千駄木オヤジの敗北
「あーあ、明日から学校だよ、ゲンちゃん」
体長25メートル、銀色イルカの魔物『幻鯨』の頭に乗ったスクール水着姿の美波が、ゲンちゃんに抱きつきながらため息をつく。抱きつくというよりはうつ伏せになっている状態か。
「ミュー」
よく分かっていないゲンちゃんが嬉しそうに鳴く。遊びに来るだけで喜んでくれる、気の良い魔物なのだ。まあすんごく喜ぶから、お供えの果物も欠かさないが。Pちゃんによれば日本の果物は別格に美味いらしい。
北海道で買ったメロン、20玉なんてペロリですよ? 俺の生命力回復ポーションの売上げ、40本分……。
「良いじゃないか、平穏で」
「そうですピ。学校に通えるというのは、恵まれている証拠ですピ」
「キュイッ」
「そうだけど。毎日来れなくなっちゃう。ゲンちゃんと泳げなくなるぅ。レベル上げも」
初めてのゲンちゃんに会った時、あんなにびびってたのにねえ。
「お前、これ以上強くなってどうするんだ?」
美波は今レベル44、ランキングでぶっちぎりの2位だ。まあタグをつけていないから幻の2位だけど。ちなみに週一で来て、魔鉄と魔鉄喰いの糞を回収しているゆんがレベル36、現在の2位だった。魔力丸は今ゆんが一番使っている。回収したそれらは、千駄木グループのギルド配送部門が新潟へ運び、出来上がった武器をそれぞれのギルドへ届けていた。
「ほら、そろそろ行くぞ。オヤジさんからの緊急招集なんだから」
「ちょっと待って! あと一回! ゲンちゃん、小さくなって」
「ミュー!」
寄り目で美波の小さくなるジェスチャーを確認したゲンちゃんがひと鳴きすると、銀色の体が更に輝きを増した。美波がゲンちゃんの頭から、地底湖の水面にキレイな飛び込みをする。
「おいおいちょっと待っ」
風魔法5の小さな竜巻と風操作の合わせ技で体を浮かせた直後、座っていたゲンちゃんの頭が消え、体も消える。地底湖の水面に浮いているのは、2メートルほどの大きさになった銀色のイルカと笑っている美波だ。
「ピヨちゃんもマシロちゃんもおいでえー!」
「キュイッ!」
俺の肩に乗っていたマシロも喜々として湖に飛び込む。
「あはは! ゲンちゃん! マシロちゃん! 競争ね」
「ミュー」
「キュ!」
「ピィ、美波もマシロも、いつまでたっても子供ですピ」
ウエストバッグの丸窓から顔を覗かせ、呆れたようにPちゃんがため息をついた。Pちゃん水、苦手だもんね。
「遅れました。すみません」
「すみません、私のせいなんです」
会議室にはゆんと定爺、櫻井先生以外のメンバーがすでに着席し、コーヒーやお茶、ジュースを飲んでいた。
「大丈夫。ボクも今到着したところだ」
先輩がフォローしてくれると、
「なんだよ、二人でどこ行ってたんだよ?」
冬馬がふてくされたように言ってきた。
「冬馬、ジェラシーは口に出さず、恋心の燃料に。ですよ?」
紅音さんが無表情で意味不明なことを言い、冬馬を諌める。
「ジェラシー!?……俺は別に」
「冬馬君はうちのカフェのお得意様だもの。美波が今日お店にいなかったのを心配してくれてたのよ」
母さんがふふっと口を挟んでくる。
「……恋心の燃料に……名言だ」
つぐみさんが坊主頭をしきりに頷かせている。
「ああ! 良いなぁ、青春だね。一方私の青春はダンジョンに注がれるのであった」
「美津は24なんだから青春というより、もう生活でしょ?」
「同じ歳のひとみに言われたくない」
「あら? 私は生涯青春よ?」
「二人ともやめなさい。ほらエミちゃんを見習って」
雁屋三姉妹が座った椅子の後ろを通り、
