃物さえ持っていなければ、呑気に見とれることができたかもしれない。


 謎の少女は枕元から動く気配がない。俺も不用意には動けない。その膠着状態を打破するがごとく、騒々しく俺の部屋の扉が開いた。


「何事よ!」

「来るな瑠美!」


 この家でそのような行動に出るのは、俺を除いてただ一人。というか、この家に住んでいるのは俺を除いてただ一人。話に上った我が妹、一ノ瀬瑠美が、肩甲骨の下あたりまである金髪のツインテールをピコピコと跳ねさせて仁王立ちしている。


 言わずもがな、不法侵入かつ銃刀法違反の凶悪犯に立ち向かって良いような少女ではない。体格的にもそうだが、年下の少女、それも大切な家族を矢面には立たせられないというのは、男として、兄としての矜持といってよい。


 そのため、注意を呼び掛けたのだが、俺必死の忠告を受けても、瑠美は一瞬びくりと立ち止まった後、あろうことか、そのままずかずかと部屋に入り込んできたのである。


「おい瑠美!」


 再度呼びかけようとして、ふと気づいた。もしや、枕元の少女は瑠美の友達で、俺を驚かせようとしただけなのではないか。そう考えるとしっくりくる。夜闇で判然としないが、きっとあの鎌も贋作に違いない。


 それを確かめようと、もう一度枕元へ目を向ける。が、自称死神少女の姿は影も形もなかった。訝しがった俺が部屋を見回すより早く、瑠美の怒った声が耳を劈く。


「どういうつもり! 馬鹿にいの部屋から急に叫び声が聞こえてきたから何事かと思って駆けつけたら、なんにもないじゃない!」

「え? お前、ドアの前にいながら気づかなかったのか?」

「はあ? 何に?」

「しらばっくれるのか。まあいい。それより、友達が泊まってるなら連絡の一つくらい寄越せよ」

「ちょっと何言ってるのかわかんないんだけど。友達なんて泊まってないわよ。こんな一週間の真ん中に。寝言は寝て言って馬鹿にい」

「なんだと? じゃあさっき枕元にいた自称死神はなんだったんだよ」

「馬鹿も休み休み言ってよ。そんなの最初からいなかったじゃない。変な夢でも見たんじゃないの。まったく、どれだけ馬鹿でも夢と現実の区別くらいつけてよ」

「おい、嘘はついてないんだよな?」

「当たり前でしょ。馬鹿馬鹿しい。もう叫ばないでよね」


 これだから厨二病が抜けきってない馬鹿は、だのなんだのと悪態を吐きながら自室に戻る瑠美。本当に嘘は言っていないらしい。とすると、本当に夢だったのか。だとすると、いったいどこから。布団から抜け出した後にも少女の影は見えていたはずだ。それが夢の残像だったというのなら、もう認めるしかないが。




 結局、その後自称死神少女は現れることなく、いつもの起床時刻となり、スマホの目覚ましが鳴ると同時に、寝不足を抱えた状態で制服に着替えて部屋を出た。


「ねぇ馬鹿にい、死神ちゃんはどうなったの?」

「うるせえ」


 朝食の席で、瑠美がニヤニヤとからかうような眼を向けてくる。俺はパンをくわえたままそっけなく返した。夢ごときに踊らされて馬鹿騒ぎした兄はさぞ滑稽だったろう。無理に弁解はしない。嵐が過ぎ去るのを待つように、瑠美が興味を失うまで耐え抜けば良いのだ。


「夢の中で死神ちゃんにはなんて言われたの? チカラガホシイカって?」

「違う」

「えー。残念だったね。せっかくの死神ちゃんの夢だったのに、黒歴史ノートの通りにならなくて」

「いらんことを思い出させるな」

「右目の封印の調子はどう?」

「おい」

「きゃーこわーい。魔眼に射抜かれて封印されちゃうー」


 もはや何も言えない。これ以上喋らないほうがいいだろう。焼却したはずの黒歴史を掘り返されて、精神がズタボロにされてしまう。


「じゃ、お先に。死神云々の話、他の誰にもしないでよ。恥ずかしいのは私なんだから」

「お前が広めない限り大丈夫だよ」

「そっかぁ。馬鹿なお兄ちゃんの話を真面目に聞いてくれるお友達なんていないもんねぇ」


 人を食ったような笑みを浮かべた瑠美は、いってきますと出て行った。七月も中頃。新入生として俺の学校に入学してきた瑠美にも友達ができ、俺とは時間を分けて登校している。俺が一緒では気まずいというのもあるし、瑠美の奴、学校では品行方正な美少女として名を馳せているらしいのだ。学校では「馬鹿」なんて言葉遣いは絶対にしない。俺と一緒では、何かと都合が悪いのだという。俺の前でもその仮面を被って、とまでは言わないが、もう少し優しくてもいいように思う。




 そういうわけで、食器を片付けた後に、時間を開けて俺も家を出る。お陰で俺はいつも遅刻ギリギリだったりするのだが。


「翔君、おはよう」

「ああ、おはよう、奏」


 家を出た俺を待ち構えていたのは、生まれた頃からの隣人、幼馴染の北条奏である。猫のように若干クールな印象の瑠美とは対照的に、犬のように柔和な印象を抱く可愛らしい少女。俺と同じ高校三年生である。


