訓練の場へ
月曜日の昼過ぎ、俺は300円均一にも寄らず、とぼとぼと家に向かっていた。
「Pちゃん、ただいま…」
ゆっくり玄関のドアを開ける。
「航平、お帰りなさいピ。帰りは21時くらいと言ってました…ピ?」
Pちゃんがトテトテと引き戸の向こうから現れた。
「まずいことになった」
スーツのまま台所に座り込む。
「どうしたのですピ?」
「Pちゃん俺、会社クビになるかも…」
「くピ?」
Pちゃんが不思議そうに体を傾ける。
「…ほらこれ」
財布から10円を取り出し、親指と小指で畳んでみせる。
昨日のホットチョコレート作りから、なんとなくおかしいとは思っていた。
「今日さ…」
会社に向かう時、最初のそれは起きた。
ホームから下り階段に差し掛かった時、20段以上前を駆け下りていた女性のパンプスが折れ、大きくバランスを崩した。
俺はとっさに人の間をすり抜け、下から女性を支えた。
女性の前には人がいなかったし、支えた場所が胸寄りの脇腹だったからか、悲鳴を上げられた。
俺も悲鳴を上げ、慌てて逃げた。
会社では備品のボールペンを折りまくり、ホチキスを押し潰し、ドアを壊した。
上司から、疲れてるみたいだから今日は帰れ、と言われた。
いつもの嫌味かと思い、大丈夫ですと返事をしたら「頼むから帰って」とお願いされた。ちゃんと有給扱いにしてくれるらしい。有給なんてあったんだ?
XO醤をくれた千駄木先輩も、何かオロオロしていた。
「ダンジョンの中では気付かなかったけど、俺ヤバい奴になってる気がする…」
「しょうがないですピ。航平は探索者ですピ」
うなだれる俺の肩に、Pちゃんがそう言って止まる。
「でもこのままじゃ、生活破綻者だ」
「では身体操作のスキルを取得すれば良いですピ」
Pちゃんが肩から床に降りた。
「身体操作?」
「本当は身体操作を先に取得して向上させると、眼調整のスキルを取得できるのですが、航平は始めから眼調整10だったので、眼に頼っている状態ですピ」
「ほお?」
「航平の見切りスキルも、眼調整から派生してますピ。でも本来は身体操作5以上、眼調整1以上ないと、出現しませんピ」
「ほほお?」
「…ダンジョンで身体操作を身に着ければ、力の加減が自然にできるようになりますピ」
「おおー! それだったらもう壊さないし、痴漢に間違われることもないなっ」
俺は立ち上がると、急いでスーツをハンガーに掛け、ジーンズと、窓の外に乾かしていた「ちゃんぽん」トレーナーに着替えた。
「行こうPちゃん! ダンジョンへ!」
曲げた10円玉を元に戻して、俺たちはダンジョンに入った。
「で、どうすれば良いんだ?」
「早く取得するのと、ゆっくり取得するのと、どちらが良いですピ?」
バッグの中からPちゃんが問いかける。
そんなの決まっている。
「明日また普通に出勤するために、早くでお願いします」
「では地下8階に行きますピ」
「え? 3階とか4階じゃ駄目?」
「駄目ですピ。ゆっくりなら良いですが、早めならその階ではできませんピ」
…8階ということは衝撃波コウモリがいる所を通らなきゃならない。
「でももう1時過ぎだろ? これから8階まで降りたら、帰りがさ」
「…生活破綻者、ピ?」
渋る俺にPちゃんが呟く。
「行きましょう!」
P先生のほうが怖いです。
「…P先生、俺の内臓は無事ですか?」
地下6階へと続く岩の階段を降りながら、肩に止まっているPちゃんに確認する。
時間短縮のため、気配探知と空間把握で魔物を避けながら進んでいたが、天井から現れたブラッドバットの群れに遭遇した。
2枚風刃で12匹倒したが、衝撃波を何発か食らってしまった。
6階のオノカブトの時もそうだったが、空間把握も気配探知も平面でしか分からない。
上は今後の課題だ。
「ライフを確認すれば良いですピ」
Pちゃんが体を傾ける。
…そうですね。
Lv14 生命力754/980 魔力392/490
結構減っていた。止まらず移動しているから生命力が回復しない。
地下6階を駆け抜け、初めて7階へ降りる。
「7階も駆け抜けたいところだけど…」
7階は沼地だった。
泥の地面が広がり、細く背の高い草が生えている。
紫がかった明かりの中、所々に広がる水溜りが光って見えた。
毒沼じゃないよな…
沼:水深が浅く、透明度は低い。
思わず鑑定したが、ただの沼のようだ。
一歩踏み出すと、ズチャッとスニーカーが軽く埋まる。
空間把握と気配探知を放つ。
空間把握で、まっすぐ行った奥に階段があるのが分かった。
気配探知では…。
「ヤバい! Pちゃんバッグに入れ!」
Pちゃんが素早くバッグに潜る。俺は全速力で走り出した。
魔物の気配は俺の立っていた場所を中心に、視力検査のランドルト環のように存在し、環の切れ目が階段に繋がっていた。
その魔物の環が、切れ目を残したまま、俺たちのほうへ徐々に狭まってくる。
くそおおお! 囲まれてたまるかあああ
泥に足を取られながら走っていると、頭の中で駿足が2に上がったとアナウンスされた。
一気に加速する。
泥を跳ね上げ、水溜りを飛び越える。
「ハアハア…あ、危な…かった」
低空飛行の魔物が視界に入った時、なんとか地下8階への階段に逃げ込めた。
「あれは、でかい…蚊だった」
あんなのに刺されたら、ミイラになってしまう。
「航平、これからが本番ですピ」
「…ああ、そうだな。で、8階で何をやるんだ?」
「妖精と戦いますピ」
「妖精? …妖精ってあの、羽根のある、あの妖精?」
「そうですピ」
「…無理! 友達にはなりたいが戦うのは無理!」
俺は大きく手でバッテンを作った。
読んでくれてありがとうm(_ _)m駆け込めた!