「こうへいとピーチャンとマチロは、ジュースですよ。みなみはコーヒーですよ」
エミーナが遠野さんに持ち上げてもらいながらジュースを注いでくれ、澤井さんが美波にコーヒーを入れてくれた。
「ありがとう、エミ」
ふわふわ金髪をなでる。
「ふふ、どういたしましてですよ」
にぱっとエミーナが笑う。天使、マジ天使。髪は……羽毛だな。いや、雲に触れたらこんな感じか? ふむふむと柔らかな金髪を堪能していると、千駄木オヤジが咳払いをした。
「ダンジョン爆破、サイクロンの発生、終息報告から一週間経ったわけだが」
しんと、静けさを取り戻した会議室を千駄木オヤジが見渡す。
「他国でもダンジョンを管理しようという動きが出ている」
「……だろうな。いや、思ったより早かったか」
冬馬が椅子に寄りかかりながら呟いた。
「そうだな。放っておくこともできたが、あのサイクロンが決め手だ。実害例を知ってしまったからな。何かの拍子でダンジョンが破壊され、天候が左右されれば、農作物は壊滅、インフラ回復にも金がかかりすぎる。なら管理しようってことだ」
「何かの拍子で破壊って、そんなことあるの?」
美波がこそっと俺に聞いてくる。
「美波ちゃん、残念ながらこの世界は、色々な思惑が絡んでるんだ」
徹さんが軽く肩をすくめた。
「敵対している国があるとして、何かその国にダメージを与えたいけど、国のトップを狙えば戦争だ。世界中から批難され、自国の存続も危うくなる。でもダンジョンを多発的に狙えばー」
冬馬が指先をクルクルと回す。
「地下1階部分をちょっと壊しただけで、あの規模のサイクロンが2週間も続いたんだ。もっと多くのダンジョンに、それぞれ強力な爆弾を下層から上層まで順番に仕掛けたら、まあその国は天災によって滅ぶね」
「……その天災が、その国だけにとどまらなかったら? 報復で同じようにダンジョンの破壊行為に及んだら?」
ひとみさんがかすれた声を出す。
「……世界が、終わる」
つぐみさんがぼそりと呟いた。
「人が入らないよう、完全に塞いではいけないのですか?」
紅音さんが祈るように両手を合わせた。
「ピ、魔力は使って消えていきますピ。ただ放っていても魔力は流れ込み続け、ダンジョンは拡張、大気の魔力が濃くなれば、魔物にとってダンジョンの中も、外も同じになりますピ」
テーブルの真ん中で、Pちゃんが片羽を上げる。
「……出てくるのか。あいつらが」
先輩がふうっと、息を吐き出した。水を打ったような静けさとはこの事だな……。俺はPちゃんから聞いていたから、まだ平静を保てるけど、皆はショックだろう。そんな中、
「みんなでいっしょに、やっつけちゃえばいいのですよ」
可愛らしい声が会議室に響き、皆が一斉にそちらを向いた。エミーナがジュースグラスを持ちながら、にぱっと笑う。
「ああ、その通りだ」
千駄木オヤジがにやりと笑った。
「これまで我々が培ってきたノウハウと情報を他国に渡す。もちろん探索者タグもだ。ダンジョンを制圧してもらわんと、世界が滅ぶからな。なあ、エミーナちゃん」
「おっさん、エミですよ」
エミーナがぷっと膨れた。
「おっさん……?」
「長! エミは『おささん』と言っていまして」
遠野さんが慌てて手を振る。
「……おささん……おっさん。クククッフゴッ!」
「おっさん、だいじょーぶよ?」
エミーナが心配そうに千駄木オヤジを見つめると、
「……うん、おっさん大丈夫」
千駄木オヤジが顔を引きつらせながら、エミーナに笑い返した。
千駄木オヤジが敗北するのを、初めて見た瞬間だった。
読んでくれてありがとうm(_ _)m そして世界が動き出す




