遠野親子
朝8時、念のため八王子ギルドのトイレに転移してから、静まり返ったロビーを横切り受付に向かう。
「おはようございます。田所さん」
突然来たにも関わらず驚く素振りも見せないで、受付の友岡さんが立ち上がり、すぐにカウンターの跳板を上げてくれた。
「おはようございます、友岡さん。早いですね」
「ええ、直接お見送りしたくて」
綺麗な黒髪を片耳にかけながら、友岡さんがにこっと笑った。
「田所さん、北海道ダンジョン主討伐、おめでとうございます」
「いや、あれは紅音さんが。俺は別に」
「ふふっ、いつも陰ながらですよね。ギルマスは部屋にいらっしゃいます。エミちゃんも一緒です」
カウンターの中に俺が入ったことを確認してから、一番奥の扉をノックする。
「ギルマス、田所さんがいらっしゃいました」
どうぞという遠野さんの声が聞こえ、俺が中に入ろうとドアノブに手をかけたとき、友岡さんがその手をキュッと握ってきた。指先が少し冷たい。
「田所さん、八王子を、遠野さんを、よろしくお願いします。どうかご無事で」
そう小さく呟き、俺に一礼すると受付に戻っていった。
……ちょっとドキッとしたんですけど。何も返せない自分のコミュ力が恨めしい。
気を取り直して扉を開けると、白いソファーに腰掛けた遠野さんと、その膝の上で金髪ふわふわエミーナがオレンジジュースを飲んでいた。
「田所さん、おはようございます」
「コウにいちゃん、おはようですよ。ピーチャンとマチロはいますか?」
エミーナがいそいそとテーブルにグラスを置くと、遠野さんの膝の上から降りてきた。
「うん、いるよ」
ウエストバッグを開けると同時に、Pちゃんとマシロが飛び出してきて、エミーナのふわふわ金髪に着地する。
「遠野、エミーナ、おはようですピ」
「キュイ!」
「えへへ、今日もかわいいですねえ」
自分の頭に手を伸ばし、クルクルっとした金髪に半分埋もれているふたりをそっとなでた。うん、エミーナが今日も天使。
「遠野さんの準備は……大丈夫そうですね。その服、似合いすぎですよ。あと潜る前に今使っている武器も教えて下さい」
黒装束に胸、両前腕、両脛に黒革のガードをつけた遠野さんはどこからどう見ても闇に動く者だ……。初めて会ったときはザ.サラリーマンだったけど、スラッとした細マッチョで、短髪の一部が白髪のメッシュになってから、今は異様に雰囲気のあるギルドマスターになっていた。
「いいでしょう? つぐみさんの特製なんです。サイズも丁度で動きやすいし、魔力回復の魔法陣も入っているんですよ。武器は唯さん作のミスリルダガー。あとクナイに近い魔鉄ナイフ3本です」
口調は相変わらずの丁寧さ、サラリーマンの残り香がする。でも遠野さんはダンジョンに潜る前からすでに短剣技スキル3、職業は密偵だったし初めから謎な人だったな……。現在は短剣技7、化け物級だ。投擲スキルも5だし……。俺は短剣を使っていないから短剣技、投擲共に4だ。長剣で戦えば勝てるだろうけど、戦いたくはない。
「了解です。じゃあエミちゃんはお留守番ですね。友岡さんがみてくれるんですか?」
「はい。ありがたいことに」
遠野さんが笑うのと反対に、エミーナがむむっと口をとがらせた。
「エミも、とおさんたちといきますよ」
ぐっと小さな手を握る。
「エミ、言っただろう? 今日はレベル上げじゃなく、80階層のダンジョン主討伐だって。エミには危険すぎるんだ」
わかるねと、しゃがんでエミーナに目線を合わせた。
「ピ、エミーナは連れて行ってくださいピ」
エミーナの頭に乗ったままのPちゃんが片羽をあげる。
「なんでさ? いくらエミちゃんのレベルが59でも危ないだろ?」
八王子ダンジョン40階くらいの魔物のレベルだ。
「エミーナのスキルも上げておかなくてはいけませんピ」
「……『統一者』だからですか?」
遠野さんが小さく聞き返す。そうだった。エミーナの職業は『統一者』。Pちゃんによれば重要な職業らしい。
「そうですピ」
「その統一者とは一体……わかってます。Pさんがいう不可侵領域内の話なんですよね?」
遠野さんがエミーナの両肩にそっと手を置くと、立ち上がりながら言った。
「エミーナは、日本に来てから私と一緒にレベル上げの毎日で、もう十分強くなりました。……来年は小学生です。世界が終わるのなら、せめて友だちを作って、楽しい日々を送って欲しい。もしそれが叶わないようなら、職業の放棄方法を教えていただきたい」
遠野さんが絞り出すように言った言葉に、Pちゃんとマシロを頭に乗せたままのエミーナが首をかしげた。
「とおさん、お友だちはいますよ? ピーチャンにマチロでしょ? かおるやとおるにいさん、あかねちゃんに、ふたちゃん、みっちゃんにひとちゃん、とーまくんも。ほら、とおさん、いっぱいいますよ。毎日たのしいですよ。だから」
そこでエミーナが小さい手で遠野さんの頭をなでた。
「だから泣いちゃだめですよ? とおさん」
「エミ……」
遠野さんがきゅっとエミーナを抱きしめた。
……いやいやちょっと親子愛の、良い感じの空気出してますけど、おかしくない?
「……あの遠野さん、エミーナが、浮いてたんですけど?」
175センチの遠野さんの頭を、小さな手でなでられるくらいは浮いていた。魔法を使った様子もなかった。
「はい? ああ、そうですね。浮くようになったみたいです。でもまだ飛べませんよ?」
「とべたらピーチャンとマチロと、お空のおさんぽにいきたいですよ」
遠野さんに抱きかかえられ、足をプラプラさせながら、エミーナがにぱっと笑った。
「それは良い。Pさんとマシロちゃんが一緒なら安心だ」
良いこと思いついたね、とエミーナに笑いかけた。
遠野さん……さっきまでの悲愴感はどこへ? 人間飛べないよ? 弾き飛ばされることはあっても、普通飛べないよ?
「ピ、マシロは飛べませんピ。空の散歩のときはカゴに私たちを入れてくださいピ」
「キュイ」
どさくさにまぎれてPちゃんもカゴを希望している。まあぽってりPちゃんとでは天使も超低空飛行になってしまう。
「飛んでるの見つかったら大変だぞ?」
釘を刺しつつPちゃんとマシロが入ったカゴを、エミーナ天使が飛んで運んでいる光景を想像する。
……写真撮りたい、ネットに載せたい、全人類に見せてやりたい、その愛らしさにのたうちまわるだろ! 俺が!
「航平、いつも以上に顔がだらしないですピ」
「キュイィ」
エミーナの頭から俺を見つめるPちゃんとマシロの目が、氷のように冷たかった。
「ギルマス、そろそろエミちゃんをお預かり──」
ドアをノックしても中から反応がない。失礼しますと呟きながら、ギルドマスター室のドアを開ける。
「……いない。やっぱり連れて行ったのね」
テーブルの上に置かれた、飲みかけのオレンジジュースのグラスを持ち上げ、誰もいない部屋を見渡す。
「みんなどうか、無事に戻って来て」
田所さんも遠野親子も、桁外れに強いのは知っている。それでも、祈らずにはいられなかった。
読んでくれてありがとうm(_ _)m…………お、お久しぶりです?




