たゆんたゆん
6月1日月曜日、先輩は出社しなかった。
引き継ぎ終わったのかな? そんな早く終わらないか。
li○eは交換していたが、まだ送った事はない。初めて送るって緊張するよね?
金曜日まで、結局先輩が出社する事はなかった。
「係長、千駄木先輩引き継ぎ終わったんですか?」
俺より10くらい上の、短髪で小麦色の肌をした係長に聞いてみた。にやっと、いつものいやらしい笑いを浮かべる。これがなければ顔が良い部類に入るのに。係長自慢の高級ローバックチェアに座ったまま、俺を見上げた。
「ああ、終わってる。なんだお前、懐いてたのに知らなかったのか? じゃあ辞めた理由は?」
「いえ」
知らないフリをしておく。
「千駄木は辞めさせられたんだよ。まあ千駄木家だし? 表沙汰になっていないが、裏で何かしたんじゃないか? ちょっと顔が良いからって、お高く止まって付き合いの悪い奴だったから、いなくなって皆ほっとしているよ。なんかフゴフゴ言うしー…ああ、お前さ、li○e知ってる? 伝えたい要件が……って、知ってる訳ないか。あ、課長おはようございます」
オフィスに課長が顔を見せると椅子から立ち上がり、さっさと行ってしまった。
ふむ……。
係長が課長に挨拶を終え、自分の椅子に腰掛けると同時に、低い背もたれごと後ろにひっくり返った。したたか後頭部を打ったようだ。床がカーペットで良かったですね。
小さな『風刃』で脚の部分を5ミリほど残して切ろうとしたが、結局1ミリくらいでギリギリだった。
いやー、加減が難しい。しかも係長の為に魔力を使ってしまった。まあ必要経費ならぬ必要魔力と割り切ろう。
後頭部を押さえながら、忍び笑いが聞こえる辺りを睨み、脚の折れた椅子を確認している係長を横目に、先輩にメッセージを送っておく。
[千駄木先輩、頑張れ。先輩の成功が俺の魔石買取り、ひいてはPちゃんの食費に繋がります]
ブブッ
すぐに返事があった。
[バカタレ! ミソダレ! P様を出すとは卑怯な!]
そして一拍間を置いて、
[任せておけ狭間の戦い! ククク!]
と、メッセージでもククク笑いが返ってきた。
初めてのli○eのやり取りだったが、先輩はダジャレ好きだと分かった。
必要時以外は控えよう。
「ただいま、Pちゃん、マシロ」
「お帰りなさいピ」
「キュイッ」
図書館から借りた動物図鑑を床に広げ、一緒に見ていたふたりが、両肩に飛び乗ってくる。
うーん、癒やされるう。
「ちゃちゃっと夕飯作るから、図鑑の続きでも見てて」
「ピ!」
「キュ!」
肩から再び床に降り、これはキリン科哺乳類、成体で体長4.2メートル…、とマシロに説明し出した。
どこに需要があるか分からないが、楽しそうだから気にしない事にする。
スーツを脱ぎ、ポケットからスマホを取り出した時、電話が鳴った。徹さんからだ。
「はい?」
ネクタイを緩めながら、ふたりの邪魔をしないよう台所へ入る。
「…はい、夕飯はまだです。…え? だって86才でしょ? てっきり出向いて行くものかと…はい。分かりました。待ってます」
「どうしましたピ?」
「キュイ?」
通話を終えた俺に、ふたりが図鑑を見るのを止め、聞いてきた。
「今から30分後に徹さんが来るって。精鋭イレブンの人、また連れて」
「ピ、86才、鍛冶屋」
「うん。そりゃあつぐみさん用のソーイングセットは作って欲しいけど、魔鉄もまだ見つけてないし。ご高齢だから魔鉄を採掘したら、徹さんに聞いてこっちから行くつもりだったんだけど」
徹さんも仕事が早い。というか…確か年齢的に無理って言ってなかったっけ?
