千駄木先輩
5月13日水曜日、田所航平はいつもと変わらずひっそり席に着く。挨拶されれば返すが、自分からはしない。そういう男だ。月曜日は物品からドアまで壊したが、今は落ち着いている。しかしなぜ急に怪力になったのか。なぜ皆見て見ぬふりをするのか。こんなに面白いことを。そういえば眼鏡をしなくなり、普通の細目になっている。
真後ろから、アナウンサーのような滑舌の良い声が聞こえた。
「…おはようございます、千駄木さん。日記を読むみたいに話しかけてくるの、止めてもらっていいですか?」
「おはよう、航平君」
俺が振り向いて頭を下げると、千駄木さんも軽く頭を下げる。
ポニーテールよりやや下目に結いた黒髪が揺れた。
相変わらずお綺麗で…。
少しつり気味の涼やかな目、すっと鼻筋は通り、ぷっくりとした形の良い唇へ繋がる。ヒールを履いて、俺と同じくらいの身長。クールビューティーとはこの人のことだろう。
「で、なんでボクだってわかったのかな?」
「…俺に話しかけるの、千駄木さんくらいですから」
「ククク、相変わらず面白いことを言うね」
どこが!? 結構ネガティブなこと言いましたけど!?
「でも駄目だよ。ボクのことは先輩と呼んでと、2年前から言ってるじゃないか」
綺麗な声で人差し指を立て、チッチッと横に振る。
…そう、千駄木先輩は残念ビューティーだった。
残念その1、25歳にして自分を『ボク』と呼ぶ。
アニメや漫画なら良いが、現実の職場内では違和感ありまくりだ。
残念その2、抑えたようなククク笑い。たまにフゴッと鼻が鳴る。
残念その3、笑いのツボが独特すぎる。
そんな先輩でも、やっぱり顔が良いからか、男女問わず社内にファンは多い。
「いいんですか千駄木さん? 俺に話しかけないほうが…」
「先輩、だよ。航平君、ほら言ってごらん」
まあ、性格も良いからだな…。
先輩はなぜか入社間もない時から、何かと絡んできた。
先輩以外からは、元々あまり話し掛けられなかったが、一昨日ドアを壊してからは、存在していないような扱いだ。
気持ちが分からなくもないのが、辛いところです。
そんな空気の中、千駄木先輩だけはいつもと変わらない。
「ねえ、どうしてドアを壊した?」
始業後から鳴る電話の音さえ一瞬止まったように、周りがしんとなる。
空気が読めないだけだった。
「…千駄木先輩、昼休憩の時ちょっと時間貰っていいですか?」
「いいけど? お弁当くれるの?」
「あげません」
「ククク、フゴッ! 失礼」
聞き耳を立てていた周りが動き出す。礼儀正しい先輩も仕事に戻っていった。
いつもの公園のベンチで、丁度弁当を食べ終わった時、千駄木先輩が駆け寄ってきた。
「航平君! お弁当は?」
「食べました」
「ボクは貰っていない」
「あげてません」
「ククク。で、何かな?」
ストンと隣に座わると、ベージュのパンツを履いた長い足を組む。
「…千駄木先輩、先輩のお兄さんて確か、防衛省の官僚でしたっけ?」
ガザゴソと手にしていたコンビニの袋を漁っている先輩に聞く。前にそんな話を聞いたことがあった。
「んー、官僚というか、シビリアンだね。背広組」
「背広組?」
おにぎりのビニールを取り、ぱくっと食べると口元を隠しながら話を続ける。
「防衛省職員はほとんど自衛官だけど、兄は制服を着ない背広組。1割も居ないけどね」
「…何をやっていられるんですか?」
来い来い来い…
「確か技官。装備品の研究開発だったような気がする」
来たっ! 幸運200MAX! いや、これは関係ないか…でも。
「そうですか…。先輩、先輩はインスタライブとか、やってますよね?」
以前、俺がミステリー本が好きだと話した時、強引に録画を観せられたことがあった。
ミステリー違いだった。あまりの不気味さに言葉を失ったものだ…。
ギラッと先輩の目が光る。
「観たい?」
「いいえ」
「ククク、ほらこれ」
携帯を取り出し、俺に見せてくる。
薄暗い部屋の中、髪を下ろし、緑色のお面を被った先輩が座っていた。アナウンサーのような綺麗な発音で、流れるように何かを話している。
でも顔には、ぎょろりとした目、大きく開いた口には、巨大な歯が並び、両端には2本の牙が生えているお面。
…なぜこれを?
「ククク、バロンのお面だ。聖獣にして悪霊を払う。バリ島の土産屋で、一段と光って見えたのが出会いだよ」
先輩がうっとりしたように言う。
確かに目玉の上の額当ては、金色に光っているが…。
「凄いですね…何を話しているんですか?」
「んー、色々だよ。シャーマンについてとか、呪術、パワースポットとか。あ、パワースポットは和製英語ね。後は旅行先で手に入れた魔除けグッズとか」
「…へえ。先輩のこれ、結構視聴されてるんですか?」
「ククク。常時11人くらいだね。鍵垢じゃないんだけどなー。でもフォローしてくれている者は、少数精鋭だよ?」
カギアカとはなんなのか、なんの精鋭かは分からないが、もう、この人しかいないだろう。
「先輩」
俺は、おにぎりをもぐもぐ食べながら動画を眺めている先輩に体を向けた。
「お、何? ドキドキしてしまうじゃないか。ククク」
「インスタライブのネタ、買いませんか?」
「…ほう」
真剣な顔は、はっとしてしまうほど美しかった。
「で、どんなネタだい?」
「ダンジョンです」
「ダンジョン? フゴッ」
やっぱり残念ビューティーだった。
そこのあなた、読んでくれてありがとうm(_ _)m