 ボブカットの茶髪を風に靡かせ、雰囲気に違わずほわほわとした笑みを浮かべている。家が隣という好みで、毎朝一緒に登校している。


「また不機嫌そうにしてる」

「そうか?」

「うん。また瑠美ちゃんに怒られたの?」

「怒られたというか、馬鹿にされただけだ」

「なんで?」

「それは、あれだ。悪い夢を見てな」

「泣いちゃった?」

「そんなわけないだろ。ちょっと騒いだだけだ」

「ふふ。そっかそっかぁ」

「なんだよ」

「かわいいなぁって」

「からかうなよ」


 いたずらっぽく笑う奏。幼馴染というだけあって、俺をからかうことにかけては右に出る者はいない。本人いわく、からかっているのではなく、めでているらしいが。どちらにせよ、あまり男として面白くはない。


「ふてくされないでよ。慰めてあげるから」


 ニコニコしながら、俺の頭にその柔らかな手を乗せる奏。


「よーしよーし、怖かったでちゅねぇ」

「やっぱからかってるだろ」


 その手を払いのけて、スタスタと先に進む。


「まってよぉ」




 登校するとすぐ、奏にはクラス中の女子から挨拶が殺到する。無論、俺とは別の扉から教室に入るため、今更揶揄されることはない。


 俺はといえば、誰からも挨拶されるようなことはなく、またすることもなく、黙々と着席する。奏が申し訳なさそうな顔でこっちを見るが、気づいていない振りをする。毎朝のことだ。俺は誰からも相手にされず、彼女には築き上げてきた人望がある。たったそれだけのことで、奏が気に病むことではない。全て自業自得なのだ。


 始業のチャイムが鳴る直前、俺が入ってきた教室後方の扉が開き、室内の会話が全て一瞬止まる。入って来たのは教師ではない。一生徒である。ただし、その雰囲気は教鞭を振るう者よりも怜悧だ。


 その少女は教室の空気など気にも留めず、俺の後ろの席で、煌めくロングの黒髪を翻して着席する。言うまでもなく、俺に用があるのではなしに、ただ彼女の席がそこだからである。彼女が自身のスペースを片付けるのを合図にするようにして、他の生徒たちも着席する。


 教室の雰囲気を一変させた彼女の名は美川渚。学校一の美少女と呼び声高い、正真正銘の高嶺の花である。誰一人挨拶しないのは、畏怖の念によるものである。それほどまでに隔絶した美貌なのだ。瑠美も奏も、なかなかお目にかかれないほど整った容貌をしているが、彼女には及ばない。


 俺と同じく誰からも挨拶されていないわけだが、俺とは正反対の生きざまを歩んできたことだろう。俺と彼女を比較するならば、誰もがそう思うだろう。


 まもなく教師が登壇し、授業が始まる。


「それでは、前後の人とペアを組んで、課題の確認。質問があれば呼んでください」


 俺はノートを持って後ろを振り向く。美川は俺の何が気に入らなかったのか、憮然とした様子である。嫌われる、というか皆から避けられる理由もないではないが、その理由は彼女には関わりのないことである。


 もっとも、原因が何というわけでもなく、彼女はいつでも、誰にでもこうなのだ。笑っている顔は誰もいないと専らの噂であり、常に引き締まった表情を崩さない。それがまた神秘性を孕み、人気を上昇させている。


 兎も角俺は、いつものことと割り切って、彼女と事務的に言葉を交わす。ただの答え合わせにさして言葉は要らない。


「ここ。冠詞が抜けてる」

「あ。悪い」

「謝ることじゃないわ。けどケアレスミスが多すぎる。これでよくこの高校に受かったわね。あとここ、複数形になってない。ちゃんと考えながら書いてるの?」

「すいません」


 そのはずなのだが、いつも彼女は一言多い。瑠美ほど悪意に満ち満ちているわけではないが、なぜこうも俺は誹謗中傷を受けなければならないのか。ミスは俺の過失なのだけれども。


 俺にとってはつい不満を漏らしてしまうような難儀な性格なのだが、彼女を崇めている奴らにとってはご褒美らしい。そんな奴らからの嫉妬の視線が刺さるのだ。


 とかく、純然たる嫌われ者の俺とは違い、クラスメイトからは敬われているわけだが、俺はそんな彼女の本当の気持ちを知っている。とまでは烏滸がましくて言えないが、皆が抱いているような孤高の少女というのとは一味違うのだと思っている。


 というのも、授業と授業の間にある十分間の休み時間のことである。喋る相手のいない俺と彼女は、ともにそのまま席に座っているのだが、時折彼女、心の声が漏れているのである。小声であり、周りの喧騒に紛れて恐らく俺にしか聞こえていないだろうが。


「うぅ、みんなに見られてる気がするよぉ」


 冷たく近づきがたい印象を与える彼女とて、他人の視線を意に介していないというわけではないのだ。寧ろ注目される分、敏感になっていると言ってもいいだろう。


 とはいえ、独り言の内容がそうだというだけで、普段の他人に対する言動は世間一般のイメージに相違ない。俺のように、望まずボッチになっているわけでもないだろう。




 かくして、俺の日常は今日も恙なく終わりを迎える。


 部屋の電気を消して、ベッドに横たわった。しばらく目を開けていたが、突然枕元に少女が立っているなんてことは起こらず、ほどなくして睡魔が襲ってきた。


 だんだん朧気になっていく意識を自覚しながら、今朝のことを思い出す。


「あなたの寿命はあと50日」


 あれは果たして、本当に夢だったのだろうか。

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