「とりあえずPちゃんとマシロは、その人がどんな人かわかるまで、ぬいぐるみだな」
美波に貸して翌週には返された、リアルな鯛の石像が描かれた『ラタイ』Tシャツに、チノパンを履いて待っていると、玄関のチャイムが鳴った。
「じゃあぬいぐるみごっこ開始」
小声に反応し、ふたりが静かに片羽根、片手を上げベッドにダイブする。
玄関ドアを開けると、そこに徹さんと、徹さんの肩くらい、美波より少し大きい女の子が立っていた。
「こんばんは、田所くん。急に悪いね。夕食は買ってきたよ」
両手に持った大きな紙袋を、目の前に持ち上げる。
「…ありがとうございます。……で、そちらの方は?」
栗毛色のショートヘア、こんがり日焼けした肌、うっすらそばかすのある顔に大きな目、やや太めの眉、そして何よりも目を引く、Tシャツを押し上げるデカいおっぱい。たゆんたゆんのおっぱい。
「『精鋭イレブン』、薫のフォロワーのひとりだよ」
「え!? あなた86才ですか!?」
「あたしそんなに老けて見えます!?」
俺が驚愕すると、ガーンと言いながら栗毛色の頭を垂れる。
ショックの表現が昭和だ。高校生くらいに見えるけど、案外いい歳か?
「す、すいません。とりあえず中にどうぞ」
「うん、お邪魔するよ」
「…お邪魔します」
拗ねたように口を尖らせながら、栗毛ショートたゆんたゆんさんも部屋に上がって来た。
「今日は日本食、蒲焼きを10人前持って来たよ。肝吸いも魔法瓶に入れてもらったから」
「…蒲焼きって、まさか…」
サンマもイワシも、何ならナスでも代用して作った事はある。でも、肝吸い付き、これは…。
「うなぎだよ? 澤井に買ってきてもらったんだ。もしかして、嫌いだったかな?」
「とんでもない!」
食べた事がないので嫌いになれません!
「ねえ、田所さんち、まだ他に誰かいるの? うなぎ10人前って言うから、このアパートで後7人も一緒に暮らしてるのかと思ったら、誰もいないし」
たゆんたゆんさんが訝し気に部屋の中を見渡した。
「田所くんの友達が大食漢でね。取っておけるし、足りないよりは良い。さあ、自己紹介を」
徹さんがキョロキョロしている、たゆんさんを促す。
「あたし小山内唯ピチピチの23才! よろしくね!」
まさかの同い年。ニカッと笑った顔がとてもチャーミングだった。
「……たゆん…ゆいさんですね。俺は田所航平、ゆんさんと同じ23才です。よろしく」
「田所くん、もうニックネームを?」
しまった! つい、たゆんたゆんに気を取られて…。
「『ゆん』かぁー、良いね! じゃあ私も航ちゃんって呼ぶ!」
嬉しそうにニカッと笑う唯さんに、そんな事は言えるわけがない。
「あははー。そうですね……ところで、ゆんさんは、どちら様で?」
二人が顔を見合わせる。
「そうだね。唯…私もゆんと呼んでいいかい?」
いや、呼ばない方が…徹さんのキャラ的に…。
俺の心とは裏腹に、ゆんさんが嬉しそうに頷いた。
「ゆんはね、私の刀を作ったサダナリさんのお孫さんで、インスタライブにサダナリさんの代わりに参加していたらしいんだ」
徹さんが苦笑いをしながら答えた。
「だっておじいちゃん、夜はお酒飲んですぐ寝ちゃうし、鉄は打てるけど文字は打てないもん」
上手い! いやいや…大事なのはそこじゃない。
「えっと、何でゆんさんはこちらへ?」
「同い年なんだから、ゆんって呼んでよ、航ちゃん」
「ああ、まあ…コホン、で、ゆんは何でここに?」
俺が言い直すと、座っていたゆんが勢い良く立ち上がった。
たゆたゆん。
つい凝視していた俺に、頭を下げる。
「航ちゃん! おじいちゃんじゃなく、あたしに鉄を鍛えさせて下さい!」
「はい?」
つい間の抜けた声を出してしまった。
「ゆんはね、サダナリさんのお弟子さんだよ」
徹さんが魅惑の微笑みを浮かべる。
これが後に、世界最強の女鍛冶師と呼ばれる事になる、ゆんとの出会いだった……。
「…勝手にナレーションつけるの、やめてもらえます?」
先輩か!? ツッコむ俺に、ゆんが顔をくしゃっとして笑う。
チャーミングたゆんたゆんだった。
読んでくれてありがとうm(_ _)m イエス!チャーミング! 誤字報告ほんとにありがとうございます!
助かるのなんのって(`・ω・´)ゞ




